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春は名のみの・・会談or階段・怪談:31-2-26-27

 ~♪ 春は名のみの  風の寒さや谷の鶯 歌は思えど時にあらずと 声も立てず時にあらずと 声も立てず 氷解け去り ... 福寿草があちこちに顔を出し、水仙の芽がようやく出てきたこの頃。 お日様は悠然と輝き、気分はスプリングの春。 しかし、チャリに乗ると風が冷たく、マフラー・手袋は不可欠だ。 だが、稀に行き違うゲンジューミン(失礼かもしれないが、大昔は私も同胞だった)は、手袋さえしていない!! 長年の温暖地暮らしは、身体が耐寒モードから大きくズレたままだ。 ぬくぬくとした環境下では、身体はコートなどで保温できても、指先特に両手は辛いこと夥しい。 ニュースは、列車でゴクアク認の孫が南下し、非行気で某国(亡国?)の虎ちゃんがやってくるといふ。 このお二人は、我等ヘーミンとは別世界の「温室育ち」。とても耐寒力など期待できない。 ニュース怪説員は、相も変わらずムセキニンなコメントを繰り返す。 意外といふか、当然とでもいふべきか、虎ちゃんは米国人特有の陽気wさを振り撒く・・

What does it mean?; 31-2-25, Monday

2-25;今朝のニュースは、6連勝の女子フィギュアKIHARA選手、男子バスケの何年ぶりかのWC出場と小躍りしたくなることが多い。 けれども、ボケかけた私には理解不能のことも多い。 どこかでジューミントヒョーが行われて云々と・・・・・??? 世界では極めて稀だが、地理的かつ歴史的にみても、70年以上も戦禍から無傷であったネイションは稀有だと思ふ。 私の父母の世代、夥しい犠牲の上に、私のようなアホでもぬくぬくと生活できている。 困ったことに、ガッコーでは、なぜこうした経過、歴史があったのかを教えてくれなかったし、 無責任なメディアはゴジブンに都合のいい解釈ばかりを蔓延させてきた。 ギターと、演劇脚本に熱中していた遥か昔のこと、セケンでは、米国の越南侵攻を金太郎飴のごときバッシングを繰り返していた。 まだ頭頂部に保温効果のある被覆材が豊富であった当時、ベヘーレンなる存在の情報も少しは入れていた。そして、大学進学後で諸事忙殺されている頃に、減るメットを被っていた先輩や同胞の動向、サイゴン陥落後の夥しいボートピープル・・・・。暴徒ではない、ボートとは、ムセキンといふぶあつい鎧をまとった巨大組織の変遷する様が、離れていればわかるもの。岡目八目みたいなものだろう。 ジューミンなんとかに戻る。 これを伝えるメディアの表現方法をみると、複雑な気持ちになる。 私は田舎育ちだから、新聞やテレビに出る人はうーーーんと偉い人ばかりだと教えられてきた。 だが、それはやがて、疑問符のオンパレードとなった。 案の定、米国が撤退した某国は北の支配下となり・・・・ もし、当時の米国にかつての英国並みのスタッフがいたら歴史は変わっていたと思ふけど。 その外交オンチの米国に、型破りの虎ちゃんが表舞台に飛び出した。 東部のエスタブリッシュ云々の概念では、多分できなかったであろう会談が、ようやく実現する運びとなったらしい。 人もモノもすべては、パワーバランスで棲み分け、その存在を継続させてきた。 生存存続に最低限の要素は、己の所属する立場の客観的評価であろう。 ここでいふ客観的とは、実に曖昧な言葉であり、司法制度でいふなら「裁判官」みたいなものだろう。そして、すくなくとも、法律といふ、これまた奇妙な媒体がgovernする。 私みたいなモーロクには、こ...

