20年以上前から続く負の記憶から学ぶこと;1月5日(土)

普段の行いが悪いので、といふかこれがいいと思い込みが支配するのだろうか、
気がついたら、新年早々ブザマナ寝正月となった。

旧年の10月頃から、おおまかなプランを建てていた。
過去の反省から、己の仕事より、これまで支えてくれた家族をより重視すべくと、
95歳になんなんとする老母の安寧を、最優先にしたいと考え粛々と準備を進めた。

私は現在の介護制度全体について、前々から疑問を持っている。
何故かといふと、複雑すぎて(超官僚主義的背景)私みたいなアホのは理解不能なシステムだといふことがひとつ。
そして、最大の被害者が、介護を受ける主体(私の母)であるといふ事実である。

病院も薬も大嫌いな母は、少なくとも50年以上は通院は勿論、健診も受けていない。
5歳年上の父が18年前に他界したが、考えてみれば、その前後に何かしら問題があったのだろうか。

過去を振り返るのは、あまり好きではないが、この際は仕方がない。
20年前に遡ることとする。

当時の我が家、家内と子ども3人は「試練」の時だった。
突然の長男発病で、家内はパニック。私も家内も必死で、病院探しをした。
つまり、当時も今も、専門医ほどアテにならないことが、分かりかけていたときだと記憶している。

田舎に同居していた弟夫婦から、父が喜寿だとか、傘寿だとか電話連絡を受けたが、とても動ける状態でなく、遠く離れた医療施設へ通う事となった。
親としては、当然のことながら、我が子のために心身砕く思いで動き、気がついたら、父は入院後程なく亡くなった。弟も体調を崩して4年前に他界し、その葬儀の席で、私までが体調を崩し、家内の大きな負担となった・・・・・・・・。


幾度も、「試練」は訪れたが、不思議と思いがけない人が助けてくれ、こうしてこのアホがまだキーボードを叩いている。つまり、見えないところに、神様はいるのかなと思っている。

二度も三度も地獄の底を味わったから、残された肉親への思いは特に強くなる。

先日、あるカレンダーを見て救われる思いがした。

そこには こう書いてあった

苦しかったことや悲しかったことを忘れようなんて思うな
しっかりと胸に秘めて生きる力にかえていくのだ 


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