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「はみ出し者」、江戸時代からの亡霊;9/15、土曜日

”自衛隊幹部が異様な低学歴集団である理由” https://www.excite.co.jp/News/economy_clm/20180912/President_26144.html かような記事を見つけた。 >> 自衛隊幹部の51%が高卒以下だった この衝撃的な冒頭文は、私のボケかけた脳細胞に強烈な刺激を与えた。 >> 大卒以上の幹部(尉官以上)は45.9%しか存在しない(2017年10月末時)。大卒率ほぼ100%のキャリアの国家公務員や米軍の現役幹部の83.8%(15年時)と比べると異常な低さだ。 筆者は「知性の軽視」云々と重複して説き、教育の重要性を指摘している。 これは正論であり、多くの人には受け入れられるハズだが、 問題は、なぜ、戦後73年も経過して、かような”悲惨”なデータが出てきたのか。 私はヒネクレテいるから、逆に「知性」ほど恐いものはないと考える。 その根拠は、単純そのもの、いわゆる「知性」と、” wisdom ” の根本的な違いにある。 ニホンの”教育”、高等学校までの「知識教育」は世界最高クラスだと思うが、そこから先は、、、、、、、?            残念なことに、世界の”標準”以下でしかないだろう。 連合軍の”極めて巧妙な”誘導により、戦前の既存システムと”思想教育”が全て否定され、”実験場”としてのモデルを、彼らは作り上げた。 天皇制を隠れ蓑として、自由主義の美名の元、軍事産業は勿論、その幹部教育機構も破壊して、二度と立ち向かうことができない方向へ誘導した。 何故なのか、それは、日本が過去数百年以上かけて築き上げてきた精神構造と教育システムが、将来自国の存在を脅かすものになるだろうという”不安”があったからだと思う。 地面に雑草が蔓延るのを防ぐには、それを”根こそぎ”取り除く必要がある。それも、雑草が種子で拡散する前に、繰り返し、辛抱強く、しかも、カムフラージュしつつ、、。 こうして、日本の国民は”平均化”され、”tame” されやすい従順で、”一見高学歴そう”にみえる均一集団の育成へと進む形となった。 日本の悲劇は、皮肉なことに「和を尊ぶ精神」にあると思う。 江戸時代は「鎖国」政策と、地理的利点により、日本国土と人々は保護され、独自の文化を深めることができていた。 平和で泰平な時代であり、そこに...

My Favorite Things ;Part 2; 9-14, 金曜日 メッチャ愛す

今。最も注目を集めているひとり、大阪なおみさん、20歳。 昨日に引き続き、彼女の言葉を取り上げる。 ボケ頭、このどうしようもないもの、でも残ったものを何とかしたい 思いだしたのは、彼女の好物のもうひとつ、抹茶アイス ”メッチャ愛す ” プレー中の彼女とは全くの別人、そこには20歳の、ごく普通の日本人の女の子、そのものしか現れてない。 この”発言”に引き続いたのが、”ダイエット”、この言葉に注目した。 ふーむ、なるほど、こrが「チーム・ナオミ」の底力(そこじから)だ。 無駄な糖質エネルギー摂取を抑えて、身体を造る。 プロ選手の基本中の基本があるのだろう。 改めて、プロの厳しさを感心した。 たとえメジャー制覇しようが何であれ、身体が資本の仕事。 まあ、私も誰もが、身体が資本であることには間違いないけど この発言が、ぽろっと出ることから、彼女を支えるチームワークの姿が朧気に判るような気がする。 ”My Favorite Things ” わたしの”懐メロ” もう半分以上忘れかけているので ここに、再確認させたい。 特に、この曲が凄いのは、相棒のリチャード・ロジャースがマイナーに転調した部分、 ”When the dog bites, ,,,,,"   これを口ずさむと、嫌なことが いつの間にか消えている、、、 このアクセントがあるから、私にとって「永遠の懐メロ」だ。 >> Raindrops on roses and whiskers on kittens Bright copper kettles and warm woollen mittens Brown paper packages tied up with strings These are a few of my favorite things バラの花びらの上の雨粒に、子猫のヒゲ ピカピカの銅やかんに、あったかい羊毛のミトン 糸ひもでしばった茶色の紙包み みんなわたしのお気に入りのほんの一部 Cream colored ponies and crisp apple strudels Doorbells and sleigh bells and schnitzel with noodles Wild geese that fly wi...

