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8月, 2018の投稿を表示しています

矜持、教示、今日路; 8月31日、金曜日

今朝も4時前に眼が醒めて、身仕度をしつつ、ラジオのスイッチを入れる。 声の様子からすると、どうやら大学の先生が二人、戦前後の社会について論じていた。 とても印象的なエピソードを語る戦前の人。札幌に住んでいた頃、進駐軍のジープが停まり、数学の教師をしていた父親に空港への道を尋ねた。父が教えてあげると、米兵は小学生だった兄弟にどっさりチョコレートをあげて立ち去った。すると、父親はその貴重なチョコレートを全て川に投げ捨てた。ずっと無言のまま、親子3人は家路につついた。  終戦直後で食べるもの、学用品など全てが乏しい中、特に幼いこどもにとって夢のようなチョコレートが棄てられた。 この先生は、父親の行為について、一切言及しなかったが、私にはよくわかる、これが昔の男子たるものが示した最大の教育だと思う。 物量では敗れたかもしれないが、ここる、精神面では決して負けていない。 昭和初期までの教育を受けた人に共通に考え方だったと思う。 翻って、私は息子に何を示してきただろうか。仕事最優先で、全てを母親任せだった。 夜中に電話があると、どんな時でも直ぐに出掛けていく、当たり前の事だがそれくらいしか示せなかったと思う。 強いていいほうに解釈すると、子は親の背中を見て育つ。  

書類との格闘;8/30、木曜日

8/30、木曜日は午後フリーとなった。 そこで古い記録を取り出して今のと比較してみたが、さらに古い記録もあることが判明。その手続きが、、、、 全てがコンピューターに記録されているとはいうものの、長い経過の場合には最初の基本的な経過が判らないと困る。そのことが、どうして他の人はわからないのだろう。 様々な電算システムがある。30年近く前だろうか、私の勤務先で某県痴事の掛け声で、大手家電メーカーが作ったというシステムが導入された。いきなり説明会なるものがあり、オエライサンの大演説があった。要は、オカミが決めたことの根拠なしの誇大妄想のセレモニーであって、質問など出せる雰囲気もなかった。しかし、少なからず、知識のある人なら疑問点、いやそれどころか不安点があったのだが、、、。 おざなりの試験期間を経て、運用が開始された。当然だが、想定以上の混乱があった。事務処理時間が余計にかかるようになったし、何よりも困ったのは、人と人との会話が激減したことだった。 考えて見れば当たり前だが、事務処理というのはフローチャートみたいなものがあり、Input とOutputとが常に"prompt"な対応できることで成り立っている。複数の情報は一箇所に集約され、そこから適宜”必要だと思われる”部署へ情報は流れていき、巡り巡ってその結果はオーダーの出所に戻って来なければならない。 こんなこと書いたら切りがないけど、どうやら”オエライサンたち”はコンピューターの”一面しか”見ていなかった。それはいわゆるメリットとよばれるもので、ひとつあげるなら「時短」、手書きの伝票がなくなるから、紙もなくなる書く手間が省ける、伝票を手書きする手間が省けるなど””良い面”ばかりが強調されていたのだろう。 で、実際はどうなったか、 先ず、Input側。ソフト設計者の「勝手な思いこみ」で、初期画面が出るのだが、そもそも端末があちこちに置かれていて、そこに行く必要がある。されに、電源を入れて、立ち上げまでのメッチャ長い時間を待ち、IDだ、パスワードを入れて、又待たされてからようやく画面がいくつか出る。これを数回繰り返して、ようやく伝票画面に”辿り着く”が、項目配列がメチャクチャでチェックすべき項目を探す手間、「コメント」項目を探し当てて、キー入力する手間、さらに、あれこれわけのワカ

優柔不断、相も変わらず;8月29日の火曜

体内時計だけは健在だ。 いつもの時刻に目が覚める、けふは29日の二重苦日。 このところ腰が重たい、 かようなときは変な勘が働く。案の定、妹JNKからLINEあり。 例の会合について、気遣いの問い合わせだ。 私は、兄から先日も指摘された;「おまえは、いつもはっきりしないから、、、」 つまり、相手の確認をしっかりしないで物事を進めてしまう。 つまり、見切り発車とでもいうものだろうか。 事のホッタンは、先々週だかそれ前のこと。ある会合への出欠を○日17時までに担当者へ出すようにとのチラシがあった。私は、即出席のところに丸を記したが、ヨケイなコメントがあった。それは、同伴者の有無だ。 これには困った。よそうできる数人を思い浮かべて、それとなく打診するも、全て”ノー”(正確にはノウと発音するのだノウ)。 そこで、なんとなくJNKに声をかけたら、都合をつけるからとの返事あり(優柔不断その1)、 受付期限があるので、その前日、知人へ申込書を別の書類と一緒に渡した。 これが、最大の問題だったと、今になっては思うのだが。 つまり、渡した書類3枚のうち、この1枚にメモを添付すべきだった。 なぜならば、提出先の某とは、当初から気まずい雰囲気(トーゼンあちらさんも同じだろう)にて、直接渡すのにはかなりの抵抗があった。(優柔不断その2) だが待てよと、当日の朝、銀行員の旦那が不安を漏らす。 そんな内輪の会に、無関係な人を連れてっていいのだろうかと。 うーん、正論だと思う。(優柔不断その3、、、) と、書いているうちに、、、、 そこで気分転換; こちらをどうぞーー>https://mouroku1949.exblog.jp/28615671/

私のオシゴト;8/28、火曜日

先ず、昨日のこと、27日、月曜日。唯一の週1の休息日。 庭のBQの後始末や、畑の整理であっという間に半日がつぶれる。 ふと、ヤマの林、畑のことを思いだし、数か月前に母屋の古い郵便物などの入った(引き出しにあった書類を広げた。日付は昭和63年とある。 昔の青写真みたいなコピーで薄れかけてわかりにくいが辛うじて方角と、道、地名らしきものが書かれている。 場所がわからない。 スマホのナビで探すも、昔の地名らしく、、、、、。 そして、今日。いつものようにチャリで出勤。数か月前からふら付く私、体重は一度に10キロ近く減って、そのまま増えない、、。兎に角食べて、足を鍛えることの努力はしているつもりだが。 さて我がヒジョウキンのオシゴト。 この日は、懸案の問題ケース2件、2名あり。 先ず、AM; 73歳男性、経過がどこに記載されているのか、5月から数回知人に言われている、、。 そして、何の気まぐれか、気分が良かったのか、昨日来て検査をしたとのこと。 さらにその知人付け加えて曰く、「キマグレだから、今日来るか、あるいは来ないか半々以下。」 だが、10時過ぎに訪れたその人は、予想に反して柔和な表情の男性で、拍子抜け。 先ず、うちのアホ娘がHPを見て、是非とも行きたいと思っているが機会ないと雑談から入る。そして、本題。 気になるデータが複数あり、体重も減る傾向あり、、。某大ビョーインでの治療をすっぽかしているとのことで、早めにそちらへと話す。頭を抱えるわけにもいかず、、、。 もう一人は、同年輩の恰幅のいい女性、高血糖と高コレステロール、下肢、下腹部の違和感で5月に受診した。  早めに少量の安い薬を開始、症状はやや軽減するが、コレステロールは変わらず、体重もようやく1年前に戻った程度。 薬は増やしたくないが、やむを得ない。コレ捨テロールの薬も追加となる。 お食事は?と伺うと、「ご飯はあまりとらない、、」 しばらく沈黙後に「でも、ジョセイって、甘いものが好きでしょう、、、」 何故か知らないが、お店の関係で甘いパンが手軽に食べられるカンキョウらしい、、 やんわりと、「それって、少し減らしたほうが、、、」

