4月28日、土曜日、SKR、「行(ゆ)くに径(こみち)に由(よ)らず」

4月28日、土曜日、SKRに缶詰。「受命」読了、脱出時、若きDr朱光の落命に感涙。

LINE友からの報、”都忘れ”、検索、
ミヤコワスレ


>>ミヤコワスレとは、キク科・ミヤマヨメナ属に分類される常緑の多年草です。ミヤコヨメナの園芸品種で、江戸時代から改良されてきたため、花色にもバリエーションがあります。
草丈は15~20cmほどと低いものから70cmくらいのものまで、品種によってバリエーションがあり、鉢植えや切り花、地植えと様々なシーンで利用することができます。花の直径は3~4cm程度で、枝分かれした茎の先に濃紫、淡紫、青、赤紫、淡紅、ピンク、白などの野菊に似た清楚な花を咲かせます。

名前の由来

「都忘れ」という和名は、1221年に後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒そうと兵を挙げた承久の乱でのできごとに由来します。後鳥羽上皇の兵は、その当時鎌倉幕府を率いていた北条氏に敗れてしまいます。後鳥羽上皇の息子であった順徳天皇は、22年間佐渡に島流しされるのですが、都を離れる際、庭に咲いた可憐な花に目を留め「いかにして契りおけん白菊を都忘れと名づけくるも憂し」という詩を詠んだことから名付けられました。ちなみに濃紫の花色は、古くから都を象徴する色とされているんですよ。
https://horti.jp/15953

夕方、買い物に出て、西の空の景色に見とれる
何故か、画像が上下逆さま、。、、操作不明、、、、
”あかねさす”は、枕詞。検索して驚くこと、中学受験のいくつかある重要語のひとつ;www9.plala.or.jp/juken1/makurakotoba.htm
あかねさす (茜さす), ①日、昼、紫, ①茜(あかね)色に照り輝く、の意から。 ②君(天皇、主君、あなた、の意), ②照り映えて美しい、の意から、ほめたたえる気持ちを込め、「君」にかかる。
あかねさす 昼は田賜(たた)びて ぬばたまの 
夜のいとまに 摘める芹子(せり)これ
  ~葛城王(かつらぎのおほきみ) 『万葉集』 巻20-4455

昼は班田を支給する仕事に追われていたので、
夜のいとまに摘んできた芹なのだよ、これは。   http://blog.livedoor.jp/rh1-manyo/archives/42760679.html

https://www.medscape.com に登録、pw;Drkoala4907

「受命」の中で、平山会長が若き日に贈られたという言葉;


「行(ゆ)くに径(こみち)に由(よ)らず」

  • 出典:『論語』雍也第六12
  • 解釈:目的地へ行くのに裏道や小道を通らず、大通りを行く。正々堂々と物事を行うこと。くにけいらず。








出典、論語。雍也第六 12 子游爲武城宰章   https://kanbun.info/keibu/rongo0612.html


131(06-12)
子游爲武城宰。子曰。女得人焉耳乎。曰。有澹臺滅明者。行不由徑。非公事。未嘗至於偃之室也。
ゆうじょうさいる。わく、なんじひとたるか。わく、澹台滅明たんだいめつめいなるものり。くにこみちらず。公事こうじあらざれば、いまかつえんしついたらざるなり。  
ゆうじょうの代官をつとめていたが、ある時、先師が彼にたずねられた。――
「部下にいい人物を見つけたかね」
子游がこたえた。――
澹台滅明たんだいめつめいという人物がおります。この人間は、決して近道やぬけ道を歩きません。また公用でなければ、決して私の部屋にはいって来たことがございません」(下村湖人『現代訳論語』)

澹台 滅明(たんだい めつめい、紀元前502年? - 没年不詳)は中国春秋時代儒学者孔子の弟子のひとり。子羽の武城(山東省武城県)の出身。
容貌が非常に醜かったために、孔子は彼を愚鈍で才能に乏しいものと思った。しかし学業を受けてから、隠退して行いを修め、道を学び、名声が諸侯の間に伝わり、子游に公正さを賞された。見かけで人の能力を判断すると失敗するという例として、『史記』の張良伝(留侯世家)で用いられている。孔子は後に「吾、貌を以て人を取り、之を子羽に失す」と語っている。

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