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H29年2月25日、日曜、さくら、1230BUS上京

日曜、さくら、1230BUS上京 叔父宅泊、北海道旅行の準備

12月18日、月曜日”Everything will be good”

???  としたのは、ずっと入力時の”フィードバックなんとか”の邪魔というかobstacle 改めて、1ヶ月後の1月18日、さくらにて入力し直している。 ”obstacle” で連想するものは、次のこと; アルフレッド・D・スーザ(牧師さん)の詩、” Everything will be good ” 先日、ノートに手書きで記録したが、改めて入力は面倒なのでネット検索する; >> For a long time it seemed to me that life was about to begin real life. But there was always some obstacle in the way, something to be gotten through first, some unfinished business, time still to be served, a debt to be paid. Then life would begin. At last it dawned on me that these obstacles were my life. This perspective has helped me to see there is no way to happiness.Happiness is the way. So treasure every moment you have and remember that time waits for no one. Happiness is a journey, not a destination.   Dance, as though no one is watching you   Love, as though you have never been hurt before   Sing, as though no one can hear you   Work, as though you don't need the money   Live, as though heaven is on earth >> 私はずっとながいこと、 「本当の人生」は まだこれからだと思っ

12月17日、日曜日;車で桜井へ、夕荻原夫妻と

何? と 即中断したのは昨年のこと、 (今、1月18日に、さくらで改めて入力している) タブレット入力部を参照し記憶を思い出しつつ、、

12月16日、土曜日

16日

H29年12月23日、土曜日、晴れ。登呂遺跡、ピーターパン

天、ピ

12月15日、金曜日、

このとこ

12月14日、木曜日、晴れ、連日の寒さ、さくら、梅の花

12月14日、木曜日、晴れ、連日の寒さ、さくら、梅の花 6時50分のJRで、藤枝着。気温は2℃。 回診後にMr杉下へメール。Hpへも電話が必要か。

12月13日、水曜日、晴れ、溝口Hpより電話

12月13日、水曜日、晴れ、溝口Hpより電話 Am,市立病院待合室から図書館へ、本4冊借りる PM,寒いのでしばらく部屋にいて、15時頃からヨーカドーへ。 17時半に溝口Hpより電話あり、開示OKと、受け取りは?夕飯は手羽中と野菜の煮物。 山本一力の「ジョンマン、望郷編」読了。

12月11日、月曜、A病院、松本家泊

既に別入済? 前日、本郷泊で6:52のあさまで佐久平に着く、8:18.霜の降りた道路を足早に歩き、A病院へ。 診察は6名のみ、投薬不要3名、昼休み、長野から来ている中條さんという業者さんとエコーについて立ち話。午後は徒(いたずら)に時間を浪費か、、、、持参した山本一力「ジョンマン」読了。荻原君からLINEあり、日曜日に会おうとのこと。日付の確認、中込と。 医局窓側の人の良さそうな総合診療の高須Drと会話。北長野・長野電鉄、新幹線と乗り換えての通勤だという。外科のDrIKDは何故か素っ気無い、ギネのDr駒井とはよく会う。 夕方、16時半M家に行こうとすると、タケダのMRに引き止められて、リュー○○で時間がかかる。(何故か記憶が曖昧で、茶色のノートから思い出しつつ記す。)そのためか、遅くなったとJKの義母が心配そうに玄関先で顔を出す。 早めに入浴し、前日の残りだという牛肉とキャベツの炒めものが出され、更に鶏レバーなど豪華な食事で有難い。主(あるじ)が帰宅して、ビール350mlを飲み。雑談を交わしつつ、紙パック入りのワインも出された。夕飯後、22時過ぎ、JKと2Fの部屋でRMのことで相談、1時間ほど話す。  

12月10日、日曜日、晴れ、S、Ms.UYM LINEに

12月10日、日曜日、晴れ、さくらにて。 これからの予定は、12時半初のバスに乗ること、RK書類漁り要注意。 それまでに、すべきことを思い出し、あ、そうだ写真の印刷を忘れている、 3年前の小樽、八王子のお寺での写真などをプリントした。  駅北からバスに乗る。事故渋滞で2時間以上の遅れあり、昨日から阿川弘之の「大人の見識」を 読み始めている。 「軽躁なる日本人へ 急ぎの用はゆっくりと 理詰めで人を責めるな 静かに過ごすことを習え、、」「作家生活六十年の見聞を温め、人生の叡智を知る。信玄の遺訓と和魂・国家の品位・幸福であるための条件・ユーモアとは何か・大人の文学・われ愚人を愛す・ノブレス・オビリージュ・精神のフレクシビリティ・ ポリュビオス の言葉・自由と規律・温故知新」  軍人や政治家ばかりが悪かったのではなく、メディアを初めとしてヒトラーを礼賛する「民の声」が背後にあった   日独伊三国同盟について https://ameblo.jp/pianoforte007/entry-11802744978.html さて 例のトランプ氏の言動、、、?? 地下鉄で三丁目へ、そこで携帯から電話。 叔父の部屋は、いつものように 雑然としてしたが、まあこんなもの、同じことを繰り返しながらも 23時まで話し、就寝。

12月9日、動揺の土曜日、晴れ、そして劇寒

一通の手紙が届いた、それは信じられない内容のものだった。 カレンダーをみたら赤口とある、なるほど昔の人は、、と思ったりするが。 23時に仕事から帰った私に転送された封書あり、何だろうとエレベーター内で開けたら、ワープロで書かれた手紙が一枚、最後に電話でなく文書云々とある。 何だこれ、とまず呆然とする。その後、怒りが徐々にこみ上げてくる。 それを宥(なだめ)つつ、寒い部屋で返事を書いた。でも封書に書くのもと思い、葉書に万年筆で書き直した。  それをF駅で投函、これでケガレを除去したいと思った。 駅からのタクシーは、すっかりかおなじみになった運ちゃんで、桜の話しをしているうちにSに着く。 Sでのジョブはルーチン化され、30分そこそこで必要なことは済む。 そして残りが、メールチャックなど、さらに自分の勉強時間になる。 昨日、図書館でまた本を4冊借用。その読書にも時間を使いたいし、のんびりするのは、どうも性に合わない。 何かに追われるような生活日々が続く。もう4ヶ月以上経つのに、未だ少なくと数回のアタック。 それは何の前触れもなく、突然襲う数秒のパニック障害、、、 だからこそ、それを逃れるかのように、むやみに動き回っている。 と、これを打っているときにMZKさんが来訪。ここで一休み さらに大学のクラブ仲間からスマホにしたとのCメールあり、早速LINE仲間に入れる予定。 あれ、これは10日のこと、、、 昨日の記憶を思い出す;土曜日は朝の居場所に困る日だ。 Hpの待合室が使えないので、どうしようかと、、そこで仕方なく南の方向へ歩く。 待てよ、これは昨日Tabletで入力したみたい、、、 My favorite things . Oscar Hammerstein II and Richard Rodgers *********************************************************** Raindrops on roses and whiskers on kittens; Bright copper kettles and warm woolen mittens; Brown paper packages tied up with strings; These are a few of my

12月8日;Remember PH and "for whom the bell tolls"

このブ露愚は10日の日曜日にキーボードで叩いている。 そう、私はスマホ入力がいまだにトドラー段階で、もう片足を棺おけに突っ込んでいるからだろう。 それゆえか、あれ、ソレイユって何だっけ、と雑念もモーソーも出てくる。  ちなみに”ソレイユ”とは、こっそり調べたらおフランス語で「太陽」のことらしい。 偏屈な私は、ドイツ語、英語のほうが性に合っているのだろうか、 前置きが長くなった;  "Remember" と田舎の言葉である英語はいう ドイツ語では、とうの昔に失念したので、これもこっそり調べると"erinnen","merken" 私はどちらかというとMerken のほうの響きが相応かなと思っている。 その昔、ある国の代倒霊だかその無礼音が広めた言葉が"Remember" そのあとにP.H.と続く。 "Remember"とは何か; これもちょっと調べると面白い 通常は         >> recall knowledge from memory   でもこんなのもある  >> keep in mind for attention or consideration、recollect, retrieve, recall,,,,, さらに、    >> exercise, or have the power of, memory                        https://ejje.weblio.jp/english-thesaurus/content/remember 凄いと思うのは、一番最後の”the power”云々,, ハラグロ搾ソンを侮ってはならない、特に私みたいでお人よし(つまり頭が○○)で、 性善説で凝り固まったニホンといふ国は、簡単に裏切られる。 歴史は、偉大なる教師である、と誰かが言った。 でもその歴史は「誰」が書いたのか、、、、 はるか昔の高校時代、鬼以上に怖い先生が強制的に覚えろといった詩がある; 当時は、(今も)何もわからなかったが、年とともに徐々にわかってくるものがある。 >>  No man is an island, entire of itself; e

Cold wave; H29年12月6日、水曜日、晴れ

H29年12月6日、水曜日、晴れ 寒波、看破か。朝のHケーキで重曹を入れ忘れる失敗あるも、6時に外出。駅南のタクシー乗り場から東方に延びる道路から徐々に明るくなる空が見える。こうした夜明け前の景色をスマホで撮ってLINEにアップ。 YKからLINEにて下記の情報あり; >>運とは人間関係そのもの   https://allabout.co.jp/gm/gc/456732/ 運とかツキというと多くの人は迷信だとか、スピリチュアルなものだと思いがちです。しかし、運とは人知を超えた力がもたらすものではなく、人間関係そのものなのです。 もっと言うならば、運とは「人脈と情報」からもたらされるもの。あなたの周りにたくさん人が寄ってくれば、そこに情報が集まる。それが仕事につながったり、お金につながっていく。 つまり自分の周りにどれだけ自分を応援してくれる人がいるか?あなたの周りにもいませんか?つねにいろんな仕事の話や楽しい話が舞い込んで幸せそうな人、ピンチの時になると必ずといっていいほど誰かが現れて助けてもらえる人──。 そういう人に対して、周りの人たちは現象だけを捉えて「あの人は幸運だ」とか「ツイているなぁ」と言ってしまいがちです。あるいは「なんであの人ばかり」とか「きっと裏でうまいことやっているからだ」と嫉妬心を燃やしてしまったり……。 運の良し悪しではなく、応援してくれる人、味方がどれだけいたかどうかの差なのです。 利害を超えて行動できる人に“運”は流れ込む ちなみにBさんのように「あの人運がいい」と呼ばれる人は例外なく、ふだんの仕事や生活の中で、損得を抜きにして人のために何かをしている人です。 それに対して普通以下の運の人は直接利害に関わる相手に対しては力を貸しても、まったく利害がないとわかると冷たい態度を取る人がほとんどです。  