My Favorite Things ; 9-13, 木曜日

台風やら地震、そして、息子のことや姪の結婚式云々で、連日動き回った感あり。 嬉しかったのは、Naomi Oosakaの全米初制覇。 そして、私事ながら、ピアノ購入に踏み切ったこと、まーそんなことかな。 9月に入り、朝夕の気温が下がると、精神的にもレベルが下がっていくのだろうか。 LINEでのチャットも、ここ2週間以上、ご無沙汰してるのは、書く気力が低下しているから、、、 つまり、モーロクが進行してるのかもしれない。 Naomi選手が一時帰国したとのニュースあり、好物はカツ丼ともうひとつ、あれ何だった? ”My Favorite Thiings” 高校生のころの映画を思い出す。 作詞は オスカー・ハマースタイン2世 ドイツ系ユダヤ人で、ほかにも数々の名曲の作詞を担当

気分転換、頭の切り替え:9月5日

台風の影響で息子が帰省出来ず、終日気が滅入ってた。ともかくも、夕飯の勉強会に行く。半分以上は人に会うため。懇親会で人とお喋りをする。 どこかで聞いたが、「雑談力」が全てはに共通するキーワードだ。 私はアタマが硬いので、5分以上の会話は少ない。つまり、切り替えが出来ないし、バカ話しができる人はごく少数しかいないので、いわゆる座が持たない。でも普段と違う顔が観察できるるメリットがあるから、出席して正解。 ふと気になったのは、会場の棲みわけ。大きく3つに別れており、その順位化がされている。日本人は、何故か自分の「立ち位置」を空気で読む。 新入りは二階級特進できず、遠慮がちのなる、This is Japan. アメちゃんは、まるで考慮しない。誰とでも気さくに喋り、気が乗ると上手いタイミングでジョークを入れてくる。ヘンな質問してからかっても、 This is Americaで、さらりとかわす。だから、米語には世界中から人が集まる。  日本に来た留学生達は、日本社会の「空気」が読めるだろうかと、気になる。 https://r.nikkei.com/article/DGKKZO35015520V00C18A9MM8000 によると、法務省はようやく重い腰を上げつつある。 でも、とヨケイなことが気になる私。「年収300万円以上」「日本語を使う」というハードルを付けている。 これは、就労1から3年の平均が 303万円とのことらしい、、、 もっと下げてもいいんじゃないかと思うのだが、

風穴を開ける、防災対策;9/3月曜

日曜日の夕方、島田の缶詰から戻るが、何故か元気が出ない。最大の原因は、KYYの人の心変わり。 ♪ン寂しさのままにーン手紙を認めています、、、 手紙を書く気力も失せ、朝の散歩もうごけず、辛うじて朝食。久しぶりにホットケーキとコーヒー。ほっと契機になればとおもうが、スクランブルエッグのフライパンも洗う元気なし。 昼頃に漸くお日様が出て、町へ買い物に。愚息への送金済ませ、お店には、手頃なお花あるも、結局買わず、食品のみ。 夕方、何となくラジオのスイッチを入れたら、災害での高齢者のことが話題になっていた。それも、孤独死。 他人事ではない。 耳を傾けると、トレーラーハウスのことが話題になっていた。 プレハブの家に、代わってかなり前から提案していたが、霞ヶ関の予想される抵抗での苦労話だった。 決まり文句の、「こうきょうせい云々」そして、「前例のないことは、、、」 漸く熊本地震で福祉施設に限っての使用が認められたという。 そして

