H29-7-16;日曜、長野へ

H29-7-16;日曜、長野へ
4時前からうとうとし、5時離床。赤いお日様が顔を出す。髭剃りを手に思わず手を合わせる。
妻にお線香をあげ、お花の手入れるをするのだが、なにかぼーとしている。ふと気づくと蝋燭の火が点いたまま、、、 急いで手で扇ぎ消す。今と寝室を行ったりきたり、スマホを見ると昨日は8000歩以上、いつもの倍だ、昨日も長い長い一日だった。もう6時を過ぎた。
本日は、午前は施設S。7時頃には隣F駅に向かい、お昼頃にはS駅に戻らなければならない。
その間娘たちは、準備と車に荷物を積んで駅前で待機、
ナビでは4時間半ほど、長野への車旅が始まる、幸いけふは今のところ曇天。天候が気がかり

田舎の妹Jの家に泊まることとなったのは、すべてのお膳立ては娘Rの働きかけによる。Jと2日前から連絡し、都合など打ち合わせていた。
だらしなく、優柔不断の私は、最終決定すべく田舎の家に母宅を含めて電話を入れたけど。


今7時半過ぎ、電車内で慣れない指使い。先ほど北海道の息子にメールれ連絡。無事になんとか荘につ着いたか気がかりだ。 心配ばかりすると、きりがが無い。

やはり慣れたキーボード入力のほうがいい。施設Sに着いたのは8時少し前、ざっと回診、新規入所1名、体調悪く嘔吐中の3F棟の方は90歳で、施設長がすでに来ていた。妻はまだ70になったばかり、あまりにも早すぎる、、、、。
写真プリントに時間がかかり、今10時前から文章をひねっている。残された家族への妻のメッセージは何だったのだろうか、それをいつも考える。
昨日、斉藤もたさんのヒント、坂村真民の言葉を手帳にペンで記した。
ふとサイトで検索すると「幸せの正体」を示唆する詩が見つかった。
  「時には不幸という帽子をかぶってやってくる、、、」
  考えるに、これは現実から見下手はいけないといふことだろう。
  逃げることばかりの人生には、幸せは来ない、、、
その2 12時半から車で

暑い日差しの中、故郷へ向かう。

予定よりも早く着くので、電話を入れて17時半に、弟宅に着く。弟は3年前に亡くなったが、以来敷居が高くなった感じで、どうも複雑な気落ちになる。93歳の母と義妹、長男と簡単な挨拶。余計なことを聞かれないのが何よりありがたい。お線香をあげて、心配ばかりかけてきた母の顔を見て一安心。そのまま、下の妹宅へ向かう。途中、母の実家へ通じる道あり、新築で昔の面影など皆無の病院前を通る。この道を幾度となく母と歩いただろうか。
丁度お祭りが終わる18時にM家宅に着く、久しぶりなのでうろ覚えで車を向かわせると姪と妹が道路脇に出迎えてくれて、以前無かった駐車場に車を停める。
早速、白髪の目立つ妹Jの義母が挨拶に出る。年齢以上に若々しい笑顔がありがたい。義弟のTさんも久しぶりに会えて、挨拶近況情報交換が始まる。さらに親戚関係者が次々に顔を出し犬や子供も交えてわいわいガヤガヤの会食が始まる。特に妹の義母はずっと喋り通しで、私の心境を察しての心遣いだろうか、、、S市での湿った空気を微塵も感じさせない賑やかさだった。
好きなものはと予め聞かれていたので、先ず胡瓜など野菜の漬物などが出された。お料理はいずれも心の込もったものばかりで、とても美味しく頂いた。
 ちなみに、翌日S市へ帰宅後体重計に乗ってみると1Kg増だった。運転など大活躍した娘Rも少し増えたらしい。
 娘Yはせがまれて得意の絵を披露。丁度お祭りの日だったのでお神輿を担ぐうさぎがかわいらしく描かれていた。
 義母の愚痴ともつかぬお喋りに付き合い、いわばカウンセラーみたいな気分になった。
「大丈夫、みんな自分のことで精一杯、あなたのことなんて気にしているほど暇ではない」
斉藤もた氏のメモをみせて、話を続けたが、家内にもっと何度もこの言葉をかけるべきだった、、、、

坂村真民

>>すべての人が幸せを求めている。
しかし幸せというものは
そうやすやすとやってくるものではない。

時には不幸という帽子をかぶってやってくる。

だからみんな逃げてしまうが、
実はそれが幸せの正体だったりするのだ。 


 
 

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