パスワード??

https://news.infoseek.co.jp/article/mainichi_20190221k0000m040300000c/ 6時ニュース 直後

2-19火曜、から2-20水曜

2-19火曜、歯科受診後、Y電気へ。5分以内にWifi のセット購入し 2-20 夜ラジオは懐メロ いちご白書をもう一度  ダンシング・ヒーロー

2・12からの一週間;少しずつ春へ

2-12、火曜   2-13、水曜 2-14木曜日、車でAHpの駐車場へ、まだ薄暗い中を徒歩でIWMRD駅方向へ。上京、地下鉄でTKY,三丁目に。兎に角重い旧式バッグ、中身のお土産を老健の伯母へ。 2-15、金曜。未明徒歩で南口へ。バスでSZOK。久しぶりに娘のM8階 2-17,日曜。再度、IWMRD駅着。 2-18、月曜、ホームで久しぶりに母と。土産の3色饅頭パクつく、、、。 まだ寒い季節だが、ゆっくりと春の足音が・・・

花とこころ;2/8から2/11

平成31年2月8日(金) こころで、母と会い、DCのYKRとLINE通話、このとき話した内容が、RMKに行ったようだ 午後、中央図書館。信毎の訃報覧で親戚92歳、翌日母に確認 2冊本を借りる、ハードカバー 平成31年2月9日(土) こころ8時から、前日義妹来たとのこと、9時連絡して東の家に行気、小松工具店場所聞き 直接訪問。老夫妻、息子さんと火燵で話す。 夕方、妹JNKからの突然のLINE通話、情報源はDCから・・・・・・。 伯母介護について、大塚の従兄弟に電話相談。 平成31年2月10日(日)、晴れ こころ;7時半から漢字ドリル little by little AEON 2F で日記手帳と、A4サイズの百均ノートを購入(母は後者選ぶ) 夜はお裁縫、手袋やズボン下など 平成31年2月11日(月) 建国記念日、晴れ チャリで老人ホームへ、坂道キツイも筋トレ。 母、サイド漢字ドリル、百均の磁石式ボードで漢字を教える。 ASSN図書館で本2冊、昼は自宅で、午後お花など購入、空き瓶洗浄など 花を飾る、それだけで部屋が生き返る、先日買ったカーネーションが日々ほころびかけ、 新顔の赤い実のついた花など、

2月7日、木曜日;確定深刻準備

午前、KMRの妹夫婦宅へ。今月から始まる確定「深刻」の準備打ち合わせ。 義弟と雑談後に会計士さんの概要を教えてもらう。 毎年この時期になると、どんよりとした重たい気分になる。さて、昨年は? と記憶の糸を辿ると、SZOKのNTさんに頼んでおいたので、ただゼームショへ書類を出しただけ、その後、何も連絡ないから多分OKだったのだろう。 より「深刻」なのは、私自身と、東京の叔父伯母の今後。 幸い95歳になった母は安定しているから、厳寒の中、移動しつつ対策に奔走している。 厄介なのは、東京の親戚と、田舎の親戚との意思疎通。自己中の叔父に皆が振り回されて、、、、。 かといって、言いなりにはならず、まあ時間をかけて対策を・・・・。 メディアは、相も変わらずの同じ内容のオンパレード。 どこそこのジドーソーダンショがバカの一つ覚えみたいに繰り返されるが、 まあ、これは、ニホンといふ異質なネイション故の構造的欠陥が具現しただけのこと。 虎ちゃんの合衆国は、キョーワ倒になってから富みにおかしく(は)なったが、それは、本来ニホンといふ集合体とは全く異なる、極めてリーズナブルな社会だと思ふ。私は、せっかちなので結論を先に書くが、それは「法」に対する解釈だろう。 悪法乱立のニホン。さらに困るのが、悪法も法なりと、頑なに墨守するゼンリョーな市民が多すぎる。 私といへば、ゼンリョーとは対極のアウトサーダー的散在なるがゆえ、「臨機応変に」解釈対処してきた。 困るのが、この臨機応変が個人個人で異なるといふこと。さらにどの世界にも、夫々固有の○○の掟、いわゆる忖度すべき不文律なるものがあり、いちいちセクションの合議云々をはかる前に、「慣例」として、「前例そのまま踏襲」 傾向が強い。 メディアが何を問題としているのか、」それすらも不明瞭だが、私は素朴な疑問として、担任の先生は何をしていたのだろうか?と追求したくなる。 私がガキの頃は、不登校もあったようだが、必ず担任の先生が窓口になって東奔西走していたように記憶している。今と違って、副担任なんてものもないし、メールも形態スマホも無いい時代。fフェイス・ツー・フェイスとでもいふのだろうか、人間は直接会ってからでないと、真の信頼関係は構築できない、これが大原則だろうと思ふ。加えて、クラスの児童数は、昔に比べて少な...

