まとめ書き、まとめ餓鬼;8/4は土曜日

ガタガタ続きでBLGもじっくり書けない。それゆえ、2W毎の缶詰は有効利用せねばならない。

誰も信じてくれないだろうが、私は綺麗好きで、毎日洗濯している。シャワーで身体を洗うときには下着や靴下でごしごし、、昔は鉛筆書きしたのをゴシゴシ。そして今でも五感を鍛えるために左右の五指先をキーボードで叩く。これでピアノがあればと思うのだが、、、。

それゆえか、未だにスマホの指差でひょいヒョイが苦手だ。いまでは幼稚園の餓鬼まで使いこなしているのを見ると、小突いてやりた衝動にかられる。

一昔前「日本人は親指で会話する」と外人さんに揶揄された。ガラケーで右手親指をヒョコヒョコする様、、私みたいなアナログニンゲンには宇宙人かと思ってしまう。

ITなんとかの反動で、時代物、藤沢周平、山本周五郞の作品を読むことが多い。さらに、司馬遼太郎の維新前後の作品、山岡荘八の家康シリーズを読んでも、日本語の難しさ奥ゆかしさ、毛筆文字のうつくしさに憧れる。

手紙葉書は、毛筆でと思うけど、万年筆でと思っている。ペンを走らせて、ふと言葉を探す。昔の人は硯の前で墨を摺ながら文案を練ったという。昔の武将はは馬上で矢立の筆で巻紙にさらさらと書き手渡す。実に格好いい。かような芸当ができるのは、ペンではなく、毛筆の底力であろう。

今読みかけの「天地清大」山本周五郞は、若き中邑藩士の昌平黌での描写で、講義後に筆を洗う様が何ヶ所も出てくる。

Wikiによると、山本周五郞は実に多くのペンネームを使っていたらしい。木挽町の質店に徒弟として住み込んだことからこのペンネームになったとのこと。時代小を各いきさつも興味深い。
明治三八年生まれの筆者、東京、今の銀座に住み込み江戸時代の風潮が濃く残る時代であったから、かような文学が描けたのだろう。

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