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厄介なリンジン;12/24、月曜日

昨日23日は、天皇誕生日で、けふは、苦しみ増すイブだといふ。 このタイミングで、またしても、・・・・・・ ジケンは20日に起こったとの報道あり。 http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-2921.html >> 岩屋防衛相は昨夜記者会見を行い、 ●国 海軍艦艇が20日午後、 海上自衛隊のP1哨戒機に 火器管制レーダーを照射 した事を明らかにしました。 レーダー照射は照準を合わせるロックオンと同じで、 「あとは引き金を引くだけ」の状態であり、 軍事行動、或いは攻撃予告ともいえる大変危険な行為。 たとえ照射された側が先に攻撃したとしても、 国際法上はまったく問題が生じないほどの事案で、 海上自衛隊幹部の話によると、 「よほどの緊急事態でなければ、現場だけの判断で照射しない」そうです。  >> 一方、アチラの反応はといふと; ●国 の海軍関係者はこの件に関して、 「遭難した北朝鮮籍の船の捜索の為艦艇の全てのレーダーを作動させたところ、  その範囲内に哨戒機がいるのを把握した」と説明   >> 銘記すべし、我が国防衛従事関係者の尋常ならざる忍耐力を。 石ころ以下の無法コッカでも、粛々と任務にあたっている。  

補助金依存深める 気がつけば後進国(2);12月14日(金)

斑ボケになったのだろうか、1月以上前の記述の続編を思いだした; https://www.nikkei.com/article/DGKKZO36686060Z11C18A0TM1000/ 補助金依存深める 気がつけば後進国(2) 「ノー政」と言われ続けてきた農林省。 老人の医療費を無料化といふ「世紀の愚政策」を掲げた某省に劣らず、賊(誤字では断じてない)議員の圧力と、アメちゃんの惨バン煎じのニダイセ-トーを唱えた某ギイン暗躍で、税金が転用された。 無駄遣いされただけなら、まだカワイイといへる。これは、医療費無料化が、その後の医療破壊を惹起させたように、日本農業も、後進国へと凋落させる milestone となった。まさに参る(複数)tone(トーン); the  general   atmosphere  of  a   place   or   situation  and the  effect  that  it  has  on   people   ;http://english.cheerup.jp/eedict/search?name=tone 記事を読むと; >> 07年の参院選で民主党が掲げたのが、コメ農家に広く補助金を出す戸別所得補償制度だった。考案したS衆院議員によると、「名前はOZI代表(当時)が決めた」。<中略>OZI氏はこれを武器に都市型政党だった民主党の支持を地方に広げて自民党を歴史的大敗に追い込み、政権交代の流れを引き寄せた。>> このセーケン交替がどういった経緯をもたらしたのか。いくらセージに無関心なジーちゃんバーちゃんでも、入れ歯を落としそうになるほどだったから、、、、。 つまり、この保障制度は、失われた20年にトドメを指すようなことをしたといっても過言ではない。 ニホンはつくづく不思議な国だと思ふ。二世、あるいは偽ギインのオンパレードと、無知でメディアに顔を出すことしかノーミソを使わない税金泥棒がアマリニモ多すぎる。 加えて、こうした無能ギインに翻弄され続けたニホンの官僚は、果たして勤労意欲など湧くだろうか。もし、少しでも、職務に意欲を燃やす...

ふりかえらず泣かないで歩くんだ;12月13日(木)