2月6日、水曜日、曇り;齟齬

イーオンで接続大苦戦、エクサイトBLGもなんだか閉鎖?? 確定申告、義弟はノンビリ温泉?。行き違いで、、、 空は曇天。重い雲と、凍てつく気温。 行き違い、カッコつけた表現だと「齟齬」。 これは、意見などが食い違って会わないこと。 考えてもいれば、個人個人の考えが違うのは当たり前、環境も違うし、年齢性別など、要は他人と意見が合致すること自体は「稀有」と解釈すべきだろう。 個々に異なる人々の集まる社会で、どうお付き合いできるか、、、 私も、じこちゅーに考え勝ち。 それゆえ、苛つくことも多い。 それゆえ、考え方が私とは違うといふ「大原則」を再認識すれがいい。 ただそれだけのこと。 聖徳太子の17条の憲法を見ると;http://www.geocities.jp/tetchan_99_99/international/17_kenpou.htm >> 十に曰わく、忿(こころのいかり)を絶ち瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、人の違(たが)うを怒らざれ。人みな心あり、心おのおの執(と)るところあり。彼是(ぜ)とすれば則ちわれは非とす。われ是とすれば則ち彼は非とす。われ必ず聖なるにあらず。彼必ず愚なるにあらず。共にこれ凡夫(ぼんぷ)のみ。是非の理(ことわり)なんぞよく定むべき。相共に賢愚なること鐶(みみがね)の端(はし)なきがごとし。ここをもって、かの人瞋(いか)ると雖(いえど)も、かえってわが失(あやまち)を恐れよ。われ独(ひと)り得たりと雖も、衆に従いて同じく挙(おこな)え。 現代訳要旨; >> 人それぞれに考えがあり、それぞれに自分がこれだと思うことがある。 相手がこれこそといっても自分はよくないと思うし、自分がこれこそと思っても相手はよくないとする。自分はかならず聖人で、相手がかならず愚かだというわけではない。皆ともに凡人なのだ。そもそもこれがよいとかよくないとか、だれがさだめうるのだろう。おたがいだれも賢くもあり愚かでもある。

2月4日の立春とドタバタ

2月4日は立春、月曜日。前日落花生でこっそり鬼やらい。 朝から気温が高く、9時半には約束の駅前2階に着く。 以下、沖縄の同級生宛に出したメールを引用; SKDR駅前で同級会幹事の引継ぎがありました。 出席者は清SMZ、KRSWSI、KBYSH、 AOK、HKTKと私の計6名。 (敬称略) 引継ぎは、分厚いファイルと、現金3万円弱、切手、 USBメモリー。 住所変更などの窓口は、今後もSMZ君がしてくれるということ、 次回は新幹事に一任されました。  コーヒー飲みながら(お酒はちょっと無理、、)ガヤガヤ・・・・  とりあえず、3月にKMSTさんが佐久に来るタイミングで  来れる人だけ声をかけるというふうになりました。 温泉に一泊とか、ゴルフ、山歩きなど、、、、、 つきましては、3月の予定を教えてもらえれば助かります。 昨日、KZEちゃんにCメールしたが、尻切れトンボで、 忙しいのかな・・ 私事ですが、 先ず、母は1月8日にようやく、浅科の老人ホーム「こころ」 に移りました。 酸素装置など準備しましたが、日中は不要で、 とりあえず夜間だけ念のために最低量0.25Lだけ流し、 そろそろすべて中止できるかと思っています。 やっと落ち着くかと思いきや、今度は下記あり; 東京本郷在住の叔父夫妻、ダンナは88歳で奥さん( 今月82歳になる)の介護が4年目で疲労困憊とSOSあり、 1月31日に上京しました。 奥さん、つまり叔母は横YKN出身で5人姉妹の2番目。 動けるのは上田の先、坂城にいるHSGW夫妻だけというので、 昨日、 幹事引継ぎ後に上田周辺の介護施設の下見に行ってきました。 HSGW夫妻はともに信大教育学部、 ひょっとしてとハジメ君に聞いてみたら、 昔上信地区の教頭会で旧知とのこと、 ちなみにダンナのHSGWSNさんは昭和19年生まれで上田高校卒。 この奥さんが叔母の妹でなんと北高卒、しかも、担任が次郎先生! 私の祖父、父も信大なので、不思議な繋がりを感じました。 ともかく、3月の予定を教えていただければ、幸いです。 蛇足、新年早々のパンダ顔は、いつのまにか収まって、やれやれ、 、、、

