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At a standstill; H29年11月30日、木曜日、曇り

At a standstill; H29年11月30日、木曜日、曇り ようやく、タブレットでインプット可能となった、でもファイル転送については不安あり 朝から不機嫌なRK,銀行通帳不明とのこと、、? 7時過ぎ、ネット検索でBKのサイトを開き早速電話で問い合わせると、男性の声がする。支店名と口座番号などを伝えると確認で2回ほどインターバルあるも、口座の停止となる。でも通話に15分ほど、まあ時間がかかるものの、一安心とでもいうべきか。 施設内は一応安定、ようやくこのBLGを開いている。メールもBLGもアカウントがどうのこうの、パスワードがどうのこうのと、これもセキュリティー対策であろうが、面倒で窮屈な時代となった。 昨日から「カラシニコフ自伝」(2008年4月、朝日新聞出版) を読み始めた。 >>> 世界一有名な自動小銃「カラシニコフ」。その銃「AK-47」を開発したカラシニコフ本人の語りおろし自伝。スターリン時代、シベリアに強制移住させられた幼少期から、一兵卒から銃設計者として見いだされ、旧ソビエト最高会議代議員に上りつめるまでの波乱の人生を描く。     https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=9332

Oops、overslept then new prospect; H29年11月29日、水曜日、晴れ

H29年11月29日、水曜日、晴れ, New prospect # A new tablet    #Tel from Dr. WTB,  then went to Mr. SKBR # Tel to Mr. MZKM

Tablet order; H29年11月28日、火曜日

H29年11月28日、火曜日、晴れ 2時に目が覚め、アマゾンでTablet order. スマホはまだ不慣れにて 4時半にジョッギング、この日は身体が軽くて休みなしに4周も完走。 (図書館のパソコン接続不安にて、木曜日にインプット中) 前日夕方に佐久を車で出発、21時過ぎ(だと記憶)に帰宅した。コンロには冷えたおでんの残り。 どんな境遇でも、負けてはならぬ、不定期に襲いかかるプチ・パニックを堪えるのも日常の一環となった感あり。  (と、ここでティーブレイク、木曜日は本当に自分を取り戻せる場と時間を与えられて、感謝すべきだろう) 手書きノートを見ながら、作業を続ける; 朝食はジャガイモ入りのコンソメスープといつものホットケーキ。この日は2回に分けて焼いてみた。6時に外出、コンビニでアマゾンへ現金振込みをする。プリントなしで、最初にセブンでレジの女性に頼んだが、13桁云々といって手で入力、しかし不可と判明。スマホ画面をよく見たら、ローソンほかが可能とのこと、そこで先ず駅に行く。北口に出て右手に新しくできた(7月からとのこと)お店に入る。手前の中年男性は不慣れで、もたつくが奥にいた若い女性が別の画面でさっさと処理。レジでお金を払う。今の若い人は、こうしたスマホ関連は手馴れたものなのだろう。 9時にいったん帰宅し、紅茶を淹れて一休みしていたら、Sさんから連絡あり、なんでも印鑑が必要とのこと。いわゆる大手のカイシャは、些細なことでも確認の書類が必要らしい。ギスギスした嫌な世の中だが、これも時代の流れなのだろう。 11時半、SKさん来訪、1階のテーブル席で捺印、数分で終わる。帰りがけに声を掛ける、来月の○○、夕食会合の席にどうですか。すると、1年7ヶ月(と、すんなり数字が出て、、)前に奥さんを無くしているから、とすぐに乗り気になる。そこで、SNさんにもLINEで連絡した。(MKさんへは29日に連絡) 午後は、ヨーカドーへ、途中のS家に林檎を6個届ける、顔を出したお母さんへ先日のRKさんのことでお礼とお話する。買い物は、牛蒡など野菜たっぷりのバッグを背負い、徒歩で帰宅。例の山が視界に入らないように気をつけながら、、、。夕飯準備と、頃合を見計らって入浴す。湯船にゆったりする、今までとは別の時間が流れる。身体の芯にまで染み込む様な安堵感、まだ不十分だが、ころもささや...