Revision;ナガサキ原爆攻撃(2014のMemoより);9/1

けふは9/1、防災の日、そしてボーサイの日。 一方では、高校生の自殺が多い日ともいふ; >> http://news.livedoor.com/article/detail/15236501/ 万感の思いが込められたこの日、私は何故かSMD市にいる。 ふと思いつき、このBLGサイトの過去記事で「下書き」のままになっていたモノ(数百?)の一部を「オープン」にしようと思い立つ。これも気まぐれ”B型ニンゲン”か。 -------------------------------------- 『極秘「ミッション・レポート」が告げるナガサキ原爆攻撃の隠された真実』 http://sky.geocities.jp/stantanaka_charlotte/page1-2-1.html  >>原爆は現在の中区大手町一丁目上空で爆発し、その模様は空中撮影された。爆発の閃光(せんこう)が走って15秒後に最初の衝撃波が到達した、とエノラゲイの副操縦士ロバート A.ルイス大尉は述べている。ゾンデは安佐北区亀山地内に降下した。天候偵察機は囮(おとり)の効果を上げた。こうして、広島攻撃任務は完全に達成された。 この引用だけで尻切れトンボになったのは、上記サイトの原文を読み進めたためだろう。 ナガサキについては >> 7日、ラジオ東京は、広島の原爆に抗議する英語放送を流し始めた。 翌8日白昼の八幡空襲は、投弾機数221機、投弾量1,302米トンと記録されている。被害は、小倉造兵廠の西側に隣接する地区にまで及んだ。 これが小倉にとっては幸いした。といふのは、このスモッグがナガサキに被害をもたらしたからだ。 11日の予定が急遽繰り上がって(背景は勿論ソ連がからむ)9日に先ず 天候偵察機は、02:03時、小倉と長崎に向かって飛び立った。 <中略> ボックスカーは、補助燃料系統に重大な欠陥を抱えたまま、02:49時、予定より1時間も遅れて離陸した。小倉攻撃が予定時刻に間に合わないことは、既に明らかであった。ワシントンでは、定刻の爆発信号を待ち受けていた。 この膨大なレポート、無断で引用することすら恐縮するが、この筆者の指摘はWinnerサイドの大きな”巧妙な欺瞞”を指摘するに、十分足りうる資料だと思う。 ふたつの原爆...

矜持、教示、今日路; 8月31日、金曜日

今朝も4時前に眼が醒めて、身仕度をしつつ、ラジオのスイッチを入れる。 声の様子からすると、どうやら大学の先生が二人、戦前後の社会について論じていた。 とても印象的なエピソードを語る戦前の人。札幌に住んでいた頃、進駐軍のジープが停まり、数学の教師をしていた父親に空港への道を尋ねた。父が教えてあげると、米兵は小学生だった兄弟にどっさりチョコレートをあげて立ち去った。すると、父親はその貴重なチョコレートを全て川に投げ捨てた。ずっと無言のまま、親子3人は家路につついた。  終戦直後で食べるもの、学用品など全てが乏しい中、特に幼いこどもにとって夢のようなチョコレートが棄てられた。 この先生は、父親の行為について、一切言及しなかったが、私にはよくわかる、これが昔の男子たるものが示した最大の教育だと思う。 物量では敗れたかもしれないが、ここる、精神面では決して負けていない。 昭和初期までの教育を受けた人に共通に考え方だったと思う。 翻って、私は息子に何を示してきただろうか。仕事最優先で、全てを母親任せだった。 夜中に電話があると、どんな時でも直ぐに出掛けていく、当たり前の事だがそれくらいしか示せなかったと思う。 強いていいほうに解釈すると、子は親の背中を見て育つ。  

