3-22;メモ『修証義』第一章-3

3-22;メモ

第三節

無常 (たの)み難し、知らず露命(ろめい)いかなる道の草にか落ちん、身(み)(すで)に私に非ず、命は光陰に移されて暫くも停(とど)め難し、紅顔(こうがん)いづくへか去りにし、尋ねんとするに蹤跡(しょうせき)なし、熟(つらつら)観ずる所に往事(おうじ)の再び逢うべからざる多し、無常 (たちま)ちにいたるときは国王大臣親暱(しんじつ)従僕(じゅうぼく)妻子珍宝たすくる無し、唯独り黄泉(こうせん)に趣(おもむ)くのみなり、己に随い行くは只(ただ)是れ善悪 業等(ごっとう)のみなり。
現代語訳

春の若葉が秋には紅葉し、冬に散ってゆくように、あらゆるものは刻々と姿を変えていく。我々の身体もまたその理のなかに存在し、やがて歳をとり、老いて、死にゆく。少年だった頃の面影は一体どこへいってしまったのか。あとかたすら残ってはいない。
今一度、心静かに命について考えてみたい。ひとたび過ぎ去れば、時は二度と戻らず、命もまた一つしかない。国王や大臣の強大な権力や、親や兄弟や友人との友情や、妻や子どもとの愛情や、あるいは金銀財宝の力をもってしても、その事実は少しも変わらない。我々はその時が来たら、一人で死にゆくしかないのである。そんな我々に随ってくるものがあるとすれば、それは生前に為した行いの果報くらいだろう。

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