I`m quite happy; H29年11月27日、月曜日、晴れ、車出勤

4時のジョギング、生活習慣となる。 5時半にE子さん起きてきて台所仕事開始。朝食後、7時すぎに車で出勤。 7時、医局でパソコンを開くと、毛利君からメールあり、早速返信。 ここで一休み、このBLGインプット中、および、ホテル予約にと医局のパソコンに向かっていると、後ろから声をかけられる 仕事依頼には、即反応。指示された病室へ向かう。 あっという間に9時、外来へ、午前中の仕事は少ないが、検査結果がでるまで時間がかかる。せっかちな私には、手持ち無沙汰。

For Sunshine;H29年11月26日(日曜日)、晴れ、車で信州へ

4時20分起床、暫しボンヤリし、日課のジョギング、  車で桜井へ、タイヤ交換 6時過ぎに車で出発 まず、老健へ、道を間違えて7時少し過ぎに着く

同様に動揺、土曜日;H29年11月25日、晴れ、夕某医院へ

昨日より寒さは軽減、日課のジョギングで体調維持。 行く先不定は、侘しさ倍増、某ショッピングモールで手紙を書く。前日百均で買った便箋に万年筆を走らせる。宛先は高校時代の友人。ラインを見て、その返事。気がついたら便箋4枚、それでも書き足りない?? 夕は、某所で友人、といえる人と会う。仕事をしながら立ち話、、、 翌日は、車で田舎へ

Writing letters; H29年11月24日(金)、葉書、兄へ、手紙叔父へ

次回の上京日について、兄と叔父へ葉書、手紙で連絡。 電話ですればいいのかといっても、、、 本日、何故か図書館お休み、ブツブツ

禁老感謝の日、; H29年11月23日(木)、勤労感謝の日。

ここ数日のこと、といっても前から時々あったけど、ここのサイトに何故かすんなり入ること不可? 私は顔も性格も捻くれているからなのか、そこは全く不明。 もう齢,(弱い?)70になんなんとする、(難々と)ので記憶力は更に低下し、昨日の食事内容も覚えていない。スマホはせっかちな私には不向きで、やはりキーボード入力のほうが慣れている。 (現在26日の日曜日、つまり3日前の記憶を手繰り寄せていることになる) メモ帳を見ると、航空券予約とある、そう、12月25日の券をネット予約した、 ということは、午前中は○○でオシゴトしていたことになる。

Let her alone :H29年11月22日(水)、曇り時々雨

11月22日、(水)、曇り時々雨 玲子ちゃん携帯番号、水上さんへお酒、西瀬名徒歩、内藤さんに電話相談、玲子ちゃん来訪など盛りだくさん終日多忙。 鉛色の空、でも早朝のジョギングは可能で、背中にうっすら汗、それを風呂で流す。6時頃にそそくさと外出するも、後で気づくのだが置き忘れた携帯の玲子ちゃんに関するデータ全て消されていた。行く先は、ペガサス図書館。文庫本を4冊返却し、セノババス停で日誌を記入。途中に座った右隣の男性が気になって、早めに席を立つ。7時40分少し過ぎ、赤い弁当袋を提げた娘が信号の先へ歩いていくのを確認後に、部屋に戻る。テーブル上RKの走り書きあり、、、、。 慌てて、玲子家へ行く。お母さんが顔を出し、今度はメモ帳に携帯番号を記入するも、これまたトラブル、なんとお母さんは自分の携帯番号を書いてしまった、、、。それとは知らずに私はメール連絡、すると、RKから怒りの連絡?なんでそのことが分かったのかと考えると、、、それを「余計な事をして、、」と送った。悪いことは重なる。それが翌日まで尾を引く。 さて、佐久でのことに戻る 有賀家での朝食は、妹が冷たい台所で用意した和食。シャケと海苔、味噌汁で、何故か納豆がなし。後で聞いたら旦那が嫌いらしい。そこで、ぜひ食べるように薦める。デザートの林檎を食べながら、良一さんと延々と話をする。改めて知識情報の抽斗が多いのに驚く。お返しに旅行にお得なジパングについて、パンフレットを渡す。昼飯はうどん、饂飩云々から味噌醤油に及んで、ヤマサ、キッコーマンの歴史をスマホで調べることになる。 いつまでもといふわけにはいかず、13時半過ぎの新幹線に間に合うよう席を立つ。

