H29 -7-13 (木);さがし物

H29 -7-13 (木); 朝雨、後晴れ
5時半起床、4時半頃から眼が覚めていたが、、、娘他に気づかって
先ず、昨日同様にお花の水変え。これが一苦労、風呂場のポリバケツと洗面器を用意して、大小4個の花瓶それぞれを入れ替える。祭壇の花も古くなったのを切り取ったり、、、これだけで30分ほどかかる。
頃合を見て、お線香を立てて亡妻の遺影・遺骨に手を合わせる

慌しい朝食は、遺児3名とで計4人揃ってのパン、コーヒー目玉焼き、果物、ヨーグルト。
がっちりと食べておかないと、動けない。過酷な運命に翻弄されること無く、戦い続けなければならない。
7時20分少し前、いつもよりやや遅めに部屋のドアを出る。つい10日ほど前にMといつもの軽い抱擁の感触が、手に感じた暖かさが、ふと思い浮かぶ。
JR電車は7時29分発、ひとつだけ空いていた席に座ると、何故か2月頃に亡くなったKS君のことを思い出す。母親からお手紙を頂きながら、多忙にかまけてそのままになってしまった、、、、、

7時50分、F駅に着く。タクシーに乗り込むと丁度雨が激しくなってくる。10分ほどで施設Sに着く頃、雨脚が弱まり、大いなる天からの援助かもしれないと、感謝する。
感謝の気持ち、謙虚な気持ちを、忘れがちだった。
施設Sでは、職員数名と挨拶を交わす。声を掛けて、大きな声で挨拶する。この何でもない日常動作が、社会に生きていく私どもにとって、とても大切なことだ。

Mが残したメモを思い出す。一部読み取れないが、数日前に見つけて、別のメモ紙に書き直して胸ポケットに入れている。今、探したが見つからない、 まさにその通りだ。

「さがし物とかけて 大切なもの ととく
 その心は 必要な時に 見当たらない
  (それでも求めると、さらに何が大切か  分からずじまい)」
      「求める」を「救」 と書いてあるのは、助けを請うていたのだろうか

Mは膨大なメモ、走り書きを残していた。それを目にするのはとても辛いことだが、もう少し落ち着いたら、読み直し、記録する必要があるだろう。

8時10分から施設内の各フロアーを巡回する。問題のある数名に声を掛け、新規入所2名の必要データをメモる。15分ほどで部屋に戻る。既に立ち上げておいたデータベースに新規入所2名の必要事項を入力する。8時45分頃には、朝のデューティー終了。こうした仕事に没頭出来ている時間は気が紛れる。
8時45分過ぎから、お昼まで 葬儀関連の記録を印字して、写真のプリントも試みたが、用紙が近所のお店に無い。あとで購入すべきだが、明日北海道に戻る息子Sに少なくとも一枚渡そう。

午後も2時半近くまで、このブログや、関係資料と格闘している。

15時少し前にF駅へ向かう車中のこと、松田聖子の「赤いスイートピー」が流れた。それを聞いて、不覚にも涙が出てくる。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14136654749
>>女性は好きだけど、相手はどう思っているのか確信が持てないでいる。いつまでも一緒にいたいという心の揺らぎが表現されていると思います。

赤いスイートピーはシチュエーションに色彩を与えていて、とても鮮やかな印象を残します。スイートピーの花言葉は「別離、門出、思い出」だそうで。



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