BLG;2012-4-12--;;

Impatient for,,, 昨日は大学時代の友人と横浜で会うため、メール連絡。 記憶にあるのは4年半前のこと、メールアドレス変更した人もあって、テンヤワンャ DCのアホ娘とやっと連絡とれて、遅ればせながらSkype設定。 そして今朝はラジオ、「明日への言葉」「ヒメギフチョウの舞う頃」 NPO法人日本チョウ類保全協会理事 松村行栄さん 途中から聴いたので、記憶をたどりに、、、 戦後、雑木林から杉の植林へと環境が変化し 生態系の変化から ヒメギフチョウは、自然保護キャンペーンで有名なギフチョウとは分布が境界線で分かれており; ギフチョウが「本来」人里近いところにいるチョウであることに比べて、本種は、山深い森林的環境のチョウ http://parnassus777.web.fc2.com/02papilionidae/05himegif/05himegif_index.htm 日本に240種の蝶、持ち歩ける図鑑 山の自然 バロメーターとしての観察  英国での試みを参考 学校教育がポイント 渋川市 小学校での取り組み ロシアに行って発表 今日の誕生花: ヤマブキ、バラ科、花言葉は「気品」、「待ちかねる」 山吹を 起こせば流れ ありにけり  野崎ゆりか 「待つこと」にはかすかな期待と不安があるものです 山吹の花が心地よい春風にうなずくように揺れていました この花は山地に生える落葉樹の低木で庭や公園でも広く 植えられていて鮮やかな黄色の花で春遅く他の花が散った 後に咲き目立つ花です 一説には風に枝が振れて~山振りとも言われこれが山吹と成った http://mobile.murablo.jp/naka-kooriya21-5300/kiji/88602.html そして8時から、いよいよダルちゃん登場 3度目の正直、、、、、Impatient for his victory 2012-04-20 05:35:49| カテゴリなし |コメント(0)|トラックバック(0) 人生180度転じて(その2) 新宿歌舞伎町の駆け込み寺, ラジオ、明日への言葉、昨日の続き 25歳で建設会社、35歳で高僧の指導で得度するも、相変わらず、、 17年前の神戸大震災。 「先ず、ポリタンクと50ccのバイクを買え」 テレビを見て、すぐ判断、命令。ポリタンクに水 金貸してるところを50箇所回る、そして神戸でテント村へ お金がお金を生む、解体でまたもあこぎなボロ儲け。二回目はトイレットペーパーも運ぶ 平成10年に手形訴訟に敗れて、残りの金で東京へ。98年10月に探偵事務所を作る オゾンの会社も作る、不動産金融は元より得意。 ペット霊園も考えていた。2000年に秋葉原で何気なく献血。 HTL1、白血病が判明、、、あー命ないと分かってから 復讐、5人へ対する鬼畜の感情。が先ず浮かんだ。40歳の歴史で、なんということと 自問自答、この人間の脆さは何だと自信喪失。 この一年で何をしよう、、、新宿の本屋で偶然取った本、NPO NOP, ボランティア、新宿歌舞伎町で24時間、やくざも80団体、、、 そういう町だからこそ、365日働く、ボランティアについて必死に勉強 2002年に駆け込み寺、NPOの認証を頂く。この準備に一年かけて、会社を整理 たった一人で始める。1800万円融資を受ける てんやわんやの電話が殺到。娘の家出相談、一日2-30件の相談。一年限定と思って 1年3ヶ月、一人で頑張る、体のことを考え12時間に限定 負のエネルギーを貰うけど、ヤクザがらみは慣れているので、 お役所は土日は休みだし、内容別に担当部署がたらいまわし。DV, 金融などなど 自分はその場で即決即断。今しなければならない。 いくら法律を改正しても、実際は益々陰湿化する。現場を知っている強み!! 逃げた女性に名刺を渡し、それを残しておくと 加害所をどう受け止めるか、これがポイント。 あんた、これが大切やと諭す。男のほうが素直。 