“絶滅”危機とは

<混浴>“絶滅”危機 このタイトルで、思わずクリックする私。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140122-00000045-mai-soci 大昔のこと、大学卒業後先輩に連れられて北海道・洞爺湖温泉に行った。 札幌からレンタカーで、車の運ちゃん役となり着いた旅館でまずお風呂となった。 湯煙の中、近眼でメガネを外すとさらに視界は朦朧とする。ふと、5-6m先の先客2-3人を見たら体つきが丸い、 中年のおっさんかなあと思ったら話し声がアレーっ。 入り口は確かに男湯であったはず。 話しを聞いた先輩はニヤニヤしながら、「おばちゃん達に眼の保養をしてきたから良かったねー」 その大浴場は入り口は別だが、中は共通で仕切りが無い構造とのこと、、、 そんな記憶を辿りながら記事を読む。 >> そもそも日本人にとって混浴文化って何だろう。失ってはいけないものなのか。 筆者は女性の視点から、興味深い内容の考えを綴っている。 >> 旅館業法では「(共同浴室は)原則として男女別に分け、各1カ所以上のものを有すること」とある。 そもそも、江戸時代の銭湯は混浴であり、 >> 手ぬぐい1本で隠すスタイルになったのは江戸後期になってからです」。そこへたまたま黒船がやってきて外国人が日本の“全裸”混浴風景に驚き、近代化を急ぐ明治政府の混浴禁止令につながった、、、、 ”外国人”とはどこなのかは知らない。でも北欧などのサウナでは”混浴”文化。タオルも持たないで入るのが”作法”らしい。 イスラムやその他の宗教観からすると、”混浴”など想定外の野蛮な文化と映ったのだろうか。 「洋式文化」を必死で取り入れようとした明治政府は、何ら疑問も持たずに「お触れ」出したのだろう。 文化は時代と共に変わっていく。お上から抑えつけたり強要されるモノでもない。 温泉も、団体客から女性客増加へと多様となり、露天風呂の魅力などを売りに、古くからの”文化”と併せての戦略見直しがでている。 >> 地元のおじいちゃんから土地のおいしいものの話を聞いたり、旅先のコミュニケーションも魅力。最近は女性が入りやすいよう混浴施設の方も工夫するようになりました、、 この世知辛い世の中、時間を作ってのんびり温泉旅ができればいいのだが、、、 高齢化社会にあって、湯治場としての役割も大きい。 >> 治場で混浴がなお多く残るのは、夫婦や親子が入浴を介助できるから。混浴を切実に必要とする人たちがいるのです 法令にうるさい一部の人々、まあそれも彼らのオシゴト。 一度、堅苦しい裃を外して”混浴”もまたいいのでは。

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