曖昧な制度;公平性に疑問
今朝のネットで下記が話題になっている;
生活保護不正「韓国籍と見出しに取るな」 時事・T氏の発言巡り議論 http://www.j-cast.com/2014/01/22194800.html
>> 「見出しに『韓国籍』を取る必要あるか」。神戸市在住の無職の男(48)が生活保護を不正受給していた事件について、時事通信社解説委員の田崎史郎さんがテレビでこう報道、、、、
私はT氏の情報はない。テレビの怪説者も話し半分に聞くし、局によってかなりのバイアスがあると感じている。そこでWikiをこっそり見て、フムフム、様々な評価のあるお方らしい。
改めてこの記事を見る。
>> ポルシェを持つほどお金を持っていながら、生活保護費約470万円を受け取っていた。ネット上では、これに対し、「外国人への支給の基準はどうなってんだ」と怒りの声が渦巻く騒ぎになった、、、
まあ、世間一般の解釈は至極当然の反応だと思ふ。
T氏のゴコーセツにコメントするのは時間の無駄。
報道機関に独自の解釈があること、これを認めようとしない”上から目線”には違和感以上の感情がある。
とかく問題の多い、多すぎる”生保”。その支給基準に疑問を持っているのは私以外にもおおいと思われる。
そこで、ネット検索するとテレビに出るようなエラーイ人とは異なる、本質が見えてくる。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7562456.html
>>国民は健康で文化的な最低限度の…]という憲法条文がありますが、これはプログラム規定(努力目標)にすぎません。まあ、一応この条文を具体化したものが生活保護法とのことですが…
>>基本的人権は「性質の許す限り」、、、、
>>生活保護に関する殆んどの問題が、戦後一貫して”地方行政の裁量”に任されてきた為であろうかと思われます。
この”地方行政の裁量”、そして「性質の許す限り」といふ曖昧さ、少なくとも納税者に理解を求めようなんて配慮はオヤクショには皆無、
これが最大の問題でしょう。
”NO”と言えない日本人と、精神文化のまるで異なる○○人。
もし、限られた予算を「公平に」振り分けるといふ意思が少しでもあるのなら、
結論は自ずから出るでしょう。
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