時代、変わるモノ、変わらないモノ、65年前の記憶、8-13.月曜日

月曜、dutyないが、習慣で職場へ行く。
先夜のJAF騒動で、車は恐いから、自転車、CKM-Hpで母といつも通り会う。
すると、妹からLINEで14時集まるとのこと。

前日、日曜日の大騒動で、NKGMのHpへ緊急入院した叔母が気がかり。面会は9時だか10時なのかわからない。
8時ころだったか、自転車を駅前の叔母宅玄関脇に置き、家に入る。
中に入るのは半年ぶりだろうか、ふと見るとキッチンではまだ朝食中。昨夜は遅くまで病室にいたとのこと。慣れぬ手つきでコップや靴下に名前を書く従姉妹と話をしながら、ともかくHpへと出かける。私は、先に出て駅前のポストに投函してから、隣接するHpビルに行くが、入り口が分からない。
すると、手招きする従姉妹たち、入り口がいくつもあって、カッペイには判りにくい。
3階に行く。ぐるっと回って、病室に入ると、ベッドに抑制されて、蠢く叔母の姿。急いで駆けつけててを握り、声をかけるとようやく落ち着く。左足に点滴ルートあり、これじゃあ、そのルートも抜かれてしまいそう。でも抜けないように出来る方法があるのに、しようとしない。ただそれだけのこと。

HPを見たが、チイキ包括ケアシステムのモデル云々、つまり「時代の要求」、お上の作ったシステムを如何にして利用していくか、営利追求の思想そのもの。肝心の視点がズレている。

抑制バンドは、管理する側主体の発想。
彼らは、逆の立場なんて,考慮すらしたことないだろう。
つまり、経営する側の基本姿勢は、もうこれで十分判る。
人の痛みを知らない医療者、どこかのマニュアルそのままのシステムが寒々しい。

不安げな従姉妹を病室に残して、私はネグラに戻る。途中のスーパーで食品を求め、チャリを漕いで集合場所の前を通過するが、14時に車が一台も無いから、そのまま通過。自宅のベッドに寝ころんでパンを囓っていた。
すると、30分後に妹からLINE電話あり、もうみんな集まっているよと。
私は、よっこらさとチャリに乗り、数分後に駆けつける。部屋は、机が2つ繋がって置かれ、親戚一同8名と赤ん坊1名、そして、3歳と5歳のガキが、隣の部屋ではしゃぎ回っている。私は母が座っていた場所、つまり最年長の席、「なんだ、一番のジジーか」と座る。後ろでは、二人のガキが嬉しくてたまらないとグルグル走り回る、その手が障子に触れて穴が空いても、走り続ける。その生命力はうらやましい程だ。

65年前のこの時期、私も同じ体験をした。
お盆で親戚の人が大勢集まって、飲み食いをしていた、当時4歳か5歳の私は、4人兄弟でただ1人祖父母の所で育てられていた。近所に同年齢の子が数人いたが、普段は年寄り二人と孫だけの生活、そこへいきなり沢山の親戚と父母兄弟が来たものだから、もう嬉しくて嬉しくて。部屋の中では飽きたらず、中庭の樹に飛び移ってはしゃぎ回った。つまり、今も昔もアホなことをしていたわけだ。すると、酒を飲んでた何処かのおじさんが声をかけたから益々調子に乗ってひょこひょこ動いていて、途端にすべて真っ逆さま。墜落して脳震盪。
今の時代なら、直ぐ救急車を呼んだと思うが、電話も、すっと離れた農協事務所にある昔のこと。部屋の隅っこの座布団に寝かされていたらしい。

セーカクが悪くなったのは、この時に頭をぶつけたからだろう。

そして今、65年前の私と同じようにはしゃぎまわるガキども。
時代は変わっても、変わらないものがある。
変わって欲しくないもの、大切にしたいものがある。







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