Many trial; H29年12月7日、木曜日、晴れ,チーズはどこへ

H29年12月7日、木曜日、晴れ、Sakura,  "Who moved my Cheese?" "It's not fair!" 眼鏡はどこだ?  今朝から眼鏡を探しているが、、、、夕帰宅後に発見、教訓「眼鏡ケースを忘れるな」 以前のメールのことで、何度もパスワードなどセットするが 、、、 どうやら、Xpだと新しいOutLookバージョンアップ不可のためだろう まあ、これを機会に 古い衣を捨てることになるだろう 先日からTablet のほうに日記を記入;パソコンの立ち上げは面倒で、、、 ただ、ひとつの利点は引用がし易いこと Tablet はコピペがまだわからないし、画像のアップも試行錯誤で、、、 早速その利点を利用へ、古○茂○著「 信念をつらぬく 」を読んだ。  でもネット検索すると、かなりバイアスのかかったサイトが目立つ。 いくらアホな私でも大きな疑問が出てくる、日本の目爺亜、SNS(そーではなくてもそー)の恐ろしさ ひねくれ者の私は、この本を読んでからは、かなりの部分で納得できた。 カンリョー天国、巨大化されたシステムは、今の手痛い(停滞)日本を導き、、、 以上で”完了” 再度登場; >>チーズとは、人生において私たちが追い求めるもののシンボルです。 私たちの人生や生活の象徴、例えば仕事(会社)や年金(貯蓄)、あるいは不動産(財産)を意味します。この本の教えは、「私たちは日常の暮らしに敏感であらねばならず、もしチーズが無くなったなら、すぐさま新しいチーズを求めて行動を起こせ!」ということです。 https://matome.naver.jp/odai/2137378354830384801 さて、明日はパールハーバーの日

Orchid; H29年12月5日、火曜日、14時面談

H29年12月5日、火曜日、14時面談 3時半離床、7時にふと思い立ち市立Hpへ。以前に使用していた部屋とロッカーはいずこか。 ここでの発見は待合室。そこではTVを観ながら読書や書き物が可能だということ。 前日届いた固定資産税にかんする書類を、商工会のFJさんに手渡すが、場所が分からず1時間以上のタイムロス。時刻は9時を過ぎた、そこで県庁の某BK支店に行く。紛失届けをした通帳の再開を窓口で申請す。意外と順調に手続き済んで10時頃に中央図書館へ。そこの5FでNYTに載っていたTrumpの漫画、それをLINEでDCに送る。程なく返信あり、どうしようもない低評価が一般的な様子。 偶然ネット検索で下記を発見;http://news.nicovideo.jp/watch/nw3125429 >> 足羽氏が英訳しながら、碑文について説明したところ、彼は「独立国日本がいつまでもアメリカに遠慮し、このように卑屈な碑文を後世に残すことは全く恥ずかしいことではないだろうか。私が日本人ならこう書きたい」と言って、その場で次のような詩を書いた。 《Oh, America! Thou perverted the law and trampled down justice. George Washington and Abraham Lincoln, now in the nether world weep of thy injustice. あゝアメリカよ、汝は法を曲げ、正義を踏みにじった。ジョージ・ワシントン、アブラハム・リンカーン、今や黄泉にて汝の非道に涙す。[足羽雄郎訳]》

Print.12月5日用の資料;H29年12月4日、月曜

A.Hosp.にて背景、など資料、HpのWifi でタブレットとコード接続し、ようやく印刷可。安堵、これでひと安心。 帰途新幹線の車中からの入力だが、やはりスマホからの入力は難しい。 と、改めてインプット; 前日本郷泊、今朝も4時に離床、昨夜の残り物をタッパに詰めて新たに野菜スープを作り、お握りなどで簡単な朝食。6時28分初の列車をと思って外に出るが、5-6分後に忘れ物に気づき引き返す。このタイムロスが拙かった。ウェストバッグを忘れるなんて、、、、。 結局6時53分発の新幹線としたが、結果オーライ、今後はこの列車にしようと思う。途中高崎で妙義山、浅間山が見えることを発見、スマホに取ってDCの娘にLINEで送る。 駅には8時12分着。A.Hosp.3階の医局で上記の印刷をする。 残り時間で机に座り、残りの朝食、熱いコーヒーでリフレッシュ。Dr.IKDは朝から探すも、結局会わず仕舞い。とにかく乗りかかった船、5階に行ってPtの顔を診ると元気回復の笑顔、これがあるからこそ張り合いが出る。2階の外来に行って、そのことを話したら怒られた。余計なことをすると、あとで面倒なことになるかもと。 ようやくエンジンがかかってきた。診察は余計なことをしないくてすむメリットもあるから、まあ長いもの巻かれろということだろうか。雑談も重要な潤滑油で、いろんな情報が役立つ(だろう)。 ふと気がつくと、12時6分前、担当のチョイコワNrsがそれとなく声を掛けてくれて、ランチタイムに。 何せ、ここは一時間しか休みが取れない、と文句を言っても始まらない。 昼は、叔父からの頂き物のご飯をチンして、あとは適当に食べる。手作りの野菜スープごった煮は意外と美味い。林檎を切ろうとしてナイフを探すが見当たらない。1人の若い人に聞くが素っ気ない返事で、どうしようと思っていたら、別の人がこえをかけてくれて抽斗内の包丁類から手ごろなのを取り出す。こうしたちょっとしたコミュニケーションが、人生のひとコマとして刻まれるのだろう。 午後は、そういえば予約なさそうで、何気なくうろつくとHYSさんが声を掛けてくれた。近所のHD施設からのジュースやビールの詰め合わせがテーブルの上にあり、どれでも好きなものをと彼女はいう。まさかビールというわけにはいかないので、マスカットのジュースを飲みながらHDとDM、院内の

Step by step; H29年12月3日、日曜日、晴れ

H29年12月3日、日曜日、晴れ 明け方時は、曇り気味だったが、7時頃から晴れる。F駅の顔見知りの運ちゃんと雑談しつつ施設SKに着く。 Step by step;  早速タブレットの文章を取り出そうとするが、これが大変。 どうやらEvernote などに連動あるいは、テキストファイル?にしないと出来ないみたいだ。 今、電話あり、K兄からだ。まだ体調思わしくない?とのことで、本日夕方の本郷待ち合わせは不可とのこと。 元に戻る。タブレットの文章は、すると明日月曜日にA病院で変換してプリントするしかないだろう。 10時40分になった。MK氏がそろそろ来るはずだが、、 あと、本日あるいは明日にすべきことは八戸へ手紙を書くこと。 便箋はあるが、弱ったことに万年筆を忘れている、、、 さて、昨日雑誌で知った禅のこと、ネット検索すると広島市内のお寺だ。夕方できるのは金曜、あるいは月曜の朝、いずれも6時とある。年末年始はちょうどお休みになってしまう、、、、

Waiting for,,,,;H29年12月2日、土曜、晴れ

H29年12月2日、土曜、晴れ:禅に学ぶ、図書館で刑法総論 待ちぼうけ;Waiting for,   昨日K君からの電話、今日会えるのだろうか、よくわからないまま、、、、連絡つかず 午前は南部図書館の2F,  午後は中央図書館へ行く。5Fの閲覧室で雑誌をめくると、偶然に出会う。いわゆる「犬も歩けば、、」だ。 その1、日経のなんとかOFF,「片付け」のテーマで、下記を発見; 吉村 昇洋著「 禅に学ぶくらしの整え方 」   2016年1月、オレンジページ   ネットで名前を入力するとすぐにトップで出てくる有名人らしい。  「禅にとって掃除とは  今この瞬間を受け止め 自分と向き合う 機会」  掃除は面倒だ、でもだからこそ「我」が出やすく 自分と向かい合いやすい  「 我 」は自分の思い、価値基準、先入観、固定観念   ex) 自分は掃除が苦手だという思い込み     家の造りが悪いから掃除しづらいという言い訳     散らかす人がいるからいけないという責任転換   これらの「我」が強く出すぎると、自分の思い込み通りにいかないことを苦痛に思い   ストレスが増えていく その2、裁判記録の雑誌から、刑法についてのテキストを探した。総論と各論あり; タブレットに入力するが、17時で閉館

Put my hands together,,,,;H29年12月1日、金曜、晴れ

H29年12月1日、金曜、晴れ、海岸、Y葬祭、 昨夕、岡野さんと本当に久しぶりの電話をした。元気な声が何よりの助けか。 明日2日が月命日、数えてみると5回目、もうそんなに、あるいはまだ4ヶ月しか経っていないのかと 複雑な気持ちになる。 6時に支度をして、稲川Mへ行き車を出す。まだ暗い道路を南下し、海岸に向かう。6時半に車を停める。ようやく東の空が明るくなり始めて、水平線上に少し雲がかかり、極光とでもいうのだろうか徐々に明るくなっていく。寒いが風は殆どない。テトラポッドの脇に釣り人が1人、その方向に砂浜を進む。潮の満ち引き、そのBGMだけが耳に入る。6時42分、お日様が顔を出すその瞬間に手を合わせ、スマホで撮影2枚。  "Sunshine on my shoulders makes me happhy,   " BLG で、YK,おっちゃん、MKJさんへ送ると、前2者からはすぐレスポンス、MKJさんからは夜になってからスタンプあり。 昨日、Y葬祭からカレンダーとメッセージあり、グリーフについて書かれていた。このタイミング、どうしようかと少し躊躇もあったが、即行動。スマホのナビでY葬祭に向けて車を出す。

