SKRにて、回想まとめ;10/20、土曜日。

前日の19日午後、SKRに着く。
一夜明けて、久しぶりにお天道様を眺める。
すると、なんとなく気分が落ち着き、昼前に散歩wp兼ねてお買い物に出かける。

夕方に一時雨あり、
18時過ぎから、このBloggerの過去記事、下書きをチェックして公開にしている。
5-6月の、一周忌前の落ち着きのなかった日々が、重たげに蘇る。

スマホの写真などあればと思うのだが、それも全て消えてしまったから、、、、。

改めて思うが、ネットという媒体の便利さに潜む罠。やはり、昔ながらの紙に記録する手段を考慮すべきだろう。

先ほど、ミルクを温めるために電子レンジを借りた、そこへスタッフの1人が通りかかり今日の新聞を置いてくれた。何気なく一面下のコラムを見ると、50年前のことが書いてあった。
それは、札幌医大で行われた心臓移植を受けた患者が術後血清肝炎にかかりさらに83日目の10月29日に食後端を詰まらせて死亡したという。
これがいわゆる「和田移植」だが、1968年というと昭和43年8月に世界で30例目という心臓移植が行われた。https://54153788.at.webry.info/201310/article_7.html

その1年前の12月に南アで世界初の心臓移植が行われたことのほうが当時高3だった私には強烈な記憶として残っている。その執刀医C・バーナードと和田教授が同じ米国留学時代の仲間であり、和田教授がそのニュースに際して大いに悔しがったということも後日知った。

さて、問題はこの「事件」が日本のその後の移植医療をメチャクチャにさせたという点にある。これを、世界の恥と言わずに他に適切な表現あるだろうか。

改めて、Wiki なるものを見て驚いた。
事実と根拠不明な私見の区別なしの雑文。少し前からこの正体不明なWikiに疑問を持っているが、ほかのGoogle検索でヒットするサイトの内容も似たり寄ったりで、杜撰な羅列だと思えた。

無責任なメディアはともかく、医学会の対応も曖昧模糊として、科学的検証が全く加えられなかった。そもそも、同大学の某教授が、何を根拠に「移植は必要なかった」と発言したのか、そして、「脳死」の判定基準すらなかった当時に、多分「記録」の重要性など誰も考慮していなかった(と思われる)当時に、寄って集(たか)って批判が駐中したらしい。
後のナントカ賞作家となった○△は、どのような本を書いたのか、私は読むつもりもないから知らないが、緻密な取材で知られる吉村昭の書「神々の沈黙」は、翌年貪(むさぼ)るように読んだ記憶がある。

問題は、日本国民の意識と、日本の法律にある。 

次に揚げるのは、ッ昨年の5月にYOMIURI ONLINEでの署名記事
https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20170511-OYT8T50025.html?page_no=3&from=yartcl_page

救える命を救えない…臓器移植法20年の現実

これによると、30年以上の空白を経てようやく制定された「世界で最も厳しい法律」ができ、なんとかネットワークなる組織ができたようだが、問題山積し法律改定(改正ではない)でハードルはやや下げられたが、圧倒的なドナー不足は変わらない。
>>人口100万人あたりの臓器提供者数(13年)を比べると、米国の26人、韓国の8.4人などに対して、日本は0.7人に過ぎないとされる。>>
これが、悲しい現実。世界一不思議な国、それはニッポン。

私を含めた一般国民は、「わかったつもりだが、どうしようもない」、と他人事のこととして受け止めるだろう。世界中からバッシングを受けて、ようやく重い腰をあげる、つまり内なる声を施政者は左の耳で聞いても右の耳から出て行くだけ。
そしてオエライサンたちは、誰もが猫の首に鈴をつけるような「リスク」は避ける。
そう、それが官僚組織の「常識」だから。

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