複数のBLGを書いていると、つい忘れてしまうのが、あれ!コレまだあったっけー?? このBloggerのこと、もうひと月以上も忘れている。 つまり、ボケてきたことを立証しているようなもの。 でも、何か急かされる、忙しい、心を亡くすような生活の連続に、どのような意味があったのだろうか。 それでも、合間合間に文庫本を読む「余裕」があったかもしれないし、日誌としてメモする習慣もなかった、己の怠惰に腹立たしくさえ思う。 Point of No Return あるいは Turning Point とでもいふべきだろうか。 国家にも、私のような個人にも、誰にでも流れを変える「何か」、 潮時とでもいふべきかもしれないタイミングがあったと、retrospectiveに判断するイベントの連続があった。 大袈裟かもしれない。でも、この1ヶ月の時の流れを、半歩脇に寄ってみると、己の生き方を正当化すべく、着々と手を打ってきた、そんな気がする。 改めて、10月頃からの流れを追ってみる; 台風接近が幾度もある、異常気象。中旬からのスマホのトラブル。 11月早々の地銀窓口での交渉と、ストレス蓄積での腰痛再発、 そして、10日土曜日の高校同級会。前後してDCからの娘が一時帰国で振り回され、航空機便の手配やら、大学などとの交渉手配、先輩やら友人との会談で疲労のピークは19日の月曜。 咽頭炎で抗生剤飲みながら、半日休みを取って、車を走らせ、SKDR駅から新幹線乗り継ぎ大阪からKGSMへ娘と飛ぶ、墓参やら、大学訪問、ツル渡来地訪問などなど。 そして、非常勤先での決定的イベント、これで決心し、書類を用意。これが私のTurnig Point。 論理的記述はく、ただ、事実だけを事務的に記録しておく。事務的な仕事の意味は、逆説的にありがたくさえ思った。 文庫本は、特に歴史書から得る「哲学」は私にとって羅針盤みたいなものかもしれない。 偶然は、歓迎すべき贈り物かもしれない。 2週缶前、大塚駅前の書店で手にした2冊、 そして、けふのSZOK市内の書店で目に触れた2冊の本。 私に、見知らぬ神がアホな私に読みなさいと教えてくれたのかと思いつつ購入した。 (浅田次郎の2冊、一冊は泣きながら読み、そして、今日も浅田次郎と彩瀬まるの本、いつかこれもBLGに) 太陽が...

蚊と大砲、WASP、「峠」読了;11/15木曜

2週間ものブランクは、それなりの言い訳があるも、それを言ったらオシマイだ、、、。 葛飾の寅さんの台詞が浮かんでくる。 そして、長岡藩の河井継之助も多分同じだろうと思ふ。 両者に、いや男といふものは拘(こだわ)りといふか矜恃とでもいっていいのか、奇妙な精神構造の世界に憧れる。 寅さんのニヒリズムは笑い飛ばしてもなお、日本人の心に訴えるものを残しているが、 後者の場合は、地域社会広範囲に強烈な爪痕を残した。 著者、司馬遼太郎の作品は、これまで紀行文も含めてやや敬遠しがちであったが、この作品に描かれた河井継之助の足跡を、詳細に記述から知ることにより、過去の作品を読み直したいとさえ思った。 「峠」の下巻を読了した。 多分2週間ほど前だったと記憶しているが、主人公の死で、尻切れトンボ状態な感覚が、脳裏にしばらく焼き付き、半ボケ老人にさえなった。 歴史といふ事実は、これほどまで残酷なのか。 キャパシティーの小さい私の頭脳は、思考回路の整理に、時間が必要だったのかもしれない。 作品での、いくつものポイントをノートにメモしたつもりだったが、どこかに紛失。 如何に彼継之助の天才的政略戦略家であっても、たった一瞬の若輩狭量な司令官との邂逅が、全てを崩壊させた事実に戦慄すら覚える。 天才異才と呼ばれた人物の敗因を考える。 彼の貫いた武士道と、陽明学云々については言及しないし、するつもりもない。 政治に不可欠な武器商人が、運命の鍵を握っていたのだろう。 薩長と戦争までした後に経済援助をした大英帝国と、中央から遠く離れた小藩では、フランスのバックでスネル弟とのパイプはあったにせよ、所詮は「蚊と大砲」の違いであった。 恐ろしいまでの世界戦略観をもつ、腹黒搾損(ハラグロサクソン)。 世界経済を牛耳るWASP。つまりスネル弟に利用されたのかもしれない。 不思議な存在のスネル兄弟。 http://www.japanusencounters.net/sub_schnell.html 兄弟の国籍も不明。 一方の河井継之助は、典型的なサムライであった。 当時も今も、日本人は説明不能なロイヤルティー(頭文字がLのほう)* がある。 忠誠心とでもいふのだろうか、国家なのか、蕃なのか、それとも、、、、、?? 愚弄バル化した現代に、こ...