書類との格闘;8/30、木曜日

8/30、木曜日は午後フリーとなった。 そこで古い記録を取り出して今のと比較してみたが、さらに古い記録もあることが判明。その手続きが、、、、 全てがコンピューターに記録されているとはいうものの、長い経過の場合には最初の基本的な経過が判らないと困る。そのことが、どうして他の人はわからないのだろう。 様々な電算システムがある。30年近く前だろうか、私の勤務先で某県痴事の掛け声で、大手家電メーカーが作ったというシステムが導入された。いきなり説明会なるものがあり、オエライサンの大演説があった。要は、オカミが決めたことの根拠なしの誇大妄想のセレモニーであって、質問など出せる雰囲気もなかった。しかし、少なからず、知識のある人なら疑問点、いやそれどころか不安点があったのだが、、、。 おざなりの試験期間を経て、運用が開始された。当然だが、想定以上の混乱があった。事務処理時間が余計にかかるようになったし、何よりも困ったのは、人と人との会話が激減したことだった。 考えて見れば当たり前だが、事務処理というのはフローチャートみたいなものがあり、Input とOutputとが常に"prompt"な対応できることで成り立っている。複数の情報は一箇所に集約され、そこから適宜”必要だと思われる”部署へ情報は流れていき、巡り巡ってその結果はオーダーの出所に戻って来なければならない。 こんなこと書いたら切りがないけど、どうやら”オエライサンたち”はコンピューターの”一面しか”見ていなかった。それはいわゆるメリットとよばれるもので、ひとつあげるなら「時短」、手書きの伝票がなくなるから、紙もなくなる書く手間が省ける、伝票を手書きする手間が省けるなど””良い面”ばかりが強調されていたのだろう。 で、実際はどうなったか、 先ず、Input側。ソフト設計者の「勝手な思いこみ」で、初期画面が出るのだが、そもそも端末があちこちに置かれていて、そこに行く必要がある。されに、電源を入れて、立ち上げまでのメッチャ長い時間を待ち、IDだ、パスワードを入れて、又待たされてからようやく画面がいくつか出る。これを数回繰り返して、ようやく伝票画面に”辿り着く”が、項目配列がメチャクチャでチェックすべき項目を探す手間、「コメント」項目を探し当てて、キー入力する手間、さらに、あれこれわけのワカ...

優柔不断、相も変わらず;8月29日の火曜

体内時計だけは健在だ。 いつもの時刻に目が覚める、けふは29日の二重苦日。 このところ腰が重たい、 かようなときは変な勘が働く。案の定、妹JNKからLINEあり。 例の会合について、気遣いの問い合わせだ。 私は、兄から先日も指摘された;「おまえは、いつもはっきりしないから、、、」 つまり、相手の確認をしっかりしないで物事を進めてしまう。 つまり、見切り発車とでもいうものだろうか。 事のホッタンは、先々週だかそれ前のこと。ある会合への出欠を○日17時までに担当者へ出すようにとのチラシがあった。私は、即出席のところに丸を記したが、ヨケイなコメントがあった。それは、同伴者の有無だ。 これには困った。よそうできる数人を思い浮かべて、それとなく打診するも、全て”ノー”(正確にはノウと発音するのだノウ)。 そこで、なんとなくJNKに声をかけたら、都合をつけるからとの返事あり(優柔不断その1)、 受付期限があるので、その前日、知人へ申込書を別の書類と一緒に渡した。 これが、最大の問題だったと、今になっては思うのだが。 つまり、渡した書類3枚のうち、この1枚にメモを添付すべきだった。 なぜならば、提出先の某とは、当初から気まずい雰囲気(トーゼンあちらさんも同じだろう)にて、直接渡すのにはかなりの抵抗があった。(優柔不断その2) だが待てよと、当日の朝、銀行員の旦那が不安を漏らす。 そんな内輪の会に、無関係な人を連れてっていいのだろうかと。 うーん、正論だと思う。(優柔不断その3、、、) と、書いているうちに、、、、 そこで気分転換; こちらをどうぞーー>https://mouroku1949.exblog.jp/28615671/

私のオシゴト;8/28、火曜日

先ず、昨日のこと、27日、月曜日。唯一の週1の休息日。 庭のBQの後始末や、畑の整理であっという間に半日がつぶれる。 ふと、ヤマの林、畑のことを思いだし、数か月前に母屋の古い郵便物などの入った(引き出しにあった書類を広げた。日付は昭和63年とある。 昔の青写真みたいなコピーで薄れかけてわかりにくいが辛うじて方角と、道、地名らしきものが書かれている。 場所がわからない。 スマホのナビで探すも、昔の地名らしく、、、、、。 そして、今日。いつものようにチャリで出勤。数か月前からふら付く私、体重は一度に10キロ近く減って、そのまま増えない、、。兎に角食べて、足を鍛えることの努力はしているつもりだが。 さて我がヒジョウキンのオシゴト。 この日は、懸案の問題ケース2件、2名あり。 先ず、AM; 73歳男性、経過がどこに記載されているのか、5月から数回知人に言われている、、。 そして、何の気まぐれか、気分が良かったのか、昨日来て検査をしたとのこと。 さらにその知人付け加えて曰く、「キマグレだから、今日来るか、あるいは来ないか半々以下。」 だが、10時過ぎに訪れたその人は、予想に反して柔和な表情の男性で、拍子抜け。 先ず、うちのアホ娘がHPを見て、是非とも行きたいと思っているが機会ないと雑談から入る。そして、本題。 気になるデータが複数あり、体重も減る傾向あり、、。某大ビョーインでの治療をすっぽかしているとのことで、早めにそちらへと話す。頭を抱えるわけにもいかず、、、。 もう一人は、同年輩の恰幅のいい女性、高血糖と高コレステロール、下肢、下腹部の違和感で5月に受診した。  早めに少量の安い薬を開始、症状はやや軽減するが、コレステロールは変わらず、体重もようやく1年前に戻った程度。 薬は増やしたくないが、やむを得ない。コレ捨テロールの薬も追加となる。 お食事は?と伺うと、「ご飯はあまりとらない、、」 しばらく沈黙後に「でも、ジョセイって、甘いものが好きでしょう、、、」 何故か知らないが、お店の関係で甘いパンが手軽に食べられるカンキョウらしい、、 やんわりと、「それって、少し減らしたほうが、、、」

