BLG:2012-7-1--;;

A novelist and a noble woman 日曜昼過ぎ、雨の中ネグラに戻る。腹が減ったので食い物を探すが見当たらず、小麦粉を見つけたのでホットケーキを作る。計量カップでお砂糖などテキトーに入れて、ベーキングパウダーが分からないので重曹で代用、卵やサラダ油も適当に入れてフライパンで焼く。同時に豆を轢いてコーヒーを入れる。疲れた時は砂糖を多めに入れるので、けふの味は共にまずまず。 食べ終わった頃に、KGBがご登場。なんでも、映画「わが母の記」を観て来たとのこと。夕飯の頃、顔を出した娘は2回目で一緒だったといふ。 「わが母の記」は井上靖作品を映画化したもの。もう少し長生きしていればノーベル賞だったのに、かのご高名なお方よりも遥かに優れた作品群だと、私は思っている。 以前どこかで書いたが、井上靖の奥様から達筆なお手紙をいただいたことがある。昔もずうずうしかったKGBが、娘の読後感想文ナントカコンクールで賞をいただいた際、ご住所を関係者から聞きだした。 雪がドカーンと積もった湯ヶ島の文学碑前で、ふみさんとお会いした。和服を召して背筋を凛とした佇まいのお方で、式典後に石碑の前で娘と記念撮影をし、それを送付した。平成10年の1月で、当時84歳だった夫人は東京からご足労いただいたとのこと。 ふみさんは3年ほど前に98歳で亡くなられた。 平成3年に井上靖が亡くなり、自宅に残された多くの遺品のすべては、その遺志もあって神奈川近代文学館に寄贈されている。しかし、ふみさんはノートだけを手元に留め置かれていたという。それをご家族が見つけ、公表された。 http://genjiito.blog.eonet.jp/default/2009/11/100-f9fb.html 調べてみると、当時京大の学生だった井上靖と結婚されたふみさんはエッセイストで、いくつか出版されている。 夕飯時に、映画の話題が続いた。350mlの缶ビールをグラス2つに分けて、KGBに少し多めに注ぐ。そうしないと機嫌が悪いKBGと、2回目の映画で興奮気味の娘(受賞したのは妹でDC在住)の話題を肴にして、それだけで満腹となった。 けさのラジオは「木目と木肌に魅せられて」村山あきらさん 昨日聞き損ねたが、2回目だという。 鑿を入れる前に形を描いておく。一気加勢で仕上げる。 道具は鉋だけで10種、その切り刃を作る人も少なくなり、刃を研ぐ砥石にも話題が広がる。 漆を塗るがケヤキはぱさぱさ、ツバキや百日紅はなめらか。ケヤキに漆を縫っても、どこか毛羽立って来る。水分が飛んだ木に漆を縫って、何度も重ねて染み込ませていく一連の作業を語る。光沢があるように水をつけてサンドペーパーで 漆は薄く塗る。下手に乾くと、表面だけ乾き、中はまだの状態。つるつるになるよう、透明度を上げるように工夫する。塗って拭き取ることの繰り返しで、ケヤキの木目にある導管をうまく利用。 作品には正解はない、学習ではない、勉強する。「あかん」といわれたら、どこが悪いのかと考えることが大切。答えを求めすぎる、先生も答え(解)をすぐに出してはいけない。そのためには、先生も「勉強」すべきだ 現代は時代の変化が早すぎる、気持ちを収めるところとしての工芸、人間の気持ちを和ませてくれるものとなってほしいと語る。 けふの誕生花、タチアオイ。薬草として渡来するも品種改良されたとのこと、 同じアオイ科として、ハイビスカスがある。花言葉は「灼熱の愛」 けふの一句;「タチアオイ 咲き終わりたる 高さかな」   高野すじゅう 2012-07-02 04:58:54| カテゴリなし |コメント(0)|トラックバック(0) Tracing my ancestors 昨夜、久しぶりに赤坂のホテルに行った。いつの間にか地下鉄ホーム線路側にゲートが設置されているのに驚き、すっかり御のぼりさん状態。ウン十年前に毎日通った車両の不思議な匂いはなかった。 会場に着くと、既に講演会は始まっており、何だか分からないうちに一番前の席に座った。3人の演者が、夫々べつの立場からデータや資料を提示するが、いくつか新しい知見ありメモを取る。最後の演者は曲者だった。割り当てられて時刻を10分過ぎて、分かりきったまとめを読み上げ、司会者は質の悪い質問を受け付けて、最悪の展開となった。 終了時刻の19時半は、従兄弟と叔父の待ち合わせ。とぼけた二人目の質問が受理されると、席を立って外に出た。 会場の出口に81歳になった叔父が待っていた。直ぐ様、リュックを背負った従兄弟が大船からやって来た。いずれも4-5年ぶりの再会。元銀行員の叔父は、余りに遅いので、講演会場内の後ろの席で聞いていたという。セッカチなところは昔から変わらない。立ち話を4-5分して、やっと講演会が終わり情報交換会とかいう会場に移動した。 我々3人はワインで乾杯し、立ち話を再開した。KGBが集めた資料を基に、家系図の資料を予め渡し、様々な話題が続いた。 叔父は終始上機嫌だった。立食パーティーがお開きになっても、落ち着いて話がしたいと、喫茶室に入り、コーヒーを飲みながら昔話を続けた。話題は、健康のことから、我が家のルーツであり、亡父、祖父のこと、など。中でも私が生まれる前に21歳で戦病死した叔父のことになると、さらに饒舌となった。 12年前に他界した父の弟で、81歳の叔父の兄については、祖父母も含めて誰もが心残りであった。この叔父は退職後3回もルソン島に遺骨収集で出かけている。ずっと申請しても散々待たされて、当時厚生大臣になったばかりの親戚のツテを使えば早かったのに、と思うのだが、融通が利かず頑固なのは我が家の家系か。 当時も今も、治安不安定な内陸にまで行ってきたことなどなど。話は尽きない。 幼少時にモスクワ、ウィーンで過ごした従兄弟はずっと聞き役で、気がついたら終電間近。大船に帰るには1時間ほどかかるが、叔父は昔から全く無頓着。23時近くになって、モタツク従兄弟を帰しても、まだ話し足りない叔父は、地下鉄で10数分のところに住んでいるから、自分の庭みたいな雰囲気。案の定、心配した叔母から電話があって、やっと腰をあげた。 かくして、私は23時にやっとホテルにチェックイン。ビンボー人には勿体ないような部屋でシャワーを浴びる。歯を磨くと、これぞ東京の水の味が口の中に広がり、ソノマンマグースカ。 習慣は恐ろしい。今朝4時には起きて、昨日の資料を整理、6時の朝食を摂るとそのまま散歩を兼ねて駅に向かう。曇天下、紫陽花の行列楽しみながら四ッ谷駅に着いたら、日曜日で10分以上も待って快速が来る。7時少し前に東京駅に着き、ひかり始発に乗るが、ネット使えず?ラジオも聞けず、、、 2012-07-01 09:15:41| カテゴリなし |コメント(0)|トラックバック(0)

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