人との交誼で己を鍛える継乃助;11/4、日曜

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司馬遼太郎の「峠」の下巻も、読み応えあり。 上巻の一部については、先日このBLGに記した--> 「誰が京の封印解除をしたのかだろうか?;10/05金曜」 まず、本の写真を撮ろうとしたが、スマホを替えたばかりで、メール転送(今、デスクトップから入力)も面倒だしと、ネット探しで、ふと目にした「読書感想」に見入ってしまった;-->http://www.yama-mikasa.com/entry/2017/08/16/%E5%85%AB%E6%9C%88%E5%8D%81%E5%85%AD%E6%97%A5%E5%8D%88%E5%BE%8C%E5%85%AB%E6%99%82%E3%80%81%E6%AD%BB%E5%8E%BB_ どうやらこの方は、文庫本が出る前のハードカバーだろうか、上、中、下、それぞれにポイントを書いている。ボンクラの私は、ありがたく読ませてもらう; どうやら、文庫本も2つのタイプあるらしく、3冊のものと、上下2冊のもので、下巻の表紙が異なっている。 そんなことより、内容である。 >> 旅から帰った河井継之助は、長岡藩に戻って重職に就き、洋式の新しい銃器を購入して富国強兵に努めるなど藩政改革に乗り出す。ちょうどそのとき、京から大政奉還の報せが届いた。家康の幕将だった牧野家の節を守るため上方に参りたいという藩主の意向を汲んだ河井は、そのお供をし、多数の藩士を従えて京へ向う。風雲急を告げるなか、一藩士だった彼は家老に抜擢されることになった。>> 私が先ず注目したのは、旅の終わりで江戸で出会った人物のことである。 一人は福地源一郎、( https://drkoala.blogspot.com/2018/09/916.html 「 旧幕時代にシェークスピア、シルレルを読んでいた男 」) 福地源一郎を著者は「幸運児」でもあったと記している。 事実、下記にあるように明治の「日本 十傑 」での2位を占めたのが源一郎であり、 「東京日日新聞」(現在の毎日新聞)を発行する日報社に入社して社長にもなった。そして、明治に入って最初の言論弾圧で逮捕されている、まさに異能のジャーナリストだ。 >> 明治18年(1885)、「今日新聞」(現在の「東京新聞」)が、各界の代表的な日本人の投票を行ない、その結果、10の分野を代表する「日本十傑」 ...

気がつけば後進国(1);10月27日(土)

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気がつけば後進国(1) 日経の記事から;https://www.nikkei.com/article/DGXMZO36429490S8A011C1000000/?n_cid=SPTMG053 >> 独創的な科学技術を振興しようと政府の総合的な計画策定や財政的な支援などを盛り込んだ法律で、1995年に議員立法で成立した。政府が60年代後半、法制化を検討したが、法案を国会に提出できずに廃案になった。自民党の素案をもとに超党派の有志議員で法案をまとめ、ほぼ四半世紀を経て実現した。   云々戸在るが、グラフを見れば一目瞭然

お経と蘇東坡の「溪聲山色」;10/21、日曜

4時に眼が覚める。前日ファイルから出しておいた「曹洞宗のお経」をサイトからあれこれ見ているうちに 「溪聲山色」 という言葉が目に付く。 これを調べてみると「谷川のせせらぎは仏の説法の声、山の佇まいは正常な仏の姿」という意味で、 出典は 蘇東坡の詩、「 溪聲 便ち是れ広長舌、山色 豈清浄身に非ざらんや 」*より *; https://zengo.sk46.com/data/keiseisu.html    蘇東坡「 贈東林総長老 」    http://www.kannon.org/01/howa18.html 蘇 軾 (そ しょく、 拼音 :  Sū Shì 、 景祐 3年 12月19日 ( 1037年 1月8日 ) -  建中靖国 元年 7月28日 ( 1101年 8月24日 ))は、 中国 北宋 代の 政治家 、 詩人 、 書家 。 東坡居士 と 号 したので、 蘇東坡 ( そとうば ) とも呼ばれる。 字 は 子瞻 ( しせん ) 。 蘇洵 の長子、弟は 蘇轍 であり、この3人に 韓愈 ・ 柳宗元 ・ 欧陽脩 ・ 曽鞏 ・ 王安石 を加えた8人を「古文」の 唐宋八大家 という。     https://www.weblio.jp/content/%E8%98%87%E8%BB%BE 蘇東坡については、以前どこかで書いたが、、、失念、、、一応探してみたら発見; >> https://drkoala.blogspot.com/2017/11/intervrntion-h291117drwtb.html?m=0 もうひとつは >>  溪声山色  改めて、上記について 「曹洞宗のお経」の法話は次のように述べている; >> 私たちはいつも真理の真ん中に生かされています。こうした事実の気ずくのを「 悟り 」といい、気づかないの「 迷い 」といいます。  自然のたたずまいが、そのまま説法の声であり、真理の言葉であるとうなずけたとき、「不妄語」が何であるかを体得したと言えます。   不妄語 とは、「うそや、いらざることを口にしてはならない」と言う意だけではありません。谷川のせせらぎの音も、山の景色もそのままに真理を告げています。しかし、人間のように、自然はあえて言上げをしません。言上げしないままに、そのまま真実を語ってい...