バーベキュー 秋刀魚丸ごと 食いにけり、8月26日、日曜日

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けふは27日の月曜日、 昨日の友人夫妻の送迎については、どこかに書いた。 ともかくも、3人だけだがバーベキュー、材料調達をと、駅前のモールに車を停める。広大な敷地と店内、出入口がいくつもあるので混乱する。オレンジ、ブルーン、レタスに戸惑うトマト、定番焼きそばには、これがウィンナ、モヤシに冷凍の開戦じゃなくて、海鮮セット。彼らは飲み物、知らず量がかさばり、手持ちの袋が間に合わず、奥さん持参のトートバッグが役に立つ。 ようやく、炎天下の駐車場から抜け出す。雄大なASM山が車窓前方に広がる道をはしり、バイパスに入る。2つ目のICで降りると、もうわが家近くで、公民館の広場に駐車。重い食糧品の袋を抱えて無事到着。早速BBQ台をセットして、火を起こす旦那と、野菜を洗ってサラダを準備する奥さんの両方の手助けが始まる。 炭に火が入る。 真っ先に食べたいもの、秋刀魚を並べる。味は塩だけ、 少し黒焦げとなるも、私は、頭と尻尾だけを残してワタと骨も食べる。 ガキの頃、古い土間で遠い親戚の人が焼いた秋刀魚を食べていた。 その人は,地下足袋を履き、頭に鉢巻をしていたが、多分祖父母が田圃の草取りか何かを頼んだのだと思う。 古い田舎の家では、お客さんは、畳の間に上げる人と、そうでない人の区別がはっきりしていて、このオジサンは後者だったと思う。 いつか時期は不明だが、お酒をやはり土間の板の間で飲みながら、スズメの丸焼きを食べるオジサンがいた。 「坊主、食うか?、これはオネショに効くぞ。」と私をからかった。 私は、オネショをした記憶は薄れているが、このオジサンが何となく好きだった。 そして、年月が流れ、私もあの手ぬぐいのオジサンと同じかそれを超えるトシになっている。 そして、秋刀魚を食べるときは、ワタごと全部食べている。 ワタにこそ、うまみと何とも言えぬほろ苦い味があり、遥か昔の記憶とともに楽しむようになっている。 と、卒爾ながら朗報。 突如、豊漁に沸くどこそことのニュースあり、  あー、今度は 刺身で食べたい。 昔、北海道の浦河で食べたお刺身、懐かしい。

月下独酒、憑きの下(もと)、8-26、日曜、晴れ

26日の日曜、古くからの友人夫妻と結局、丸一日お付き合い、お月相見(まみ)える。 18時、ホテルから車を出し、夕日を見ながら 月が昇る。満月の光の下、有名な李白の詩が頭に浮かぶ; https://ameblo.jp/sakasyo-nakamura/entry-10034313789.html

