:2011-5-14; 3Kという言葉がある

3Kという言葉がある 3Kという言葉がある。「きつい」「汚い」「危険」だ。おまけに「こき使われて」「金にならない」そんな仕事に誰が就くだろうか。サンケイ新聞というものがある。何時の間にか産経新聞になったが、多分3K、あるいは○参詣云々であらぬ誤解を避けるためだったのかもしれない。 3Kの職場はあまり人気が無いようだ。そりゃ誰だって、楽してお金がもらえればわざわざキツイ仕事など選ばない。ワタシャ偏屈で要領も悪いので3Kのお仲間でウン十年。でもそれなりに満足している。 結局、人生は一度だけ、人にあれこれ言われて横並びするのがいいのか、あるいは自分なりに精一杯生きるのか、それを決めるのは己自身であろう。 「K」はkeen, knife, kill, knight から連想されるように 冷たくて鋭い意味合いが見える。 以前のYKKから二人のKは誠に奇異な政治家で、一方は政党ならず日本の社会そのものを破壊し尽くした。「貴人」と「奇人」では言葉遊びではままよとしても、現実の波風をまともに受けている一般庶民には、、、。新YKKが紙面を飾る。超一流国を目指した日本は、室町時代に逆戻りして、世界中から笑いものになった。対象は何か。それは、安倍前首相ではない、自分のことしか考えない視野の狭い烏合の衆となった自民党であり、特に某長老のご機嫌取り派閥統領と自分の考えをもっていない議員達である。 「哀れ」という日本語は「もののあわれ」、あるいは「憐れ」とも何とも玉虫色の表現で、入院中の安倍前首相の立場をそのまま表現できる。誠実さ、やさしさはわが大和民族古来の遺伝子であり、数値で表現などできず、まして人様と比較すべきものではない。こうした目に見えないが重要なもの、something important が人生で大きな影響力を持っていたのは過去のことであった。  20世紀は科学の時代だったといわれる。科学は人文、理科系を問わずすべての現象を分析し、事象の膨大な解析から一定の法則を導き出した。全ては科学的、学術的という美名の下に不都合な事実は例外として退けられ、目に見えないものは存在しない、あるいは、存在を客観的に説明例証できなければ、存在価値そのものまで否定されるようになった。 経済効率とは聞こえはいいが、裏を返せば拝金主義が闊歩し、制度の裏を巧みに泳ぎ回る、いわゆる要領のいい人がぬくぬくと生活をエンジョイしている社会、それが悲しい現実だ。 歴史に学ぶとは、過去の事実から現在を見つめて、これからの方向を見定める必要不可欠なものである。個々の事実、報道されなかったが重要な事実を丹念にファイルして、全体像を組み立てていく地道な労力を必要とした。しかるに、現在はマスコミが巨大化し、声の大きい意見をそのまま事実として、意図的あるいは恣意的に流してきた。 マスコミはモンスターである。モンスターは、世間一般の常識から考えるととても理解のできない行動をさも当然のこととして実行している人種である。少なくとも団塊の世代では思い浮かばない輩といえる。給食費を払わないのはまだ可愛い部類、病気になっても、それが大したことはなくても夜間救急外来を受診し、一方的に自己主張ばかりして支払いもしない。子どもが朝から熱を出したようだが、自分は立派に仕事をしておりますので、とても診療時間になど来れませんと平気でのたまう親、特に母親が多いこと。呆れて言葉を失う町医者は、ぐっと怒りを堪えて黙々と診療している、これが現状なのです。 21世紀は科学万能の危険性に目覚め、「こころ」の時代といわれる。 だが「こころ」とは一体どうなっているのだろうか。目には見えず、客観的に評価比較できるものではない。変わりやすく脆弱な「こころ」を支えるのはいわゆる精神であろう。大和魂といわれるものもそうかもしれない。戦後の教育は何か大きな忘れ物をしている。 現代の荒んだ社会は、「感謝」「感動」「行動」の欠如が考えられる。人様にどれだけお世話になっているのか、忘れていることが多くはないだろうか。 外国へ旅行するとき、最低限必要な言葉は「感謝」といわれる。フランス語はまるで駄目だが、merci ぐらいは言わなけらばいけないようだ。お日様にも勿論感謝、近所の野良ネコにも感謝できるような、そんな気持ちでいたい。 2011-05-14 00:00:00| 時事ーのたわごと |コメント(0)

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