こうして10年間、2万人  これぞ天職。相談料2-3000円。他は講演などでカバー 当時必要なのは年間180万円。 家賃の補填も日本財団がしてくれる、これがありがたい。 そして今度の大震災も、仙台へ向かい現地のNPO関係者と会う。 すぐ準備室から歓楽街に駆け込み寺を立ち上げる。 ヒューマン・ネットワーク、今必要なことはなにか、それは現地に行かないとわからない 人への思いやり、すると自分が優しくなれる。これが想い。 お寺が原点か、お布施に通じるもの 無関心が人を殺す。自立のサポート、 まだまだパワーアップできるし、これで結構楽しんでいる。 夢は、ビル一棟を買い上げ、5階までフロアー別に、最上階はシェルター 玄さんお気に入りの宇崎竜堂の唄「身も心も」が流れる 奥さんは、ご存知作詞家阿木燿子、長野市出身 けふの花;矢車菊、花言葉は「教育」 北ドイツの駅周辺などに見かける、ありふれ花。 ツタンカーメンの棺にもこの花を持っていたという。 水に浮く 蛙の目 どこ見ているや ;右城墓石 蛇足; 世間は広い、同じことを書いたBLGを発見。 http://36488.diarynote.jp/ 2012-04-19 04:55:41| カテゴリなし |コメント(0)|トラックバック(0) 人生180度転じて、1 今朝もラジオ 人生180度転じてボランティアに:日本駆け込み寺 玄秀盛さん  渡辺賢 演じる映画 大阪西成生まれ、父親は韓国から密入国。母親は日本人、55歳 小学校中学の頃から親戚の間を転々、家出を繰り返し新聞配達。中卒後シンナーが吸えるから自動車、修理工場に その後寿司やなど転職40くらい。行き当たりばったり 基本は一回で6割を覚える、 人の動きを小さいときから見ていたから何でもこなした 20歳で結婚し、子供もできたのでがむしゃらにどんな仕事でもした。 大工は2年半、ぎっくり腰で闘病生活。人を使うことを考える。 この時期に一年間読書三昧。いかに人を使うか、人を使う、大将としての勉強 人材派遣、現場への派遣、作業手配を西成地区で 2010年まで 不景気だから借りる、経営で収入多 3年でビルを建てる 最大200人を雇う 金融(サラ金)で暴利、月一割出なく3割もの暴利。当時は。 現金収入が中心、現場の評判は良 原則は現金で貰い、現金で支払う。守銭奴、自他共に認める。貯金などせず、夜使い切る 仕事驀進、年間商200億で豪遊 会社を10こ   それが突然天台宗で得度 すべては頭の記憶 34歳の時ある人の紹介で、あじゃり、京都へ行った。不動妙を見て、、、 10年間下働き、ダブルの背広を着るよりも作務衣で動くほうが清清しい感じ 番頭にすべてを預ける  一心不乱に歩く、朝4時起き、2ヶ月お寺巡りで歩く 自分との戦い 一人で歩く 歴史書の記憶2, 300年たっても人間は変わらない きりしまつつじ 燃え上がる愛。 傘差さぬ 人の行き来や 春の雨  永井荷風 2012-04-18 04:58:34| カテゴリなし |コメント(0)|トラックバック(0) An opportunity or chance 一年のなかに四季があり、一日のなかにも四季があって、士気に影響する。 昨日は月曜、仏滅。母と弟夫婦を駅まで見送る。 朝から曇り空で、いつも見える富士山は何処へやら 夕飯は、前日格闘した鯛のあら、KGBはアラ探し?ウロコをセッセと取って、熱湯をかける。鍋にぶち込み、ねぎのぶつ切を加える。 しょうがないけど生姜とお酒醤油でテキトーに味付け、薄味でまずまず。隠し味は、塩麹。 いただいた命は、食べ尽くすのが礼儀。一番旨い眼球部と脳をしゃぶると、少しはアタマにいいかと思うが、お行儀悪いとKGBから大目玉。 今朝のラジオ「明日への言葉」から元気をもらう。 中学2年のある日、突然音楽の先生から声をかけられて、 世の中、何がどう転ぶか、いろんなご縁がある。 