物忘れ たまにゃーそのまま 忘れたい; 8/25、土曜日、

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8/25、土曜日、 4時半前に、自ずと目覚める。薄明るくなった空にはお星さまの燃えカスのような光があり、蝙蝠が飛び交っている。庭の雑草を少しむしっているうちに、星は消えて、東雲がさらに明るさを増す。 未明からの腰の重たい感じに悩まされ、髭剃りをしながらまずはウォーキング。身体が少し解れてきたら、軽いジョッギングをする。ずっと放置したため、倒れ掛かっていたピーマン、シシトウ、茄子の支柱を追加補強をし、チャリに跨る。 ラジオを勤務先に忘れたので、風の羽切音がBGM. 田圃脇を流れる水路から漏れてくる躍動感のある音、遠くを走るトラックの音、早朝はボケ頭をレフレッシュさせ、徐々に高揚させるパワーがある。 水田には、カルガモの親子が佇み、農道の途中には、車に跳ねられて顔に血が付いた狸が横になっていた。生と死が混ざり合い、何事もなかったように日々は経過する。 昨日は、ふと思い立ちTGC小学校へ立ち寄った。 高校の同級生が6月頃に職場復帰をしたというので、スマホナビを見ながらチャリを漕ぐ。 場所は、昔、小学校の遠足でいったことのある、GRYK。行ってみてわかったのは、そのお城の跡が小学校になっている。意陸地がわからないけど、ナビを片手に細い道を進んだ。 道路わきには、キョウチクトウなどの花が咲き乱れている。 その手前の三叉路には、ちょっと変わった標識あり、こりゃ何だ。 日本で一番海から遠いところ、 世界中で一番 辿り着きたいとこは   、、誰かの歌にあったっけ そうだ、忘れないように。 今日は図書館で本の返却日。このところ、もの忘れがひどくなったので、、、

一人相撲、独り住もう:8-24. 金曜日

金曜日、 昔読んだ小説だか物語に「フライデー」と名前をつけられた人が登場していた。ロビンソン苦労荘だか、何だか。なんとかソンだから、北欧系の名前だから、英国だったような気がする。 ガキの頃、校舎西隅で購買室放送室の南側にあった図書室で読んだ本。夢中になってのめり込み、辺りが暗くなってから、誰かに追い出された記憶がある。 当時は外国の、特に英国たるは、世界に冠たる大帝国だというステレオタイプの価値観が、田舎のガキに染み込んでいた。 そして、時代は変わる。中島みゆきの特有ながなりたてる声をBGMとして、(それにしても、なんで北海道の歌手は、飛び抜けた歌唱力があるのだろう。デッカイドーは、私みたいなボソボソ声は通用しない。)、気がつくとスリーデッカイドー、じゃなくてディケイド、60年もの歳月が流れている。 かつての憧れの国は、何故か一度だけだが、ケンブリッジ、ヨーク、エジンバラなどをイイカゲンにマーケティングて、いくつか認識を改めた。 まず、お料理の不味さは、想像以上だったが、何故か紅茶だけは美味しい。しかも、電圧が日本の倍なので電気ポットですぐにお湯が沸く。ワクワクのティータイムだった。 そして、1階と2階の区別。これはドイツを含む北欧(うィーンより南は行ったことないからわからない。)に共通することだが、家の玄関先にかいだん ここで電話あり、中断。 もー、デンワ 階段、半階段あり、それを登ると入り口すなわち玄関。靴のまま入る所が1stフロア。そこから、下に降りるとBase 。これを日本語で訳すとヘンになるから、そのままがいい。 そして、一番気になったのは、階級社会。大学の守衛の英語が通じない。これには、焦った。彼曰く「パイパーにナイムを書け」、エーッ? すると、「コイツ、エーゴモシランプノカ」と、ぶつぶつ言って、手元のリスト表を指差し、書く真似をする。 ここでやっと思い出す。オーストラリアの英語。「A」を「アイ」と発音する。ホワイトカラーのクラスなら、勿論あのカックンカックンのキングズ英語が通じる。 前置きが長すぎる。 つまり、かの漂流記を書いた人は、労働者階級以下のヒトの形をしたイキモノとして名前を付けたんじやないだろうか。 今の米国のトラチャンも同じハラグロサクソンだから、言動見れば、本音が 丸見え。だから、今までの大頭領(変換...

