Value of 130 yen;
130円紅花
高湿度の寝苦しい夜が明けて、雨が上がった頃目が覚めた。
けふの誕生花はベニバナ、紅花と書くように口紅の原料となったキク科の植物。
花は黄色いが、昨夜はナントカ選挙でギャーギャーとモンキー声で喚きたてるのに閉口。
テレビでも、ナントカみくすの揚げ足をとるケントーチガヒのお歴々を肴にノミニケーション。
マスコミ・メディアは早い話が無責任。そういえば、このところ行方不明のヤベッチはいずこに?
木曜と日曜日がお買い物の日。
昨夜は、近所に住むドジ娘がこれしかなかったと130円の花を買ってきた。
ドケチ精神のDNAなのか、けれども、この花は調べてみると意外と面白い。
今朝もコッソリ食べたパンに付けているマーガリン。
成分表を見ると、リノール酸とかリノレイン酸がどうのこうのとよくわからない。
リノール酸については、Wikiniゴチャゴチャ書いてあるが、私みたいなボケ頭ではチョットわかりにくい。
どうやら、植物油、特にベニバナ油やコーン油に多く含まれる”不飽和脂肪酸”。
リノール酸は、血中コレステロール値や中性脂肪値を「一時的」に低下させる働きもあるが、過度の摂取はアレルギーを悪化させたり、大腸癌などのリスクを高める、とのこと。
つまり、メリットと同時にデメリットもある。
コマーシャルでは、植物油だから身体にいいとかなんとかオッシャルが、私みたいなへそ曲がりは信用しないし、飽きっぽいから、すぐ忘れる。従がって食べ過ぎることは、まー無いだろう。
”飽和脂肪酸”と”不飽和脂肪酸”の違いについては、下記でわかりやすいと思ふが
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1310110178
ポイントは、身体にどう影響するかで、ミナサン勝手に無責任なコメントがある。
さて、アレルギー反応と深い関係のある「粗きドンさん」、
これは身体の防御機構としてきわめて複雑な反応系となっており、身近なものでは痛み止めや花粉症などの抗アレルギー薬とも深い関連がある。
当然、アトピーなどとも結びつく。
興味深いのは、細胞膜の膜脂質として重要な役割があるとのこと。
”細胞膜”については、ややこしくなるので、後日へ。
幸いといふか、なんといふか、身体もガサツにできている私には、今のところビョーイン・クスリは無縁なこと。
旬の食材で、ドケチで安上がりの食事。これが私の健康法。
つまり130円の意味は、別のことにお金を使いなさいとのメッセージか。
2013-07-05 06:54:43| カテゴリなし |コメント(0)|トラックバック(0)
Doggy bag
DCーLunch
昨年、DCのアホ娘と食べたお料理。KGBと3人では食べきれずにDoggy bagをもらった。
その数年前、プルマンの山奥だからと思っていたが、東海岸でも一般的とのことらしい。
今朝の新聞のコラムにDCに新しくできたラーメン屋さんの記事があった。
チャイナタウンに、3月頃できたらしいが、行列ができているとのこと。
アホ娘が日本に帰るごとに切望するのが、駅での「立ち食いそば」。
西の山奥にも、DCにもそれらしきお店が無いとこぼしていた。
さて記事によると、食べ残した麺とスープが問題。
何と、ゲンジューミンはDoggy bagに入れて持ち帰るとのこと。
私が大学の教室に入った頃のこと、何でもバリバリこなす憧れの先輩がいた。
夜食の定番はインスタントラーメンで、タップリのお湯でグツグツ煮込んだのしか食べなかった。昔は、ラーメンを作っても途中で用事ができるので、戻る頃にはすっかり伸びきって、いつしかそれしか食べられなくなったとのこと。
10年ほど前、学会でお会いしたが、パーキンソン病で以前の面影がすっかり無くなっていた。
でも、十分にスープ水分を吸って伸びきった麺は、メンドーじゃないし意外と美味いかもしれない。
2013-07-04 14:50:51| カテゴリなし |コメント(0)|トラックバック(0)
Basic study
Sunflower
私が偶然教育を受けることになった横浜は、とても大学とは思えないオンボロの建物設備だった。
