4月21日、土曜日、「虚なれば則ち実の情を知り」ご無沙汰デー

4月21日、土曜日、ご無沙汰デー
さくら、パソコン起動不可。保険の加藤さん来訪。ライン接続
事務長と退職届けと捺印。夕食は、18時半過ぎに、近くのスーパーに行ってから、、、
午後は、原稿締め切り間近の原稿書き。
ネット検索していると、様々な情報が入る;

>>「コーチ」の語源
 私が調べたところ、そもそも「コーチ」という名は、ハンガリーの小さな町“Kocs”(コチ)に由来しているそうである。この町でサスペンション付きの4輪馬車が世界で初めて製造され、その乗り心地のよさがヨーロッパ中に知れ渡り、それにより馬車のことを「コーチ」と呼ぶようになったそうである(COACHというかばんメーカーのロゴにも馬車が描かれている).
 つまり、馬車が人を目的地に運ぶところから、「大切な人をその人が望むところまで送り届ける」という意味が派生したようである.

帚木蓬生の『受命』には、「北」の国家と中国との関係が実に詳細に描かれている。テレビに出演する某公立大学の専門家に、彼の爪の垢をそのまま飲ませたい衝動にかられる。
その中で「虚なれば則ち実の情を知り、静なれば則ち動の正を知る。」という言葉があった。自己顕示欲の目立つ輩の徘徊する昨今で、改めて古人の叡智に触れた思いがした。
下記を調べてみると、むしろ老子の影響が大きいと思われる。タオ(道)を説いた老子の言葉に、納得。
>>
道は万物の始めにして、是非の紀なり。是を以って明君は始めを守りて、以って万物の源を知り、紀を治めて以って善敗の端を知る。故に虚静にして以って待ち、名をして自ら命ぜしめ、事をして自ら定めしむるなり。虚なれば則ち実の情を知り、静なれば則ち動の正を知る。言ある者は自ら名を為し、事有る者は自ら形を為す。形名参同し、これをその情に帰せしむ。
人主の道は、静退以って宝と為す。自ら事を操らずして、拙と巧とを知り、自ら計慮せずして、福と咎とを知る。是を以って言わずして善く応じ、約せずして善を会す。言已に応ずれば則ちその契を執り、事已に会すれば則ちその符を操る。符契の合する所は、賞罰の生ずるところなり。故に群臣その言を陳(の)ぶれば、君その言を以ってその事を授け、その事を以ってその功を責む。
(『韓非子』主道篇より。町田三郎訳注、中公文庫所収の読み下し文を引用。以下も同じ)
《訳》
道は万物の始まりで、是非の大本(おおもと)である。だから明君たるものこの始まりをしっかと守り、それによって万物の源を知り、大本を治めることによって善行と過失の区別の手がかりを知る。そのゆえに、明君は心を虚ろにし行いを静かにして待ち、名(家臣が言上した公約)によってそれ自体を規律させるようにし、事(家臣の行動)を自発的に遂行せざるをえないようにする。心虚ろならば実(家臣の本当の実績)がわかる。行い静かならば家臣の行動の正邪がわかる。何か言上したいとする者がいればそれがそのまま「名」となり、何か仕事をしたいとする者がいればそれがそのまま「形」(家臣が実際になした成果)になる。「形」と「名」を照らし合わせることによって、本当にやりたいことを実現させるのである。
人の上に立つ君主の道は、静かに引きこもっているのが至上である。自分は行動をせずに家臣の巧拙を知り、自分は何も考えずに利益と損害を知る。こうすることによって君主が何も言わなくても家臣は応じ、何も約束しなくても善事を行う。家臣が言上すれば、「契」(契約記録)を保存しておく。行動を行えば、「符」(割符、業務命令書)を保存しておく。「符」と「契」を参照するところから、賞罰が生ずるのである。だから、群臣が言上するときには、君主は言上によって行動許可を授け、行動によってその功を査定するのがよい。
http://sorai.s502.xrea.com/website/mencius/mencius02-last_b.html
原典では、上記引用に引き続き「言ある者は自ら名を為し、事有る者は自ら形を為す。形名参同し、これをその情に帰せしむ。」と記されている。すなわち”何か言上したいとする者がいればそれがそのまま「名」となり、何か仕事をしたいとする者がいればそれがそのまま「形」(家臣が実際になした成果)になる。「形」と「名」を照らし合わせることによって、本当にやりたいことを実現させるのである。”と具体的方法を示している。難解な老子を、封建体制維持のためのテキストとして「韓非子」が採用された訳が、なるほどと納得できる。

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