2月7日、木曜日;確定深刻準備

午前、KMRの妹夫婦宅へ。今月から始まる確定「深刻」の準備打ち合わせ。
義弟と雑談後に会計士さんの概要を教えてもらう。
毎年この時期になると、どんよりとした重たい気分になる。さて、昨年は?
と記憶の糸を辿ると、SZOKのNTさんに頼んでおいたので、ただゼームショへ書類を出しただけ、その後、何も連絡ないから多分OKだったのだろう。

より「深刻」なのは、私自身と、東京の叔父伯母の今後。
幸い95歳になった母は安定しているから、厳寒の中、移動しつつ対策に奔走している。
厄介なのは、東京の親戚と、田舎の親戚との意思疎通。自己中の叔父に皆が振り回されて、、、、。

かといって、言いなりにはならず、まあ時間をかけて対策を・・・・。

メディアは、相も変わらずの同じ内容のオンパレード。
どこそこのジドーソーダンショがバカの一つ覚えみたいに繰り返されるが、
まあ、これは、ニホンといふ異質なネイション故の構造的欠陥が具現しただけのこと。

虎ちゃんの合衆国は、キョーワ倒になってから富みにおかしく(は)なったが、それは、本来ニホンといふ集合体とは全く異なる、極めてリーズナブルな社会だと思ふ。私は、せっかちなので結論を先に書くが、それは「法」に対する解釈だろう。
悪法乱立のニホン。さらに困るのが、悪法も法なりと、頑なに墨守するゼンリョーな市民が多すぎる。

私といへば、ゼンリョーとは対極のアウトサーダー的散在なるがゆえ、「臨機応変に」解釈対処してきた。

困るのが、この臨機応変が個人個人で異なるといふこと。さらにどの世界にも、夫々固有の○○の掟、いわゆる忖度すべき不文律なるものがあり、いちいちセクションの合議云々をはかる前に、「慣例」として、「前例そのまま踏襲」 傾向が強い。

メディアが何を問題としているのか、」それすらも不明瞭だが、私は素朴な疑問として、担任の先生は何をしていたのだろうか?と追求したくなる。

私がガキの頃は、不登校もあったようだが、必ず担任の先生が窓口になって東奔西走していたように記憶している。今と違って、副担任なんてものもないし、メールも形態スマホも無いい時代。fフェイス・ツー・フェイスとでもいふのだろうか、人間は直接会ってからでないと、真の信頼関係は構築できない、これが大原則だろうと思ふ。加えて、クラスの児童数は、昔に比べて少ないし、「コジンジョーホー云々」といった」バカゲタ代物も存在しなかった。

今は、ジョーホーカ時代らしいが、どうでもいいゴミ情報の大波で、伝えるべくメッセージが、何故か無視され続けてきた。

ガッコウの先生にとって、児童の家庭環境は基本中の大基本。それすら把握できないような人にキョーイク云々を語る資格があるのだろうか。

モンスターが増えすぎた。
声高になんとかソーダン員を恐喝したようだが、その対策はどこでも決まりきったこと。警察に連絡する、それしかない。そのことすら念頭に無いのだから、この施設のレベルはしかるべき責任を取ってもらうしかない。            

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