At a standstill; H29年11月30日、木曜日、曇り

At a standstill; H29年11月30日、木曜日、曇り ようやく、タブレットでインプット可能となった、でもファイル転送については不安あり 朝から不機嫌なRK,銀行通帳不明とのこと、、? 7時過ぎ、ネット検索でBKのサイトを開き早速電話で問い合わせると、男性の声がする。支店名と口座番号などを伝えると確認で2回ほどインターバルあるも、口座の停止となる。でも通話に15分ほど、まあ時間がかかるものの、一安心とでもいうべきか。 施設内は一応安定、ようやくこのBLGを開いている。メールもBLGもアカウントがどうのこうの、パスワードがどうのこうのと、これもセキュリティー対策であろうが、面倒で窮屈な時代となった。 昨日から「カラシニコフ自伝」(2008年4月、朝日新聞出版) を読み始めた。 >>> 世界一有名な自動小銃「カラシニコフ」。その銃「AK-47」を開発したカラシニコフ本人の語りおろし自伝。スターリン時代、シベリアに強制移住させられた幼少期から、一兵卒から銃設計者として見いだされ、旧ソビエト最高会議代議員に上りつめるまでの波乱の人生を描く。     https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=9332

Oops、overslept then new prospect; H29年11月29日、水曜日、晴れ

H29年11月29日、水曜日、晴れ, New prospect # A new tablet    #Tel from Dr. WTB,  then went to Mr. SKBR # Tel to Mr. MZKM

Tablet order; H29年11月28日、火曜日

H29年11月28日、火曜日、晴れ 2時に目が覚め、アマゾンでTablet order. スマホはまだ不慣れにて 4時半にジョッギング、この日は身体が軽くて休みなしに4周も完走。 (図書館のパソコン接続不安にて、木曜日にインプット中) 前日夕方に佐久を車で出発、21時過ぎ(だと記憶)に帰宅した。コンロには冷えたおでんの残り。 どんな境遇でも、負けてはならぬ、不定期に襲いかかるプチ・パニックを堪えるのも日常の一環となった感あり。  (と、ここでティーブレイク、木曜日は本当に自分を取り戻せる場と時間を与えられて、感謝すべきだろう) 手書きノートを見ながら、作業を続ける; 朝食はジャガイモ入りのコンソメスープといつものホットケーキ。この日は2回に分けて焼いてみた。6時に外出、コンビニでアマゾンへ現金振込みをする。プリントなしで、最初にセブンでレジの女性に頼んだが、13桁云々といって手で入力、しかし不可と判明。スマホ画面をよく見たら、ローソンほかが可能とのこと、そこで先ず駅に行く。北口に出て右手に新しくできた(7月からとのこと)お店に入る。手前の中年男性は不慣れで、もたつくが奥にいた若い女性が別の画面でさっさと処理。レジでお金を払う。今の若い人は、こうしたスマホ関連は手馴れたものなのだろう。 9時にいったん帰宅し、紅茶を淹れて一休みしていたら、Sさんから連絡あり、なんでも印鑑が必要とのこと。いわゆる大手のカイシャは、些細なことでも確認の書類が必要らしい。ギスギスした嫌な世の中だが、これも時代の流れなのだろう。 11時半、SKさん来訪、1階のテーブル席で捺印、数分で終わる。帰りがけに声を掛ける、来月の○○、夕食会合の席にどうですか。すると、1年7ヶ月(と、すんなり数字が出て、、)前に奥さんを無くしているから、とすぐに乗り気になる。そこで、SNさんにもLINEで連絡した。(MKさんへは29日に連絡) 午後は、ヨーカドーへ、途中のS家に林檎を6個届ける、顔を出したお母さんへ先日のRKさんのことでお礼とお話する。買い物は、牛蒡など野菜たっぷりのバッグを背負い、徒歩で帰宅。例の山が視界に入らないように気をつけながら、、、。夕飯準備と、頃合を見計らって入浴す。湯船にゆったりする、今までとは別の時間が流れる。身体の芯にまで染み込む様な安堵感、まだ不十分だが、ころもささや

I`m quite happy; H29年11月27日、月曜日、晴れ、車出勤

4時のジョギング、生活習慣となる。 5時半にE子さん起きてきて台所仕事開始。朝食後、7時すぎに車で出勤。 7時、医局でパソコンを開くと、毛利君からメールあり、早速返信。 ここで一休み、このBLGインプット中、および、ホテル予約にと医局のパソコンに向かっていると、後ろから声をかけられる 仕事依頼には、即反応。指示された病室へ向かう。 あっという間に9時、外来へ、午前中の仕事は少ないが、検査結果がでるまで時間がかかる。せっかちな私には、手持ち無沙汰。

For Sunshine;H29年11月26日(日曜日)、晴れ、車で信州へ

4時20分起床、暫しボンヤリし、日課のジョギング、  車で桜井へ、タイヤ交換 6時過ぎに車で出発 まず、老健へ、道を間違えて7時少し過ぎに着く

同様に動揺、土曜日;H29年11月25日、晴れ、夕某医院へ

昨日より寒さは軽減、日課のジョギングで体調維持。 行く先不定は、侘しさ倍増、某ショッピングモールで手紙を書く。前日百均で買った便箋に万年筆を走らせる。宛先は高校時代の友人。ラインを見て、その返事。気がついたら便箋4枚、それでも書き足りない?? 夕は、某所で友人、といえる人と会う。仕事をしながら立ち話、、、 翌日は、車で田舎へ

Writing letters; H29年11月24日(金)、葉書、兄へ、手紙叔父へ

次回の上京日について、兄と叔父へ葉書、手紙で連絡。 電話ですればいいのかといっても、、、 本日、何故か図書館お休み、ブツブツ

禁老感謝の日、; H29年11月23日(木)、勤労感謝の日。

ここ数日のこと、といっても前から時々あったけど、ここのサイトに何故かすんなり入ること不可? 私は顔も性格も捻くれているからなのか、そこは全く不明。 もう齢,(弱い?)70になんなんとする、(難々と)ので記憶力は更に低下し、昨日の食事内容も覚えていない。スマホはせっかちな私には不向きで、やはりキーボード入力のほうが慣れている。 (現在26日の日曜日、つまり3日前の記憶を手繰り寄せていることになる) メモ帳を見ると、航空券予約とある、そう、12月25日の券をネット予約した、 ということは、午前中は○○でオシゴトしていたことになる。

Let her alone :H29年11月22日(水)、曇り時々雨

11月22日、(水)、曇り時々雨 玲子ちゃん携帯番号、水上さんへお酒、西瀬名徒歩、内藤さんに電話相談、玲子ちゃん来訪など盛りだくさん終日多忙。 鉛色の空、でも早朝のジョギングは可能で、背中にうっすら汗、それを風呂で流す。6時頃にそそくさと外出するも、後で気づくのだが置き忘れた携帯の玲子ちゃんに関するデータ全て消されていた。行く先は、ペガサス図書館。文庫本を4冊返却し、セノババス停で日誌を記入。途中に座った右隣の男性が気になって、早めに席を立つ。7時40分少し過ぎ、赤い弁当袋を提げた娘が信号の先へ歩いていくのを確認後に、部屋に戻る。テーブル上RKの走り書きあり、、、、。 慌てて、玲子家へ行く。お母さんが顔を出し、今度はメモ帳に携帯番号を記入するも、これまたトラブル、なんとお母さんは自分の携帯番号を書いてしまった、、、。それとは知らずに私はメール連絡、すると、RKから怒りの連絡?なんでそのことが分かったのかと考えると、、、それを「余計な事をして、、」と送った。悪いことは重なる。それが翌日まで尾を引く。 さて、佐久でのことに戻る 有賀家での朝食は、妹が冷たい台所で用意した和食。シャケと海苔、味噌汁で、何故か納豆がなし。後で聞いたら旦那が嫌いらしい。そこで、ぜひ食べるように薦める。デザートの林檎を食べながら、良一さんと延々と話をする。改めて知識情報の抽斗が多いのに驚く。お返しに旅行にお得なジパングについて、パンフレットを渡す。昼飯はうどん、饂飩云々から味噌醤油に及んで、ヤマサ、キッコーマンの歴史をスマホで調べることになる。 いつまでもといふわけにはいかず、13時半過ぎの新幹線に間に合うよう席を立つ。

Refreshment for nre life. H29 11月 21日、火曜、晴れ、初雪

11月 21日、火曜、晴れ、初雪。午後バス帰静。夕入浴時に洗濯、シチュー残食; 窓外はうっすら雪化粧。 昨夜、ノンちゃんと飲む。場所は「こんどう」という居酒屋、詳細は後で; 4時前から目が覚めてしまう。妹が気を遣ってくれて布団は暖かい。敷布団上に電気なんとかで低い温度でもほかほか、久々に天国のような寝心地だった。就寝は23時過ぎだが、トイレに3回ほど起きる。兎に角冷え込みがきつい。思い切って離床し、外に出ると一面の銀世界に驚く。靴を履いて恐る恐る歩くと、積雪に足跡がつく。道路に出ると、薄いシャーベット状の雪で、滑らないように足早に歩く。まあ大丈夫だろうと、やや緩めのジョギングを開始、広い道には出ないで寛恕な坂道のある東側の道路を含めて3回ほど往復す。15から20分して戻るがまだ誰も起きてこない。手持ち無沙汰で、時計の時刻あわせをし、ストーブの点け方分からず、マフラーを付けたままソファーに座ると、テーブルの下に赤ちゃん育てに関する市のパンフレットあり、詳細で役に立ちそうなもので驚く。5時半過ぎ辺りによううやく妹が起きてくる。以下、略(参照;翌日の日誌) 徒歩で佐久平駅に40分ほどで着く。おみやげをと探すと土○酒造の「○さす」あり、値段も思ったより手軽にて購入、1500円前後なり。15時半のバスに乗る。空いており2番目の席にゆったりと座る。松田を過ぎる頃から、左手にお月様が出て、富士のシルエットが浮かんでくる。徐々に夜の帳が下りてくる(日本語はなんという美しい言葉だろうか)につれて、MKのことが胸腹頭の中に充満してくる。じわじわと染み込む様な寂寥感と美しい三日月(あるいは新月に近いのだろうか)。スマホで写真を撮ろうと試みるも、、

