4月20日、金曜、「酒とバラバラ、、」絨毯を庭に広げる。池の前へ漢方薬届け、千曲Hp

4月20日、金曜、絨毯を庭に広げる。池の前へ漢方薬届け、千曲Hp
11時に佐々木氏受診。それまでにHZの文献チェック、前々日のBLGにペースト。
結局、皮膚科受診でその手続き、紹介状書きなどで1時間。12時に、Hp出発。外は快晴、汗ばむような気候だ。ノンストップで静岡着。
先ず車の駐車、洗車の車が移動してから、MZKMさん宅へ。荷物を抱えて(よーく考えたら、荷物を出す必要なし)マンションへ。必要なものをリュックなどに入れて、車に戻る。上着も中に入れて、JRでF駅へ。帰宅時間でJRはぎゅうぎゅう詰め。
(あ、ここで原稿締め切りに」気づく)
まあ、ともかく、ここに書いてしまえ;;;  パロディー風に
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「サケとバラバラのヒビ」 
 
 先日、一万里ホテルで千曲病院の歓迎会あり、恐る恐る出席した。なぜならば、1週間ほど前から腰痛あり、無理して背中を伸ばして席に着いた。普段は気づかないが、痛みがあって初めて人様の辛さがわかる。さほど人間とは自分勝手なものだと自覚する。
 さて、腰の炎症が果たして、飲酒でどうなるか、と不安だったが、乾杯で久々のビールを口にしたら、気持ちが大きくなり、ワイン、日本酒と飲み始めてしまった。(というより、その場の空気が陰鬱な気持ちを吹き飛ばしてのだろうか、あるいは、アルコールによる欠陥(血管ではない)拡張のせいなのか)。会で司会に促されてイイカゲンな挨拶をしたが、短期記憶が飛んでいる1)。
>>1);老化、あるいは、認知症の初期症状かも?
 腰痛だけではない。歳月は残酷だ。思考はあちこち彷徨しバラバラだし、往年のビショー(微少)年の指先は、今年の寒さで皹(ひび)が目に付くようになった。避(さ)けて通れない老化を自覚しつつ、ここで、改めて自己紹介の文を書く。    

 小生は、佐久市桜井出身で、齢(弱い)69になんなん(難々)とする高齢者。振り返ってみれば、小学校入学当時に、案内してくれた6年生がオッサンみたいで緊張した記憶がある。そして、世間の荒波に揉まれて、いつしか”オッサン”を通過し、気がつくと、人様のいう老人・高齢者2)の仲間入りとなっている。
>>2) 人口減少一途のわが国で、65歳以上の高齢者(以下「高齢者」といいます。)人口は、昭和25年以降、一貫して増加し、平成24年に3000万人を超えています。平成29年9月15日現在の推計では3514万人と、前年と比較すると57万人の増加となっています。(総務省統計局データより)>>

 世間様は”団塊の世代”というようだが、”silent majority”を甘受するには、抵抗を感じている。そして、軽蔑すべき”noisy minority”に、一矢を報いたいとの反骨心もあるのだろう、連日繰り返して報道される「劇場」のコッカイ茶番劇には、うんざりしている。”Me,too”と、米国の二番煎じで嬉々とする滑稽な一群にも、先人の教えを思い出した。「善人ほど悪いやつはいない」。看破した(それにしても、今年の寒波には辟易)”異端者”ニーチェの業績は大いに評価したいと思っている。さまざまな思索・苦闘を積み重ねたニーチェが到達したのは「舞踏」という概念だった。>>とにかく、踊ること。意味を問わずに、心と体を動かすこと。その結果、何かが成し遂げられることに意義があるのではなく、踊ること自体に意味を見出す。踊ることが、生きることである。http://president.jp/articles/-/21010?page=2 つまり、悩むよりも「ただ、目の前のことをやればいい」、と身体を動かすことに、生き方の行動師範があると、諭しているらしい。でも、これは日本のほうが遥か昔から「禅」で、周知のこと。(不肖の小生はゼンゼン、体得できないが、、、)

 さて、「小市民たる善人」を装ってきた小生は、どうだったのだろうか。
地獄への道は善意によって敷き詰められている」と、マキャベリだかマルクスだか誰かがいったらしい。本人は「善意」のつもりであっても、そのトバッチリを受ける側にとっては「迷惑」どころか「地獄」もなりうる。某宗教の「善意の布教」が、南米でどういった経過を辿ったか、英国首相のチェンバレンが平和を望んで宥和策を採り、ナチス・ドイツに譲歩を重ねた結果、第二次世界大戦は起きたし、卑近な例で言えば、同盟国を無視した「ゼンイの」宥和政策が、キタを増長させてジコクミンを「ヘル(地獄)△▽」に陥れてているなど、掃いて捨てるほど多い。