同級生の母親だか誰かが卒業したといふ小学校のボロ校舎と、旧軍あるいは進駐軍のカマボコ寄宿舎跡がそのまま転用され、教育には全く無頓着な革新市長で、乏しい予算しか割り当てられなかった。
ビンボーには慣れている私も、これにはガッカリしたが、大学病院に臨床実習いくようになってもっと驚いた。お化け屋敷そのもので、迷路そのものの構造。数日いれば、華奢な人のほとんどはビョーキになると思われる設備だった。
基礎校舎のあった場所近辺は、港湾労働者が集まる場外馬券売り場があり、私が最初に先輩から受けた「教育」とは、場外馬券の買い方と競馬新聞の読み方だった。
その先輩が赤鉛筆を耳に挟みながら、木原研究所に通っていた。ドヤ街に周囲の環境にマッチした古い建物で、当時から「組織培養」盛んに研究されていた。
狭いし設備も乏しいから、教育スタッフも限られ、学生数も全国一少なく、こじんまりとした不思議な集団だった。
「世界に通用する研究」、周囲にふらつく労務者と見かけは殆ど変わらない先輩の口癖だった。
「iPSから肝臓作製」
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1307040024/
http://www.nature.com/nature/journal/vaop/ncurrent/full/nature12271.html
このニュースに接して、ムカシのことを思い出した。
2013-07-04 06:31:15| カテゴリなし |コメント(0)|トラックバック(0)
Hope for tomorrow;
今朝私のブログに、友人からの書き込みがあった;
http://blogs.yahoo.co.jp/u_bon515/9750304.html
日本最北の動物園、旭川の朝日山動物園を「廃園」の危機から救った人物について
下記のサイトを見つけた;
http://hujudo.sakura.ne.jp/kosugesanasahiyama2kanzen.html
園長に就任したとき、その入場者数は「どん底」にあったが、徹底した経営方針を貫き、月間入場者数で日本一にもなった。
絶体絶命のピンチにブレない、確かな『理念』
小菅正夫氏は、その驚くべき経営改革哲学を「すべて柔道から学んだ」という。
小菅氏は、北大柔道部に憧れて入部した。
だが、当時の北大は最下位定着のまさしく「どん底」。そんな最悪のときに小菅は主将を任される。
必要なのは自分たちが「何をしたいのか」という「目標」と、
それを成し遂げるために「何をすべきか」という「手段を明確にする」こと。
そして、その決意を部員「全員で共有する」ことだった。
北大は、どんぐりの背比べの選手ばかりだから、目指したのは『絶対に負けない柔道』だった。
そのために、同期(同級生)で死ぬほど稽古した。
不要な選手は一人としていない。必ずどこかに生きる場所がある──この思いは、後の旭山動物園改革の方針にもなった。
スター不在、万年最下位で「ゴミの北大」と呼ばれた雑草軍団が「負けない柔道」で達成感を味わった昭和47年、「たまたま求人があった」旭山動物園に獣医師兼飼育係として就職する。
10年ほどして、動物園はジェットコースターを導入。当時の世相を反映しレジャーランド化していった。けれども、入園者数は頭打ち、その後はジリ貧となっていった。
「『どうしてお客さんが来ないんだろう?』『なぜ動物園は面白くないのか?』そういう疑問を仲間を集めて勉強会で洗っていった。柔道部と全く同じこと。
でも、みんな内部にいるからやっぱりわからない。
『お客さんが何を求めてるのか?』そういうことを考えていろんな人と話したら、
『動物の自由を奪って閉じ込めて、人の見せ物にしている』といふ声が聞こえてきた。
「野生動物としての、もの凄い迫力ある姿をわかっていない」との思い。
それは『向こう側』に『伝わってない』すなわち、見せる側と見る側にギャップがあった。
原因がわかれば、あとは「自分たちが出来る範囲内でやれることをやる」
それを愚直に実行するだけ。
動物の本当の魅力を「伝えること」。詳細は上記サイトにあるが
もうひとつのポイントは次の文章;