朝のコーヒー、臨機応変; 8・23 木曜日

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8月23日、木曜日、 前日の夜半、戸棚の隅にドライ・イーストがあるのを見つけた。 昨年、何時だか忘れたがどこかで買って、2-3回だけ使った記憶あり。 強力粉も残っていたので、テキトー量をボールに入れ、バケットでも作ろうかと塩だけをいれた。 イースト量も目分量、朝のブラックコーヒー(ハラグロだから砂糖なし)が残っていたので、ためしに少し入れてみた。パン作りの利点は二つ、先ず手を使うから余計な洗い物せずにしかもストレス解消、そして、手も綺麗になる。ムカシは車を洗ったあと、石鹸で洗っても落ちなかった汚れが、パン作りで、、、、、。あとは、濡れたクッキングペーパーを被せて一次発酵へ。この日の室温は31度もあったから、電子レンジ使わないでいいだろうとイイカゲンな判断。 朝目が覚めて、愕然。膨らみ不十分。これは、イースト菌への砂糖が不足していたのだろう。 そこで、ピザに方針変更(放心ジョータイからの離脱)。 5時半過ぎ、登る朝日を眺めつつ、チャリに乗る。途中のポストに葉書を投函。 一仕事終えると、8時10分過ぎからはTVでお勉強、  昨日だかいつだかの昼は”戦時中の食事”  海水から塩を作るのにコーヒーフィルターを使うといいらしい    こうして濾過した海水を煮詰めて塩を作ったとのこと、、、  この情報が頭に残って、今朝は職場にフィルターほか一式持参。  ピザ生地にカボチャ、バナナ、チーズなど載せたのをトースターで焼いて  淹れたてのコーヒーを飲む。 さて、けふのテーマは「カレーとウェルシュ菌」、食中毒  ポイントは室温なら4時間以内に食べることと、  加熱してもダメだということ、  そして嫌気性で芽胞形成と同時にエンテロトキシンが産生されるということ。 「カレーは一晩置いたほうがウメー」というが、とんでもない。 増殖したこの菌は、いくら過熱しても無効な芽胞形成しているし、 病原性のエンテロトキシンがなくなるわけではない。 (より重篤な出血性大腸炎では、生命の危機に晒される事も少なくない。)  お役所のHPはわかりにくいが、ウェルシュ菌の増殖云々については https://www.jstage.jst.go.jp/article/shokueishi1960/30/2/30_2_123/_pdf にデータあり;  >...

次から次へと、、、、;8/22の水曜日

8月22日の 水曜日 スイスイッとは いかぬのか デプレってると腰痛がモソモソと顔を出す。 3時、鈍痛で目が覚める。 軽いストレッチで、本日はジョギング中止、チャリで田圃道を走る。 考えるよりも行動。 心地よい風を受け、背中にたっぷりの汗も、すべて拭いとるとすっきりできる。 9時5分前、7番の部屋。無造作に置かれたファイルが数冊。 黙々と単身、仕事をこなす。 いつものこと、わけの判らぬ受診者2名。  一人は、電話で相談したら云々と、 もう一人は、さらにわからんが血圧がどうのこうの、 いずれも、薬手帖もなし、今までの経緯も不明。 質問しても、曖昧な返事、、、、。 さらに、いきなり点滴だけしてくれという男性。筋骨逞しく、見た目は何が何だかわからないけど、隣のベッドに横たわっている。 これも、経過は受付した誰かが書いたメモ書きのみ、、、、勿論薬手帳もないが、どこかに受診しているらしい。 後で確認したら、車椅子でないと歩けない状態だったらしいが、そんな情報も私には来ない。 尊大な件の男性に、ゆっくりと話し、先ず検査をしてからと勧めるが、無言の反応、 モニター画面で過去の記録を見ると、10年ほど前の入院記録あるも、ほか不明 更に困るのは、後でモニターチェックするもそのPtがリストに載っていない?? 翌日23日、事務に聞いてもわからない、外来のNrsに聞いてもわからない。  ♪ オウチーを聞いてもわからない     ナマエーを聞いてもわからない、、、  童謡”犬のおまわりさん 動揺するばかり