バーベキュー 秋刀魚丸ごと 食いにけり、8月26日、日曜日

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けふは27日の月曜日、 昨日の友人夫妻の送迎については、どこかに書いた。 ともかくも、3人だけだがバーベキュー、材料調達をと、駅前のモールに車を停める。広大な敷地と店内、出入口がいくつもあるので混乱する。オレンジ、ブルーン、レタスに戸惑うトマト、定番焼きそばには、これがウィンナ、モヤシに冷凍の開戦じゃなくて、海鮮セット。彼らは飲み物、知らず量がかさばり、手持ちの袋が間に合わず、奥さん持参のトートバッグが役に立つ。 ようやく、炎天下の駐車場から抜け出す。雄大なASM山が車窓前方に広がる道をはしり、バイパスに入る。2つ目のICで降りると、もうわが家近くで、公民館の広場に駐車。重い食糧品の袋を抱えて無事到着。早速BBQ台をセットして、火を起こす旦那と、野菜を洗ってサラダを準備する奥さんの両方の手助けが始まる。 炭に火が入る。 真っ先に食べたいもの、秋刀魚を並べる。味は塩だけ、 少し黒焦げとなるも、私は、頭と尻尾だけを残してワタと骨も食べる。 ガキの頃、古い土間で遠い親戚の人が焼いた秋刀魚を食べていた。 その人は,地下足袋を履き、頭に鉢巻をしていたが、多分祖父母が田圃の草取りか何かを頼んだのだと思う。 古い田舎の家では、お客さんは、畳の間に上げる人と、そうでない人の区別がはっきりしていて、このオジサンは後者だったと思う。 いつか時期は不明だが、お酒をやはり土間の板の間で飲みながら、スズメの丸焼きを食べるオジサンがいた。 「坊主、食うか?、これはオネショに効くぞ。」と私をからかった。 私は、オネショをした記憶は薄れているが、このオジサンが何となく好きだった。 そして、年月が流れ、私もあの手ぬぐいのオジサンと同じかそれを超えるトシになっている。 そして、秋刀魚を食べるときは、ワタごと全部食べている。 ワタにこそ、うまみと何とも言えぬほろ苦い味があり、遥か昔の記憶とともに楽しむようになっている。 と、卒爾ながら朗報。 突如、豊漁に沸くどこそことのニュースあり、  あー、今度は 刺身で食べたい。 昔、北海道の浦河で食べたお刺身、懐かしい。

月下独酒、憑きの下(もと)、8-26、日曜、晴れ

26日の日曜、古くからの友人夫妻と結局、丸一日お付き合い、お月相見(まみ)える。 18時、ホテルから車を出し、夕日を見ながら 月が昇る。満月の光の下、有名な李白の詩が頭に浮かぶ; https://ameblo.jp/sakasyo-nakamura/entry-10034313789.html

物忘れ たまにゃーそのまま 忘れたい; 8/25、土曜日、

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8/25、土曜日、 4時半前に、自ずと目覚める。薄明るくなった空にはお星さまの燃えカスのような光があり、蝙蝠が飛び交っている。庭の雑草を少しむしっているうちに、星は消えて、東雲がさらに明るさを増す。 未明からの腰の重たい感じに悩まされ、髭剃りをしながらまずはウォーキング。身体が少し解れてきたら、軽いジョッギングをする。ずっと放置したため、倒れ掛かっていたピーマン、シシトウ、茄子の支柱を追加補強をし、チャリに跨る。 ラジオを勤務先に忘れたので、風の羽切音がBGM. 田圃脇を流れる水路から漏れてくる躍動感のある音、遠くを走るトラックの音、早朝はボケ頭をレフレッシュさせ、徐々に高揚させるパワーがある。 水田には、カルガモの親子が佇み、農道の途中には、車に跳ねられて顔に血が付いた狸が横になっていた。生と死が混ざり合い、何事もなかったように日々は経過する。 昨日は、ふと思い立ちTGC小学校へ立ち寄った。 高校の同級生が6月頃に職場復帰をしたというので、スマホナビを見ながらチャリを漕ぐ。 場所は、昔、小学校の遠足でいったことのある、GRYK。行ってみてわかったのは、そのお城の跡が小学校になっている。意陸地がわからないけど、ナビを片手に細い道を進んだ。 道路わきには、キョウチクトウなどの花が咲き乱れている。 その手前の三叉路には、ちょっと変わった標識あり、こりゃ何だ。 日本で一番海から遠いところ、 世界中で一番 辿り着きたいとこは   、、誰かの歌にあったっけ そうだ、忘れないように。 今日は図書館で本の返却日。このところ、もの忘れがひどくなったので、、、

一人相撲、独り住もう:8-24. 金曜日

金曜日、 昔読んだ小説だか物語に「フライデー」と名前をつけられた人が登場していた。ロビンソン苦労荘だか、何だか。なんとかソンだから、北欧系の名前だから、英国だったような気がする。 ガキの頃、校舎西隅で購買室放送室の南側にあった図書室で読んだ本。夢中になってのめり込み、辺りが暗くなってから、誰かに追い出された記憶がある。 当時は外国の、特に英国たるは、世界に冠たる大帝国だというステレオタイプの価値観が、田舎のガキに染み込んでいた。 そして、時代は変わる。中島みゆきの特有ながなりたてる声をBGMとして、(それにしても、なんで北海道の歌手は、飛び抜けた歌唱力があるのだろう。デッカイドーは、私みたいなボソボソ声は通用しない。)、気がつくとスリーデッカイドー、じゃなくてディケイド、60年もの歳月が流れている。 かつての憧れの国は、何故か一度だけだが、ケンブリッジ、ヨーク、エジンバラなどをイイカゲンにマーケティングて、いくつか認識を改めた。 まず、お料理の不味さは、想像以上だったが、何故か紅茶だけは美味しい。しかも、電圧が日本の倍なので電気ポットですぐにお湯が沸く。ワクワクのティータイムだった。 そして、1階と2階の区別。これはドイツを含む北欧(うィーンより南は行ったことないからわからない。)に共通することだが、家の玄関先にかいだん ここで電話あり、中断。 もー、デンワ 階段、半階段あり、それを登ると入り口すなわち玄関。靴のまま入る所が1stフロア。そこから、下に降りるとBase 。これを日本語で訳すとヘンになるから、そのままがいい。 そして、一番気になったのは、階級社会。大学の守衛の英語が通じない。これには、焦った。彼曰く「パイパーにナイムを書け」、エーッ? すると、「コイツ、エーゴモシランプノカ」と、ぶつぶつ言って、手元のリスト表を指差し、書く真似をする。 ここでやっと思い出す。オーストラリアの英語。「A」を「アイ」と発音する。ホワイトカラーのクラスなら、勿論あのカックンカックンのキングズ英語が通じる。 前置きが長すぎる。 つまり、かの漂流記を書いた人は、労働者階級以下のヒトの形をしたイキモノとして名前を付けたんじやないだろうか。 今の米国のトラチャンも同じハラグロサクソンだから、言動見れば、本音が 丸見え。だから、今までの大頭領(変換