 大学入学当時、いきなりロックアウトを食らい、「小市民、、」と呼びかけるヘルメットを被った学生の”アジ”をGBMのように聞かされた。その彼らの殆どが、就職間近になるとそれ相応にヘンシンする様を見つつ、私はクラブ活動などに没頭していた。卒後は、ローテート後、唯一「勧誘の無かった」教室に入り、敢えて「デコボコ人生」を選んだ「天邪鬼」こと、小生の過去を振り返る。

 「長靴を履いた猫」ならぬ、長靴を履いた小学校入学式の写真がある。ランドセルの皮の匂いを吸い込みながら、入学式の朝に父が撮影した一枚だ。父は教員だったが、息子の学校行事には一度も顔を出したことが無く、いつも母が付き添った。それが普通のことだと思っていたので、私もわが子の学校行事には、写真撮影だけで済ませていた。
さて、純真だった新一年生が学んできたことは、学校と外の世界の「格差」であった。
「オトナはだれもが善人であり、悪さをすると、お巡りさんが捕まえて刑務所に連れて行くから、この世に悪い人はいない」と思っていた。ところが、父兄参観日などで、オトナの会話を耳にすると、どうもそう単純ではない、コッソリ悪いことをやっている人がいるらしいとわかってきた。それでも、クラスのナントカ委員に選ばれて、タテマエ優先の学校生活と、コッソリ漫画を書くホンネを組み合わせる”知恵”も体得していった。中学高校はクラブ活動に明け暮れ、受験勉強は浪人生活でする羽目となり、大学卒業後の入局後も、そのホンネ・タテマエのバランス配分を適当にしていた。
 教科書ではわからない事例が多すぎた。理屈と実際の現場(臨床)の絶望的ともいえる「差」を目の当たりにするようになった。当時のポリクリで印象に残ったのは、tabes dorsalis や、後日英国の狂牛病BSEで問題となったクロイツフェルトヤコブ病(CJD)などの症例に触れたこと。何ら有効な対策の出来なかった神経内科に失望し、憧れの先輩のいた泌尿器科に入った。
だが、当時の助教授から与えられたテーマは尿路結石の蓚酸の測定であり(入局前の消化器外科で消化管炎症と胆汁・蓚酸の研究チームの使い走りをしていたためか)、ガスクロによる測定をするようにと言われたが、長続きしなかった。理由は単純そのもの、生来のヘソマガリ・頑固者の小生は、ナマイキにも自分の本当にやりたいテーマとは乖離していると考えたからだった。入局の頃は定年退官を控えた教授が全国総会を主催することとなっており、急遽米国留学中のM先生が呼び戻された。チーフレジデントで、米国でボード(専門医)を目指していたM先生には、不本意な選択だったろうが、お家(医局)のために、といった江戸時代的発想があったのだろう。(M先生は、その流暢な英語力で、国際学会でも対等な議論の出来る数少ない日本人だったが、臨床および病院長の仕事を優先させていた。学会も数の論理が支配する。互選評議員の多い世帯を有しハバを利かせた一部教授とは全く異質であった。尊敬すべき理想の臨床医である。)私は、早速このM先生が主導するNB(神経因性膀胱)グループに入った。当時の医局では、Tumorが看板、研究花形であり、同期の殆どはこの分野に進んだが、私は神経内科の記憶もあり、迷わずこの少数派に加わった。草創期の研究会には全国の大学病院関係の神経内科、整形、リハビリなど数多(あまた)の先人・知人接する機会を得て、やがて、国際学会を通じて知人の枠は拡大していった。
 だが、人生何があるか分からない。家族の病気で仕事の縮小を強いられることになった。それでも、病気を通じて家族間との交流も生まれて、各地を飛び回る日々が続いた。これらは、必要に迫られての必然的行為でもあり、戦争が医学の進歩に貢献したようなものかもしれない。そして、ふと気がつくと大学同期は既に殆どが退官退職している。取り残された観のある小生は、田舎に年老いた母(私同様、病院と薬が大嫌い?)を放って置けず、帰巣本能にも従って生家に戻ることとなった。

 突っ走り続けた過去で思いつくのが、科学という知識ではとてもカバーできない”something great”なる存在だ。
生命、自然、宇宙などの素晴らしさに、愚かな人知では及ばぬ何かを感じる。 「内なるもの」、”something great inside”という人もいて、それを「神」と表現できるのかもしれない。アホなことばかりしてきた小生にも、「神様」の存在をそれとなく感じることがある。

 古来、日本人は神を崇め、お神酒(みき)として、「酒」の存在はなくてはならないものなっている。
「百薬の長」として、下手な処方薬よりも、遥かにその効能は実証されている。「医」の旧字「醫」は、「医」「殳」「酉」から成っており、 現在残っている「医」は、主として医療技術を表している。右上の「殳」は、奉仕の精神を表現しているとのこと(行人偏をつけると「役」という字になる)だが、巫女による神との対話もあったらしい。 そして下の「酉」は、癒しの心を指している。”さんずい”をつけると「酒」になるが、酒は気付けに使われたし、痛みを和らげる効果もあったのだろう。