SKRにて、回想まとめ;10/20、土曜日。

前日の19日午後、SKRに着く。 一夜明けて、久しぶりにお天道様を眺める。 すると、なんとなく気分が落ち着き、昼前に散歩wp兼ねてお買い物に出かける。 夕方に一時雨あり、 18時過ぎから、このBloggerの過去記事、下書きをチェックして公開にしている。 5-6月の、一周忌前の落ち着きのなかった日々が、重たげに蘇る。 スマホの写真などあればと思うのだが、それも全て消えてしまったから、、、、。 改めて思うが、ネットという媒体の便利さに潜む罠。やはり、昔ながらの紙に記録する手段を考慮すべきだろう。 先ほど、ミルクを温めるために電子レンジを借りた、そこへスタッフの1人が通りかかり今日の新聞を置いてくれた。何気なく一面下のコラムを見ると、50年前のことが書いてあった。 それは、札幌医大で行われた心臓移植を受けた患者が術後血清肝炎にかかりさらに83日目の10月29日に食後端を詰まらせて死亡したという。 これがいわゆる「和田移植」だが、1968年というと昭和43年8月に世界で30例目という心臓移植が行われた。https://54153788.at.webry.info/201310/article_7.html その1年前の12月に南アで世界初の心臓移植が行われたことのほうが当時高3だった私には強烈な記憶として残っている。その執刀医C・バーナードと和田教授が同じ米国留学時代の仲間であり、和田教授がそのニュースに際して大いに悔しがったということも後日知った。 さて、問題はこの「事件」が日本のその後の移植医療をメチャクチャにさせたという点にある。これを、世界の恥と言わずに他に適切な表現あるだろうか。 改めて、Wiki なるものを見て驚いた。 事実と根拠不明な私見の区別なしの雑文。少し前からこの正体不明なWikiに疑問を持っているが、ほかのGoogle検索でヒットするサイトの内容も似たり寄ったりで、杜撰な羅列だと思えた。 無責任なメディアはともかく、医学会の対応も曖昧模糊として、科学的検証が全く加えられなかった。そもそも、同大学の某教授が、何を根拠に「移植は必要なかった」と発言したのか、そして、「脳死」の判定基準すらなかった当時に、多分「記録」の重要性など誰も考慮していなかった(と思われる)当時に、寄って集(たか)って批判が駐中したらしい...

歩行訓練?;10/16、火曜日

朝から曇天、夕方から雨になるかもとのことで、車で出勤。 夕方、3Fの病室で母と会う。このところ、呼吸状態は落ち着いており、SPO2は91-94とのこと、試しに部屋の中でどのくらい歩けるのか試してみた。 ちょうど、女性のリハビリスタッフがいたので一緒にみてもらった。 母の反応は、以外にもあっさりとOK。7月22日の入院騒動以来全く歩いていないし、リハも拒否していたので、正直不安があった。 しかし、このところ慣れてきたのか、すんなりと了承。すぐさまベッド脇に立つ。 一応念のために、手すりに掴まらせるも、本人は無頓着に立ち上がるのでリハスタッフも驚く。ベッド脇をつたい歩きさせる様を見ていた彼女、これなら歩行器は不要だろうとのコメント。 本人は、意外とすたすた歩く。念のためにと両手を取って誘導するも、口ではいらないといい、廊下の境まで歩く、そこで、Uターンしてベッドに戻るが、ケロっとしている。 とにかくゆっくり、ゆっくり、毎日これをしていければ、と思うのだが。

