8月5日の日曜日、SKRから電車で戻る

5日未明、3時前に眼が覚めて階下のトイレへ。そのまま寝付けず、安部口新田のNTHさん宛の暑中見舞い葉書を書く。そして、6月16日、もう1ヶ月半も経った一周忌のBLG記事を編集書き込みす。---教訓、下書きにせず、少し書いたら即オレンジボタンをクリックしたほうがいいーーー

廊下を歩きながら、骨盤部の筋肉を意識して使うが、未だにKGBのことが身体の何処かに纏わり付く。そこの角を曲がると、ひょいと現れるような、そんな錯覚すら期待してしまう。
しがらみとでもいうのだろうか。
気になって調べてみると、興味深いコラムを見つけた

>>>.「しがらみ」は, 現在,ネガティブな意味で使われます.しかし「し がらみ」の語源は「木除杭(きよけぐい)」とされ, 増水の時,流木等が橋脚を直撃しないように防ぐ柵 (さく)です.そこに流れてきたものが纏わりつく 様から「しがらみ」=纏わりつくものとなり,人間 関係の困難さを表すようになったとされています.

社会学者、北村 薫氏のPDF; https://www.juntendo.ac.jp/hss/albums/abm.php?f=abm00016076.pdf&n=vol68_p029.pdf  

更に続けて
>>>もともとは,橋脚や土手を守るもの,水の流れを穏 やかにするものが「しがらみ」なのです.

>>> 私たちは様々な「しがらみ」によって守られてい ます.家族の「しがらみ」,地域社会の「しがらみ」, 出身高校の「しがらみ」,職場の「しがらみ」等々. それはある意味では面倒くさいものです.

最後に漱石の有名な「草枕」を例示して
>>>「智(ち)に働けば角(かど) が立つ.情に掉(さお)させば流される.意地を通 せば窮屈だ.とかくに人の世は住みにくい.」と書 いています.明治時代も,現代も,人の世は住みに くいのです.それを前提にして,「しがらみ」に守 られて生きて行く人生,そういう人生設計もよいも のと思いますが,いかがでしょうか

うーん、、、、、と唸ってしまう文章だ。
私にこんな文章が書けるようになるのは、一体いつになるだろうか。

北村 薫氏はこのコラム冒頭でこう述べている;
>>>社会学は「常識破壊の学問」といわれることがあ ります.多くの人々が「当たり前」と思っているこ とに,「ちょっと違うんじゃないの」という主張 をすることが多いからです.

そして大震災以降の「絆」の連呼に違和感を覚え、ナチス・ファシズムの例示後に次のように指摘している;
>>>近代社会の形成にとって「絆(きづな)からの解 放」こそが目指されることなのです.

タイトルは「絆でなく柵」 

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