The third day; H29年11月20日、月曜、碓氷君とこんどう

6時28分発の「はくたか」に乗り、佐久平7時43分着。徒歩で浅間Hpに立ち寄り、上の城の松本家へ行く。JKの義母が顔を出し、室内へ。 JKから見積書を見せてもらう、予想外の費用で驚愕するも、まあ仕方ないか。 9時から外来、午前は3名、OAB, cysytitis 2名。 特に検査不要と思うが、希望で培養のみ提出。

Another point of view;H29年11月19日、日曜日、晴れ、横山君と会う

娘RMOとの確執が長引いている。今朝も、LINEでやりとりするが一度掛け違えたボタンは厄介だ。ここは年長の、そして親としての冷静な対応が求められる。 今朝も4時少し前に目が覚める。布団の中で、寒い外気での運動を暫し躊躇するも、一度決めたことは、と、布団を畳む。これがベッドとは違う運動になる。4時10分に外に出る。キーをかけているのに、それに気づかない、BPSDとまでは行かないが、物忘れ、短期記憶障害は認知症の前触れかと不安にもなる。 ジョギングは、無理をしないことが原則だろうが、ちょっとだけ無理をして身体を傷める。あと少しの距離だけ走る、そう言い聞かせると不思議とできるものだ。 6時22分のJRに乗る。   以下、ルミおへの 周とは来月27日に北海道で会う。  正子もルミおはしっかりしているとの口癖だった。逆にしっかりし過ぎて心配だ。長い人生はマラソンと同じ。それを短距離走のペースで走ることはできないし、その最中(さなか)では周りのものが見えない。ゆっくり走ると、今まで気付かなかったことがわかってくる。私も正子も我武者羅に走ってきた。そして今、走り方を変える意味が、ようやく分かってきた。 老健6時50分過ぎに着く。ここ数日で2名逝去、そして2名入所あり。回診後に上記をzRmkヘライン通信。

Reuion. Warm up the old friendship. :H29 1118 土曜日、小雨

昨日の鰻屋の件で、何となく落ち着かない。MKの意外なというか、いや考えてみれば当然のことなのだが、、、○○ゴンの輝いてた頃の記憶が蘇る。 今朝のお線香と、デザート果物を供えたが、鈍感だねと笑われるかもしれない。これで気持ちが落ち着くなら、毎日したいし、いままで気がつかなかった、これも鈍感なのか。 ジョギング後に朝湯は贅沢?頑張る私へのご褒美だ。 5時に支度済ませて外に出る。 辿る麓曖昧叱咤諦めない、、これは書けなかった漢字。鉛筆で書くと、漢字が出てこないことに驚く、気がつかないことのいかに多いことか。 始発5時20分のバス(伸ばす?)思いの外混んで直ぐに満席となる。空はずっと重たい鉛色、小雨まじり。これまでは気が塞ぎ狭い殻に閉じ籠りがちであったが、今日は違う、これからもそうであってほしいが、人のために何ができるのかを常に心掛けたらお互いウィンウィンになれる。 でもふとしたことで心に隙間ができると、、、辛いのが当たり前、こうして器を広げていく、それがオトナ,大人になるといふことだろう。 バスは予定時刻の9時に東京駅北口に着く。足早に、丸の内へ抜け、本郷方向に只管歩く。自ずと昔の記憶が蘇り、方向はほぼ間違いなく進む。懐かしい、お茶の水液周辺の町並み、ビルは殆ど新しくなっているが、変わらない雰囲気がそのまま残っている。 医科歯科大の北を通る、病棟のAB位置を確認して、更に北西へ歩く。叔父のマンション前で電話、4回に行く。叔父は、朝食の途中で、上半身は半袖シャツの下着姿。先ず、仏壇で二つの位牌にお線香をあげるが、その上に新しい位牌があるのに気づく、誰のかあとで聞くつもり。まず、玄関の電球を交換す。だが、そのガラスカバーの着脱がとんでもなく厄介だ。   中略

相談そして意外なことから、追想に入る。H29.11.17金曜日.その2

鰻を食べつつDrWtbと話す。目的は、経緯を話してBgs さんを紹介して貰うこと。分かりやすく概要を話すも話してたいことは山ほどある。Drは真摯に耳を傾けてくれ、ありがたい。 帰り際に携帯の番号交換、手早い慣れた操作で、その手際や良さに感心す。 もうひとつ、意外なことを耳にする。まず Mzk さんが何気なく口にして、そして帰り際にご主人の話し?複雑な感情に頭の中が占拠された。 MKは、そういえばカウンセリング仲間、あるいは英会話?、でも多分前者だろう、ご主人は女性グループといったから。そこでそのお店に入った。多分THSさんなどからの情報もあったに違いない。息子SHのために必死で活動していたことを、あらためて思い出す。 昼過ぎの道路、何かしら、心の隅に別の石ころが入ったような感じで部屋に戻る。そして呆然と窓外の風景を見る。 古くからの友人2名とライン接続; 先ずGWR君。高校時代からで、当時はさほど親しくしていなかったが、何かの機会、そう東京岳南会で再会してからだと、記憶している。彼に会おうとして、年賀状をリュックに入れておいたが、そのままとなっており、今月初頭に喪中葉書を出した。すると、彼から直ぐに返信で葉書あり、宛先がIGWになっているのは、既に住所登録済みにしているためだろう。田舎に定期的に帰っているとのことで、ライン接続を試みるが、先ずメールで連絡。ちょうど図書館にいた時刻(10時頃)で、接続は午後になった。 そして、YG君。彼からはパソコンのメールアドレスに来た。アイフォンみたいだ。そこには背中のおぺのことが書いてあって、とにかくライン接続す。すると、夕飯過ぎた頃に電話がかかってきた。まだライン不慣れにてと断りあって、病院名と部屋番号を教えてもらった。 前後するが、厚いノートに鉛筆で手書きをした。MKとの成り染めについて、記憶の糸を辿る。 時間が掛かりそう、バスの時刻に遅れないように、、

Intervrntion. H291117日、金曜日、晴れ、昼DrWTBと会食

2時から6時まではルーチンワーク、その後RKの起きる前に脱出し、セノバへ。図書4冊を返却し、バス待合室でYKへLINE。 今朝、布団内で北栄の天才詩人”蘇東坡”の漢詩を読む。有名な「赤壁の賦」*    *  http://chinese.hix05.com/sushi/sushi_2/sushi214.former.html  は ちょっと長すぎるので、と躊躇うが、今の心境に近い詩を見つけた; 人様のサイトから借用する >>>>> 蘇軾の七言絶句「東坡   雨洗東坡月色清  雨は東坡を洗って月色清し   市人行盡野人行  市人行き盡して野人行く   莫嫌犖確坡頭路  嫌ふ莫かれ犖確坡頭の路   自愛鏗然曳杖聲  自ら愛す鏗然として杖を曳くの聲 雨が東坡を洗って月の光が清明だ、街の人の姿はなく歩いているのはこの私だけ、 石ころが転がったあぜ道を嫌ってはいけない、わたしはこつこつと杖をひいて歩くのが好きなのだ http://chinese.hix05.com/sushi/sushi_2/sushi212.toba.html このサイトは私と同年代、福岡出身で元都庁勤務らしい。 DC からのLINE 返信はまだない。いったん戻って、MKの遺した資料を整理。その封筒に手を載せると知らず目が潤んでくる。その遺志を私は関係者に伝えねばならない、それがVocation だろう。 ゆうちょでお金をおろしてから図書館で、この入力。1時間以内に買い物を済ませて、12時半までに出かけねばならない。 と、10時半少し前、高校時代の友人からメールあり、あとでLINE接続を さて、”Intervention”  本日のテーマはこれ。 シソーラスをみると;  >>>状況を改善するために提供される世話(病気または怪我を楽にすることを目的とする、特に医学技法または医学的応用) care provided to improve a situation (especially medical procedures or applications that are intended to relieve illness or injury) >>> すでに進行中の訴訟に人が加わることを許可する手続き a proceeding that

Encouragement ; H29年11月16日、木曜日、晴れ

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体内時計は2時にセットされているのだろうか、布団の中で運動できるように支度をして今後のプランを考慮。4時少し前に公園へ向かう。いつもより風あり、やや冷たさを感じる。空にはオリオン・シリウスが煌く。スバルらしき星影あるも、悲しいかな視力の低下はいかんとも仕方なし。月はあと少しで出てくるので「お星様」が競うように勢ぞろい。MKはあの空の何処にいるのだろうか。 ジョギングは、本日駆け足の距離を伸ばすこととした。一周コースを半分として、四分の三を駆け足、残りを歩くだけのウォーキング。これを5週としたが、3週目辺りから身体がほかほかしてきて、4週目から背中に汗を感じる。帰途、クールダウンしつつ髭を剃る。本日17時から仮契約、念入りにとシェーバーを動かす。 4時20分少し過ぎ、いつもより10分ほど早めに朝食の用意。先ず、玄米を2匙、塩昆布をと水を少し入れて加熱。卵を予め出しておく。コーヒーをセットして湯を沸かす。その合間に果物チーズ、生ハムなどを用意しつつ、玄米を計量スプーンで食べる。梅漬けよりもこちらのほうがいいかも。パンはこのところ自家製のケーキのみ、昨日の残りを食す。昨日購入したセロリをぶつ切りにして卵の入った鍋に入れて、さっと湯がく。1日多分1800カロリーくらいは摂っているつもりだが、朝は600くらいはあるだろうか?そうだマヨネーズを追加すればいいかもしれない。 1時間後に、前日用意したモスグリーンのジャケットとネクタイ姿で外に出る。東の空に三日月ならぬもっと細いシャープなお月様がビルの谷間に見える。それをスマホで撮影しようと移動するも駅前はビルが高すぎて不可。駅構内の中央通路には苦しみ増す釣り夷が鎮座する。その北側に惨汰帽を乗せた時計あり、これをアップ。 それをDCの娘にLINEで送ると、折り返し返事あり。 >> 今日は仕事で早めのサンクスギビングのランチなりよ  >>> ( ターキーとのコメントあり) かなりのボリュームに圧倒。朝日が昇るところをYKに送る。 お日様に感謝しつつ、いい日でありますようにと祈る。 DCから元気を貰う。これが"Encouragement" 夕方17時、なんとかビルの1階で予備契約あり、そのためダークグリーンのジャケットを着てきた。ネクタイも、それに合うだろうと思われる、濃紺