1月の26日は土曜日;千両と両違い?イーオン2Fにて

1月の26日は土曜日;イーオン2Fにて; 久しぶりにレッツノートをリュックに入れて、ここ2Fの席に座る。 今まで、嵩張るからとタブレットだけだったが、どうも接続や使い勝手が悪い。 こうして、キーボードを叩くのがストレス溜まらず快適だ。 けふは、土曜日、エキサイトブロ愚に24の「万両」を入れた。 -->https://mouroku1949.exblog.jp/ 「万両」、千両などとの区別はいまだわからない。 調べてみると、 >> サクラソウ科・ヤブコウジ属に分類される常緑性の低木です。日本から中国、台湾、朝鮮半島の東アジアに分布しています。 ; https://horti.jp/16570   かように書かれていても、どうもピンとこないので、別のところを見る いくつか比較しtげみると、次のものが一番わかりやすい;https://lowch.com/archives/14172 >>万両とは、 サクラソウ科ヤブコウジ属 に属する常緑性の 木本 植物で、樹高0.5~1mの低木    千両とは、 センリョウ科センリョウ属 に属する常緑性の木本植物で、樹高0.5~0.8mの低木 つまり、樹高だけでなく、種類が違うことがわかる。さらに、 >>万両と千両の「実」の付き方も下記の特徴がある;   万両は、--> 葉の下 に サクランボ 状に 垂れ下がって つき   千両は、 --> 葉の 上 にかたまってつき・・・・ さらに葉の特徴を示すと;   万両は、--> 葉の縁が 波打った 小さめ の 単葉 で 、 互生   千両は、 --> 葉の縁が のこぎり状 になった 大きめ の単葉で、 対生

1月18日、(金)、晴れ、バスで島田へ。

11日、金。晴、バ西向。

As scheduled; 1月17日、木曜日、晴れ

As scheduled; 1月17日、木曜日、晴れ 1月に入ってからのスケジュールは、結局は予想通り。 1月8日の火曜日、これがキーポイント。母の退院と、老人ホームへの移動。 元旦の顔面打撲と、腰痛、ダブル・トリプルのパンチで身体が重いけど、ずっと懸案だった長女への手紙は先日、ようやく投函。 昨日は16日、午前はパジャマのまま外出せず、午後、15時近くにようやく、チャリでNKGMへ。百均で電池とノート、図書館で新たに4冊借りて、郵便局で2.4万、小銭が必要。そして、大昔の母が勤務していた場所のスーパーへ。しかし、中をざっとみて、隣接の百均でやっと耳当てを購入、それを着けて帰途。 JNKよりラインあり、ホームのベッド向き変更と、ようやくか、、。 昨日の、横綱、キセノサト引退。第一、名前が悪すぎるし、親方、医師団は何をしていたのか、この2年間、誰も責任を取らずにズルズルと。この引退も、As scheduled そして、けふ。8時には朝飯済ませて、チャリでの出発用意。それにしても、指先は冷たい、その対策を、、、。 9時半前には、ホームへ。 ベッド位置、テレビ位置向きなど確認し、早めの退出。 明日以降の準備を。 DCの娘より、某リン国の騒動について、・・・。私は、一喝、ゲッペルスの言葉を引用; 「嘘も百回言えば真実になる」と、 それにしても、肝心の米国のトラちゃんは、、、、?

