公文書に記載されない歴史、戦艦ミズーリ号:25-9-6、Sat.
台風直撃の土曜、遠距離ドライブを強いられた愚かな老人のメモ;
日時不詳、2日か3日のテレビで、刮目すべきドキュメンタリーがあった。
内容は、80年前の日本と連合国間で降伏文書署名セレモニーの記録映像だ。
それは、公文書には無い重要な事実が記録された16㎜フィルムが中心の、感銘深い番組構成だった。(これだけでも、受診料をボッタクられる正当な理由があるだろう。)
16㎜フィルムは再生装置がないジョンソン・ファミリーは中身を全く知らない。
番組は、艦長キャラハン准将の孫ジョンソン氏とその家族が揃い登場。
マレー艦長と呼んだのはミドルネイム(なんだか忘れたが)の通称だったのだろう。(アホな私は、”マレー”で検索したので不発、このような混乱は稀にしてほしい。)
ここで、NHKのチームが大活躍して映像が映し出され、個人的な情報開示となった。撮影は艦長の指示によるもので、名前は多分某氏、ニッコールレンズの優秀さを戦後初めて全世界に広めた人だと思う。
ここで余計なコメント、コジンジョウホウとかチョサクケン云々を言い出す暇人が多すぎる ヘンな国ニホンでは、かような番組作成は不可能だったかもしれない。
戦艦ミズーリで 検索すると、Kamikazeアタックに関する記事が多いけど、 艦長の能力は記録以上なことに気づく。
この番組により 艦長の広範囲かつ広視野の配慮・気配りがわかったことは 最大の発見であった。 偉大な祖父の記録フィルムを観て、ジョンソン氏の心中は如何ばかりであっただろうか。
私が特に印象に残ったのは、シルクハットを被って乗艦した重光代表に対する手厚いケアだ。
義足で不自由な移動を強いられる全権代表の 予想されうる全ての障壁に備えて、予め対応プランを練っていた艦長。義足が置かれる位置にも注意を払い、日本側の屈辱感を最小限に留めるべく、セレモニーも簡素化したという。これは、GHQの戦後処理にあたっても、最適な演出でもあった。
米国資料でも、キャラハン艦長の類まれなる戦歴、様々な尊敬すべき記録が残っている。日本のシステムはよく知らないが、米国の情報管理システムは、まさにこれ実存主義の見本であり、日本のような縦社会ゆえの途切れ途切れの不完全全で現場に役立たないゴミ情報の羅列とは雲泥の差だ。
ネットで多く流布している次の記録、すなわち突撃突入した日本軍パイロットの記述を参考にすると、発見された上半身を、最大級の敬意をもって水葬にした事実(多くの反対を押し切って)は、艦長にとっては当たり前のことだったと思われる。
このメモを書くにあたって、資料をオンライン検索するも、有効なもの少なく、多くは二番煎じで広告だらけ(また愚痴るのは、老化現象だろうか)にて、やむを得ず公文書管理でも先進国の英文資料も参考にした。
(Microsoft Copi. はAI嫌いの私でも意外と役立った。 とヨイショしておく)
Microsoft Copilot: あなたの AI アシスタントです
>>William M. Callaghan—a distinguished U.S. Navy officer whose legacy spans nearly four decades of service across three major wars.
今年は80周年という節目の年。
日米は、嘗ての敵同士は今や親密な同盟関係にある(そう信じたい)。
ハワイにて、調印式9月2日に静謐且つ厳粛なるセレモニーが行われた。
方や、中露のそれとは対照的だった。(どうでもいい情報は スルー)
この点については、 別のBLGで言及したい。 by dadkoala
政治とは、今も昔も「情報戦」。
情報を疎かにした日本のシステムは、無益な一般市民、兵士などの損失を増大させた。この教訓は無駄にできない。
報道されない事実にこそ、重要なポイントがある
という、先人の箴言を想起すべきと愚考する。
蛇足; 先ほども娘から怒られていたMCIたる私。これもボケ対策の一環と カシャカシャとキーを叩く。
戦艦ミズーリ記念館については、下記を参考に
「戦艦「ミズーリ」記念館(Battleship Missouri Memorial)」の展示内容 | 戦跡の歩き方
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