高速バスの座席にて;10/7、日曜の夕方

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私は今、高速バスの座席にてスマホを引っ掻いている。本日の午前中に非常勤先で予約を入れたが、座席は1Aとした。すなわち、一番前で前方と運手席が見える。 出発の時刻になった、 すると、運転士さんが立ち上がってこちらを向き、帽子を胸に当てて一礼そた。
代表取締役社長 三山 秀昭(経営者から学ぶ 学生によるインタビュー特集5) https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/hiroshima-uij/leader-interview-5.html 別のBLGでオバマ広島訪問の立役者と判明した、三山社長の情報が見つかった。 >>広島テレビ放送の三山秀昭社長。平均視聴率は在広局の中で4年連続でトップと好調。番組制作への思いや、働く原動力を聞いた。 ; 「 ―日々の仕事で気を付けていることは」 >> 常に意識していることが2つあります。 1つ目は 「正確さ」と「信頼をなくさない」こと 。どちらも大切にしています。 なぜなら、無理をして面白いものを作ろうとすると、誇張や捏造(ねつぞう)が生まれ、視聴者の信頼を失ってしまうからです。 失った信頼はなかなか取り戻せません。両者はつながっていて、切り離すことはできません 。  2つ目は「伝え方」。メディアは 人に伝わって初めて メディアと言えます 。伝わらないと意味がありません。だから、視聴者の関心を呼び、分かりやすい情報発信に工夫を凝らしています。 とにかく取材後に いったん咀嚼(そしゃく)して、伝わるように工夫しなければいけない 。いつ・どこで・誰が・何を・どうした・どのようにという「5W1H」は、取材の基本です。  私自身、新人時代に「100調べて、2つか3つを伝えろ」と教わりました。より多くを取材することで、内容に深みが増します。そして、 重要な部分だけに絞る ことで、あいまいな部分が省けて、より伝わりやすくなります。 「働く動悸について」は >> 「好奇心」ですね。何でも知りたいと思い、興味・関心を持って調べることが大切。好奇心さえ持っていれば、取材して調べられないことはないし、何より仕事が面白くなるじゃないですか。 そして >> 「 やってみなはれ精神」 で、社員のアイデアを 否定せずに「面白いね。一生懸命やってみなさい」と背中を押してやる ように心掛けています。とにかく、やってみないことには成功は生まれないし、 挑戦しないとスタートラインにすら立てません 。結果がダメでも仕方がないのです。その場合は、また解決策を考えればいい。 「座右の銘については」 >...

孫正義社長の戦略;日本企業に欠けているモノとは、;10月5日(金)夕

東京本郷の家を出たとき、小雨に気付く。リュックとカートを引っ張り、三丁目からTKY駅に向かう。 寝坊して、時刻は6時半過ぎ、既に駅構内は通勤客でごった返す。 駅に着いてから、スマホで交通手段を考える。余り早く行くのも、、とJRでノンビリ度も悪くないだろうと。同時に、今月から勤務変更となったSN氏にLINE連絡し、確認をとる。 F駅からタクシーに乗る。ちょっと散りに不慣れな運ちゃんだが、雑談を繰り返すと、つかの間のリラックス効果有り。空はいつの間にか晴れている。 LINE連絡予定通りにS施設に着く。荷物を整理してほどなく事務長SN氏が顔を出す。何年ぶりだろうか、再開の挨拶もそつなく、余計なことには触れないのがありがたい。事務的にテキパキと処理を進め、新たにオーブントースターをと言ったら、ものの1時間もしないで、モノを持参してくれた。 之からの仕事予定を考えるも、ここが不思議と落ち着くのでいいのかもしれない。 サボっていたBLGのアップを五月雨式に行う。ここで、スマホ充電用のソケット備品を本郷宅に忘れた事に気付くも、パソコン本体からUSBケーブルで接続できるから、当面は大丈夫。 テレビのない生活だが、情報はネットから取らねばならない。 NHK NEWS WEBから次の情報に注目した;https://www3.nhk.or.jp/news/business_tokushu/2018_1005.html?utm_int=detail_contents_tokushu_001 孫正義社長は何を狙っているのか 単独インタビューで聞く  >> 「仕事が無くなる!? AIロボットVS人間」 背景にある、 急速に進む技術革新に日本が立ち遅れているのではないかという不安。 孫正義は、投資についての質問に次のように述べている; >> スピードについてこられない企業や人はどんどん取り残されるでしょうね。アメリカと中国はものすごい革命が起きています。特に中国は技術の面ではるかに上を行っている分野もありますし、安いから中国で作るという時代は終わったんじゃないですかね。非常にテクノロジーの分野で進化しています。 日本はアメリカと中国の間で完全に置き去りにされた国です。ジャパンパッシングの時代で、議論に参加すらできていない。    >> >> われわ...