兎にも角にも;1/13, 日曜日、晴れ、交流センター、コンサート

兎にも角にも;1/13,  日曜日、晴れ、交流センター、コンサート 前日の12日は土曜日、曇り空で時々日差しあり。8時頃まで布団内。体重計や、郵貯のカード、ほかノートや接続jコードなど、どこを探しても見当たらず。 11時頃に、こころに着く。出発は10時半の少し前、九十九折の坂道はきつくて徒歩、ゆっくりと、ゆっくりと。母は、デーサービスの脇ベッドで休んでいる、冴えない表情。私も疲れきって、部屋で持参のポットからお湯、紅茶で一休み後に、母を迎えに。車椅子、スタッフはゾンザイで、ちょっと腹が立つけど、じっと我慢。通路にも、傍若無人の見舞い客、これを迂回するように進ませて、部屋に着く。すると、尿意トイレとのこと、ともかく逆戻り。なだめすかして廊下のトイレに。そこでなんとか便座に座らせる。立つのがやっとで、日々脚力は確実に低下する。これはならじと、心を鬼にして、立たせて座らせ、頃合を見て、トイレに入る。 車椅子は無理だと判断し、無理やり立たせて、自室まで伝い歩き。 なんとか、部屋にたどり着く。男性スタッフがセンサーどうの0こうの、入ってきて、紙おむつのことを聞く、返事は後回し、義妹にその旨ライン連絡。 本日、13日は10時前に小屋を出る。昨夜と朝食後に夫々入浴、身体を温める。今朝の暖房は、エアコン使わず、石油ストーブ、薬缶でお湯を3回沸かし、コーヒーも淹れた。 ふと思い立ち、妹が勤務する施設、および日赤病院に行く。帰途、道を逆走、かなり進んでUターン。駅前の施設、お花屋さんを探すも??? <中略>ここは、イーオン2Fの席、騒々しい周囲。米国マイアミからメールあり、中断して返事。

過ぎたるはナオ及ばざるがゴトシ;1月10日、木曜日

入所3日目 1・10、木曜日 挨拶の漢字、再度確認、手紙書き始めるも、、、 7時少し前に起床、アラーム不明、といふことは、明け方は熟睡といふことか 13時過ぎ、浅科のWifiが使える施設へ、徒歩で10分。 久しぶりに昔のレッツノートを使う。 Wifi 接続するも、Yahoo へのアクセスでトラブル。 昔のアドレス、アンダーバーの付いた使いにくいアドレスを入れないと何故か動かない、 パスワード、そしてパスワードがどうのこうの イライラする。セキュリティー重視はわかるが、、、、。 過ぎたるは猶 なお 及ばざるが如 ごと し 〔 論語   先進 〕 物事 の 程度 を超えた ゆきすぎ は不 足し ていることと同じように よくない ことである。 Weblio より

20年以上前から続く負の記憶から学ぶこと;1月5日(土)