Vocation, 使命、天職:H29年11月15日、水曜日、晴れ時々曇り

今朝もルーチン化したジョギングでたっぷり汗をかく。 着ていたシャツほかは、Rが外出した後に手洗いし、残り湯を追い炊きし朝風呂とした。洗濯物をベランダに干すと、昼過ぎにはもう乾く。お日様と風の力は偉大なり。 図書館で新聞を開く。どこかのコバンザメ党首のことなどどうでもいい、と、目が止まったのは、ズバリストレートを投げる人、曽○○子女史。ネット検索すると、まあなんと、狭量の輩の多いこと、それに付和雷同するおかわいそうな人々。そんな屑に構っている時間などない。 主題は”Vocation”という言葉。私は初めて接する単語で、「使命」、「天職」などと訳すらしい。 「自分しか出来ない仕事は必ずある」 さて、少々問題あり。この著者のコラムについて検索したら、驚くべき結果、、、、うわべだけの非難中傷、中小?あるいは中小?ネット社会の恐ろしさを痛感。教訓とすべし、愚ぐる検索は要注意。 脱線、Vocationと比較すべき言葉にProfession なるものがあるといふ。これは単なるプロ、いわゆる専門○○はこの類かもしれない。 昨日の火曜日、ラジオのこと、午後ラジ。テーマは「乗り越える」。 ゲストは「7本指のピアニスト」西川悟平さんについて、改めて書く。いかにしてクライシスに対処していくのかという問題。どうも私は、真に受けて真剣になりすぎてしまう。深く時間をかけると、その結果、狭い螺旋階段の如くどんどん落ち込んでしまう。 考えても仕方のないこと、それに気づく必要がありそうだ。ラジオのMCのあっけらかんとした声が記憶に残る。ネット検索したらムラなんとかさん、初めて聞く名前だが、有名人らしい。その写真を見てまた驚く、、どことなく、、、。年齢は○○で、見とれてしまう。 夕飯は肉じゃが。じゃがのー、RKとの冷戦は持続。布団を敷いて、箱を開ける。数時間前に30年以上前のアルバムから必要部分だけ抜き取った。年末に、息子と会ってから親戚に見せるべく予め用意。箱の中にはMKの書いたノートが2冊あり、じっくりと読む。リストと、経時的に各個人のメモが克明に記録されている。丁寧な几帳面な字体、それが、つい数ヶ月前から乱れた字体で読みにくくなっている。ここに、MKの状況が明確に残酷なほど示されている。私は、ただただ涙を堪えるしかなかった。 命を削っての記録、これぞVocation,

超ポジティブに:H29年11月14日、火曜日、曇りのち小雨

朝、4時起床。外は暗闇でこれでは散歩も不可、諦めて布団内で今後の予定を練る。 5時半離床、2Fから義妹が下りてきて朝ご飯の準備とストーブに点火。髭剃り洗面した頃に母が起きてくる。外は前日同様に霜景色。墓参後車のフロントグラスに被せてもらった薄布団を外し、新聞を手に暖房の効いた居間に戻る。 朝食後7時半頃に義妹は出勤、お土産の野菜の入った紙袋を頂きお礼を言う。タイヤ手配のお店が10時開店で、2時間以上の待ち時間があり、古い家に向かう。甥と一緒に再度ゴミ不要物の整理。落とした豆の処理に手間取る。9時少しすぎに一緒に出掛け、イエローハットへ。金額は計9万円を少し超えるが、現金で支払う。しかし、タイヤ交換は午後12時半以降となるとのことで、後日に予約。 帰途のラジオ”ごごラジ”で偶然耳にしたのはNY在住のピアニスト・西川悟平さん。 難病にかかりながらも乗り越えた<7本指のピアニスト>として知られるとのこと https://withnews.jp/article/f0160305000qq000000000000000W0290701qq000013084A >>> 「どんなひどかったりつらかったりすることがあっても諦めないで!考え方を変えて、Stay Positive! 」と西川さんは話します。 ピアノを始めたのは大阪堺市の中学校の時。あこがれの先輩がピアノを弾くのに衝撃を受けたのがきっかけでした。音楽大学受験の3年前から音譜を読むことから勉強し始めた超スロースタートでした。  「皆が5時間練習するなら、僕は人の倍、10時間練習する」。指の体操教則本であるハノンの約60曲を全曲弾く毎日。防音設備がないので、布団でピアノをまいて、毎日5時間から12時間練習しました。  >>>> 15歳という常識外れのスロースタート。そしてぐ偶然の切欠からNYジュリアード音楽院出身のプロのピアニストと出会います。デイヴィッド・ブラッドショー氏とコズモ・ブオーノ氏です。 「君が一番やりたいことは何」、 「粗削りだが、味がある演奏だ」と感じていたというブラッドショー氏は、西川さんを弟子にして3カ月間、ニュージャージー州の豪邸で自由にピアノを練習できる環境を与えてくれました。 しかし、約1年後の2001年、指がピアノの鍵盤の前に来ると丸まってしまい動かなくなる症状に

嵐の後、、、;H29年11月11日、土曜、雨のち晴れ

もうこれで何度目だろうか、今回の嵐はちょっと違うけど。 4時に布団を出る。いつもより遅いのは、前夜の”事件”の影響。窓から雨で濡れた道路が見える。ジョギングはお休みし、布団の中で読んだ本をリュックに仕舞う。 駅、地下のいつものコースを通る。朝は人通りが少なくていいが、11時頃になると、無意識に160cmの女性を探している。頭ではわかっているのに、身体がいうことを聞かない。 午前中は図書館。静寂の中、と思いきや、無神経な輩(女性3名、子供連れも)に邪魔される。 本を2冊、ひとつは「鬼平シリーズの4」、そして「人生を幸福に満たす云々」。後者は期待外れか。 11時半、早めに昼食を済ませてパソコンを入れた重いバッグ背負いK医院へ。本日はHDの日。T公園脇の会館で時間を潰し、17時過ぎにK医院へ。Dr.Kは賢明だ。葉書について特に触れず、余計なことを言わなくて済むので助かる。 22時40分過ぎにタクシーで帰宅。Rはドアを閉ざしている。流しにはRの洗った食器あるので、まあちゃんと食べているのだろうと安堵。翌日の日曜のことで妹JKよりLINEあるも、決められないまま布団に潜り込む。嫌なことの先送り、これは正さねばならない。 DCのYKからLINEあり、RKちゃんとのセットについて相談、彼女の携帯を伝えたが、、、、 雨の日は、特に憂鬱となる。午前中は、SHUとキャッチボールをした公園でベンチに座る。一応雨上がりで、座る処は水滴なし。右隣に濡れたカタログ雑誌、あとは地面に欅の黄色い落ち葉。雨が止んだ後は、色濃い地面とのコントラストが鮮やかだ。読書後、7時40分、IGWマンションに向かう。

2回目の診察; H29年11月13日、月、晴れ

4時少し前に目覚める。布団の中で日誌を鉛筆で記入。5時半頃ET子さんが降りてきて朝御飯の用意開始か。

陽を浴びて桜井へ;H29年11月12日、日曜、晴れ

今、A病院の医局でキーボードを叩く。院内は迷路で外来に荷物を置いてから再び戻ってきた。 秘書の林さんはまだみたい 昨日、車で桜井に来た。到着は3時少し過ぎ、先ず墓参。そして甥に電話し、古い家に向かう。 部屋の中の不要の物をより分ける。布団衣類で使えそうなものは箪笥に入れる。Rが使った歩行器、どうしようかと迷ったが破棄、塗りなおした鼓ね鉢も保存へ、刀剣が出てきた。 これも勿論保存、半間の箪笥、これは重たいので一時置いておく。途中でE子さんが来てくれて、美術全集の重い本と本箱も保存へ、かくして1時間ほどで手早く済ませると、日没前にほぼ完了。車庫は北のほうが使えそう。17時近くになって、車で新宅へ行く。甥が翌朝の霜のことを心配して、フロントグラスに掛け物をしてくれた。母に会う。いつもの席で座ったまま、編み物をしている。鉤編みで、JKが教えてくれたがその後、ほったらかし。母は、相変わらずで口数は殆ど無し。 お線香を上げたあと、先ずお茶を呑む。手作りの大根早漬けが美味い。 入浴後の夕飯は餃子とお刺身、満腹となる。日中、JKがお米を取りに来たと、これはLINEでも知っているが。甥が、19時からDVDで「シンゴジラ」 を観る。期待以上に、というか全く期待していなかったが、日米政府、人の考え方の相違、システムの違いが実に興味深く描写されている。

図書館が良い(通い); H29年11月10日、金曜日、晴れ

時間の使い方がよくわからない、日赤病院の待合室で8時少し前に座る。本を読んでいると、突如携帯の呼び出し音、見覚えのない番号だが、岡山からと判明。着物については、あまり興味なさそう、、、。ほどなく9時半が近づく、図書館へ。5Fでインターネット、一時間弱で止めて、4Fへ降り本を2冊借用。宮部みゆきと宮本輝の文庫本各1冊。SNB地下で生ハムとパスタを購入、信号待ちでふと左を見ると郵便ポストあり、喪中はがき追加5枚を投函。M公園脇で露天の柿2個求め、11時半、時間潰しにJEをぶらつく。昼は部屋でいつもの孤食、朝の残りの釜のご飯と残り物。冷たいものばかりにて、湯を沸かし、紅茶で一服。 昼休みは寝転んで「なぎさの媚薬2」読了。ふと、市役所の用事を思い出し、15時少し前、印鑑証明をとる。