誰が京の封印解除をしたのかだろうか?;10/05金曜、曇り

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司馬遼太郎の「峠」をじっくり読んでいる。 河井 継之助は、幕末で異彩を放った長岡藩士。徹底した実利実行の人とのこと、 この書には、徳川幕府崩壊のひとつのポイントとなる記述があった。 先ず、 江戸幕府により設置された「京都所司代」について、 Wikiによると、” 治安維持の任務にあたった幕府の部署” とある。 やがて、>> 出世の通過点となり、地位のみが高く幕政上の政治力は急激に低下した。このため幕末には所司代の無力さが指摘され、 その上位機関として「 京都守護職 」が設置された。 これは” 大阪城代、京都所司代、京都・大阪・奈良・伏見の各奉行の上位。非常時は畿内諸藩の軍事指揮権を有する”とあり、時期は文久 2年(1862年)、この年には 寺田屋事件、生麦事件 などがあった。 官僚の考え方は、今も昔も変わらない。 巨大組織といふものは、代を重ねるにつれ必ず膨張をを続けて、自己崩壊に辿り着く。中国大陸の王朝しかり、アレキサンダーやローマ帝国でさえ、滅亡した。 それを知ってか知らずか、家康といふ天才が出現した。 彼は、信長、秀吉ラインから日本を統一し、同時に堅実な統治可能たらしめる幕府体制を築きあげている。徳川体制が300年といふ長期政権を維持できるシステムは、最初から工夫されていた。 "Show the flag" 1990年の湾岸戦争の際、ガイコーオンチのニホンが、米国からどやされた有名な言葉。 国旗を見せろ、とは、たいどを、立場を明確に示せという意味なのだろう。 つまり、ニホン以外の普通の国(たぶん一神教の世界では、、)では、敵か味方かの区別はそのDNAに染みついているのだろう。砂漠の民は、トップによる遭遇する部族が「 敵か味方か」の選択判断が、その所属部族に生命予後を決定してきた(と、私は解釈している。) 家康は、その生い立ちから必然的に尾張の小藩の存続に苦慮し、徐々に実力をつけてきた。そして、関ヶ原で「敵・味方」が明確化となった後の、長期政権維持のための骨子を作り、京都の戦略的位置にも熟知していた。-> http://blog.livedoor.jp/dadkoala/archives/52531885.html だが、幕末といふ時代は上記の家康の目論見がなし崩しにされ、京都は短期的展望しか持たな...

ずぼらへの誘い;10/04、木曜

LINEのナントカニュースで下記を知った 。 http://honjitumorakuten.girly.jp/archives/26057 ワンボールクッキングというものらしく、私みたいな、面倒くさがり屋には最適なのかもしれない。 今年2月から狭いクッキングのネグラとなった。まー、昔に田舎から上京した頃は冷蔵庫さえない(うん、冴えない)3畳半だったから、今は天国みたいなもの。ガスレンジ、オーブントースターに、未だによくわからない電子レンジまである。 つまりガキでも使いこなす電子レンジをもっとも活用せいということなのだろう。 因みに私は、磁場の力で分子がどうのこうのして、あのチリチリとした奇妙な電子音が好きになれない。CDよりも、LPレコードのほうが肌に合うハラグロ、あ、間違え(本当かも?)アナログ人間だ。 お料理は、生きていくうえで人生に大きなウェイトを占める。ボケ始めた私は、頭と手を使うこの作業が何となく気に入っている。しかし、イイカゲンでずぼらの部分が多いし、後片付けの煩わしさもかんがえると、こうしたコンセプトのお料理も、知っておく必要がある。 ありがたいことに、丼でもいいとのこと、まさにどんぶり勘定でトライ。

ファイブゼロJapan;10/3 水曜

「00000JAPAN」 今朝の電気紙芝居で上記の内容が放映されていた。 Wikiをみると >> 00000JAPAN(ファイブゼロジャパン)とは、日本における大規模災害時に、情報収集や安否確認などを支援するために無料で提供される公衆無線LAN(Wi-Fi)アクセスポイント。日本国内の無線LANに関係する企業で構成される「無線LANビジネス推進連絡会」が主導となってサービスを提供している。 つまり、災害時に面倒なWi-Fi のパスワードだかなんだかわからないものを入力しなくてもネット接続が出来るというものらしい、 いつ何時災害に見舞われるかわからないナントカ大国日本、これを知っているだけでも安心できるだろう。 もうひとつは、電源。今度の台風でも停電騒ぎ云々で、日常気づかない落とし穴がある。 私はボケーっとしていていたが、最近では誰もがモバイル電源を携帯しているらしい。 そこで、おっかなびっくり久しぶりにナントカオークションでそれをゲットした。 今のスマホ、いつ購入したのかそれも記憶に無いが、このところ、夕方までバッテリーが持たないことさえある。 まー、それまでに私が”バッタリー”と、あの世にいくかもしれないのだが、、、