普段の行いが悪いので、といふかこれがいいと思い込みが支配するのだろうか、 気がついたら、新年早々ブザマナ寝正月となった。 旧年の10月頃から、おおまかなプランを建てていた。 過去の反省から、己の仕事より、これまで支えてくれた家族をより重視すべくと、 95歳になんなんとする老母の安寧を、最優先にしたいと考え粛々と準備を進めた。 私は現在の介護制度全体について、前々から疑問を持っている。 何故かといふと、複雑すぎて(超官僚主義的背景)私みたいなアホのは理解不能なシステムだといふことがひとつ。 そして、最大の被害者が、介護を受ける主体(私の母)であるといふ事実である。 病院も薬も大嫌いな母は、少なくとも50年以上は通院は勿論、健診も受けていない。 5歳年上の父が18年前に他界したが、考えてみれば、その前後に何かしら問題があったのだろうか。 過去を振り返るのは、あまり好きではないが、この際は仕方がない。 20年前に遡ることとする。 当時の我が家、家内と子ども3人は「試練」の時だった。 突然の長男発病で、家内はパニック。私も家内も必死で、病院探しをした。 つまり、当時も今も、専門医ほどアテにならないことが、分かりかけていたときだと記憶している。 田舎に同居していた弟夫婦から、父が喜寿だとか、傘寿だとか電話連絡を受けたが、とても動ける状態でなく、遠く離れた医療施設へ通う事となった。 親としては、当然のことながら、我が子のために心身砕く思いで動き、気がついたら、父は入院後程なく亡くなった。弟も体調を崩して4年前に他界し、その葬儀の席で、私までが体調を崩し、家内の大きな負担となった・・・・・・・・。 幾度も、「試練」は訪れたが、不思議と思いがけない人が助けてくれ、こうしてこのアホがまだキーボードを叩いている。つまり、見えないところに、神様はいるのかなと思っている。 二度も三度も地獄の底を味わったから、残された肉親への思いは特に強くなる。 先日、あるカレンダーを見て救われる思いがした。 そこには こう書いてあった 苦しかったことや悲しかったことを忘れようなんて思うな しっかりと胸に秘めて生きる力にかえていくのだ 

厄介なリンジン;12/24、月曜日

昨日23日は、天皇誕生日で、けふは、苦しみ増すイブだといふ。 このタイミングで、またしても、・・・・・・ ジケンは20日に起こったとの報道あり。 http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-2921.html >> 岩屋防衛相は昨夜記者会見を行い、 ●国 海軍艦艇が20日午後、 海上自衛隊のP1哨戒機に 火器管制レーダーを照射 した事を明らかにしました。 レーダー照射は照準を合わせるロックオンと同じで、 「あとは引き金を引くだけ」の状態であり、 軍事行動、或いは攻撃予告ともいえる大変危険な行為。 たとえ照射された側が先に攻撃したとしても、 国際法上はまったく問題が生じないほどの事案で、 海上自衛隊幹部の話によると、 「よほどの緊急事態でなければ、現場だけの判断で照射しない」そうです。  >> 一方、アチラの反応はといふと; ●国 の海軍関係者はこの件に関して、 「遭難した北朝鮮籍の船の捜索の為艦艇の全てのレーダーを作動させたところ、  その範囲内に哨戒機がいるのを把握した」と説明   >> 銘記すべし、我が国防衛従事関係者の尋常ならざる忍耐力を。 石ころ以下の無法コッカでも、粛々と任務にあたっている。  

補助金依存深める 気がつけば後進国(2);12月14日(金)

斑ボケになったのだろうか、1月以上前の記述の続編を思いだした; https://www.nikkei.com/article/DGKKZO36686060Z11C18A0TM1000/ 補助金依存深める 気がつけば後進国(2) 「ノー政」と言われ続けてきた農林省。 老人の医療費を無料化といふ「世紀の愚政策」を掲げた某省に劣らず、賊(誤字では断じてない)議員の圧力と、アメちゃんの惨バン煎じのニダイセ-トーを唱えた某ギイン暗躍で、税金が転用された。 無駄遣いされただけなら、まだカワイイといへる。これは、医療費無料化が、その後の医療破壊を惹起させたように、日本農業も、後進国へと凋落させる milestone となった。まさに参る(複数)tone(トーン); the  general   atmosphere  of  a   place   or   situation  and the  effect  that  it  has  on   people   ;http://english.cheerup.jp/eedict/search?name=tone 記事を読むと; >> 07年の参院選で民主党が掲げたのが、コメ農家に広く補助金を出す戸別所得補償制度だった。考案したS衆院議員によると、「名前はOZI代表(当時)が決めた」。<中略>OZI氏はこれを武器に都市型政党だった民主党の支持を地方に広げて自民党を歴史的大敗に追い込み、政権交代の流れを引き寄せた。>> このセーケン交替がどういった経緯をもたらしたのか。いくらセージに無関心なジーちゃんバーちゃんでも、入れ歯を落としそうになるほどだったから、、、、。 つまり、この保障制度は、失われた20年にトドメを指すようなことをしたといっても過言ではない。 ニホンはつくづく不思議な国だと思ふ。二世、あるいは偽ギインのオンパレードと、無知でメディアに顔を出すことしかノーミソを使わない税金泥棒がアマリニモ多すぎる。 加えて、こうした無能ギインに翻弄され続けたニホンの官僚は、果たして勤労意欲など湧くだろうか。もし、少しでも、職務に意欲を燃やす...