「まず、理念を決めて共有した。俺たちは、こういう動物園にするんだということを、あべ(弘士)や牧田(雄一郎)らと徹底的に話し合った。そして、それを実現するために今から具体的に「やること」、いつか「やりたいこと」、さらに「やらないこと」も決めたんだ。そうすると、前に進める。チームには新人を1人加えた。俺たちの世代ですべて実現できると思ってなかったから。何にも染まってない、次の世代を先導する若いやつを絶対1人いれておこうと。それが新人の坂東元君(現園長)だった。
元気を貰える情報だった。
2013-07-03 18:26:36| カテゴリなし |コメント(0)|トラックバック(0)
How to manage with Dementia
7月カレンダー
わがネグラの壁のカレンダー、今朝何かヘンだなーと思ったらまだ6月
慌てて一枚めくって7月とした。
昨夜は19時過ぎから地域の集会あり、私の非常勤先市立病院主催だから
タイマイ千円の会費で参加した。
今月からやっと始まるダビンチ手術の紹介と、講演会は「認知症」がテーマ。
父が老健介護・認知症といふ経過を辿ったので、他人事ではない。
演者のプレゼンは、早口で分かりにくいものの、大筋の流れを確認できた。
認知症は、私が学生の頃とはだいぶ様変わりした疾患で、その分類もまだ多少の混乱がみられる。
演者は、実施臨床家の立場からか(医療界はヘンテコナ学会が乱立し、夫々が勝手に分類解釈し、世の中のジョーシキが通じる面とそうでない面がモザイク状となっている)次の二つの大別している。
神経変性型と脳血管性(VD)、
前者の主要部分がいわゆるアルツハイマー型認知症(AD)。
わかりにくい講演の内容をまとめると、注意すべきタイプとして「レビー小体型(DLB)」をあげている。
DLBは難治性うつとの鑑別が重要で、睡眠時のレム期の行動異常に特徴があるといふ。
治療は、主たるADなどでドネペジル(アリセプト)が使われる。その後様々な薬が開発されているが、それについては省略。
さて、このドネペジル。エーザイが創製した日本発の薬としても知られる。
国内では1999年(平成11年)11月に発売され、昨年まで唯一のAD薬としてクンリンしていたが、新薬がドンドン開発されている。
研究グループでは、喧嘩になるくらいの議論が繰り返されたといふ。
昨夜もそうだが、日本の会合では悲しいくらい低調だ。
質問も僅かで、議論する以前の問題がある。ダラダラ講演が続いて質問の時間すら無くなるのだから、構造的な問題があるのだろうか。
講演では全く触れなかったが、このドネペジル開発は、認知症を患った母親をもつ杉本三郎氏のグループによる;http://www.eisai.jp/medical/products/development/aricept/
研究に着手したのは1983(昭和58)年で、15年間といふ長い年月を経て世に出ている。
ちなみに、このエーザイ、私が大学に入る前の半年ほど住んでいた間借り民家の近くに本社があった。
「神田川」とはちょっと違って、一人ションボリお銭湯に行く坂道の途中にあった建物をボケーッと眺めていたことを思い出す。
数年前に97歳で亡くなった伯母はこの業界に詳しくて、「ムカシは小さな会社だったけどねー」が口癖だった。
そんなスーパーバーちゃんだったが、会うたびに少しずつ記憶も薄れていき、、、
父が新薬の発売を前に亡くなったことで、あの元気も減っていった。
今年は5回忌になる。
2013-07-03 06:10:10| カテゴリなし |コメント(0)|トラックバック(0)
vertically-segmented organization ;タテ割り
昨日夕方のラジオを聴いていたら、どうもオカシイ。
山開きした富士山の入山料について、誰かは知らないがはなしていた;
どうやら、二つの県に跨っているため、具体的な打ち合わせが出来ていないとのこと。
私は単純だから、7月に入ったら早速料金を取るものとばかり思っていた。
お役所の発想は、まるで異なっている。
運営管理するのに、これこれのお金がかかり、むにゃむにゃと数字をあげていた。
早い話、今まで幾ばくかの公金が維持管理に使われてらしいが、その負担割合でどうのこうの、、、、さらに、富士山のどこかに診療所があるらしいが、そこへの派遣をまたゴチャゴチャ、、、、、。
私は、改めて驚いた。
これがコームインの考え方。