Refreshment for nre life. H29 11月 21日、火曜、晴れ、初雪

11月 21日、火曜、晴れ、初雪。午後バス帰静。夕入浴時に洗濯、シチュー残食; 窓外はうっすら雪化粧。 昨夜、ノンちゃんと飲む。場所は「こんどう」という居酒屋、詳細は後で; 4時前から目が覚めてしまう。妹が気を遣ってくれて布団は暖かい。敷布団上に電気なんとかで低い温度でもほかほか、久々に天国のような寝心地だった。就寝は23時過ぎだが、トイレに3回ほど起きる。兎に角冷え込みがきつい。思い切って離床し、外に出ると一面の銀世界に驚く。靴を履いて恐る恐る歩くと、積雪に足跡がつく。道路に出ると、薄いシャーベット状の雪で、滑らないように足早に歩く。まあ大丈夫だろうと、やや緩めのジョギングを開始、広い道には出ないで寛恕な坂道のある東側の道路を含めて3回ほど往復す。15から20分して戻るがまだ誰も起きてこない。手持ち無沙汰で、時計の時刻あわせをし、ストーブの点け方分からず、マフラーを付けたままソファーに座ると、テーブルの下に赤ちゃん育てに関する市のパンフレットあり、詳細で役に立ちそうなもので驚く。5時半過ぎ辺りによううやく妹が起きてくる。以下、略(参照;翌日の日誌) 徒歩で佐久平駅に40分ほどで着く。おみやげをと探すと土○酒造の「○さす」あり、値段も思ったより手軽にて購入、1500円前後なり。15時半のバスに乗る。空いており2番目の席にゆったりと座る。松田を過ぎる頃から、左手にお月様が出て、富士のシルエットが浮かんでくる。徐々に夜の帳が下りてくる(日本語はなんという美しい言葉だろうか)につれて、MKのことが胸腹頭の中に充満してくる。じわじわと染み込む様な寂寥感と美しい三日月(あるいは新月に近いのだろうか)。スマホで写真を撮ろうと試みるも、、

The third day; H29年11月20日、月曜、碓氷君とこんどう

6時28分発の「はくたか」に乗り、佐久平7時43分着。徒歩で浅間Hpに立ち寄り、上の城の松本家へ行く。JKの義母が顔を出し、室内へ。 JKから見積書を見せてもらう、予想外の費用で驚愕するも、まあ仕方ないか。 9時から外来、午前は3名、OAB, cysytitis 2名。 特に検査不要と思うが、希望で培養のみ提出。

Another point of view;H29年11月19日、日曜日、晴れ、横山君と会う

娘RMOとの確執が長引いている。今朝も、LINEでやりとりするが一度掛け違えたボタンは厄介だ。ここは年長の、そして親としての冷静な対応が求められる。 今朝も4時少し前に目が覚める。布団の中で、寒い外気での運動を暫し躊躇するも、一度決めたことは、と、布団を畳む。これがベッドとは違う運動になる。4時10分に外に出る。キーをかけているのに、それに気づかない、BPSDとまでは行かないが、物忘れ、短期記憶障害は認知症の前触れかと不安にもなる。 ジョギングは、無理をしないことが原則だろうが、ちょっとだけ無理をして身体を傷める。あと少しの距離だけ走る、そう言い聞かせると不思議とできるものだ。 6時22分のJRに乗る。   以下、ルミおへの 周とは来月27日に北海道で会う。  正子もルミおはしっかりしているとの口癖だった。逆にしっかりし過ぎて心配だ。長い人生はマラソンと同じ。それを短距離走のペースで走ることはできないし、その最中(さなか)では周りのものが見えない。ゆっくり走ると、今まで気付かなかったことがわかってくる。私も正子も我武者羅に走ってきた。そして今、走り方を変える意味が、ようやく分かってきた。 老健6時50分過ぎに着く。ここ数日で2名逝去、そして2名入所あり。回診後に上記をzRmkヘライン通信。

