7月の悪夢;7-2からの一週間

7月の悪夢、 思い出したくないことだらけだが、しっかり記録しておかねばならない、
H29-7-18;火曜、午後に記す

「よわねをはくな、くよくよするな、、、」この言葉を思い浮かべつつキーを打つ。

7月3日、月曜日、8時半に警察から娘Rへ連絡あり。凍りつきそうになる身体を強いて動かし、何をすべきか必死で考える。仕事場で始めた作業など、直ぐに中断し、自宅に戻り車を出す。
冷たくなった家内に泣いている余裕もない、すべ怒涛のような作業手続きに振り回される。

先ず、商工会を通して葬儀屋さんを紹介いただき、連絡手配。同時に家内の親族への電話連絡。竦んでしまいそうな膝を必死で堪えていた娘Rが全て手配。おろおろする私は、ただ事後確認。
肝心の信州田舎への連絡も夕飯時20時となる有様、、、、。

7月4日、火曜日。午前は仕事の後片付けを急いで済ませ、14時過ぎに北海道からの息子を出迎える。15時、葬祭さんと2回目打ち合わせで、葬儀日取りの決定。岡山の妹病状から6日通夜、7日葬儀と決定。その旨、夫々に連絡す。

7月5日、水曜日。昼までに仕事関係機材搬出立会い、翌日の準備。夕刻3回目の打ち合わせで供物、法事引き出物確認。一応親族関係11名とする。19時過ぎにDCからの娘Y到着を待って、お寺に行き、無言の対面。

7月6日、木曜日、通夜当日。早々8時に仕事関連全てを済ませ、10時半にお寺に着き準備に没頭するが、混乱の極致。このメモも、8日に自宅のパソコン・エクセルで日程予定を作ったものを引用している。夫々の親族を出迎え、慌しく着替えて19時からの読経が始まる。通夜ぶるまい、お寺での宿泊など、、、もう少し落ち着いてから記録する

7月7日、金曜日、葬儀。10時半から読経始まり、12時半に出棺、斎場への暑く辛い道のりを親族一同と揺れれていく。、、、ここから先も、まだ辛くて今は書きたくない。

7月8日、土曜日。8時、いち早く駆けつけてくれた兄を駅まで見送る。困った時に一番頼りになるのは兄弟だ。9時からようやく記録をつけ始める。そして、かく親族へお礼の電話、悪天候で無事に着いたかと確認。

7月9日、日曜日。戒名、納骨などについてプチトラブル。
午前は非常勤先。午後、気晴らしを兼ねて遺族5名で買い物。さらに田舎を含めた2箇所のお寺に電話連絡。この日が初七日となるのか

7月10日、月曜日。8時田舎のお寺に電話、10時に葬祭さん自宅へ。11時半過ぎから市役所で諸手続き。14時にM司法書士事務所。その後、再度市役所で名寄せ帳ほか手続き、、19時お寺に伝連絡で49日、日程を抑えてもらし、田舎のお寺へ2回目の電話連絡

7月11日、火曜日。朝、田舎のお寺に3度目電話で、一応戒名承諾を得る。9時年金事務所、2回。14時過ぎ、県信用組合で抵当権云々の書類3通受け取り、司法事務所へ。



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