朝のコーヒー、臨機応変; 8・23 木曜日

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8月23日、木曜日、 前日の夜半、戸棚の隅にドライ・イーストがあるのを見つけた。 昨年、何時だか忘れたがどこかで買って、2-3回だけ使った記憶あり。 強力粉も残っていたので、テキトー量をボールに入れ、バケットでも作ろうかと塩だけをいれた。 イースト量も目分量、朝のブラックコーヒー(ハラグロだから砂糖なし)が残っていたので、ためしに少し入れてみた。パン作りの利点は二つ、先ず手を使うから余計な洗い物せずにしかもストレス解消、そして、手も綺麗になる。ムカシは車を洗ったあと、石鹸で洗っても落ちなかった汚れが、パン作りで、、、、、。あとは、濡れたクッキングペーパーを被せて一次発酵へ。この日の室温は31度もあったから、電子レンジ使わないでいいだろうとイイカゲンな判断。 朝目が覚めて、愕然。膨らみ不十分。これは、イースト菌への砂糖が不足していたのだろう。 そこで、ピザに方針変更(放心ジョータイからの離脱)。 5時半過ぎ、登る朝日を眺めつつ、チャリに乗る。途中のポストに葉書を投函。 一仕事終えると、8時10分過ぎからはTVでお勉強、  昨日だかいつだかの昼は”戦時中の食事”  海水から塩を作るのにコーヒーフィルターを使うといいらしい    こうして濾過した海水を煮詰めて塩を作ったとのこと、、、  この情報が頭に残って、今朝は職場にフィルターほか一式持参。  ピザ生地にカボチャ、バナナ、チーズなど載せたのをトースターで焼いて  淹れたてのコーヒーを飲む。 さて、けふのテーマは「カレーとウェルシュ菌」、食中毒  ポイントは室温なら4時間以内に食べることと、  加熱してもダメだということ、  そして嫌気性で芽胞形成と同時にエンテロトキシンが産生されるということ。 「カレーは一晩置いたほうがウメー」というが、とんでもない。 増殖したこの菌は、いくら過熱しても無効な芽胞形成しているし、 病原性のエンテロトキシンがなくなるわけではない。 (より重篤な出血性大腸炎では、生命の危機に晒される事も少なくない。)  お役所のHPはわかりにくいが、ウェルシュ菌の増殖云々については https://www.jstage.jst.go.jp/article/shokueishi1960/30/2/30_2_123/_pdf にデータあり;  >

次から次へと、、、、;8/22の水曜日

8月22日の 水曜日 スイスイッとは いかぬのか デプレってると腰痛がモソモソと顔を出す。 3時、鈍痛で目が覚める。 軽いストレッチで、本日はジョギング中止、チャリで田圃道を走る。 考えるよりも行動。 心地よい風を受け、背中にたっぷりの汗も、すべて拭いとるとすっきりできる。 9時5分前、7番の部屋。無造作に置かれたファイルが数冊。 黙々と単身、仕事をこなす。 いつものこと、わけの判らぬ受診者2名。  一人は、電話で相談したら云々と、 もう一人は、さらにわからんが血圧がどうのこうの、 いずれも、薬手帖もなし、今までの経緯も不明。 質問しても、曖昧な返事、、、、。 さらに、いきなり点滴だけしてくれという男性。筋骨逞しく、見た目は何が何だかわからないけど、隣のベッドに横たわっている。 これも、経過は受付した誰かが書いたメモ書きのみ、、、、勿論薬手帳もないが、どこかに受診しているらしい。 後で確認したら、車椅子でないと歩けない状態だったらしいが、そんな情報も私には来ない。 尊大な件の男性に、ゆっくりと話し、先ず検査をしてからと勧めるが、無言の反応、 モニター画面で過去の記録を見ると、10年ほど前の入院記録あるも、ほか不明 更に困るのは、後でモニターチェックするもそのPtがリストに載っていない?? 翌日23日、事務に聞いてもわからない、外来のNrsに聞いてもわからない。  ♪ オウチーを聞いてもわからない     ナマエーを聞いてもわからない、、、  童謡”犬のおまわりさん 動揺するばかり

窮すれば通ず??;8/21、火曜日、晴れ、CHM-Hp

けふも、3時頃から目が覚める。ネグラのドアを開けると寒気が入り込む。 庭に出て東の空を眺めると、オリオンと、冬の大三角形の星が輝く。スマホを取り出して撮影を試みるも、うまくいかず断念。 ストレッチ後、上下のトレーナーを着こんでジョギングに出る。まだ薄暗いバイパスをトラックなどが次々と通る。信号機のある交差点で左折、そこからストライドを変えつつジョッギング開始。持病の腰に負荷をかけないよう、そして骨盤が少し前傾するように配慮しつつ走る。道路の傾斜はほとんどなく、まだ車も通行人もいない時間帯、一辺250m位の正方形の道路で、今のところは一周だけ。慣れてきたら2-3回にアップする予定。  朝食後にシャワーを浴びて車に乗る。 この日は、叔母の状態でが眼科受診を考えての車だが、結局は従姉妹からOp希望しないといふ消極論あり、こちらも意欲減退。 いつもより早くに帰宅、何をする元気もなく、、、釜飯に米少な目と野菜たっぷり、味は醤油のみ。 火を調節して焦げ目が少し、以外と美味い

これから・・・・・;8/19 日曜、S市から車を

これやこの いくも帰るも   、、、 知るも知らぬも あふさかのせき 何故かこの詩がが浮かんだ。 私は西に行くか来たに戻るかで迷っている そのためなのだろうか 作者とされる蝉丸が住んでいた「あふさかのせき」、現在の場所は定かでないらしいが、昔は 東海道、東山道から京都に入る、あるいは出る関所とのこと 関所とは、https://dictionary.goo.ne.jp/jn/123510/meaning/m0u/ >>交通の 要所や国境に設け、戦時における防衛あるいは通行人や物品の検査に当たった所。古代においては軍事的目的で設置され、中世には 関銭 が 幕府 ・ 豪族 ・寺社の重要な財源となり、その徴収を目的として各所に設けられ、交通・商業の障害になっ 関所の西が関西だけど、昔は畿内と呼ばれていた。