 お酒、「サケ」の語源についてネット検索してみると、興味深い。http://www.maff.go.jp/kinki/seibi/ikeq/setumei/no06/page03.htm
http://www.bic-osake.com/mame/mame/seisyu.shtm
まずは、お神酒の「キ」とあるように、酒の古語「キ」が変化して「ケ」。これに接頭語「サ」がついたとの説。『酒=栄え水』から、「サカエ」→「サケエ」→「サケ」となった。飲むと気持ちが晴れ晴れすることから、「栄え水」。それが訛って「酒」になったという説。お酒を飲むと、風寒邪気を払う、という「避ける」から「サケ」という説。『クシ』という古語から来た、という説。クシは、怪し・奇し。つまり、木や石のくぼみに落ちた果物が自然発酵し、その液体を飲むといい気持ちになる、不思議なことだ、ということから、「クシ」と呼ぶようになった、という説。ちなみに、酒の神様を「クシの神」(久志能加美、久斯榊)」と呼ぶので、「クシ」が、私は有力だと愚考する。
 そもそも、先述のごとくお酒は、神様との対話に欠かせないアイテムでもあった。映画『君の名は。』に登場した『口噛み酒』でわかるように、縄文の昔、から母系家族における政(まつりごと)で、巫女の役割は大きく、古事記に出てくるアマテラスの話でも、剣と水を噛んで生まれたのは酒の神と記されている。酒造りが男の仕事になったのは、半島から麹が伝えられた奈良時代以降とされる。

三国志に出てくる曹操は、詩の天才でもあった。雄大な「氣出唱」、「歩出夏門行」と共に次の詩がお酒では相応(ふさわ)しい。

曹操の詩「短歌行」 の前半部を引用する;  
對酒當歌  酒に對して当に歌ふべし   
人生幾何  人生 幾何(いくばく)ぞ   
譬如朝露  譬(たと)ゆるに朝露の如し   
去日苦多  去る日は苦(はなは)だ多し   
慨當以慷  慨して当に以て慷すべし   
幽思難忘  幽思 忘れ難し   
何以解憂  何を以てか憂ひを解かん   
惟有杜康   惟だ杜康(とこう)有るのみ   
      杜康……中国で初めてお酒を造ったとされる人物。日本酒の造り手を指す「杜氏とうじ」という名称の由来になったらしい
      http://ncode.syosetu.com/n3747dn/1/
~和訳~
”酒を前にして歌おうではないか、人生など短いもの、たとえば朝露の如く、日月は速やかに過ぎ去る、
 慷慨して鬱憤を晴らそうとするが、心にわだかまった思いは忘れようもない、
 どうしたらこの憂いを解くことができようか、ただ酒があるのみだ ”

蛇足;
シンガー・ソング・ライターの1人(と私は認識)渡辺美里の歌に「世界で一番遠い場所」がある。
”自分の心にある 青く澄んだ遠い場所”。一頃ヒットした小室哲哉作曲の「My Revolution」とともに、デプレった時に元気を貰う歯切れのいい歌声だ。

追記; 先日、NHKニュースでちょっと嬉しい情報があった。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180406/k10011392641000.html
「老いても脳は生まれ変わる 米コロンビア大の研究」
>>脳の活動を支える神経細胞は、ネットワークを作って、人間の思考をつかさどり、体を動かす指令を出していますが、年齢を重ねると減って、新たに増えることはなく、認知機能などにも影響が出ると、長年にわたり、考えられてきた。この神経細胞について、アメリカのコロンビア大学の研究グループは、亡くなった直後の14歳から79歳の男女28人の脳を調べた結果をアメリカの科学雑誌「セル・ステムセル」に発表した。

それによると、脳の中で認知機能や感情に関わる「海馬」という部分から未成熟の神経細胞が数多く見つかったという。こうした細胞は、79歳の人でも見られ、研究グループは年齢を重ねても若い人と同様に新しい神経細胞が生まれていることがわかったとしている。

>>一方で、神経細胞に栄養を運ぶ血管は年齢が高いほど少なく、神経細胞が成熟しにくい状態だった。
研究グループのマウラ・ボルドリーニ博士は「今後、研究が進めば年齢を重ねても、脳の神経細胞を増やし、認知機能を維持できるようになる可能性がある」と話しており、将来、認知症などの治療法の開発にもつながる研究成果として注目されている。

先月の英科学誌ネイチャー(Nature)に掲載された論文は、否定的な内容で、ガッカリした。
曰く >> ”13歳以上の海馬では新たな神経細胞が生成された証拠が発見できなかった” http://www.afpbb.com/articles/-/3166580
 今回、米ニューヨーク・コロンビア大学(Columbia University)の研究チームが米科学誌セル・ステムセル(Cell Stem Cell)に発表した研究結果は、これと真っ向から対立するものだ。高齢化が進む世界の中で、認知症を回避するカギを求める科学者たちから注目が集まっている。



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