窮すれば通ず??;8/21、火曜日、晴れ、CHM-Hp

けふも、3時頃から目が覚める。ネグラのドアを開けると寒気が入り込む。 庭に出て東の空を眺めると、オリオンと、冬の大三角形の星が輝く。スマホを取り出して撮影を試みるも、うまくいかず断念。 ストレッチ後、上下のトレーナーを着こんでジョギングに出る。まだ薄暗いバイパスをトラックなどが次々と通る。信号機のある交差点で左折、そこからストライドを変えつつジョッギング開始。持病の腰に負荷をかけないよう、そして骨盤が少し前傾するように配慮しつつ走る。道路の傾斜はほとんどなく、まだ車も通行人もいない時間帯、一辺250m位の正方形の道路で、今のところは一周だけ。慣れてきたら2-3回にアップする予定。  朝食後にシャワーを浴びて車に乗る。 この日は、叔母の状態でが眼科受診を考えての車だが、結局は従姉妹からOp希望しないといふ消極論あり、こちらも意欲減退。 いつもより早くに帰宅、何をする元気もなく、、、釜飯に米少な目と野菜たっぷり、味は醤油のみ。 火を調節して焦げ目が少し、以外と美味い

これから・・・・・;8/19 日曜、S市から車を

これやこの いくも帰るも   、、、 知るも知らぬも あふさかのせき 何故かこの詩がが浮かんだ。 私は西に行くか来たに戻るかで迷っている そのためなのだろうか 作者とされる蝉丸が住んでいた「あふさかのせき」、現在の場所は定かでないらしいが、昔は 東海道、東山道から京都に入る、あるいは出る関所とのこと 関所とは、https://dictionary.goo.ne.jp/jn/123510/meaning/m0u/ >>交通の 要所や国境に設け、戦時における防衛あるいは通行人や物品の検査に当たった所。古代においては軍事的目的で設置され、中世には 関銭 が 幕府 ・ 豪族 ・寺社の重要な財源となり、その徴収を目的として各所に設けられ、交通・商業の障害になっ 関所の西が関西だけど、昔は畿内と呼ばれていた。

もうひとつあったが、笑うが勝ち。8月20日の月曜日、

ボケ頭、オーバーヒート、気をつけよ この1週間、少なくとも、もうふたつの事件があった。 追加その1、 16日の木曜日、またまた人生初体験。訳の分からぬまま救急車に乗った。 ----> 追加その2、 TKMZW SGのジーちゃんが亡くなった! 夕方のこと、そろそろ帰ろうと仕度をしてたら、MSAKくんが、いつになく 浮かない顔で現れた。そして、ポツリとひとこと。 エ~っと驚く私。ようやく食べられるようになったというのに、 お孫さんの○○ちゃんが、さぞかし悲しんだろうに、、、

8/13-8/19;振り回されっぱなし、、、、

振り回されっぱなし、、、、この1週間は。 <その1> 本日は20日の月曜日の午後。わたし個人的にはかなり気を使って、あれこれ手配した”つもり”だったが、とどめの一撃は、、、 こんがらがっているけど、私が良しと思ってしたことが相手に、理解されていない?ということなのだろうか。広いようで狭いこの業界、私は20年以上前からのお付き合いのある人(A氏としておく)と本日ようやくコンタクトが取れた。  それを問題の人物に連絡しようとしたら、本日不在で、明日もお休みらしい。先週の木曜日に、件の人物に声を掛けたら、どうも悪性のものらしい。けれどもその施設ではすぐに手術できず、、ということ。それなら、私はA氏が昔言っていたB氏の名前を挙げた。 この”余計なこと”が問題となった。 結論からいうと、件の人物は、私の気苦労を無視して勝手にB氏あての紹介状を書いてもらったらしい。困ったのは、A氏はむしろ別のC氏を推薦し、そこなら定期的に行っているからいいだろうということになった。  私は非常勤で、余計なことをしていいのか悪いのか、その線引きがわからない。 件の人は、もともとそういった配慮にとぼしいのだろうが、、、、。  教訓その1; 相手の性格が不明瞭だったら、余計なことはしない。 <その2>8/12-8/16 8月12日、日曜日の夜、突然に従姉妹からLINE電話あり、 それは-----> 爾来、私は、朝は94歳の母を見て、夕は92歳の叔母を別の施設に見舞う毎日となった。 だが、2週毎に頼まれている200キロ先の視閲もあるから、移動日が必要。 <その3>8/14と8/17 鬱になった恩人と会う。 ------> <その4> 8/17と8/18 15年前からのお世話になった人と事務長との会談 <その5> 叔母の退院騒動と、眼科受診 ----> それは 明日へ