Reuion. Warm up the old friendship. :H29 1118 土曜日、小雨

昨日の鰻屋の件で、何となく落ち着かない。MKの意外なというか、いや考えてみれば当然のことなのだが、、、○○ゴンの輝いてた頃の記憶が蘇る。 今朝のお線香と、デザート果物を供えたが、鈍感だねと笑われるかもしれない。これで気持ちが落ち着くなら、毎日したいし、いままで気がつかなかった、これも鈍感なのか。 ジョギング後に朝湯は贅沢?頑張る私へのご褒美だ。 5時に支度済ませて外に出る。 辿る麓曖昧叱咤諦めない、、これは書けなかった漢字。鉛筆で書くと、漢字が出てこないことに驚く、気がつかないことのいかに多いことか。 始発5時20分のバス(伸ばす?)思いの外混んで直ぐに満席となる。空はずっと重たい鉛色、小雨まじり。これまでは気が塞ぎ狭い殻に閉じ籠りがちであったが、今日は違う、これからもそうであってほしいが、人のために何ができるのかを常に心掛けたらお互いウィンウィンになれる。 でもふとしたことで心に隙間ができると、、、辛いのが当たり前、こうして器を広げていく、それがオトナ,大人になるといふことだろう。 バスは予定時刻の9時に東京駅北口に着く。足早に、丸の内へ抜け、本郷方向に只管歩く。自ずと昔の記憶が蘇り、方向はほぼ間違いなく進む。懐かしい、お茶の水液周辺の町並み、ビルは殆ど新しくなっているが、変わらない雰囲気がそのまま残っている。 医科歯科大の北を通る、病棟のAB位置を確認して、更に北西へ歩く。叔父のマンション前で電話、4回に行く。叔父は、朝食の途中で、上半身は半袖シャツの下着姿。先ず、仏壇で二つの位牌にお線香をあげるが、その上に新しい位牌があるのに気づく、誰のかあとで聞くつもり。まず、玄関の電球を交換す。だが、そのガラスカバーの着脱がとんでもなく厄介だ。   中略

相談そして意外なことから、追想に入る。H29.11.17金曜日.その2

鰻を食べつつDrWtbと話す。目的は、経緯を話してBgs さんを紹介して貰うこと。分かりやすく概要を話すも話してたいことは山ほどある。Drは真摯に耳を傾けてくれ、ありがたい。 帰り際に携帯の番号交換、手早い慣れた操作で、その手際や良さに感心す。 もうひとつ、意外なことを耳にする。まず Mzk さんが何気なく口にして、そして帰り際にご主人の話し?複雑な感情に頭の中が占拠された。 MKは、そういえばカウンセリング仲間、あるいは英会話?、でも多分前者だろう、ご主人は女性グループといったから。そこでそのお店に入った。多分THSさんなどからの情報もあったに違いない。息子SHのために必死で活動していたことを、あらためて思い出す。 昼過ぎの道路、何かしら、心の隅に別の石ころが入ったような感じで部屋に戻る。そして呆然と窓外の風景を見る。 古くからの友人2名とライン接続; 先ずGWR君。高校時代からで、当時はさほど親しくしていなかったが、何かの機会、そう東京岳南会で再会してからだと、記憶している。彼に会おうとして、年賀状をリュックに入れておいたが、そのままとなっており、今月初頭に喪中葉書を出した。すると、彼から直ぐに返信で葉書あり、宛先がIGWになっているのは、既に住所登録済みにしているためだろう。田舎に定期的に帰っているとのことで、ライン接続を試みるが、先ずメールで連絡。ちょうど図書館にいた時刻(10時頃)で、接続は午後になった。 そして、YG君。彼からはパソコンのメールアドレスに来た。アイフォンみたいだ。そこには背中のおぺのことが書いてあって、とにかくライン接続す。すると、夕飯過ぎた頃に電話がかかってきた。まだライン不慣れにてと断りあって、病院名と部屋番号を教えてもらった。 前後するが、厚いノートに鉛筆で手書きをした。MKとの成り染めについて、記憶の糸を辿る。 時間が掛かりそう、バスの時刻に遅れないように、、

