寒さに向けて、H29 10 25 水曜日、雨。

いつものように4時に目覚める。外は雨。冷気がガラス越しに忍び込んで来る。軽いストレッチをして緑色の日誌ノートを見るが、何が何だか分からない頃の記憶を確認する。朧気な記憶、これはすなわち、記録の大切さを立証することとなる。
ふと思いつき、換気扇の掃除を開始する。ところが、受け皿板を外すレバー2ヶ所が全く動かない。多分4、5年掃除とは無縁
けふは換気扇と格闘。いつ掃除したのか不明だけど、固定レバーが油でガチガチ。洗剤を付けながら時間をかけて、、疲れた。
フィルターはべとべと
夕飯はシチュー。
前回は市販のルーで味が濃かったので、ブルーマニエを作って、満足の出来映え。
以前のBLGへ
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H29-8-6;日曜日、

原爆のことについては、別の所に書いたので、http://drkoala.blogspot.jp/2017/08/h29-8-6.htm
さらに調べてみた。

それは、8時15分投下まえに空襲警報が解除されていたらしいといふことである。
つまりその結果、外に出た市民がより多く犠牲になったとの主張がある。

邪推すれば故意的に米軍がそうしむけたのだろうか。

前例がある、それは3月10日の東京大工空襲。
日本人が忘れてはならない日なのに、なぜか影が薄い。

http://drkoala.blogspot.jp/2014/01/
5年前のブログ(運営会社変更でヒドイ目にあって、探すに苦労した)
>>63年前の本日9日の夜、米軍B29が発進している。 東京は100回以上も空襲を受け、同年1月27日には有楽町・銀座地区が標的になり、有楽町駅は民間人の死体であふれたという。 吉村昭氏の著書など参考となるものはいくつもある。 3月10日は日露戦争の奉天戦の日であり、陸軍記念日となっていた。日本の戦争継続の気力を削ぐため、あえてこの記念日が選ばれたと言われている。アングロサクソンの戦略は凄まじい。 歴史が教えてくれるのは、冷酷な事実である。
しかもこの作戦の指導者は悪名高いルメイ、天皇陛下が叙勲を拒否しようとした人としても有名、
彼が何をしたのか、白人のみが生きるに値すると考えるなだろうか、非白人たる、東京市民が逃げられないように、予想される避難路へ焼夷弾を落としている。

上記の事実は事実であっても、広島のこととはまた別のお話。
日航ジャンボ墜落も、いまだ謎が多いことも周知であろう

私はアホなりに、こう考える。

当時も今もレイシズム〈零沈む?〉信奉者は米国に多く入る。現にあのTさんだってそうだし、共和党の多く(だろう)、民主党支持者だって一部にはこの考えが根強く残っている。
こうしたことを知った上で72年前の真実は、人様の考えでなく自分が調べてから結論すべきものと、考える
私は、多くの米国人の誠意を知っている。バカかと思ふくらいのお人よしの彼らが、はたしてそんなことをするだろうか。


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