現在、鹿大病理学教授の米澤傑(すぐる)先生 http://www.kufm.kagoshima-u.ac.jp/~byouri2/staff/yonezawa/yonezawa.html 鹿児島大学、泌尿器から腎臓の研究をと教授にいわれ、 病理の道に入って、現在はムチン産生、MAC 1から21、の研究 UCSFにも留学、研究の傍らSFトップの声楽家からのレッスンも受ける 2010年に日本病理学会賞 医学と音楽も私の喜び。 行き当たりばったり 鹿大入学時、入り口でグリークラブに入り、すぐにソリスト 医学も音楽も実は苦しみの連続、トップジャーナルにアクセプトされる、その一瞬の喜びのために、何ヶ月も没頭する しかし音楽にかける時間は3パーセント ふるさと徳島は第九発祥の地。 出会いとご縁;イタリアでデビューの申し出あるも、、 助教授の頃で、教授選のことなど考え断念、残念? 天賦の声、ちょっとしたきっかけとご縁  いまは膵癌の研究の没頭 最後に「誰も寝てはならぬ;プッチーニのツーランドットより」が流れる 何でも、19日の学会で一年遅れのコンサートがあるという 同じ鹿児島のKGBは、いまだ布団の中でぐーすか、、 薄暗いベッドの隅っこでキーをこっそりキーを叩く けふの花は「はなびし草」、北米原産のオレンジ、黄色 別名、カリフォルニア・ポピー、カリフォルニア州花(熊さんとの対比がおもしろい) 花言葉は「希望」、上から見ると花びらがひし形の家紋、花菱に似ているからと http://yasashi.info/ha_00029.htm けふの一句は原石鼎さんの俳句で 「高々と蝶こゆる谷の深さかな」 2012-04-17 05:01:38| カテゴリなし |コメント(0)|トラックバック(0) Viva Japan ()昨日15日は盛りだくさん、田舎から88歳の母と弟夫婦、そして埼玉から兄も揃って来訪。 夕飯を準備しながら、話が弾む。 と、思いきや、、例のごとくのドタバタ劇。 午前中にKGBは某デパートで鯛を3枚におろしてもらっていた、、、だが、、、 先ずは包丁と小出刃を探す。そして、ジャジャーン。中華、菜っ切り、出刃など7-8本はあるが、肝心なのがない。仕方がないので柳葉を取り出して、砥石でゾリゾリ。 さてーと、冷蔵庫を開ける。 フツーは先ず鱗を落としてからすべきなのに、売り場のオッちゃんには日本語が通じなかったようだ。ビニール袋を開けてビックリ。一面に鱗。一瞬の静寂と、目からウロコ?、とうろたえる。慌てて鱗落としを探す。引き出しをあちこちあけて、、、 次は骨抜き、ここらへんと引き出しを開けて、同じことをゴソゴソ、 無さそうと分かってからは、道具箱を開けてラジオペンチ、プライヤーなどを取り出して悪戦苦闘。 やっと、まな板に乗った身。クッキングペーパーを探すがこれもないのでそこらに転がって紙を乗っけて、お湯をジャー。 冷蔵庫の氷を出しておいて身を締める、こーりごーり 今朝のラジオ、「明日への言葉」はアーサー・ディナード (と聞こえたが、後で調べたらビナード。「朝美納豆」と名刺に書くほど納豆好き) 日本に来て23年、 ジャックと豆の樹、あれは大豆 豆腐、納豆  ねばねば、ネットワークではなくナットーワーク・ジャパン (その昔、トロントで教授のお宅にお呼ばれした際、一人息子がベジダリアンだった、豆腐の知識はかなり持っていたけど、納豆は。それって何だ?汗だくで説明したけど、、、) ヒキガエルを舐める? この納豆詩人は、幼少時に本当に蛙をペロッと舐めたとおいう。その時、母と妹が一緒で、片手に蛙を持ち、もう一方の手でキャンディを舐めていた。交互に繰り返すうちに、間違えて、、、。 妹は(勿論アメ人)決して納豆は食べない。蛙を舐めるような兄のような舌の持ち主とは一緒にしないでほしいとのこと。 (そういえば、以前京都あたりから来た人に、納豆の食べ方を聞かれて、愕然としたことがあった) 日本大好き詩人は「里山の生物から学ぶ」ことを強調。 人間だけが偉いんじゃない、多種多様な生き物があって、、、 そこからいろんなことを教えてもらえる。 