Intervrntion. H291117日、金曜日、晴れ、昼DrWTBと会食

2時から6時まではルーチンワーク、その後RKの起きる前に脱出し、セノバへ。図書4冊を返却し、バス待合室でYKへLINE。 今朝、布団内で北栄の天才詩人”蘇東坡”の漢詩を読む。有名な「赤壁の賦」*    *  http://chinese.hix05.com/sushi/sushi_2/sushi214.former.html  は ちょっと長すぎるので、と躊躇うが、今の心境に近い詩を見つけた; 人様のサイトから借用する >>>>> 蘇軾の七言絶句「東坡   雨洗東坡月色清  雨は東坡を洗って月色清し   市人行盡野人行  市人行き盡して野人行く   莫嫌犖確坡頭路  嫌ふ莫かれ犖確坡頭の路   自愛鏗然曳杖聲  自ら愛す鏗然として杖を曳くの聲 雨が東坡を洗って月の光が清明だ、街の人の姿はなく歩いているのはこの私だけ、 石ころが転がったあぜ道を嫌ってはいけない、わたしはこつこつと杖をひいて歩くのが好きなのだ http://chinese.hix05.com/sushi/sushi_2/sushi212.toba.html このサイトは私と同年代、福岡出身で元都庁勤務らしい。 DC からのLINE 返信はまだない。いったん戻って、MKの遺した資料を整理。その封筒に手を載せると知らず目が潤んでくる。その遺志を私は関係者に伝えねばならない、それがVocation だろう。 ゆうちょでお金をおろしてから図書館で、この入力。1時間以内に買い物を済ませて、12時半までに出かけねばならない。 と、10時半少し前、高校時代の友人からメールあり、あとでLINE接続を さて、”Intervention”  本日のテーマはこれ。 シソーラスをみると;  >>>状況を改善するために提供される世話(病気または怪我を楽にすることを目的とする、特に医学技法または医学的応用) care provided to improve a situation (especially medical procedures or applications that are intended to relieve illness or injury) >>> すでに進行中の訴訟に人が加わることを許可する手続き a proceeding that...

Encouragement ; H29年11月16日、木曜日、晴れ

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体内時計は2時にセットされているのだろうか、布団の中で運動できるように支度をして今後のプランを考慮。4時少し前に公園へ向かう。いつもより風あり、やや冷たさを感じる。空にはオリオン・シリウスが煌く。スバルらしき星影あるも、悲しいかな視力の低下はいかんとも仕方なし。月はあと少しで出てくるので「お星様」が競うように勢ぞろい。MKはあの空の何処にいるのだろうか。 ジョギングは、本日駆け足の距離を伸ばすこととした。一周コースを半分として、四分の三を駆け足、残りを歩くだけのウォーキング。これを5週としたが、3週目辺りから身体がほかほかしてきて、4週目から背中に汗を感じる。帰途、クールダウンしつつ髭を剃る。本日17時から仮契約、念入りにとシェーバーを動かす。 4時20分少し過ぎ、いつもより10分ほど早めに朝食の用意。先ず、玄米を2匙、塩昆布をと水を少し入れて加熱。卵を予め出しておく。コーヒーをセットして湯を沸かす。その合間に果物チーズ、生ハムなどを用意しつつ、玄米を計量スプーンで食べる。梅漬けよりもこちらのほうがいいかも。パンはこのところ自家製のケーキのみ、昨日の残りを食す。昨日購入したセロリをぶつ切りにして卵の入った鍋に入れて、さっと湯がく。1日多分1800カロリーくらいは摂っているつもりだが、朝は600くらいはあるだろうか?そうだマヨネーズを追加すればいいかもしれない。 1時間後に、前日用意したモスグリーンのジャケットとネクタイ姿で外に出る。東の空に三日月ならぬもっと細いシャープなお月様がビルの谷間に見える。それをスマホで撮影しようと移動するも駅前はビルが高すぎて不可。駅構内の中央通路には苦しみ増す釣り夷が鎮座する。その北側に惨汰帽を乗せた時計あり、これをアップ。 それをDCの娘にLINEで送ると、折り返し返事あり。 >> 今日は仕事で早めのサンクスギビングのランチなりよ  >>> ( ターキーとのコメントあり) かなりのボリュームに圧倒。朝日が昇るところをYKに送る。 お日様に感謝しつつ、いい日でありますようにと祈る。 DCから元気を貰う。これが"Encouragement" 夕方17時、なんとかビルの1階で予備契約あり、そのためダークグリーンのジャケットを着てきた。ネクタイも、それに合うだろうと思われる、濃紺...