もうひとつあったが、笑うが勝ち。8月20日の月曜日、

ボケ頭、オーバーヒート、気をつけよ この1週間、少なくとも、もうふたつの事件があった。 追加その1、 16日の木曜日、またまた人生初体験。訳の分からぬまま救急車に乗った。 ----> 追加その2、 TKMZW SGのジーちゃんが亡くなった! 夕方のこと、そろそろ帰ろうと仕度をしてたら、MSAKくんが、いつになく 浮かない顔で現れた。そして、ポツリとひとこと。 エ~っと驚く私。ようやく食べられるようになったというのに、 お孫さんの○○ちゃんが、さぞかし悲しんだろうに、、、

8/13-8/19;振り回されっぱなし、、、、

振り回されっぱなし、、、、この1週間は。 <その1> 本日は20日の月曜日の午後。わたし個人的にはかなり気を使って、あれこれ手配した”つもり”だったが、とどめの一撃は、、、 こんがらがっているけど、私が良しと思ってしたことが相手に、理解されていない?ということなのだろうか。広いようで狭いこの業界、私は20年以上前からのお付き合いのある人(A氏としておく)と本日ようやくコンタクトが取れた。  それを問題の人物に連絡しようとしたら、本日不在で、明日もお休みらしい。先週の木曜日に、件の人物に声を掛けたら、どうも悪性のものらしい。けれどもその施設ではすぐに手術できず、、ということ。それなら、私はA氏が昔言っていたB氏の名前を挙げた。 この”余計なこと”が問題となった。 結論からいうと、件の人物は、私の気苦労を無視して勝手にB氏あての紹介状を書いてもらったらしい。困ったのは、A氏はむしろ別のC氏を推薦し、そこなら定期的に行っているからいいだろうということになった。  私は非常勤で、余計なことをしていいのか悪いのか、その線引きがわからない。 件の人は、もともとそういった配慮にとぼしいのだろうが、、、、。  教訓その1; 相手の性格が不明瞭だったら、余計なことはしない。 <その2>8/12-8/16 8月12日、日曜日の夜、突然に従姉妹からLINE電話あり、 それは-----> 爾来、私は、朝は94歳の母を見て、夕は92歳の叔母を別の施設に見舞う毎日となった。 だが、2週毎に頼まれている200キロ先の視閲もあるから、移動日が必要。 <その3>8/14と8/17 鬱になった恩人と会う。 ------> <その4> 8/17と8/18 15年前からのお世話になった人と事務長との会談 <その5> 叔母の退院騒動と、眼科受診 ----> それは 明日へ

Yasukuni Shrine;&Prime Minister ;8月15日(水)

今、S市の某施設にいる。今朝、およそ半年ぶりにジョギングの真似事ができて、気分も落ち着いた。そう、けふは18日の土曜日。 水曜日のことを思い出す。この前日のメモを見ると、用件二つ(昼に病院と夕方お寺)のため車で移動している。徐々に記憶の糸を辿る、、、 自転車で出勤し、いつものように、部屋の洗面所で上半身を洗う。ふと気になっていた蛇口周りの汚れ、バッグ内の硬くなった歯磨きチューブを取り出して、ゴシゴシ、ゴシゴシ。黄ばんだ汚れを取ると、気分も爽やか。ブサイクな顔にも笑顔が自ずと出てくる。 カレンダーをみると、大安だ。手帳によっては、この記載欠如がかなりある。忙しい社会人にこそ必要なのに、不思議なことだ。 さて、15日の水曜日、午前のデューティーは早めに終わり、正午直前にテレビのある2階にいく。 武道館会場が映されており、私は、お弁当を机の上に並べながらコップに粉茶を入れておく。 時報の合図で、1分間の黙祷が始まる。 平成最後の記念日、両陛下最後のご参列だとアナウンサーは語る。 程なくニュースが流れる。午前、総理は千鳥ヶ淵に参拝し、Yasukuni Shrineへは代理が「私費」で玉なんとか料を出したという。毎年繰り返される、この奇妙奇天烈な表現。そしてチョートー派云々の一団とコメントが流される。前者は是(ぜ)、後者は何となくウヤムヤ。コーエー放送も、辛い立場で、言葉選びに神経を使っている。 以下は私の”毒断変研”。 その根拠は、無責任な新聞テレビなどのメディアを一切排除している。 奇妙な国、ニッポン。私みたいなヘンなのもいるし、名も無き多くの縁の下の力持ちもいる。 センキョ前の米つきバッタが、一転してフンゾリカエリ、国費を無駄遣いにしている、それもニッポン。 そして、セイギのマスクをして、お隣さんへゴチューシンする人物もまた存在する。 ”Yasukuni”は、お隣さんがワルイのではない。 弱肉強食、強いモノしか生き残れない砂漠の思想の国と、緑豊かな瑞穂の国の思想では、ハナシにならない。彼らの怖さを知らない、あるいはしっているからこそモンダイが捏造されたのだろう。 セイギのふりしたニホンジンらしき人物は複数、あるいは予想以上におおいのかもしれない。 それゆえ、カシコイ総理はゴカイを招く愚はしない。これはトーゼンのこと。 一見