3億円の損失;今と昔;10/2

朝のニュース、私はチャリを漕ぎながら聞く。 「年金受給者の情報照会重複で3億円がむだに 会計検査院が指摘」 \\>>https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181002/k10011654221000.html >>日本年金機構が年金受給者の情報を確認する際、住民基本台帳ネットワークの運営法人に重複した情報の照会をして年間3億円余りの手数料がむだに支出されていたとして、会計検査院は、事務を効率的に行うよう改善を求めることにしています。>>> 昔、三鷹で3億円事件があった。 Wikiを見たら、昭和43年〈1968年〉12月10日だという。当時、私は中学生でその金額がいかばかりなのか見当もつかなかった。なんでも、当時の大卒初任給が3万6千円だというから、現在では20億円以上の価値があったと思われる。 >>被害金額2億9430万7500円の語呂から、「憎しみのない強盗」 なるほど、盗られたボーナスは、どういう仕組みかわからないが保険で補填され、実質被害はゼロのようだ。 けれども捜査費用は7年間で9億円以上、さらに捜査員の過労死2名(当時はどう処理されたのだろうか?)、被疑者の自殺など、負の遺産も残している。 そして、50年後の今、3億円という金額はどう解釈すればいいのだろうか。 お役所仕事、親方日の丸の代名詞ともいわれたネンキンキコー、 名前だけ変えても、中身が変わるはずは無い。 人様のお金なんて、無頓着な人が多いということの証明。 さらに困るのは、誰もが責任を取らないシステム。昔なら、間違いなく切腹モノ、、、、

台風一過と茶道;10/1、月曜、晴れ

私は今日の日付を確認するため、腕時計を見るが、まだ31のままだ。 このところ、ボーッとしていることが多いけど、今日は特にひどい。 台風一過で、朝から晴れているというのに。 5時にシャワーを浴びて、ご飯を炊いて食べたが、どうもイマイチ。 外は、昨夜の風雨はいずこで、雲ひとつない空。徐々に明るくなる。 大安らしい。 でも、心は重苦しい、、理由は恥ずかしくて書けない 夕飯もそこそこで早めに寝てしまった そして、夜中に目が醒めて、スマホの LINE  えっ、本当? 娘のLINEは素っ気無い、ただ雑誌Natureの記事だけ。 Cancer immunologists scoop medicine Nobel prize James Allison and Tasuku Honjo pioneered treatments that unleash the body’s own immune system to attack cancer cells.

「1日でも早く辞めたい」? BIG News !!

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https://www.nature.com/articles/d41586-018-06751-0 10/1 22時にDCの娘から 上記がLINEで送られた! 慌てて、日経を見る、Prof. HONJOに指導を受けた人のインタビュー内容は、あまりの厳しさを示す本音だったろう。 これでしばらく日本は元気づく。

It’s okay. The earth is round. The grass is green.

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スピッツの歌「魔法の言葉」ではないが、言葉には途轍もない秘めたパワーがある。 トラちゃんの"America, First", そして、前任者の”Yes,We can!”。などは記憶に新しい。 時の人、大阪なおみのインタビュー内容が注目された。 The power of coaching- Naomi Osaka's victory in US Open --> https://www.linkedin.com/pulse/power-coaching-naomi-osakas-victory-us-open-hayato-yasuzawa >> When I check the short conversation between Osaka and the coach in a game, I noticed that the coach used the well balanced question types called ORID(Objective, Reflective, Interpretative, Decisional) questions  used as one of the methodologies of coaching at Columbia University.  >> ドイツ人のコーチは、そのORIDと呼ばれるコーチングをしたらしい。具体的には; >> by asking  Objective  and  Decisional question such as "what do you like to talk? or should I talk first?" and then he asked "How do you feel now?", a  Reflective  question. "What has worked?", is an Interpretative  question.    >> >> "No more negativity on the court. You are doing Great, Naomi!!!" and she finally smiled....

singlemindednedness と the back room;9/27 木曜

米国のトラちゃんとの日米声明が、電気紙芝居から流されていた。「日米物品協定」皮肉なのかTAGというらしい。 まー、ハラグロサクロンっちゅうのは、昔は、棍棒を後ろに隠して交渉してたが(高尚とはほど遠い) 今じゃあストレートにナイフをノドモトへ。あのチューゴクが怒るのも当然だろう。 さて、私は本当に久しぶりにジャパンタイムズをちらり。田舎町では、何故か読みたくないA紙しか職場にない。 file:///storage/sdcard0/Download/sp-john-a-20180927-200x200.jpg 注目したのは、 https://www.japantimes.co.jp/sports/2018/09/26/sumo/takanohanas-departure-marks-end-era-sumo/#.W602uBlUvqA