言われなければ何もしないし、言ってもトーゼン何もしない。
前々からわかりきったことでも、「前例がないから」と新しい考えを極力排除する。
これでは、やる気のある(あるいは”あった”かもしれない)職員の気力は殺がれてしまう。
コームインの知人は語る;
コーヘイデ、広く意見を聞かなければ、、、、、、
昔は機微をわきまえたなかなかの好人物だったが、それは「過去」のこと
昨年も、2回ほど新企画を提案したが、検討するといってソレッキリ。
某施設のトップになってから「一変」してしまった。
2013-07-02 08:26:55| カテゴリなし |コメント(0)|トラックバック(0)
Bacon & potato
Bacon&Tomato
夕べの手抜き料理、まずジャガイモを塩茹でしておいてベーコンをフライパンで炒めてその油で野菜をぶち込む、調味料は胡椒だけ。思考過程も故障しているので、単純が一番。
100円のびいるもどきと相性はピッタシ。
遥か昔のこと、フランシス・ベーコンのことを習ったが、記憶の彼方にある。
「知は力なり」と言ったとか言わないとか?そこでまたコッソリ調べる、
http://philosophy.hix05.com/Renaissance/renaissance12.bacon.html
シェイクスピアとほぼ同時代人で、イギリスルネサンスの最後の世代に属するとのこと、
経験的な智恵を重視し、個々の事物から普遍的な法則を導き出す帰納法に注目し
個々の事実のうち法則の実証性に重要な役割を果たす事実を「特権的事例」として特別に取り出し、帰納法の手続きをより効率的で、確かなものにしようとした。
と、わかったうような、わからないような
だが、私が気になったのは次の点;
「知は力なり」といったが、それは知によって人間は自然を征服、、云々
これは「知」の暴走を招く恐れがある。
事実、その後の歴史も「愚かな知」は無数の失敗を築いてきた と愚考する。
一方のジャガイモ。
16世紀に(1570年頃)スペイン人によって欧州へもたらされている。
これはベーコンが10歳頃のことで、彼がこれを食べたかどうかは分からない。
当時、「悪魔の植物」とされたジャガイモは、紫色のお花が綺麗なので専ら観賞用とされたらしい。
悪魔云々は、船による運送途中の発芽・緑化による中毒によるもので、土の下にある芋が食べられるようになったことで歴史が変わった。
有名なアイルランドの飢饉、アイリッシュの海外流出が米国政治にも影響している。
そういえば、昔米国の副大統領で、「Potato」のスペルで”e”を余計に付けてた人がいた。
どーでもいーことを覚えているのは、アホの証明かもしれない。
その人物が、セイブなんとかの交渉でゴタゴタしている。
そんなの 「食えーるか」と、ある人が言ったとか言わないとか
2013-07-02 07:03:37| カテゴリなし |コメント(0)|トラックバック(0)
a good lesson from a bad example
今朝、地震があった。
私がトコトコ歩いていた時間らしく、忘れた頃にラジオが伝えた。
震源は地元、後で普段からボケーッとしているKGBも地震のことに気づいたから
(といふことは、、、??)かなり揺れたのだろう。
程なく何かオカシイと気が付いた。
地震予知のシステムなど「まるで役に立っていない」。
ナントカ奇声委員会のことは、再三述べているが、時間と金の膨大な浪費。
第一40万年前のこと、人類のご先祖が木の上に生活していた頃の地殻云々には呆れて声も出ない。
科学とは、一体なんだろうか。
2013-07-01 08:54:34| カテゴリなし |コメント(0)|トラックバック(0)
動揺の日
けふから7月。
ラジオによるとこの1日は、「童謡の日」だとのこと。
1918年(大正7年)7月1日、童話・童謡を扱った児童雑誌「赤い鳥」が創刊されたことに由来するとのこと。
下記のブログによると、大正年間は童謡の興隆期であり、ギスギスした今だからこそ大切にしたい。
かなりや(大正7) 西条八十作詞・成田為三作曲
赤とんぼ(大正10) 三木露風作詞・山田耕筰作曲
ゆりかごのうた(大正10) 北原白秋作詞・草川信作曲
七つの子(大正12) 野口雨情作詞・本居長世作曲