小雨、鬱、フリック入力;H29年11月8日、水曜、小雨

2時、ゆかりからのLINEで目が覚める。Nature の論文、著者は日本人グループ、細胞接着因子に関するもの、意図するところが不明瞭? 「朝の霧」を読了。理不尽な切腹と、戦い。果たして己の生命をかけてまで正義・筋を通すことの意義がどこまであるのか、という気持ちあり。 あっという間に4時。ジョギングに出かけ、びっしりと汗をかく。下着としてのオペ着をさっと水洗いしベランダに干す。朝食後も鬱の気分晴れず、外出し、セノバ脇のベンチで鉛筆を削り、日誌を認める。7時40分、RKの出勤後に部屋に戻り、ぼんやりとスマホをいじる。ふと、スマホ入門なるサイトあり、中を覗く。基礎の基礎、特に役立ったのは「フリック入力」。ローマ字入力の半分の動きで操作可能だが、まだ慣れない。そういえば、数年前米国へ行く当日に羽田で娘のスマホを操作したとき、この方式だった。 9時20分、再び傘を差して外出、ぺガサートへ。偶然手にしたのは池波正太郎のシリーズ物「鬼平犯科帳」。4巻目は貸し出し中にて1-3の3冊を借用。

MKの薔薇;H29年11月9日、木曜日、晴れ

今朝も早起き、5時53分のJRでF駅に6時12分着。先日からのお気に入りの椅子に腰掛け、本を開き、その後、朝日を浴びるオブジェを見ながら前回のスケッチに加筆し、色を追加する。 徐々に陽が昇るにつれ、いままで見えなかった花も現われてくる。 7時半までの1時間と少し、なるべくゆったりと過ごしたい。

一歩一歩、愚直に:H29年11月7日、火曜日、晴れ

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4時半、ほぼ予定時刻に夜行バスは北口に到着。無人の駅構内、そして街路を通り抜けて、 空には傾くお月様を背に受けて、MKと手を繋ぎ、ゆっくりと穂を進める。涙を堪えるべく、上を向きつつ帰宅。 寝不足の身体、食べ残したアジフライを少しだけ食べて、ホットケーキを焼くが、重曹なしであったことに気づく。侘しさ充満のまま暫し横になる。かくして、2日間はジョギングお休み。 日の出前に近所の公園に行く。朝陽浴び 煌めきおつる欅の葉。 今朝の、近所の公園。 日が上り、風が湧き (葉)がカサカサと落ちた。

最初が肝腎、初出勤:H29年11月6日、月曜日

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今日はSK市立AM病院の初勤務。高校の後輩2名、YC大学外科でお世話担った助教授のご子息がいてびっくり。初日は電子カルテと格闘して日帰り。 寒気の中、駅からゆっくり歩く。15分あれば余裕を持って着く。 東京駅の始発、お月さまを写したかったけど

天気快晴なれど心の内は、H29年11月4日、土曜日、晴れ

早朝のジョギング、西の空、ビルの合間に大きな月様。 月明かりでオリオン、シリウスは見つけにくい。 土曜日でRは終日部屋にいる。昨日どこかへ行ってきたのだろう、多分R子さんとだろうが、小さな大根とミニトマトの袋があった。 6日月曜日の初出勤のことを考えている。初回だから8時半までに着くには、と思案すると、やはり前日の夜行バスしかない。だが、帰りはもっと余裕を持っていいだろう。 駅周辺を歩く。無意識に身長160㎝の女性を探している。

文化の日、キーバッテリー交換;H29年11月3日、金曜日、晴れ

定着した早朝ジョギング、 DCのYkよりLINE。

快晴の空虚感:H29年11月7日、火曜日、晴れ

11月時を過ぎててスマホを無作為に操作、、偶然見たサイトはこれ http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/mem/pub/cadetto/column/tokudadojo/201711/553491.html 持続性の頭痛、吐き気、70歳男性。 頭部単純CTあり、 答えは 慢性硬膜下血腫とやさしい。原因は長期大量飲酒。 もうひとつあったが、忘れた。

小春日和:H29年 11月 5日、日曜日

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老健での仕事終わり、帰途で空を見上げる。広大な紺碧の空に浮かぶ綿菓子のような雲。小春日和 夕飯時に,またまたルミおと衝突。慌ただしく弁当ほか身支度して外に出る。早すぎるけど、やむを得ない。3時間近くして北口バス停に立つ。真上に十六夜とでもいうのかお月様が冷たい光を注ぐ。予定より10分ほど遅れて到着。

月命日、オニオングラタン;H29年11月2日、木曜日、晴れ

早朝のジョギングはもう習慣となっている。6時22分のJRでF駅に到着6時45分頃。徒歩でSKRへ向かう。寒さが手から忍び寄る。手袋が必要だと考えつつ、忘れかけていた般若心経を唱え、メモを数回見ながら。木曜日は事務長さんの車が待っているのだが、昨夜LINEで手の治療で不可とのこと。 前日、Y山でお礼ができたので、気分的に何か落ち着く筈だが、実際は、幾度となく押し寄せるパニック障害みたいなものが心を占拠する。上を向いて歩こうよ、という歌が何度も繰り返し頭の中で口ずさむ。どこまでも青く吸い込まれるような青空に秋の雲、うろこ雲あるいは羊雲とでもいうのだろうか。弟もMKも雲の一部、そして更に上の星空に浮かんでいるのだろうかと、際限ない繰り返し。

寒さににも負けず;H29年11月2日、木曜日、晴れ、老健S

本日は、2時に目が覚める、これはちょっと早すぎる。布団の中で、Rから昨夜渡された文庫本、高田郁の” あきない世傳 金と銀〈3〉奔流篇 ”を読む。就寝前に半分ほど読み、残りを引き込まれるように読破すると4時。ざっと朝食の用意をしつつ、ジョギングシューズ(といっても大昔のテニスシューズ)を履き外に出る。外気は予想以上に冷たく、手袋が必要。ストレッチを入念にして、多少痛みの残る下肢を慣らしつつ軽く足慣らし、最後の4週目の最後は残った力を振り絞るように8割の疾走。無理をして転倒するのが恐ろしい。 帰宅後に朝飯のホットケーキを焼く。玄米と豆(小さく刻んで)を混ぜたものだが、何故かRは食べてくれない。

15時にIGWマンション:H29 11 1日、水曜日

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いつのまにか11月、霜月。 おっはー。今朝の駿府公園、明日から大道芸なんとかが始まるので市役所を中心にこんな具合。 昼過ぎ、15時にIGWへ行くと不動産屋のSKさん。先日に比べて頚部のたるみが目立つのは奥さんに先立たれて食生活の影響か。16日夕方の初顔合わせの場所確認と、室内検査の書類2通に氏名記入と捺印し、駐車場のカードと、部屋のキー2個を渡す。途中からSNさんの巨体現われ、立体駐車場の説明などして別れる。何か拍子抜けの感のままいったん帰宅。かといってすることなく夕ご飯の用意。

図書館にて;H29年10月31日、火曜日、曇り時々晴れ

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今朝も6時前にY山へ行くが、目的ならず、そのまま帰宅。 東の空は刻一刻と変化していく。 淀川の水は絶えずして云々、、、 8時半、市役所事務開始。窓口で Rの移動届へについて質問すると、手早く一枚の用紙を渡される。 結局、翌日に住所変更へ

朝6時、.H29年10月30日、月曜日、晴れ

3時半に目が覚めて、鍵探しで30分以上。結局見つからず、そのまま公園でジョギング。昨日の雨で1日のブランクあるも体は思いの外軽い。汗をかく。久々の晴れが期待できる一日の始まりだ。 6時14分前に部屋を出て八幡山へ向かう。どこから登ろうかと思案し、北から石段を早めに進む。頂上には独りだけ、すぐ引き返して、同じルートを下るが、待ち人現れず。下の道路に出て10分ほど待つも、空しく帰宅。 おっはー。物忘れひどくなり、今朝鍵を探して、.、 ポストにレターパックあり、取り急ぎお礼。走った後で..シャツを替えてから見る。 10時少し前に図書室前に立つ、図書カードを出す前にふと診察券を確認して、驚愕。歯科受診を午後だと勘違いして、急いで電話を入れ、駅へ急ぐ。 田舎の妹Jから頭痛とガラスを割ってしまっとLINEで連絡あり。 そこで、 手、怪我なし?コチラ 頭のテッペンケガナシ。今日は仕事? 頭痛吐き気はコーネンキ?ホルモンのバランス異常か?多くは自律神経バランスの問題。寝不足、緊張持続も影響する。耳鳴り、めまいは大丈夫?

決断と行動;H29年10月29日、日曜日、雨

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昨夜23時過ぎに就寝なのに、4時少し前に目が覚めてしまう。習慣はある意味で恐ろしい、 布団の中でしばらく本を読み、起床。少し思案して残りの玄米と白豆、塩昆布でおかゆらしきものを調理、いつものコーヒー果物で朝食。6時34分発のJRに乗る。 昨日28日(土)に雨中森本君を訪ねた。その際にMのことを黙っていたこと、泣きながら安倍川の橋を渡ったこと、途中のスーパーで独り買い物をする侘しさ、これらは雨という天候も影響してのことなのだろう。  日曜日、老健に行く日。雨はずっと降り続け7時到着。2階の部屋に入る頃に事務長からのLINEあり、MRYMさんの状態が云々と。すぐさま登録データをチェックし、経過を頭の中に入れ、1Fに降りる。当直はSTさん、もうすっかりベテランになった彼女。部屋には80歳の男性と付き添いの長女あり、声を掛けつつざっと診る。少なくとも半日はと判断、但し口には出さない。 この日落ち着かないのは毎週来てもらえるMZKM氏の情報如何。先週は、空手で収穫なし。 11時近くにようやく顔を出した氏から、いい情報としてINGWマンションの件、売却相手ありとの報。そしてOGW氏のことは、先ず氏が予備交渉してくれるとのこと。何か拍子抜けの感あるも、これはお任せするしかない。もうひとつは、WTNB氏との会食の件、これも進展なし? 検食時にSN氏から連絡あり、金額云々と交渉日時の打ち合わせ、16日の木曜午後になる。これで一歩前進。 帰宅後、疲れと寝不足を癒すべく仮眠し、ようやく落ち着く。16時頃から夕飯の用意で野菜を下拵(ごしら)えするも、Rの一声(ひとこえ)でカレーから煮物に変更。無理にガを張る必要なし、波風を立てる愚も避けねばならぬ。忍、と耐えること、これも修行の一環と胸に畳み込む。 JNKとのLINEは以下の通り; こちら終日雨。夕飯はカレーを予定していたが、ルミおが弁当のおかずにならない、と文句を言われ、華麗なる方針転換。この前もらったなんとかつゆとポン酢をテキトーに入れて、グーっ 文庫本「太公望」全三冊の上巻を読了。主たる要旨は<器>云々か、大いなる目標、それは無謀ともいえるかもしれないが、それを達成すべく己を磨き同時に仲間を率いていく。そのためには人望、長としての並々ならぬ<器>が試される。生来の器に加えて、日々の心掛け、生き様にそれは反

