Revision;ナガサキ原爆攻撃(2014のMemoより);9/1

けふは9/1、防災の日、そしてボーサイの日。
一方では、高校生の自殺が多い日ともいふ;
>> http://news.livedoor.com/article/detail/15236501/

万感の思いが込められたこの日、私は何故かSMD市にいる。
ふと思いつき、このBLGサイトの過去記事で「下書き」のままになっていたモノ(数百?)の一部を「オープン」にしようと思い立つ。これも気まぐれ”B型ニンゲン”か。

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『極秘「ミッション・レポート」が告げるナガサキ原爆攻撃の隠された真実』 http://sky.geocities.jp/stantanaka_charlotte/page1-2-1.html 

>>原爆は現在の中区大手町一丁目上空で爆発し、その模様は空中撮影された。爆発の閃光(せんこう)が走って15秒後に最初の衝撃波が到達した、とエノラゲイの副操縦士ロバート A.ルイス大尉は述べている。ゾンデは安佐北区亀山地内に降下した。天候偵察機は囮(おとり)の効果を上げた。こうして、広島攻撃任務は完全に達成された。

この引用だけで尻切れトンボになったのは、上記サイトの原文を読み進めたためだろう。

ナガサキについては
>>7日、ラジオ東京は、広島の原爆に抗議する英語放送を流し始めた。
翌8日白昼の八幡空襲は、投弾機数221機、投弾量1,302米トンと記録されている。被害は、小倉造兵廠の西側に隣接する地区にまで及んだ。

これが小倉にとっては幸いした。といふのは、このスモッグがナガサキに被害をもたらしたからだ。

11日の予定が急遽繰り上がって(背景は勿論ソ連がからむ)9日に先ず
天候偵察機は、02:03時、小倉と長崎に向かって飛び立った。

<中略>
ボックスカーは、補助燃料系統に重大な欠陥を抱えたまま、02:49時、予定より1時間も遅れて離陸した。小倉攻撃が予定時刻に間に合わないことは、既に明らかであった。ワシントンでは、定刻の爆発信号を待ち受けていた。

この膨大なレポート、無断で引用することすら恐縮するが、この筆者の指摘はWinnerサイドの大きな”巧妙な欺瞞”を指摘するに、十分足りうる資料だと思う。

ふたつの原爆、”壮大な人体実験”により20万人が”殺戮”された。レイシズム・DC指導層は「次なる敵」の動向を抑制すべく計画を早める必要があり、さらに”もっともらしい正当性”を前面に出す戦略を迅速に進めていた。

一番情けないのは我が国の対応だ。
>>「原爆投下は国際法違反か」の問題については、平成8年(1996年)7月、国際司法裁判所が判断を回避した。我が外務省は、『陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約』(いわゆるヘーグ条約、1910年・明治43年効力発生)体制下では「国際法違反とまでは言えない」との見解を示している。

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