ふりかえらず泣かないで歩くんだ;12月13日(木)

複数のBLGを書いていると、つい忘れてしまうのが、あれ!コレまだあったっけー?? このBloggerのこと、もうひと月以上も忘れている。 つまり、ボケてきたことを立証しているようなもの。 でも、何か急かされる、忙しい、心を亡くすような生活の連続に、どのような意味があったのだろうか。 それでも、合間合間に文庫本を読む「余裕」があったかもしれないし、日誌としてメモする習慣もなかった、己の怠惰に腹立たしくさえ思う。 Point of No Return あるいは Turning Point とでもいふべきだろうか。 国家にも、私のような個人にも、誰にでも流れを変える「何か」、 潮時とでもいふべきかもしれないタイミングがあったと、retrospectiveに判断するイベントの連続があった。 大袈裟かもしれない。でも、この1ヶ月の時の流れを、半歩脇に寄ってみると、己の生き方を正当化すべく、着々と手を打ってきた、そんな気がする。 改めて、10月頃からの流れを追ってみる; 台風接近が幾度もある、異常気象。中旬からのスマホのトラブル。 11月早々の地銀窓口での交渉と、ストレス蓄積での腰痛再発、 そして、10日土曜日の高校同級会。前後してDCからの娘が一時帰国で振り回され、航空機便の手配やら、大学などとの交渉手配、先輩やら友人との会談で疲労のピークは19日の月曜。 咽頭炎で抗生剤飲みながら、半日休みを取って、車を走らせ、SKDR駅から新幹線乗り継ぎ大阪からKGSMへ娘と飛ぶ、墓参やら、大学訪問、ツル渡来地訪問などなど。 そして、非常勤先での決定的イベント、これで決心し、書類を用意。これが私のTurnig Point。 論理的記述はく、ただ、事実だけを事務的に記録しておく。事務的な仕事の意味は、逆説的にありがたくさえ思った。 文庫本は、特に歴史書から得る「哲学」は私にとって羅針盤みたいなものかもしれない。 偶然は、歓迎すべき贈り物かもしれない。 2週缶前、大塚駅前の書店で手にした2冊、 そして、けふのSZOK市内の書店で目に触れた2冊の本。 私に、見知らぬ神がアホな私に読みなさいと教えてくれたのかと思いつつ購入した。 (浅田次郎の2冊、一冊は泣きながら読み、そして、今日も浅田次郎と彩瀬まるの本、いつかこれもBLGに) 太陽が...