小雨の中、旧友に別れ;H29年10月28日、土曜日。曇り時々小雨

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昨日ジョギングしたが、靴が古くて20年程前に使っていたのを履いた。直後に軽度違和感あったが、気持ち良く走れ、15分で汗かきシャツ交換。靴を脱いでよく見たら、:じゃジャーン ボケと進行か すると、妹からLINEで“転ぶなよ” 鋭いご指摘、、このところ階段を降りる時、どうしても足元不安、忍び寄る怪談。 無様に転ぶと顔がコロンブス。気をつけよう 朝食後、散歩がてらに外出。6時半頃から小雨の中、A川向こうの友人宅(定年後にパン屋)へ行く。 大学ギター部の1年後輩。互いに下宿先を行き来した。卒業後出身県の英語教師、私もどういうわけか、彼と同じ所へ。 人が良すぎて教頭で退職した彼は、奇しくも息子が同様に引き籠り。久し振りの彼は白髪が増えた。でもMのことは、どうしても口にできなかった。 頂いたパン、帰宅後に紅茶と食べた。 天然酵母を使っているけど、やや硬めでドイツのパンに近い味。しばらく食べてないが砂糖なしの紅茶が一番合う。 Rは土曜日お休みで、私の居場所がなし。9時半過ぎに外出し図書館へ行く。そこで前回読みかけの本を探すが見当たらす、代わりにハードカバー(セミハード?)2冊と文庫本3冊、宮城谷昌光の「太公望」。 >>紀元前11世紀頃、中国で商(殷)王朝は宗教的儀式の生け贄として、また奴隷として平和に暮らしていた周辺諸族を対象として、狩りと称して多くの人の命を奪っていました。ある日、平和に暮らしていた羌(きょう)族の一つは商の王子受(じゅ)の狩りの対象となり、多くの人々が虐殺されてしまいます。その族の族長の子・呂望は一族の者を殷の軍隊に殺され、その戦禍の中を同族の5人の童子を率いて逃走しました。天の声によりこの危機を脱した彼はこの手で商王朝を滅ぼすことを心に強く誓います。  父の遺言は、孤竹という東方の邑に行けというものでした。そこに何があるのか、そこで何をするのかいっさい分かりませんが6人の童子は孤竹を目指します。途中、鬼公(きこう)、土公(どこう)、そして、大仇の受王の叔父にあたる箕子(きし)といった人に出会います。この3人は敵対しながらも会合を持つという大きな人物でした。ついに孤竹へと着きますが、望はその山中にいた仙人のような謎の老人に仕え3年間修行をして剣術と文字を学びます。この時代、剣を使えるのは王者のみであり、宗教的な意味を

玄米と白豆、H29年10月27日;金曜日、晴れ

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早くから目覚める。3時に、賛辞、あるいは惨事? ドケチ、あるいは超合理的とでもいふのか、残っている玄米と豆(大豆は前回済み)今度は白豆。 丸一日ふやけさせておいた豆を朝一度沸騰させ、3ー4時間後の今、味付けをしている。待ち時間に紅茶を淹れて朝焼いた玄米入りのホットケーキを食べた。 間違えて昨日の写真をアップ。 今朝も、公園をジョッギングしてきた。人影なく、トイレの前に自転車あり、中からヘッドライトを点けたサイクリストの挨拶の声。 娘Rと顔を会わせたくないから、早めに快晴の外に出る。行く当ても無くJR線を通過し、K通りに足を運ぶ。息子が昔将棋をしたことのある基盤を右手に見て、急峻な石段を登る。ふとMのことが頭を占拠し、陰鬱な気持ちになってしまう。

久しぶりにお天道様を H29 10 26 木曜日、晴れ

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昨日は終日の雨。空しさというのかする事の無いとはまさしく空虚そのもの。 21時過ぎに布団に入り、3時にはもう目が覚めてしまう。。 けふの予定は、15時まで老研。そこで葉書の宛名印刷。 さて朝飯は昨日昼に炊いた玄米残りを入れるパン作り。 久しぶりに紅茶を淹れてみたが、特湯の香りなし。がっかりしていつものコーヒーにした。 日の出30分前、東の空から贈り物。 お日様の美しさとパワーをありがたく頂く。 F駅に一時間近く早く着く。隣接するビル2階に丁度座る所あり、そこでスケッチ。 夕方、妹JからLINEで増改築の図面送付、A B2案 あり。風呂を大きくするかどうかだが、 私は小さくてもいい、だって風呂はせいぜい20分くらいで、他の時間を広く使ったほうがいいから。 以前のBLGへ ============================ これが最後、さいごうたかもり;H29-8-10  日本は世界一自由、平等な国だと、今もこれからも信じています、  でも、とても不快なことがあり これが最後のblg 理由は前回のblgに

寒さに向けて、H29 10 25 水曜日、雨。

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いつものように4時に目覚める。外は雨。冷気がガラス越しに忍び込んで来る。軽いストレッチをして緑色の日誌ノートを見るが、何が何だか分からない頃の記憶を確認する。朧気な記憶、これはすなわち、記録の大切さを立証することとなる。 ふと思いつき、換気扇の掃除を開始する。ところが、受け皿板を外すレバー2ヶ所が全く動かない。多分4、5年掃除とは無縁 けふは換気扇と格闘。いつ掃除したのか不明だけど、固定レバーが油でガチガチ。洗剤を付けながら時間をかけて、、疲れた。 フィルターはべとべと 夕飯はシチュー。 前回は市販のルーで味が濃かったので、ブルーマニエを作って、満足の出来映え。 以前のBLGへ ============================= H29-8-6;日曜日、 原爆のことについては、別の所に書いたので、http://drkoala.blogspot.jp/2017/08/h29-8-6.htm さらに調べてみた。 それは、8時15分投下まえに空襲警報が解除されていたらしいといふことである。 つまりその結果、外に出た市民がより多く犠牲になったとの主張がある。 邪推すれば故意的に米軍がそうしむけたのだろうか。 前例がある、それは3月10日の東京大工空襲。 日本人が忘れてはならない日なのに、なぜか影が薄い。 http://drkoala.blogspot.jp/2014/01/ 5年前のブログ(運営会社変更でヒドイ目にあって、探すに苦労した) >>63年前の本日9日の夜、米軍B29が発進している。 東京は100回以上も空襲を受け、同年1月27日には有楽町・銀座地区が標的になり、有楽町駅は民間人の死体であふれたという。 吉村昭氏の著書など参考となるものはいくつもある。 3月10日は日露戦争の奉天戦の日であり、陸軍記念日となっていた。日本の戦争継続の気力を削ぐため、あえてこの記念日が選ばれたと言われている。アングロサクソンの戦略は凄まじい。 歴史が教えてくれるのは、冷酷な事実である。 しかもこの作戦の指導者は悪名高いルメイ、天皇陛下が叙勲を拒否しようとした人としても有名、 彼が何をしたのか、白人のみが生きるに値すると考えるなだろうか、非白人たる、東京市民が逃げられないように、予想される避難路へ焼夷弾を落としている。 上記の事実は事実

初めてのジパング、叔父のマンションへH29 10 24 火曜日、曇り

4時起床、昨日書かなかったブログの前半をインプット。昨日のホットケーキで朝食を摂り、空模様を見ながら思案。ジパングを使って上京をと、しかし5時半には間に会わず、 駅のみどりの窓口へ行く。初めて券を買う、往復で2百キロを超えないといけないので東京往復でゲット。2割引きで、5360円なり。うんざりするような3時間と少し、6時27分発、熱海7時42分着乗り換え52分発、東京9時42分着。久々の中央線快速でお茶の水。懐かしさに心が充満され足早に三丁目へと緩やかな坂を上って行く。 叔父のマンションへ初めて行く。予想とは反対側の学校の近く。入り口はセキュリティーなしなのでそのまま4階へ行く。ドア脇の名前を確認し、インタホンのボタンを押すと、中から叔父の声がする。中は、電話で聞いた通りで、テーブル上には書類などが溢れ、物を置くスペースなど無い。叔父はそわそわとお茶を淹れて、ベランダから贈られたといふ葡萄を出してくれたが、古くなって一部白いものが付いている。好意は率直に受けようと、頂きながら話しを始める。 以前のBLG; ======================= H29-8-8;水曜日 もうこれで何度目だろうか、このサイトに入るためのパスワードがどうのこうので、、、、 嫌な世の中になった。 私みたいなヘンな人は、今のところ人畜無害(だと本人は思っている)だが、 中には人様のパスワードを盗んで、悪さをする人もいるかもしれない 管理会社というふものがあり、そこでは、性悪説が主体となるのだろう。 社是として、厳重なる情報管理が至上の命令であるから(くどい?)、何度も何度も確認を強いるのだろうが、一般人にとって、こんなややこしい管理システムはたまったものではない。 なんとか会社はそれなりの立場があるかもしれないが、 かように複数、それ以上のチェックシステムがはたして必要なのだろうか。 私は、、さきほど、このサイトに入るため何回目かのパスワード変更でたどり着いた。 もう疲れ切っており、何かを書こうとする気力など、失せた。 もっと恐ろしいのは、、、、、 先ほど書いた某組織のは、キレイに消されている。   夏の怪談、

