予測といふ愚考の極致 :25-9-23、火曜、醜聞の日?
4時のテレビを偶然目にした;
私は、素人だが、この番組内容に違和感を持つ。
94歳のご老体に、わざわざ来ていただく意味がどこにあったのだろうかと、素人なるが故に疑問を感じた。
1985年にアメリカを含む先進5カ国がドル高を是正するために為替市場に介入することを合意した歴史的な国際協定
と、あり、場所はNYのプラザホテルで行われたとのこと。 私は、NYもボストンも行ったことがなく、南のDCには、アホ娘がいたので数回様子を見に行った程度。 冬がメッチャ寒いらしいが、空港から地下鉄で主要施設のアクセスが抜群で、少し北のベセスダにはNIHがある米国の中枢みたいなところと認識している。
さて、プラザ合意とは、米国に次のの5か国が集まった怪談だったようだ。それは、西独、英・仏、(ついでに)日本。
アメリカの失政の尻拭い的なもので、日本までがノコノコ出かけて行き、アメリカの要求を全面的に容認した対米妥協の日本は、失われたウン十年、日本経済低迷の出発点ともされている(Wiki.参)。
テレビで報道された主人公たるご老人については、最後の方で述べたいと考えている。
当時の背景については、下記がわかりやすかった;
【プラザ合意とは】簡単にわかりやすく解説!!背景や目的・内容・日本への影響など | 日本史事典.com|受験生のための日本史ポータルサイト
田舎育ちの私でも、ベトナム戦争の記憶はある。
電気紙芝居や新聞では毎日のように報道されていたから、嫌でも目に入る。
当時の憧れていた先輩が「打倒△ムニャムニャ、」と激を飛ばし、そのクラブ活動では、報道写真を勝手にコピーして、校長先生と何やらガタガタ揉めていた。
私は軟弱な演劇脚本作りに夢中となっていて、気晴らしに隣の部屋に勝手に入って、報道写真が示す「人間の獰猛さ、愚かさ、戦争の生々しい実態」を目にし、文字や言葉での表現に限界があることだけは、なんとなくわかっていた。
【ベトナム戦争】戦争の原因から冷戦の影響、その後や考察まで<歴史まとめ> - ちしきや
「冷戦期の中で起こった争いの中で、この出来事がもっとも悲惨で、人々に衝撃を与え、世界でもっとも必要性のなかった戦争」といふ指摘は、数多の怪説が乱立する中で際立ったのもと愚考する。
泥沼化したベトナムに介入したのは、そもそも、日本が居なくなったインドシナに旧宗主国たる某国が再び首を突っ込んできたことから始まった。そこへ米国が吸い寄せられるように介入し続け、人的物的にも空前の被害影響を齎(もたら)した愚行の極致だった。
JFKによって米国の本格的介入後、南ベトナム政府を支援政策を推進するも、ダラスで暗殺。
結果として戦争の長期化と米国の国際的影響力に悪影響を及ぼしたことになる、、。
さて、NHK番組にご登場の某氏、何を語ったのかは知らないが、何を今さらと、思ふ次第である。
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