時代、変わるモノ、変わらないモノ、65年前の記憶、8-13.月曜日

月曜、dutyないが、習慣で職場へ行く。 先夜のJAF騒動で、車は恐いから、自転車、CKM-Hpで母といつも通り会う。 すると、妹からLINEで14時集まるとのこと。 前日、日曜日の大騒動で、NKGMのHpへ緊急入院した叔母が気がかり。面会は9時だか10時なのかわからない。 8時ころだったか、自転車を駅前の叔母宅玄関脇に置き、家に入る。 中に入るのは半年ぶりだろうか、ふと見るとキッチンではまだ朝食中。昨夜は遅くまで病室にいたとのこと。慣れぬ手つきでコップや靴下に名前を書く従姉妹と話をしながら、ともかくHpへと出かける。私は、先に出て駅前のポストに投函してから、隣接するHpビルに行くが、入り口が分からない。 すると、手招きする従姉妹たち、入り口がいくつもあって、カッペイには判りにくい。 3階に行く。ぐるっと回って、病室に入ると、ベッドに抑制されて、蠢く叔母の姿。急いで駆けつけててを握り、声をかけるとようやく落ち着く。左足に点滴ルートあり、これじゃあ、そのルートも抜かれてしまいそう。でも抜けないように出来る方法があるのに、しようとしない。ただそれだけのこと。 HPを見たが、チイキ包括ケアシステムのモデル云々、つまり「時代の要求」、お上の作ったシステムを如何にして利用していくか、営利追求の思想そのもの。肝心の視点がズレている。 抑制バンドは、管理する側主体の発想。 彼らは、逆の立場なんて,考慮すらしたことないだろう。 つまり、経営する側の基本姿勢は、もうこれで十分判る。 人の痛みを知らない医療者、どこかのマニュアルそのままのシステムが寒々しい。 不安げな従姉妹を病室に残して、私はネグラに戻る。途中のスーパーで食品を求め、チャリを漕いで集合場所の前を通過するが、14時に車が一台も無いから、そのまま通過。自宅のベッドに寝ころんでパンを囓っていた。 すると、30分後に妹からLINE電話あり、もうみんな集まっているよと。 私は、よっこらさとチャリに乗り、数分後に駆けつける。部屋は、机が2つ繋がって置かれ、親戚一同8名と赤ん坊1名、そして、3歳と5歳のガキが、隣の部屋ではしゃぎ回っている。私は母が座っていた場所、つまり最年長の席、「なんだ、一番のジジーか」と座る。後ろでは、二人のガキが嬉しくてたまらないとグルグル走り回る、その手が障子に触れて穴

朝から晩まで、、、8月12日、日曜

この日も盛りだくさん。 母と叔母の久々の面会、草むしりと夕立豪雨、鬱の知人からの電話。大船の従弟来訪、KMRの妹夫婦の来訪、 急展開はNKGMの叔母の緊急入院、 トドメは、J AF騒動。 まずは、94歳と92歳、姉と妹の再会。NKGMの叔母は、体調に波があるという。起床の状態をみていとこからのLINEで車を動かす。

人と会う、face to face ; 8/10、金曜

10日の11時、私はHp玄関脇で待っていた。何時にも増して落ち着かないのは、母の病状を、その悲観的事実をどう伝えたらいいのか、ずっと考えていたからだ。 と、スマホがバイブれし、少し遅れるとの妹の声が飛び込む。10分後に、それらしき車が、見えたので迎えに出て驚く。妹夫婦と3人の娘と乳児、来月に式を挙げる三女の相手まで、それぞれの車から顔を出す。 挨拶もそこそこで、病室に行く。酸素チューブを鼻に着け、円背で窓外を見ていた母が、こちらを振り向く。大きく見開いた目を見ただけで、母の感情がわかる。私は無言のまま、6名の背越しに母の顔を見ていた。 妹が予め用意したふくさが、来月式を挙げる二人に手渡された。皆終始笑顔だったが、私だけは、 

台風接近、ドタバタ、複数の大波浪;8/8、木曜日

雨が昨夜から降り、今朝。庭に出しっぱなしの自転車を慌てて軒下に移動させた。 昨夕は、CKM川沿いのホテルで会合あり、ノコノコ出掛けて行ったが、あまりにも参加者が少ない、そして興ざめなことに、年配の女性が持論を延々と発表。空気を全く読めないのか、それもわからない行為だった。でも、座長は、偉いのか恐れをなしているのか、途中で遮ることなく、大演説が終わるまで発言を認め、あまつさえ謝辞まで述べた、、、 まあともかく、帰宅したら、ドアの入り口と、手前の母屋の濡れ縁にそれぞれに荷物あり、その置き具合から、KMRの妹に電話した。既に21時半過ぎだったが。 電話でもうひとつが近所の義妹とわかり、LINEでお礼の連絡をした。 中身は、其々野菜など、夕飯はホテル会場で済ませてきたので、さてどうしようかと、狭い冷蔵庫をやりくりす。 そして一夜明けた。天候をみて車で出発。 窓の外では、雨が終日、風も強まるらしい、大波浪か、 仕事のポイントは、、、、いうならば孤軍フントー。まあ、それでも味方はちらほらあるから、何事も辛抱、辛抱、信望、心房細動、、、、、? 午前も午後も、予定外の飛び入りなど、 午前は、11時半、なんでこんなに遅くかと、理解に苦しむが。67歳の男性、○○で、ここから、またも、重荷を背負わされる、、、。 そして、ひとつをなんとか、切り抜けると今度は、第2波が、そして、2Fに行くと代の波、後からあとから押し寄せる、   --->別のBLGに書こう。

今頃なんで、夏時間?と野球判定?;8/7のニュース

昨日、地元の高校が甲子園で接戦を制した。 テレビなんてシャレたものがないから、今朝のラジオニュースで初めて知った。なんでも5-4で逆転勝ち、それも、大会初の「タイブレーク」を制したとのこと。 SNSで、どんな試合だったのかと調べてみて驚いた。「誤審、「ゴシン」のオンパレードだ。いわゆる判官びいきのようだが、実際はどうだってのだろうか。ご丁寧に動画があるので複数を拝見、全て同じ動画だが。  ダイレクトキャッチと思いきや、、、よく見ると、クラブの向きが下になっている。上向きなったものが、直後に下向き。これではボールが確認できない。 確かに一瞬ボールはクラブに入ったように見えたが、その直後、向きを下にしている。なぜ手首をこのようにしたのだろうか?この外野手は、そのクラブを高々と持ち上げる「パーフォーマンス」をした。それをする必要があったのか、どうか、それはわからない。 素人のわたしは、何故クラブの手首が下向きになったのか、そして、その直後にそのクラブを鷹出高と挙げる行為をしたのか、それはあくまで推論しかできない。 参考に、野球規則では、次のように書いてある。 >>2・15『キャッチ(捕球)』  野手がインフライトの打球、投球または送球を手またはグラブでしっかりと受け止め、かつ、それを確実につかむ行為であって、帽子、プロテクターあるいはユニフォームのポケットまたは他の部分で受け止めた場合は捕球とはならない。またボールに触れると同時、あるいはその直後に他のプレーヤーや壁と衝突したり倒れた結果、落球した場合は捕球ではない。野手が飛球に触れ、そのボールが攻撃チームのメンバーまたは審判員に当たった後に、いずれの野手がこれを捕らえても捕球とはならない。野手がボールを受け止めた後、これに続く送球動作に移ってからボールを落とした場合は、捕球と判定される。要するに、野手がボールを手にした後、ボールを確実につかみ、かつ、意識してボールを手放したことが明らかであれば、これを落とした場合でも捕球と判定される。 http://urawa-senior.net/kisoku.html つまり「 または、他の部分で受け止めた場合は、捕球とはならない 」 としているから、審判の判断は、目で確認できない(クラブフェイスを変えた)行為がり、他の部分(地面だろう)で受け止めたと解釈で