日本大好き、言葉のレンズを通して、日本語のレンズ さらにラジオは続く;けふの花。 やまぶきそう 4枚、山吹は5枚、 どこが違うかとゆーと、前者は草で山吹は木。そーいうこと。オータ同感。 葉、のこぎり様、魅惑的な山吹色の花 花言葉は、清清しい明るさ http://www.weblio.jp/content/%E5%B1%B1%E5%90%B9%E8%8D%89 そして、けふの詩; 外(と)にもでよ ふるるばかりに はるの月  ; 中村汀女 下手な解釈するよりも、いいもの見っけ!  下記をどうぞ; http://meiku.exblog.jp/17316663/ さらに 本日は、「Boys, be ambisious 」クラーク博士離日の日 くらーくなるニュースは、アフガンでタリバン襲撃事件、 一神教は恐ろしい、憎しみの連鎖。我こそが正義なり??? 全てをイイカゲンに受け入れてくれる、日本。 日本大好き。Viva Japan 2012-04-16 05:39:27| カテゴリなし |コメント(0)|トラックバック(0) Japan u. Deutschland 昨夜、仕事が終えてからWebカメラなどを購入。Skypeなるものを接続するが、肝心の音声が出ない? そして今朝 ラジオでは台湾からのニュース。台南の烏山頭ダムを建設した土木技師、八田氏を記念する公園に桜が贈られた。大震災後いち早く最大の援助金をしてくれた感謝として、、、、気候を考慮して、河津桜を現地の桜に接木したという。想いを形にする日本人と台湾との交流。 朝の「明日への言葉」を聞く、4月15日、レオナルド・ダ・ビンチの誕生日 かどくらたみあ、 幼い頃ドイツで過ごし、厳しい祖父から教えてもらった料理研究家。 ドイツ流生活術、90歳で元気、デュッセルドルフの北に住む、 ドイツでは日本と逆に、誕生日に自分がケーキを焼くなど招待状を書く。 2歳のころ母の両親に事情があって預けられた。祖母は働いており、心臓発作で倒れた、当時45歳の祖父 「整理整頓、規則正しい生活」を叩き込まれた。6歳からも1年、18歳からも祖父と生活した。 とにかく規則正しい生活、洗面所を使う時間も家族できちんと決められていた。ものを出したらどこへしまうなどなど、 すると、探し物はしない、だから90歳になって一人暮らしでも不自由しない。 ドイツの諺、「人生の半分は整理整頓」、日本に比べるとモノが少ない。 日曜日はお店は、パンやさんとお花屋さん以外は営業禁止。 「寝心地は自分のベッド準備次第」、すべては自分の 「始めなければめなけらば終わりは無い」 祖父は終戦時にイタリアにいたが、徒歩でドイツへ帰還。ソ連がくるので東独から西へ逃れ、大学に入りエンジニアになった。鉄工所の高炉を作る設計。しかし早めに退職し、人生を楽しむ。19歳で戦争に行ったので、 スペインに別荘、当時はまだペセが安かった頃に購入。年間6週間休めるので、そこで休暇を満喫する。 当時は航空機も、、自動車でパあどを積み込み車で出かける、一日で行ける。 両親の出会いは、東京オリンピックの前。英国航空にいた母は一人で一番遠い国へ来た、けれども言葉が通じなくて駆け込んだ東京支店、そこで父と出会う。父は鹿児島出身。そこがどんなところか分からなかったが、父の家系は神道。一方、ドイツの母はプロテスタント、すべてを受け入れてくれる日本。 夫との出会いは、香港。結婚と留学を希望した夫は、当時滞在したロンドンで一緒に暮らすこととした。 ロンドンで料理学校へ通う。 ドイツ料理とは、質素。流行を追わず、拘り過ぎない、 米国など各地で生活したので、妹は先ず英語を覚え、日本に来て直ぐ日本語を喋り、同時に英語を忘れる 家族の共通語は、とりあえず英語。でも祖母は英語が分からない。妹がドイツ語で通訳。 祖母は、2歳の時一緒に持っていった童謡のレコードを毎日聞いて、日本語で歌ってくれた。 そして16年前に介護を受ける体となり、祖父の介護、当時ドイツでは訪問看護システム完成、を受けて10年前になくなった。