超ポジティブに:H29年11月14日、火曜日、曇りのち小雨

朝、4時起床。外は暗闇でこれでは散歩も不可、諦めて布団内で今後の予定を練る。
5時半離床、2Fから義妹が下りてきて朝ご飯の準備とストーブに点火。髭剃り洗面した頃に母が起きてくる。外は前日同様に霜景色。墓参後車のフロントグラスに被せてもらった薄布団を外し、新聞を手に暖房の効いた居間に戻る。
朝食後7時半頃に義妹は出勤、お土産の野菜の入った紙袋を頂きお礼を言う。タイヤ手配のお店が10時開店で、2時間以上の待ち時間があり、古い家に向かう。甥と一緒に再度ゴミ不要物の整理。落とした豆の処理に手間取る。9時少しすぎに一緒に出掛け、イエローハットへ。金額は計9万円を少し超えるが、現金で支払う。しかし、タイヤ交換は午後12時半以降となるとのことで、後日に予約。

帰途のラジオ”ごごラジ”で偶然耳にしたのはNY在住のピアニスト・西川悟平さん。
難病にかかりながらも乗り越えた<7本指のピアニスト>として知られるとのこと

https://withnews.jp/article/f0160305000qq000000000000000W0290701qq000013084A
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「どんなひどかったりつらかったりすることがあっても諦めないで!考え方を変えて、Stay Positive! 」と西川さんは話します。
ピアノを始めたのは大阪堺市の中学校の時。あこがれの先輩がピアノを弾くのに衝撃を受けたのがきっかけでした。音楽大学受験の3年前から音譜を読むことから勉強し始めた超スロースタートでした。

 「皆が5時間練習するなら、僕は人の倍、10時間練習する」。指の体操教則本であるハノンの約60曲を全曲弾く毎日。防音設備がないので、布団でピアノをまいて、毎日5時間から12時間練習しました。  >>>>
15歳という常識外れのスロースタート。そしてぐ偶然の切欠からNYジュリアード音楽院出身のプロのピアニストと出会います。デイヴィッド・ブラッドショー氏とコズモ・ブオーノ氏です。
「君が一番やりたいことは何」、
「粗削りだが、味がある演奏だ」と感じていたというブラッドショー氏は、西川さんを弟子にして3カ月間、ニュージャージー州の豪邸で自由にピアノを練習できる環境を与えてくれました。

しかし、約1年後の2001年、指がピアノの鍵盤の前に来ると丸まってしまい動かなくなる症状に見舞われるようになります。難病のジストニアでした。筋肉の硬直で、挟んだ割り箸がばきっと折れてしまうほどに。「一生、ピアノはひけない」と複数の医師に判断されました。
苦難の中、自分で「禅プラクティス」を編み出します。16分音符をひくのにその160倍ほど長く鍵盤を押さえるかたちで一曲を弾く。筋肉に一音一音、覚えさせようとしました。奇跡的に回復し、「7本指」で鍵盤をたたけるようになったのです。
 
左手で動くのは親指と人差し指。左右7本の指が鍵盤の上を転がるように動きます。ペダルを使って響かせながら和音をつなぎ、腕を交差させて左手を補う演奏法。

超スロースタートで音楽の道に入り、偶然の出会いでニューヨークに渡り、突然の難病を乗り越え、強盗とも仲良くなれちゃうピアニスト。今迎えている機会に感謝した気持ちを、7本の指を通じて鍵盤に落として奏でています。   >>>

ラジオのMCは杜けあきさん。初耳の人、ネットで調べてみると宝塚の元トップスターとのこと、、、

ピアニスト・西川さんはまだ若い。年齢は30歳台だろうか。一番印象に残ったのは「言霊のちから」

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