Face to face;8/6,月曜日

30-8-6 月曜日、この日はアラーム作動せず、自転車ではなく、車を出す。 7時少し過ぎに、職場へ。 10時、市役所から介護認定の調査員が来る。時間丁度に行くと、先日お世話になった支援センターの所長さんも臨席し、およそ1時間かけてお話する。 気になったのは、車椅子に対する見解の相違。18年ほど前、父はいつのまにやら車椅子に乗せられて、認知症は急速に進行した。 関係者一同に会しての集まり、情報共有。各々、夫々の立場から、見解が出る。 まあ、それはそれでいいのだろうが、いわゆる専門家といわれる人のステレオタイプの考え方、事務的の処理しよう基本的な流れに、ヘソマガリの私は違和感を持つ。 イガッカイといふ集団があるらしい。かなり前からGL(ガイドライン)なるものがあり、それを金科玉条のごとく捉えている風潮が気になる。一方では、テイラーメイドなんとかといって、一見矛盾するかのように捉える人もいる。 組織とは恐ろしい。文書化されたもの、それはひとつの切り口であって、かなりの確率で有効と思われるメソッドが提示するらしい。GLとは、私みたいな頭も性格も悪い輩には、何度読んでも理解できないものだと、諦めている。 明確だと思われるのは、ソショー対策。誰が責任をとるのか曖昧な日本のシステムで、、 まー、誰もが自分がカワイイから、、、、。 アカシンゴー、ミンナデワタレバ コワクナイ。 アホらしくなって、早々に自宅に戻る。庭の草むしりをして、所用を思い出す。そこで、東隣の先輩、年は知らないが80代か、サンダル履きで訪問した。このお家は小川を挟んで広大な畑がある。今回初めてその畑に入った。ビニールハウスにはトマトがギッシリ生っており、大先輩はひょいっとかなり大きなトマトをひとつ捥(も)いで、それを手渡しながら、世間話をする。東京の叔父のことやら、肝心のことが最後になり、ああそれなら、隣の家に行くようにといわれて、そこを辞す。 トマトがデカ過ぎてポケットにも入らず、しかたがないから、隣の家のブロック塀の上に乗せて、ようやく、連絡事項を済ませた。夕方5時半頃、さて帰ろうと、狭い道路を横切ると、先ほど延々とナが話をしていたもう一軒のおばさんが円背でS(シルバー)カーを押しrなが声を掛けてきた。(名前と顔がまだ一致しない、ちょうど、軽トラで東隣のご主人が帰宅し、名

愚考、愚行、右足痛;8/5-8/6にかけて

またしても、愚行。いつまで繰り返すのか、情けなし。 8月6日、月曜の朝、寝坊をした。というのは、月曜日は4時45分のアラームをオフにしているから、5時半、つまり一時間もの寝坊といふわけだ。 昨日は、帰りのチケットが見当たらなくて、実に6時間以上のタイムロスをしてしまった。その挙句、TKY駅では、残り3分かと絶望感にさいなまれるも、運よく列車の遅れで助かった。 「運」といふのは、「運ぶ」と書くように流れるものとどこかで読んだ記憶あり、けれども、その出典、根拠はさてどこだろうか。 ただ、単純にご先祖様の助けかもしれないし、KGBに助けられたのかもしれない。 それは確認する必要などないし、そうしても意味はないだろう。 痛む右足底には、幸い水疱なし。朝のシャワーでもそれは確認した。 スマホの記録を見ると1万9千、+7千と数百、つまり、昨日は実質2万6千歩も歩いたことになる。 昨夕、妹からのLINEでジャガイモ云々のこと、調子に乗って、友人たちにコメント替えて配送した。何人だろうか、半数ほどからそれぞれ個性的タイミングでレスあり、それにスタンプを選んで送るのもこれ気晴らしになる。 ともかく、最終の新幹線、SKDRからの接続はもうない。 かくして、只管終戦後のシベリア帰還兵さながらにトボトボ歩く羽目になった。不と東の空を見ると、上弦の月が浮かんでいる。時々爽やかな風を纏いつつ、右手にぶら提げた非常食糧、好物のパンを齧りながら歩く。 ようやく、NKGM駅付近に着くも、夜間の複雑に入り組んだ昔の小路、道路といふには当たらない小径路とでもいうのだろうか、そこを夢遊病者のように歩く。徘徊とは、こんな行動も含まれるかもしれない。 自転車は、従姉妹が気を利かせたのだろう、道路の反対側に移動させてあった、、、、 月明りで、縁側に置かれたジャガイモをみて、冷蔵庫を開ける。悪くなりかけの肉とレバーを水洗し、野菜と煮付け、横になったのは1時半過ぎ、、、

8月5日の日曜日、SKRから電車で戻る

5日未明、3時前に眼が覚めて階下のトイレへ。そのまま寝付けず、安部口新田のNTHさん宛の暑中見舞い葉書を書く。そして、6月16日、もう1ヶ月半も経った一周忌のBLG記事を編集書き込みす。---教訓、下書きにせず、少し書いたら即オレンジボタンをクリックしたほうがいいーーー 廊下を歩きながら、骨盤部の筋肉を意識して使うが、未だにKGBのことが身体の何処かに纏わり付く。そこの角を曲がると、ひょいと現れるような、そんな錯覚すら期待してしまう。 しがらみとでもいうのだろうか。 気になって調べてみると、興味深いコラムを見つけた >>>.「しがらみ」は, 現在,ネガティブな意味で使われます.しかし「し がらみ」の語源は「木除杭(きよけぐい)」とされ, 増水の時,流木等が橋脚を直撃しないように防ぐ柵 (さく)です.そこに流れてきたものが纏わりつく 様から「しがらみ」=纏わりつくものとなり,人間 関係の困難さを表すようになったとされています. 社会学者、北村 薫氏のPDF; https://www.juntendo.ac.jp/hss/albums/abm.php?f=abm00016076.pdf&n=vol68_p029.pdf   更に続けて >>>もともとは,橋脚や土手を守るもの,水の流れを穏 やかにするものが「しがらみ」なのです. >>> 私たちは様々な「しがらみ」によって守られてい ます.家族の「しがらみ」,地域社会の「しがらみ」, 出身高校の「しがらみ」,職場の「しがらみ」等々. それはある意味では面倒くさいものです. 最後に漱石の有名な「草枕」を例示して >>>「智(ち)に働けば角(かど) が立つ.情に掉(さお)させば流される.意地を通 せば窮屈だ.とかくに人の世は住みにくい.」と書 いています.明治時代も,現代も, 人の世は住みに くいのです.それを前提にして,「しがらみ」に守 られて生きて行く人生,そういう人生設計もよいも のと思います が,いかがでしょうか うーん、、、、、と唸ってしまう文章だ。 私にこんな文章が書けるようになるのは、一体いつになるだろうか。 北村 薫氏はこのコラム冒頭でこう述べている; >>>社会学は「常識破壊の学問」といわれることがあ ります.多くの人々が「当たり前」と思っているこ とに,「