Vocation, 使命、天職:H29年11月15日、水曜日、晴れ時々曇り

今朝もルーチン化したジョギングでたっぷり汗をかく。 着ていたシャツほかは、Rが外出した後に手洗いし、残り湯を追い炊きし朝風呂とした。洗濯物をベランダに干すと、昼過ぎにはもう乾く。お日様と風の力は偉大なり。 図書館で新聞を開く。どこかのコバンザメ党首のことなどどうでもいい、と、目が止まったのは、ズバリストレートを投げる人、曽○○子女史。ネット検索すると、まあなんと、狭量の輩の多いこと、それに付和雷同するおかわいそうな人々。そんな屑に構っている時間などない。 主題は”Vocation”という言葉。私は初めて接する単語で、「使命」、「天職」などと訳すらしい。 「自分しか出来ない仕事は必ずある」 さて、少々問題あり。この著者のコラムについて検索したら、驚くべき結果、、、、うわべだけの非難中傷、中小?あるいは中小?ネット社会の恐ろしさを痛感。教訓とすべし、愚ぐる検索は要注意。 脱線、Vocationと比較すべき言葉にProfession なるものがあるといふ。これは単なるプロ、いわゆる専門○○はこの類かもしれない。 昨日の火曜日、ラジオのこと、午後ラジ。テーマは「乗り越える」。 ゲストは「7本指のピアニスト」西川悟平さんについて、改めて書く。いかにしてクライシスに対処していくのかという問題。どうも私は、真に受けて真剣になりすぎてしまう。深く時間をかけると、その結果、狭い螺旋階段の如くどんどん落ち込んでしまう。 考えても仕方のないこと、それに気づく必要がありそうだ。ラジオのMCのあっけらかんとした声が記憶に残る。ネット検索したらムラなんとかさん、初めて聞く名前だが、有名人らしい。その写真を見てまた驚く、、どことなく、、、。年齢は○○で、見とれてしまう。 夕飯は肉じゃが。じゃがのー、RKとの冷戦は持続。布団を敷いて、箱を開ける。数時間前に30年以上前のアルバムから必要部分だけ抜き取った。年末に、息子と会ってから親戚に見せるべく予め用意。箱の中にはMKの書いたノートが2冊あり、じっくりと読む。リストと、経時的に各個人のメモが克明に記録されている。丁寧な几帳面な字体、それが、つい数ヶ月前から乱れた字体で読みにくくなっている。ここに、MKの状況が明確に残酷なほど示されている。私は、ただただ涙を堪えるしかなかった。 命を削っての記録、これぞVocation,...