一人暮らしとなった祖父は、すべて一人で生活できるが、ガールフレンドを探し出す。「みすぼらしい老人」にはなりたくない。同じ時代を生きた仲間と話してイキイキとする。残念ながら、彼女は車の運転ができないから、90歳になっても自分で車を運転する祖父。 母は60歳になって「トップレス」宣言。そして、スペインで実行し開放感を味わってきた。 エコ先進国でもあるドイツ人の考え方、生活から学ぶ。 ラジオでは敵刺すダルちゃんの2戦目の報道。 味方エラーで1失点、その後連打で2点目を失い同点、動転? まだ試合は継続中。ガンバレ、ニッポン。どこにいても、日本を忘れないダルちゃんのファンがここにいる。 2012-04-15 05:21:02| 日常 |コメント(0)|トラックバック(0) 13日の金曜日 13日の金曜日、私は気短かで気も小さいので何となく朝から落ち着かない。 と思いきや、やはりメタボにーちゃんが、ゴーサインを出したらしい。 かのミサイルはあっけなく、、、、 「あはれともいふべきひとは 思おもほえで 身みのいたづらになりぬべきかな」 そーいえば、発射までのごたごたで、沖縄のゴーマンなお方は手のひらを返すように、自衛隊の緊急配備を受け入れた、、、流石、○○○名人は偉い。 もっと素晴らしいのはわが国のセーフ。Safe 優先、慎重、ダブルチェック云々と、結局何を言っているのかわけが分からなかったが、平和ボケもここまで至れりとは。 J-アリャートとか、EMなんとかいうものがあったらしいけど、お得意の無駄作りの集合体だから、さもありなん。 北朝鮮のほうがよっぽど率直で、正午のニュースであっさり失敗を認めている。 翻って、わが国は理解不能な答弁に終始し、誰も責任をとらない。 無様な情報処理システム暴露に、米韓はまたもかーと呆れ果てている。 こんな世界最低国家に成り下がった日本なんて誰も相手にしなくなるだろう。 ではこれからどこが相手にしてくれるのだろーか? 老化した脳細胞は必死で考える。 世界でつまはじきされている所といえば、、、、??、、、 北朝鮮の深謀遠慮には、脅威・恐怖を覚える。 気分転換、TVでは札幌ドームでマーくんの活躍が報じられた。 オトコは顔じゃない、実力だと結果を示した彼に、前々から親近感を覚える吾が輩。 2012-04-14 06:34:44| 時事ニュース |コメント(0)|トラックバック(0) 山が教えてくれた 今朝のラジオ「明日への言葉」から、たつのいさむ氏 大阪市生まれの64歳、小さいころは体が弱かった 高校2年に読んだ国語の教科書、「白い雲」でアイガー北壁にあこがれた。 先ずしたことは、貯金箱にアイガー北壁と書いた。スイスまで行く費用の事を考えたから 相棒と出会い、ますます熱中。一方、一人で登る方法を畳の上で工夫、ハーケン  1969年6月、22歳の時、船でナホトカへ、そしてシベリア鉄道でスイスへ。 下から見た1800mの高さ、大勢の人が亡くなっている山に圧倒された、だが 登山を異端始めると、自分の世界にはいる。ただ目の前のある岩を 雪崩の連続、滑落で11-12mmのロープが5mm程度 そしてひとつクリアすると、待ったーホルンを見て、次はアレだなー、山男は懲りない 決断がポイント、瞬時に判断し、突き進む。後ろを見る余裕はない 失敗を考えない? どうしたらそこに達成できるかを常に考え続ける。 歩きながら考える。 もうひとつの夢、アウトドア店を発展させ、17年前に神戸大震災を経験。 友人のお母さんのご遺体を運んで考えた。ご遺体にかける毛布も無い、寝袋を使おう。 テントも必要。緊急時に「人、モノ、カネ」を考える。 直ちに行動、ファックスで200枚配信。お互いに助け合わなければ生きていけない。 アウトドアを経験してきたから、気づかされた。 昨年の3月大震災、再び「アウトドア義援隊」を結成して乗り込んだ 「悩まない」悩んでいる余裕は無い。 とりあえず現地へ行けば、必要なものが浮かんでくる。 