からたちの花(大正13) 北原白秋作詞・山田耕筰作曲
http://www.yamaha.co.jp/himekuri/view.php?ymd=19990701
昨日の音楽会、舞台に出演者が揃った最後に観客共々「富士山」を斉唱した。
1911年(明治44年)に『尋常小学読本唱歌』のひとつとして発表されたらしいが
全120曲は、全て日本人による新作(Wiki)で、当時の教育指導体制の矜持が窺える。
作詞は巖谷小波(いわや さざなみ)。
医学を拒否して児童文学者の道を進んだ人物で、父の巌谷一六は明治の三筆の一人、
役所の公休日は、「1」と「6」の付く日であることから号をつけたとのこと。
さて富士山。
けふから「山開き」、ご来光を目指して登った人が、ガッカリしたとかナナントカ、、、。
巷の「動揺」に浮かれて登山を目論む人も多いであろうが、
ヒネクレ・ヘンジン・へそ曲がりを自認する私は断固として登らない。
2013-07-01 07:26:53| カテゴリなし |コメント(0)|トラックバック(0)
As a matter of fact; Ass a matter of,,,,
6-28夕飯
昨日の午後、久しぶりにニンゲンらしい生活ができた。
ドジ娘の親友が所属するナントカ会主催の例会が駅前のホールで行われた。
詳細はともかく、生の音楽に接して大満足。
でー、夕飯も野菜と鯖缶でサバカン。
高校時代のこと、英語の教師は米国帰りのW先生だった。
教室へ入るや否や、いきなり米語で2-3分話し出し、カッペーの私どもなどはポカーンと座っていた。
あるとき、黒板に次の文章を書いた;”I'll be back to the class.”
W先生が留学中のエピソードとして、
これを板書した教師が戻ってくる前に、イタズラ好きのガキがこっそり一文字”c”を消した。
”lass” とは、”ギャル”の意味。
程なく戻ってきたその教師は、それを一瞥すると、ニコリともせず
無造作にさらに一文字”l”を消した。
”ass” は、”~ licker”の如く、とても上品な言葉とはいえない。
このW先生は、時々”four letter word”など、受験に出てこない言葉を話したが、
肝心な授業の内容などすっかり忘れて、”slang”しか思い出せないのはなぜだろうか。
2013-07-01 06:01:14| カテゴリなし |コメント(0)|トラックバック(0)
けふは何の日、昨年カドノエイコさん受賞;31-3-26、火曜、7時
今朝は、比較的暖かで、氷点下4℃、室内避難のお花を早めに外に出す。 ラジオは、けふは何の日で、昨年国際アンデルセン賞受賞のカドノエイコさん。 遥か昔、私が最初に欧州に行ったのは、コペンハーゲンの空港。 そこから列車でオーフスに行く途中のオデンサ(ウデンサ?)にこの世界的有名な作家の生まれた家と、博物館があった。 私は片言エーゴで聞くが、なかなか通じない。アンデルセンとはドイツ語みたいで、エー語なら、アンダーソン、現地では、「アナスン」と言っているようだった。 生誕の家は、小さな平屋だった。管理人のオバサンはさすがにエーゴが通じたが、かの国の言葉は世界一発音が難しく、正確な発音の出来るデンマーク人は1人もいないと、ガイドさんがジョークをいふくらいだった。 あの粗末な小屋で生まれ育ったであろう、かの大作家。ガキの頃、グリム童話と共に、何度と読んだことか。 さて、角野栄子さん、名前はどこかで聞いたことがあるようなないような、、、 調べてみたら、「魔女の宅急便」シリーズが有名らしいけど、おばけのあっちこっちそっちシリーズ、ミッフィーちゃんシリーズの翻訳と、大人が読んでも、楽しいものばかり。。 https://www.fukuinkan.co.jp/oshirase/detail.php?id=119 これで納得。日本人は3人目とのこと。 さて、このナントカ賞1953年創設とのことだが、 私は、浜田広助(1973年没)が受賞していなかったことに、ちょっと違和感を持つ。 N文学賞みたいに、まあ、あちらさんの選考基準はブラックボックスだから。
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