ふりかえらず泣かないで歩くんだ;12月13日(木)

複数のBLGを書いていると、つい忘れてしまうのが、あれ!コレまだあったっけー??
このBloggerのこと、もうひと月以上も忘れている。
つまり、ボケてきたことを立証しているようなもの。

でも、何か急かされる、忙しい、心を亡くすような生活の連続に、どのような意味があったのだろうか。
それでも、合間合間に文庫本を読む「余裕」があったかもしれないし、日誌としてメモする習慣もなかった、己の怠惰に腹立たしくさえ思う。

Point of No Return あるいは Turning Point とでもいふべきだろうか。
国家にも、私のような個人にも、誰にでも流れを変える「何か」、
潮時とでもいふべきかもしれないタイミングがあったと、retrospectiveに判断するイベントの連続があった。

大袈裟かもしれない。でも、この1ヶ月の時の流れを、半歩脇に寄ってみると、己の生き方を正当化すべく、着々と手を打ってきた、そんな気がする。

改めて、10月頃からの流れを追ってみる;
台風接近が幾度もある、異常気象。中旬からのスマホのトラブル。
11月早々の地銀窓口での交渉と、ストレス蓄積での腰痛再発、

そして、10日土曜日の高校同級会。前後してDCからの娘が一時帰国で振り回され、航空機便の手配やら、大学などとの交渉手配、先輩やら友人との会談で疲労のピークは19日の月曜。
咽頭炎で抗生剤飲みながら、半日休みを取って、車を走らせ、SKDR駅から新幹線乗り継ぎ大阪からKGSMへ娘と飛ぶ、墓参やら、大学訪問、ツル渡来地訪問などなど。
そして、非常勤先での決定的イベント、これで決心し、書類を用意。これが私のTurnig Point。

論理的記述はく、ただ、事実だけを事務的に記録しておく。事務的な仕事の意味は、逆説的にありがたくさえ思った。

文庫本は、特に歴史書から得る「哲学」は私にとって羅針盤みたいなものかもしれない。

偶然は、歓迎すべき贈り物かもしれない。
2週缶前、大塚駅前の書店で手にした2冊、
そして、けふのSZOK市内の書店で目に触れた2冊の本。
私に、見知らぬ神がアホな私に読みなさいと教えてくれたのかと思いつつ購入した。
(浅田次郎の2冊、一冊は泣きながら読み、そして、今日も浅田次郎と彩瀬まるの本、いつかこれもBLGに)

太陽があり、雨があり風が吹き、嵐もあれば凪もある。海原を進む帆船にとって、気まぐれな風が推進力であり、同時に抑止力にもなる。海図といふかチャートとなどと呼べるものがあるのかないのか、それもわからない。

ただ闇雲に突き進んだこの数ヶ月、ほんの少しだけでも、立ち止まって、考えるのも悪くはないだろう。

懐かしい詩(うた)が聞こえる;北山修作詞の名曲

人は誰も ただ一人旅に出て人は誰も ふるさとを振りかえる・・・・  でも、、、今を、これからを生きていくために、、、ふりかえらずただひとり 一歩ずつ ふりかえらず泣かないで 歩くんだ



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