雨続きとショパン;9/26、水曜日

今年の9月は特に雨が多いと、どこかのニュースが流れていた。 先週の20日も夕方ひどい降雨で、ずぶ濡れで帰宅した。 でも、まーこういう日もあるさと、シャワーを浴びて購入したばかりのナントカ・ピアノの前に座る。 バカのひとつ覚えで、モーツアルトの一部をポロン、ポロン、気持ちが落ち着くと、折角の連休だからと旅行を計画。 先ずネットで宿を探すが、昔の宿坊は何故かアクセスできず、値段と釣り合いできるところはなかなかない。一箇所、安宿ヒットし予約し、往復の電車、バスのプランを立てる。 便利な世の中になった。携帯もネットもない頃は、海外へはファックスでアポを取るしかなく、確認に手間取ったものだ。 知人に会うため、KYTへぶらりと出かける気ままな一人旅、何年ぶりだろうか。 KYTへは、初めて夜行バスを使った。早朝に着くから、時間が有効に使える「はずだった。」 でも、早すぎた。リュックと手提げ袋、昨今流行(はやり)のキャスター付きケースはゴトゴト煩いし、人ごみの中では人様に迷惑をかけるから、やはりリュックが一番。本当は、泥棒スタイルの唐獅子模様の風呂敷が便利なのだが、、、。 駅南口に着いた。駅北なら方向感覚が多少あるものの、駅南とは、着いてから驚くマヌケ。 知人が住む近所にナントカ寺があるということを思い出し、駅前の案内図を覗き込む。スマホでナビするのは面倒だから、結局アナロ愚が現実的だ。 小雨が忘れたように付きまとう朝、お寺境内を徘徊する。ボケロージンと通報されないように、背をなるべく伸ばして歩く。本堂軒先をお借りして、SMSを打つが、反応なし。やむを得ず、駅方向に戻り、宿を探す。今度は仕方なくスマホのナビを使う。 <中略> 知人と会ったのは、何年ぶりだろうか。雨空からの陰鬱な気持ちが、すっと消える心地よさ。 昼食を一緒に摂り、徒歩、そてバスでナントカ宮へ行く。知人は初めてのところだというが、楽しめて嬉しい。鳥居脇のお店、昔ながらの茶店だろうか、そこで甘いものをいただく。他愛も無い雑談と少し深刻な話まで、チャットをエンジョイする。ふわふわとした、浦島太郎のような世界も時間は容赦なく迫ってくる。何故か雑踏の中で別れ、無機質な宿に戻る。 <また中略>      夜行バスに揺られて再び日常生活に戻る。 そして、またもシトシト雨。 ピ...

福地源一郎、旧幕時代にシェークスピア、シルレルを読んでいた男;9/16

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>>長崎、江戸で蘭学、英学を学ぶ。安政6年(1859)幕府に出仕。幕府使節の一員として2回渡欧。明治元年(1868)新政府を批判する江湖新聞を発行、逮捕される。3年大蔵省に出仕し、 伊藤博文 渡米と 岩倉 遣外使節にそれぞれ随行。7年から21年まで『東京日日新聞』を主宰、政府系新聞記者として言論界で大きな影響力を持った。それ以後は政治小説や歌舞伎台本の執筆、演劇改良運動など多方面で活躍した。37年衆議院議員---> http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/319.html?cat=56 福地源一郎; 司馬遼太郎の「峠」を読んでいたら、この人物に興味を持った。 >>旧幕時代にシェークスピア、シルレルも読んでいた (上巻、p;126) え? シルレルって誰だ、、と調べたら、 ドイツ の「シルレル」、すなわち フリードリヒ・フォン・シラー ( Friedrich von Schiller ) シルレルを検索すると、太宰治の「走れメロス」が出てくる: そこから調べてみると、同じ様な発想の人がいて;ーー> >>ーー http://hotel-bfu.com/charles/2016/05/25/post-251/ 「古伝説と、シルレルの詩から。」 とメモのようなひとことがあった。 さっそく検索。 >>シルレルはドイツの詩人、劇作家フリードリヒ・フォン・シラーのことらしい。日本ではなんといってもベートーヴェンの交響曲第9番「歓喜の歌」の原詞で有名だろう。 そして古伝説だけでは何もわからないが、こちらも研究家によりかなり解明されていて、シラー作品「人質」に現われるギリシャ神話がそれであるとほぼ定説化しているとのこと。 >> と本題に戻る; 福地源一郎。