ネズミの火炙り、H29 10 24 火曜日、雲り

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電車内でインプットしたけど? と探すと、「ジパング云々」に書いていた。 今日は(ネズミ)の火炙りチューズデイ(ちゅー学の英語の先生が教えてくれた) でネズミは捕まえた? 当方の夕食は回鍋肉のつもり。豆板醤が見当たらずコチジャンで、キャベツは表面の青いとこまで入れたが、 きゃあー別にした方が良かった。(歯ごたえ硬め)でも薄味でまずまず 以前のBLGへ ============================= H29-8-5; 土曜、うす曇 夕べといふか未明に服用した薬半錠のせいか、4時20分に離床。いつもより20分ほど遅い。 旧宅に着いた頃はもう明るくなってきており、電気点灯不要。ただし、足腰が弱っているから”転倒”しないように配慮。  慣れた手つきでリュックと両手に紙袋の怪しい姿で、来た道を戻る。大丈夫、誰も人のことなど気にしていない、もし見ていたら、またあの人変になったのかしら、、、といわれるだけのこと。 自宅に戻ると、先ず汗の処理、上半身裸になりタオルで体を拭く、ついでにしょぼくなった顔も洗う。ベランダに出て、水遣りも板についてきた。 先日、青梗菜とナントカカーネーションの播種したところを見ると、嬉しいことにカーネーションのほうもうっすら目が出てきた。私みたいな”金ーション”にはぴったりの花だと思ふ。 卵ケースパックに出たのをピンセットを恐る恐る植え替える。以前は沢山あった最小の黒ポット(とでもいふんだろう。ならばと、てきとーな大きさのポット10個ほどに土を入れて下準備、空いているプランターにも同様。 ピンセットで卵ケースの少し伸びたやつをつまみ、ひとつひとつ丁寧に植えていく。こう集中できる時間、それが私には必要。3-4個植えるたびに水を補給し、根元を固める。 何事も根元、土台作りは大切だ。近所でのマンション作りを見てもわかる。くい打ちから始まってコンクリート打ちなど、かなりの時間をかけている。これにはコンクリートが固まるまでの時間も必要だ。 お昼の時間になった。外はまだ暑いし、害食するのも面倒だ。かといって、インスタントラーメン、うどん、ソーメン、スパゲッティは飽きてしまった。ふと冷蔵庫脇を調べると、蕎麦の乾麺あり、これにすんべーと準備を始めた。だがここで、またしても問題発生。私はいい加減だから気にしていないのだが、賞味期限が6年近く

読書再び、H29 10 23 月曜日、晴れ

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娘Rが"みおつく料理帳シリーズ"高田郁の文庫本を何の気なしか、夕食後、ポンと置いた、タイトルは「あきない世傳、金と銀」https://honcierge.jp/articles/shelf_story/866?p=3#section-4358 わたしは高田¨郁¨を「都」だと思って「みやこ」と検索すると、ありがたいことに一発でヒット。元漫画原作者、私より10年若いことを初めて知った。 ネット上では、実に沢山の書評あり、それをコピペしたいのだが、どうもやり方が分からない。試行錯誤して…  物がさっぱり売れない享保期に、摂津の津門村に学者の子として生を受けた幸。父から「商は詐なり」と教えられて育ったはずが、享保の大飢饉や家族との別離を経て、齢九つで大坂天満にある呉服商「五鈴屋」に奉公へ出されることになる。慣れない商家で「一生、鍋の底を磨いて過ご 今日は(ネズミ)の火炙りチューズデイ(ちゅー学の英語の先生が教えてくれた) 当方の夕食は回鍋肉のつもり。豆板醤が見当たらずコチジャンで、キャベツは表面の青いとこまで入れたが、 きゃあー別にした方が良かった。(歯ごたえ硬め)でも薄味でまずまず 書評で、とても素敵な表現があった。それは「心に栄養をくれる」 月曜日、台風一過後の青空。Rに頼まれ市役所へ行く。8時半1少し前、ふと見ると旧庁舎のドームあり、リュックに入れた三脚を取り出し構図を決める。遠くと手元の目を交互に使うので、疲れ易い。デッサン後にさっと色を乗せる 以前のBLG, ============================ H29-8-4; 金曜、糸川博士じゃないよ 午前、午後とまだ暑いせいか、どこにも行けない1日だった。 ふと時計を見るとすでに、零時を過ぎてしまった。 先ほどまでDCのアホ娘YとのLINE交換があり、ようやく一区切りが付きそうだ。 現地時間で10時、自転車漕いで娘Yは大使館受付に着いた。 「あれー、仕事は?」 との問いに、「前日長く働いてある」 つまりボスのOKを貰っているのだろう。送られた写真には日本のテレビが写っていた。 「へー、凄いね」と伝えると、「大使館内でね」 「へー、たいしたもんだ」 つまらん駄洒落に付き合う暇なしの娘R、貰った書類をすぐ、日本宛に郵送しなければならないから。

表と裏、H29 10 22 日曜日、雨

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昨夕は凹んだ。ちょっとした切欠で、フラッシュバック...○○のことを思い出して  辛い記憶が全てを占拠してしまう。 やみくもに、雨の中を歩き回り、肉じゃがを作ってLINEで送ってみた「表」と、それに隠されていた本当の心の底「裏」。 今朝も3時過ぎに目が覚めてしまい、BLG をなぞる。もう40分も経過、外はしとつく雨。 さて気分転換に、ストレッチし朝飯の用意を 5時半に駅へ行く。始発から二番目が出た後で40分近く待って電車に。 非常勤務先で、気が進まないけど○○ハガキの宛名を印刷。 台風接近中、夕飯は手抜きの鍋。白菜を敷き詰め鶏手羽元をサンドイッチ、塩を少々と出汁を加え、充分火が通ったら、もやし焼き豆腐しらたき等ぶち込み、ポン酢を少量垂らし最後にうどん。自画ジーサン ======================== 以前のBLG; H29-8-1;火曜、曇り、苦も離 or 利  こう寝不足が続くと、日常生活に支障が出てくる。 精神的にも肉体的にも、丈夫なだけな取柄だったこの私だが、疲れはピークに達したのだろう、 BLGの文章が進ます、ミスタッチが増えて、その苛つきが悪循環となっている。  ふと、冷蔵庫内の頂き物のお菓子を思い出し、娘とお茶した。先日、私の手紙に直ぐ電話し翌日わざわざ車を2時間ほどかけて駆けつけてくれたO君のお菓子だ。上が粒餡で下が蕨餅の二重構造で、程良い甘さと勿論煎茶。じーんと腹に染み入る美味しさだった。こんな時間を持つなんて、何年ぶりだろうか。娘Rが呟く。 私は、3分の1ほど食べたところで、その構造がわかるようにスマホ撮影をし、O君に送った。  午後の気だるさと、お菓子を食べたあとの、何ともいえない満足感から、仮眠を取った。 15分ほどで目が覚めると、わが家の娘Rが洗っていたレースカーテンは清々しい白さを取り戻し、東風を受けて心地よい涼気のプレゼントだ。  こち吹かば、とは有名な和歌だが、ちょと季節は異なる。  匂い起こせよ、、、、昔の人の優雅な発想に、柄にもなく暫し感銘を受ける。 その時、スマホが鳴った。O君からのLINEには「明日は月○○なんだね、、」とある。 次の文章を読もうとして気が付いた。私がスマホの右ボタンを押し忘れていたのを。 写真と一緒に文章も打ったつもりが、不慣れといふかボケの

雨中の散歩、H29 10 21 土曜日

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4時過ぎに起床。蒲団の上でストレッチ後、朝食の下ごしらえし捨てようかと思っていたウォーキングシューズを履き近くの公園で、速足とジョギングを交互に2周し汗ばんだまま帰宅し朝飯を作る。 8時頃から雨。スケッチの用意をして外出するも、、、 夕飯は肉じゃがを作った。しらたきないので蒟蒻を薄切りにして誤魔化す。彩りにおとといのインゲンを追加。右のはぶり大根の皮を糠漬けにしたもの。いずれもバッチシ =============================== 以前のBLG; H29-7-31;月曜、郵便局と部屋掃除 ふと気が付くと、7月もけふが最後。 あまりにも暑いので午前中なにをしたのか失念、すでに認知症か。 といふわけで、午前の分は、別のBLGに記録している。 お昼には定番となった饂飩。娘Rは、食べきれないで残っていた揚げ餅を使うことにした。 見た目は悪いが、意外と美味い。「人は見た目が9割」といふが、外見だけで評価されるなんて恐ろしい時代だ。特に、私みたいなブサイクにはとっては、暗黒時代そのもの。まー餡子食ってるジーさんだけど、、、  娘Rは、通帳が多すぎるので整理すべきと主張し、即行動開始。これはKGBの遺伝子か。ゆうちょの通帳が、何故か息子だけ3通もあるらしい。そこで、郵便局へ行くこととなった。息子のゆうちょから現金を引き出し、それをまた現在使用中の別の本人名義のゆうちょ銀行へ振り込むといふ高等技術だ。  わたしは、ただ付き添っているだけの存在。暑さも加わって腑抜け状態だから、すべて娘Rが取り仕切る。本人不在の場合、委任状なるものが必要で、しかも前の前(20年ほど前)の住所なので、住所変更と、住民票が必要になるらしい。なのに、それが出来るのだから不思議といへば不可思議。娘Rは前日窓口でどうしたらいいのかと相談に行き、予め必要書類を手に入れた。  娘は帰宅後、その通帳をじっと見つめていたら、なんと○○は2年ほど前に旧住所のまましゃーしゃーと一定額を引き出しているではないか。同じ作戦を実行し、それをATMから上記のようにしたといふわけだ。  息子Sは現在北海道にいる。千歳からバスに揺られて3時間以上の辺鄙なところに、かなり前からいる。 千歳近くにはKGBの叔母夫妻が住んでいて、新婚旅行の際にお宅に泊めてもらったことがある。叔母は数年前他界し、妻が葬儀