超ポジティブに:H29年11月14日、火曜日、曇りのち小雨

朝、4時起床。外は暗闇でこれでは散歩も不可、諦めて布団内で今後の予定を練る。 5時半離床、2Fから義妹が下りてきて朝ご飯の準備とストーブに点火。髭剃り洗面した頃に母が起きてくる。外は前日同様に霜景色。墓参後車のフロントグラスに被せてもらった薄布団を外し、新聞を手に暖房の効いた居間に戻る。 朝食後7時半頃に義妹は出勤、お土産の野菜の入った紙袋を頂きお礼を言う。タイヤ手配のお店が10時開店で、2時間以上の待ち時間があり、古い家に向かう。甥と一緒に再度ゴミ不要物の整理。落とした豆の処理に手間取る。9時少しすぎに一緒に出掛け、イエローハットへ。金額は計9万円を少し超えるが、現金で支払う。しかし、タイヤ交換は午後12時半以降となるとのことで、後日に予約。 帰途のラジオ”ごごラジ”で偶然耳にしたのはNY在住のピアニスト・西川悟平さん。 難病にかかりながらも乗り越えた<7本指のピアニスト>として知られるとのこと https://withnews.jp/article/f0160305000qq000000000000000W0290701qq000013084A >>> 「どんなひどかったりつらかったりすることがあっても諦めないで!考え方を変えて、Stay Positive! 」と西川さんは話します。 ピアノを始めたのは大阪堺市の中学校の時。あこがれの先輩がピアノを弾くのに衝撃を受けたのがきっかけでした。音楽大学受験の3年前から音譜を読むことから勉強し始めた超スロースタートでした。  「皆が5時間練習するなら、僕は人の倍、10時間練習する」。指の体操教則本であるハノンの約60曲を全曲弾く毎日。防音設備がないので、布団でピアノをまいて、毎日5時間から12時間練習しました。  >>>> 15歳という常識外れのスロースタート。そしてぐ偶然の切欠からNYジュリアード音楽院出身のプロのピアニストと出会います。デイヴィッド・ブラッドショー氏とコズモ・ブオーノ氏です。 「君が一番やりたいことは何」、 「粗削りだが、味がある演奏だ」と感じていたというブラッドショー氏は、西川さんを弟子にして3カ月間、ニュージャージー州の豪邸で自由にピアノを練習できる環境を与えてくれました。 しかし、約1年後の2001年、指がピアノの鍵盤の前に来ると丸まってしまい動かなくなる症状に...

嵐の後、、、;H29年11月11日、土曜、雨のち晴れ

もうこれで何度目だろうか、今回の嵐はちょっと違うけど。 4時に布団を出る。いつもより遅いのは、前夜の”事件”の影響。窓から雨で濡れた道路が見える。ジョギングはお休みし、布団の中で読んだ本をリュックに仕舞う。 駅、地下のいつものコースを通る。朝は人通りが少なくていいが、11時頃になると、無意識に160cmの女性を探している。頭ではわかっているのに、身体がいうことを聞かない。 午前中は図書館。静寂の中、と思いきや、無神経な輩(女性3名、子供連れも)に邪魔される。 本を2冊、ひとつは「鬼平シリーズの4」、そして「人生を幸福に満たす云々」。後者は期待外れか。 11時半、早めに昼食を済ませてパソコンを入れた重いバッグ背負いK医院へ。本日はHDの日。T公園脇の会館で時間を潰し、17時過ぎにK医院へ。Dr.Kは賢明だ。葉書について特に触れず、余計なことを言わなくて済むので助かる。 22時40分過ぎにタクシーで帰宅。Rはドアを閉ざしている。流しにはRの洗った食器あるので、まあちゃんと食べているのだろうと安堵。翌日の日曜のことで妹JKよりLINEあるも、決められないまま布団に潜り込む。嫌なことの先送り、これは正さねばならない。 DCのYKからLINEあり、RKちゃんとのセットについて相談、彼女の携帯を伝えたが、、、、 雨の日は、特に憂鬱となる。午前中は、SHUとキャッチボールをした公園でベンチに座る。一応雨上がりで、座る処は水滴なし。右隣に濡れたカタログ雑誌、あとは地面に欅の黄色い落ち葉。雨が止んだ後は、色濃い地面とのコントラストが鮮やかだ。読書後、7時40分、IGWマンションに向かう。

2回目の診察; H29年11月13日、月、晴れ

4時少し前に目覚める。布団の中で日誌を鉛筆で記入。5時半頃ET子さんが降りてきて朝御飯の用意開始か。