顕微鏡的多発性血管炎;3/21のメモ 尿潜血、赤血球円柱

3/21のメモ; 尿潜血、赤血球円柱 >>顕微鏡的多発性血管炎; 1994年に米国Chapel Hillで開かれた国際会議において、これまで結節性多発動脈炎と診断されていた症例のうち、中型の筋性動脈に限局した壊死性血管炎のみを結節性多発動脈炎と定義し、小血管(毛細血管、細小動・静脈)を主体とした壊死性血管炎は別の疾患群として区別されることになった。後者は、血管壁への免疫複合体沈着がほとんどないことと抗好中球細胞質抗体(anti-neutrophil cytoplasmic antibody: ANCA)陽性率が高いことを特徴とし、ANCA関連血管炎症候群と定義された。このうち、肉芽腫性病変のみられないものが顕微鏡的多発血管炎(microscopic polyangiitis: MPA)と定義された。 http://www.vas-mhlw.org/html/kaisetsu-iryo/3-1-1.html >>男女比はほぼ1:1で、好発年齢は55~74才と高齢者に多い疾患である。 年間発症率はドイツでは百万人あたり3人、英国にでは百万人あたり8.4人と報告されている。わが国の難治性血管炎に関する調査研究班の新規発症患者コホートでは、発症時平均年齢71.1歳、男女比は1.2で女性の比率がやや高かった。 原因は不明である。アジア系集団では、HLA-DRB1*09:01、HLA-DRB1*11:01がリスクアリルとする報告がある。好中球細胞質の酵素タンパク質であるミエロペルオキダーゼ(MPO)に対する自己抗体(MPO-ANCA)が高率に検出されることから、背景に自己免疫異常が存在すると考えられる。このANCAが小型血管炎の発症に関わることが判明してきた。過去の研究班コホートでは、78名中97.4%がMPO-ANCA陽性、2.6%がPR3-ANCA陽性、1.3%がANCA陰性であった。最近、好中球細胞死の形態である好中球細胞外トラップ(NETs)の制御異常がANCA関連血管炎の病態形成に関与することが報告されている。 発熱、体重減少、易疲労感、筋痛、関節痛などの全身症状(約70%)とともに、組織の出血や虚血・梗塞による症候が出現する。腎臓では壊死性糸球体腎炎が最も高頻度であり、尿潜血、赤血球円柱と尿蛋白が出現し、血清クレアチニンが上昇する。 数週間から

6月17日、日曜、晴れ、長野、善光寺

6月17日、日曜、 兄NKG駅へ。 車で計5名、長野、善光寺 腰が痛いのか、NKGM駅まで兄を見送るが、そのまま駅まで行けばよかったのか、、、 ホテルで待っていた3人は後ろの席、YKRは助手席でと、ともかくバイパスに乗り、高速で着たに進む、、、、 懐かしき長野市。狭い道、こんなに狭かったのかと驚きつつ、坂道を登る。昔はなかったコンビニに停めて、通りかかった年配の女性に訊いた。一家で通った竜宮温泉、いまでは別の施設になっているという、、。 そして目的地の善光寺。

6月16日、土曜日、一回忌

6月16日、土曜日、曇、風一時強し、一回忌 19時より、鯉料理。一万里Hでの会食中に予約す。 (2ヶ月近く経て、8月に入った現在、下書きが600以上??、過去の記憶を辿るのは大変だ) ようやく、本当にやっとのことで、お寺さん、親族を母屋に迎えることが出来た。 張り詰めた気持ちが,緊張が身体を縛り、挨拶の声がうわずるのを感じつつ なんとか執り行うことができた。ありがたいことだと、皆様方に感謝。 前日、上座敷の南側に用意した祭壇、白い布を義弟から預かり、それを兄が広げて配置してくれた。急拵えの受け付けも、兄に頼み、30分繰り上げた時刻に各々集ってくる。左手、門をくぐって腰を屈(かが)めた老母がゆっくりとこちらに向かう、義妹が付き添って、下座敷脇の濡れ縁に腰を下ろす、、。何と声をかけたのか、もう記憶が薄れかけている。

5月15日、火曜日、紙カルテ

5月15日、火曜日、外来 紙カルテで2名病歴まとめ  それにしても、電カルちゅうのは不便なもの、、ブツブツ。  ああ、紙カルテ、神カルテ 思い出したくないが、この日はKGBの○○日。 あくまでも、記録として、、、。

6月13日、水曜日、YKR口内炎、外来5名

YKR口内炎、咽頭を見て驚いた、かなり広範囲のアフタ、あたふたと 同僚に頼んで軟膏を処方して貰う。ナンコウすることなく、でも、私が歯医者さん以外で保険証を使ったのは、少なくともここ20年以上ない。 恐る恐る保険証を出してカルテと診察券を作った。 前日ようやく辿り着いた娘、成田到着後にビザ深刻でシンコクな日時を過ごしていたから、、、 結局、危惧したように、抗生剤の追加で1週間近くもかかってしまったのだが、、、 (今、下書きの部分を書き直している、、)

まとめ書き、まとめ餓鬼;8/4は土曜日

ガタガタ続きでBLGもじっくり書けない。それゆえ、2W毎の缶詰は有効利用せねばならない。 誰も信じてくれないだろうが、私は綺麗好きで、毎日洗濯している。シャワーで身体を洗うときには下着や靴下でごしごし、、昔は鉛筆書きしたのをゴシゴシ。そして今でも五感を鍛えるために左右の五指先をキーボードで叩く。これでピアノがあればと思うのだが、、、。 それゆえか、未だにスマホの指差でひょいヒョイが苦手だ。いまでは幼稚園の餓鬼まで使いこなしているのを見ると、小突いてやりた衝動にかられる。 一昔前「日本人は親指で会話する」と外人さんに揶揄された。ガラケーで右手親指をヒョコヒョコする様、、私みたいなアナログニンゲンには宇宙人かと思ってしまう。 ITなんとかの反動で、時代物、藤沢周平、山本周五郞の作品を読むことが多い。さらに、司馬遼太郎の維新前後の作品、山岡荘八の家康シリーズを読んでも、日本語の難しさ奥ゆかしさ、毛筆文字のうつくしさに憧れる。 手紙葉書は、毛筆でと思うけど、万年筆でと思っている。ペンを走らせて、ふと言葉を探す。昔の人は硯の前で墨を摺ながら文案を練ったという。昔の武将はは馬上で矢立の筆で巻紙にさらさらと書き手渡す。実に格好いい。かような芸当ができるのは、ペンではなく、毛筆の底力であろう。 今読みかけの「天地清大」山本周五郞は、若き中邑藩士の 昌平黌での描写で、講義後に筆を洗う様が何ヶ所も出てくる。 Wikiによると、 山本周五郞は実に多くのペンネームを使っていたらしい。木挽町の質店に徒弟として住み込んだことからこのペンネームになったとのこと。時代小を各いきさつも興味深い。 明治三八年生まれの筆者、東京、今の銀座に住み込み江戸時代の風潮が濃く残る時代であったから、かような文学が描けたのだろう。