神戸とは規模が桁違いだが、「現場」にいると必要なものすべてがわかる。 足を引っ張る人もあるが、直後に手を差し伸べることの重要性 これからの課題;集合住宅など、こども、母子家庭などへの対応、山積しているが アウトドアの楽しみ、いざという時に生きる力を養ってくれる。 自己完結型の援助 2012-04-14 04:55:11| カテゴリなし |コメント(0)|トラックバック(0) Two sides to everything 昨日は抜けるような青空。通勤通学の人々を縫うようにして、チャリを漕ぐ。春の暖かい日差しと、散り始めた桜の花を楽しみながら。 仕事前に昔の同僚と再開、約8年ぶりだ。 思い立ったのは、前日の夜。単細胞の私は、即実行。 突然の来訪を、彼は驚き、そして昔と変わらぬ笑顔で迎えてくれた。 互いのメールを交換する。名刺、肩書きよりも、人とひととのお付き合い。 せっかち人間と、ゆったり受け入れてくれる元同僚。 気分すっきりで仕事に向かった。 そして、京都での悲劇が報道された。 当初から、様々な情報が飛び交い、どうやら運転者の「癲癇」云々と取り沙汰されている。すると、通院先を含めた、責任問題に拡大するだろう。先のAJナントカで、一向に責任が追求されていない、マカ不思議な国、ニッポン。 運転者の姉という人物が語っていた。「病気」に対し家族会議が複数回開かれたが、結局は「先送り」。 私は、次のように考える、これは日本社会に共通してみられる「体質」だと。 「必要な情報」は隠され、地位保全のため「世間体」を気にする。 京都は、日本文化の中心というプライドがある。老舗と思われるお店と職員、そして真の事情を知らなかった主の反応は、、、とモーロク頭は推察する。 TVで放映された藍染の展示品は、はっと息を呑むよみような素晴らしい作品だった。 この、奇妙なコントラスト。 コインには表と裏がある。 閉鎖社会で、出口を探そうと模索する日本。 情報を隠匿し、表ばかりにとらわれてきた多きなツケを、どのように払うべきだろうか 追記;加害者の家族への対応がとても気になる。 突然の暴走で亡くなられた方々のご家族は勿論のこと、加害者の家族一族も、 いやそれ以上の塗炭の苦しみにあると思う。 老いぼれの私は何もできないけれど、無益で興味本位の追求は、是非とも避けなければならない。針の筵に追い討ちをかけることは、断じてすべきではない。 2012-04-13 05:47:24| 時事ニュース |コメント(0)|トラックバック(0) 「変わらなければならない」 昨日は朝から雨で、陰鬱な空気、 井上靖の「わが母の記」を読む。書き出しは父親のこと。私には、むしろ父の記として、父とのできなかった会話がそこに感じられた。 お岩KBGがまだグーすかの時間、 朝のラジオ「明日への言葉」から「変わらなければならない」を学んだ。 以下、まだメモ書き; 楽焼、土の色、お茶を飲む器、手で持ち、立体は影と光の組み合わせ 大樋焼(おおひやき) 赤い色、レンコンの土、 1000度低い温度、利休、金沢 戦後の時代、技術はすごいが、工業デザインは? 創造力の刺激、傍立つ、世の中はマル三角、四角で、人類は負けんぞーと競い立つ、 時代時代で変化する伝統、変化する、揺れ動く、矢立を使ってデザイン 今は革新、競い合う精神、 創造、人のしないことをする、感性、新しい素材、技術を使う、 茶碗を作る技術、手技、変わっていけばいい、釉薬を流し込む、、 茶碗、創意創作しかない、足場を踏んで進む 「変わらなければならない」 武者小路実篤、絵も字もいい、日本の四季、繰り返す 春夏秋冬が日本文化を創った 60年陶芸に携わり;元気で長生きし新しいものを創りたいという84歳の長左衛門 2012-04-12 06:16:06| カテゴリなし |コメント(0)|トラックバック(0)

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