たった1人の重み、コロナ禍の現状;R2-7-23、Thu.

東京ほかいくつかの都市では、過去最大の感染確認者が出た23日。
某老健施設では、ひとりの老婦人が退所となった。

伝え聞くところによれば、姉の葬儀参加で、規則に伴ひ退所手続きとなったとのこと。 勿論、ご本人の意向を尊重して確認後の処置であるが、複雑な気持ちになった。

施設を管理運営する側の理論は、嫌といふほど理解できる。
少しでも感染者接触疑いがあれば、それをブロックアウトせざるを得ない。
一定期間隔離観察できる設備も、スタッフもない状況であるし、
殊に超高齢者集団の施設では、ほかに選択肢などないから当然のこと。

その老婦人は、葬儀不参加といった選択も可能だったが、同胞たる姉に最後のお別れをしたいと思ふのはこれまたごく普通の感覚。そうでなくても、このご時世下、もう何か月も肉親同胞との面会もままならない、、、。鬱積した感情があれこれ交差しているが、面倒な手続き用意を経て上記となったのだろう。

私事ながら、つい数か月前に同じ体験をした。
療養入院中の兄が、急変したとの連絡を受けた。折しも、私は新勤務体制の初日であったが、事務長ほかに連絡を取り、高速道路で県境を越えSTMの総合病院へ駆けつけた。
音信不通の期間が暫くあったが、病気を機に病院へは緊急連絡先を伝えておいた。
病院8階の病室に行くと、一目で回復不能とわかったが、数時間であっても傍に立ち会えたことに感謝しなければならない。
理屈ではない、兄弟間の感情は誰でも同じだろうと思ふ。

予想外の吐血で昏睡状態であり、現実的な対策を講じなければならなくなった。
菩提寺のある田舎の妹と、そして、院内にいたSWと複数回相談し、本籍地なら火葬埋葬可能といふことを確認した。搬送の手配から葬儀の大まかな段取りまで済ませ、続けてしなければいけないことがある。
同席していた兄の一人息子NHを急き立てて、1時間以内に兄の通帳から必要となる現金を限度額引き出させた。
こうして、あちこち奔走し、ベッドサイドに戻り一息入れたころ
それを待っていたかのように、兄の呼吸が止まった。
実に呆気ない瞬間だった。
なす術(すべ)なく呆然と立ちすくす甥NHをその場に残し、私は、ゆっくりとナースステーションに連絡し、セレモニーに備えるとともに、田舎に連絡して遺体搬送の具体的時間を確認した。

兄の数か月前に、母の葬儀があったので、必要な連絡手配などは、否応なく身につていていた。

都内で新たに366人の新型コロナウイルス陽性者との報道;https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/07/222382.php
ニューズウィークには、延期?となった東京五輪までの日数365といふ
日数が写っており、実に嫌らしい皮肉たっぷりの掲載だ。
五輪云々については、別のBLGに書こうと思っている。

新型コロナは天文学的悪魔だ。
地方都市にも深刻な影を投影している;https://news.yahoo.co.jp/articles/786e4a060d8eb63ebcc068799ec34a488bc9242f

たった1人の感染者が地方都市にコロナを持ち込むとどうなるか?

感染した本人が受ける心理的なダメージは首都圏以上かもしれない、感染した本人が受ける心理的なダメージは首都圏以上かもしれない。

このように書かれていたが、一番恐ろしいのはウィルスではなく、ニンゲンの噂 

人間ほど恐ろしいものはないと、再確認せざるをえない

「ひとり」の持つ意味が、今大きく変わってきている。
自分一人なら、、、ダイジョーブだろう、、、といった安易な考え
これは、シンジュク・イケブクロ界隈の専売特許ではない、

残念ながら、それは既に「古き良き時代のおとぎ話」になっている。

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