意外に深刻、同級生の苦悩;8/2;木曜日、夜は灼熱の東京へ

木曜日、早暁のネドコでさてどうしようかと考える。明日からの出張といふか、オシゴトのこと。 4時少し前に庭に出る。タネから育てた向日葵の一番デカクなったのに花が咲いた。大きな一輪は、やはり東の太陽の方角に顔を向けている。 向日葵は何故太陽の方角に向くのだろうか。 https://www.hanamonogatari.com/blog/1050/   によると >>> ” ひまわりの茎にあるオーキシンという成長ホルモンは、太陽の光に大きく影響されます。 このオーキシンは光が当たらない側に多く集まり、濃度が高くなると茎が伸長成長します。 つまり、太陽の光が当たらない側の茎は、当たっている側の茎より伸びやすいということ。そして、光が当たっていない側の茎が伸長すると、自然にひまわりの花は太陽のある方角に曲がるのです。”   >>>> 意外なことに、花ではなく、茎の成長が関係すること、 そして、さらに以外なのは「光が当たらない側 」の成長ホルモンが多く集まるという事実だ。 実は、光の当たらないところで働く多くの人々がいる。この大事な事実は目立たないから忘れがちだ。鉄道線路の保線、道路や橋の保全、などなど。 話題一転、この日、何の前触れもなく同級生が訪ねてきた。先日開かれた50年ぶりの同級会で同席し、相談を受けた記憶がある。高校時代と全く変わらず、単刀直入に話を始める。尿閉・排尿困難にて某所から大量の薬が処方されているが、一向に改善の兆しないから改めて相談に来たという。手渡された薬剤資料を見て、改めて驚き確認するが、薬剤師さんも驚いただろう。臆病な私にはとても出せない内容だった。逆に疑問が出る、何故なのか。最近の血液データは血糖を含めて異常なし。腹部エコーでも異常はないとのこと。  とにかく尿検査だけをするが、確かに異常はないけれど、残尿70mlくらいある。なんとかスキャンという器械、当て方角度で再現性に疑問あるけど、やらないよりはマシ。排尿曲線測定などと言うウロでは基本的な装置など、この田舎では置いていない。  わけが分からずまた訊いてみると、かなり前から甲状腺の薬を飲んでいるという。でもそれだけでは説明でききない。そういえば、とかなり前に膀胱結石で東京の病院に紹介されて採石除去したという(ということは、かなり大きく2-3cmくらいか

八月になった;「壮月」、猛暑に負けず、壮快でありたい8/1の水曜日

>> 旧暦の八月一日(現在の九月上旬)に稲の穂を摘んで神様に供え、来たるべき台風シーズンを無事乗り切って豊作となるように祈る神事に由来する。そのため、「八月一日」と書いて「穂摘み=ほずみ」と読む。   https://www.njg.co.jp/column/morioka-575/ 8/1,水曜日。晴れ、いつものようにラジオ体操の流れる時間前に田舎道へ突き進む。55分後、汗だくで勤務先に着くのが7時15分前後。シャツを着替えたりして、DC宛にBLGをインプットしてそれをLINEにペーストする。  https://mouroku1949.exblog.jp/28528406/ 「草の月」「草津月」と「壮月」。いつも思ふのだが、旧暦の時代とは、いかに自然との対話が豊かであったかを如実に示している。それをぶち壊したのは薩長などの下級武士団。 まあ、時の時代の流れは、切羽詰まったものである故、retorospectiveにガタガタ理窟を捏ねても、それは見当違いといふものだろう。 身支度を調えている頃、DrKBYSの声がする。あれ?まだお休みかと思いきや、どうやら夏休み明けらしい。私は、Ward へ急ぎ、220の母の顔を窺い数語の言葉で書類書きに入る。仕事の合間にドラフト作り、夕方にはKBYSくんにチェックしてもらう。 デューティーは少ないが、いつものことで、飛び込みがパラパラあり。昼近くに17歳の女子高生が来た。 素っ気ない情報伝達からわかったことは、立ちくらみかなにか、それと頭痛もあるようで受診したとのこと。電カルで書類の下書きをしていた私は、面倒だが、一旦画面をセーブしなけらばならない。だが、うっかり変なところを押すと、数十分の作業が全てオジャンになるから恐ろしい。 と、キーをあちこち操作して、画面がようやく現れる。ふむふむ、ようするに内科的疾患の有無を調べて欲しいとのコメントあり。4月からのシンザンモンには、まだわからないことが多々あるけど、ここのシステムは、過去の受診歴でその担当者が決まるようだ。つまり、全く初めてで、ドコに言ったらいいのか分からない人は、その受入窓口として、外科があるらしい。こうした”慣例”を踏まえて、私にファイルが手渡された。私は、そこに書かれた氏名をマイクでアナウンスする。つまり、他に手助けしてくれる人などいないから、イスの位

7/30;月曜日、地域連携、包括支援センター

7/30;月曜日、地域連携、包括支援センター。これらは、入院中の母がこれからどうしたらいいのか、その最初の手続きとなる。 7時過ぎ、私は非番だったがいつもの時刻に勤務先に着いた。ちょうど同じ階に出勤してきた○○長さん(そういえば、いまだに名前を覚えていない、、、)、私はこれこれしかじかと話すと、ああそれならと、言って担当者に話を伝えてくれた。7時半ころだったろうか、 9時半を過ぎた頃に電話あり、△△さんが顔を出す。なんだ、つい先日入院中の母のことで相談していた人だ。顔と名前が未だに一致しない。テキパキと事務手続きのブリーフィングを受けつつ、今後の流れを確認する。△△さんこと、KSDさんはすぐにチイキ支援センターの担当者に電話してくれた。所長はNSNさんだという。時刻は14時、それまでに雑用済ませ、昼飯も早弁とした。 12時にはペダルを漕いで、灼熱の道路を北上する、約い時間のところ、ナビで場所を確認しつつ走るが、途中にコンビニらしき工事中の建物あり(これも、後で参考となるが) 13時20分頃に着いてしまう。背中は汗だく、時間があったので2回の脇に寝ころべる場所を見つけて本を読んでいた。約束の10分前に恐る恐る窺うと、むさ苦しいオッサンかと思ってた所長は若い女性で拍子抜け。照り婦負ナ対応で、すいすい進む。有り難し。 人と人との繋がりと、コミュニケーション。ともすれば、無機質で官僚的なデスクワークに終始することも多々あるだろうが、こしたフェイス・ツー・フェイス、ITナントカの時代でも不可欠だと思った。 「人事葛藤」、これは山本周五郞の小説に出てくる言葉を思い浮かべた。、その意味は大凡わかるが念のため調べてみると、「 人間同士のもつれ、争いごと 」とある。 人と人、様々な関連が起こりうる。