蚊と大砲、WASP、「峠」読了;11/15木曜

2週間ものブランクは、それなりの言い訳があるも、それを言ったらオシマイだ、、、。 葛飾の寅さんの台詞が浮かんでくる。 そして、長岡藩の河井継之助も多分同じだろうと思ふ。 両者に、いや男といふものは拘(こだわ)りといふか矜恃とでもいっていいのか、奇妙な精神構造の世界に憧れる。 寅さんのニヒリズムは笑い飛ばしてもなお、日本人の心に訴えるものを残しているが、 後者の場合は、地域社会広範囲に強烈な爪痕を残した。 著者、司馬遼太郎の作品は、これまで紀行文も含めてやや敬遠しがちであったが、この作品に描かれた河井継之助の足跡を、詳細に記述から知ることにより、過去の作品を読み直したいとさえ思った。 「峠」の下巻を読了した。 多分2週間ほど前だったと記憶しているが、主人公の死で、尻切れトンボ状態な感覚が、脳裏にしばらく焼き付き、半ボケ老人にさえなった。 歴史といふ事実は、これほどまで残酷なのか。 キャパシティーの小さい私の頭脳は、思考回路の整理に、時間が必要だったのかもしれない。 作品での、いくつものポイントをノートにメモしたつもりだったが、どこかに紛失。 如何に彼継之助の天才的政略戦略家であっても、たった一瞬の若輩狭量な司令官との邂逅が、全てを崩壊させた事実に戦慄すら覚える。 天才異才と呼ばれた人物の敗因を考える。 彼の貫いた武士道と、陽明学云々については言及しないし、するつもりもない。 政治に不可欠な武器商人が、運命の鍵を握っていたのだろう。 薩長と戦争までした後に経済援助をした大英帝国と、中央から遠く離れた小藩では、フランスのバックでスネル弟とのパイプはあったにせよ、所詮は「蚊と大砲」の違いであった。 恐ろしいまでの世界戦略観をもつ、腹黒搾損(ハラグロサクソン)。 世界経済を牛耳るWASP。つまりスネル弟に利用されたのかもしれない。 不思議な存在のスネル兄弟。 http://www.japanusencounters.net/sub_schnell.html 兄弟の国籍も不明。 一方の河井継之助は、典型的なサムライであった。 当時も今も、日本人は説明不能なロイヤルティー(頭文字がLのほう)* がある。 忠誠心とでもいふのだろうか、国家なのか、蕃なのか、それとも、、、、、?? 愚弄バル化した現代に、こ...

人との交誼で己を鍛える継乃助;11/4、日曜

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司馬遼太郎の「峠」の下巻も、読み応えあり。 上巻の一部については、先日このBLGに記した--> 「誰が京の封印解除をしたのかだろうか?;10/05金曜」 まず、本の写真を撮ろうとしたが、スマホを替えたばかりで、メール転送(今、デスクトップから入力)も面倒だしと、ネット探しで、ふと目にした「読書感想」に見入ってしまった;-->http://www.yama-mikasa.com/entry/2017/08/16/%E5%85%AB%E6%9C%88%E5%8D%81%E5%85%AD%E6%97%A5%E5%8D%88%E5%BE%8C%E5%85%AB%E6%99%82%E3%80%81%E6%AD%BB%E5%8E%BB_ どうやらこの方は、文庫本が出る前のハードカバーだろうか、上、中、下、それぞれにポイントを書いている。ボンクラの私は、ありがたく読ませてもらう; どうやら、文庫本も2つのタイプあるらしく、3冊のものと、上下2冊のもので、下巻の表紙が異なっている。 そんなことより、内容である。 >> 旅から帰った河井継之助は、長岡藩に戻って重職に就き、洋式の新しい銃器を購入して富国強兵に努めるなど藩政改革に乗り出す。ちょうどそのとき、京から大政奉還の報せが届いた。家康の幕将だった牧野家の節を守るため上方に参りたいという藩主の意向を汲んだ河井は、そのお供をし、多数の藩士を従えて京へ向う。風雲急を告げるなか、一藩士だった彼は家老に抜擢されることになった。>> 私が先ず注目したのは、旅の終わりで江戸で出会った人物のことである。 一人は福地源一郎、( https://drkoala.blogspot.com/2018/09/916.html 「 旧幕時代にシェークスピア、シルレルを読んでいた男 」) 福地源一郎を著者は「幸運児」でもあったと記している。 事実、下記にあるように明治の「日本 十傑 」での2位を占めたのが源一郎であり、 「東京日日新聞」(現在の毎日新聞)を発行する日報社に入社して社長にもなった。そして、明治に入って最初の言論弾圧で逮捕されている、まさに異能のジャーナリストだ。 >> 明治18年(1885)、「今日新聞」(現在の「東京新聞」)が、各界の代表的な日本人の投票を行ない、その結果、10の分野を代表する「日本十傑」 ...