4月4日、水曜日、盛りだくさん、命がけの帰宅

連日、つまり月曜から3日間チャリでCKHpへ通ったことになる。身体は疲れているが、何故か精神的に意気亢進とでもいうのだろうか、朝のジョギング、朝食、お弁当用意も、すべてこなしているわけだ。6時にチャリを漕ぎ出すが、どうしても50分かかる。行きは坂道の難所、そのまえのダラダラ登り道で、Hp到着時には靴を脱ぐときにもふらつく体たらく。7時に、TVを観ながら朝飯の続き、そこへ、隣のF長さんが顔を出してポットの水を追加。
この日の部屋は7番と一番奥の部屋、事務やさんが使うテーブルをどうしようかとしていたら、どこからかワゴンを持参しセットする。お仕事は、まずまずの滑り出し、後半でちと停滞。最終前の男性、独居、見るからに生活に疲れている様子。幸い禁煙継続の雰囲気で、これは脈がある。驚いたことに脳血流改善の薬が出ているし、毎回の検査と、処方が7-8種、切れそうなものを説明しつつ探すが本人、ぽつんと曰く、説明されてもわからないよ、、。まあ、気長にお付き合いしなければと、自分を納得させる。スタッフの痛みと○尿、疑わしきはCTでしらべるしかない。幸いここはすぐに結果が出て小回りが利く。尿とあわせて、まあ様子をみることとなる。大物は最後に来た。今朝、一番に上から相談うけたケース。とにかく検査をしてみようと、エコー室へ行き、お腹を見て仰天。、、
(入力した数行が、突然消えた、、、、あれ???)
必要な器具がないことに驚きつつ、兎に角留置。慣れないレポート入力をして、腕時計をみると、もう15時。2階のTVの前に座って、弁当を温める。スイッチをいれたら、甲子園の決勝既に終わり、表彰式が始まっていた。遥か昔の夏、松本での球場を思い出す。当時の感動と思い重ねて、延々と続くセレモニーを見つめた。連盟のスポンサートップは、サミュエル・ウルマンの詩を引用していた。高校生にはちょっと違和感を感じたが、こうした若人の気持ち、若さという熱情は、ずっと、胸に留めておくべきものなのだろう。あっというまに時間は経つ。ぼんやりと、パソコンをいじくって、ふと今日の予定メモをみて再び仰天、カンファランスが2階であるとのこと、さtれどこだと、先週行った別棟に行くも、誰もいない、教えられて病棟へ行く。
このカンファランスは実にpractical、全ての関係スタッフが集まり、情報を共有交換できる、優れたシステムだと思う。時刻は既に17時、気になって、再びネットで検索、Sレベルの英文も稀だといっているが、ひとつだけ無痛性の症例報告あり、それをマークしておく。そこへ、同室の二人が入ってきて、あれこれ情報交換、そこで、内耳機能に詳しい専門家に例の一件を依頼すると、あっさり承諾。すぐに1階から昔大学の授業で見た眼鏡を持参し、部屋に向かう。7時で、すでに夕飯が始まった頃だが、少し強引に検査、数分で、ネガティブデータを得る。
7時半近く、外は既に暗く、灯りがないとチャリは動かせない。リュックから赤いチカチカランプを取り出し、これはリュックに引っ掛けて 、前照灯を固定しようとするも、前のとサイズ合わず、なんとか仮止めして走るも、川沿いで脱落し、一部は川の中へ。幸い、浅く底がコンクリートですぐに発見、電池が一個見当たらず探すも、あとでバッグの中にあったので一安心。けれども、帰りは向かい風、冷たい風をまともに受けて、鼻水を垂らしながら、家に辿りつく。空腹と寒さ、誰もいないから、1人でするしかない、お米と玄米を研いで、鶏肉手羽と野菜の煮物、納豆で温かご飯、そして、風呂の水を抜きながら、選択し、新しいお湯で入浴、勿論、シャツ下着、靴下も洗濯し、長い長い1日

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