幸福って何だろうか;31-3-8、金曜日

31-3-8、金曜日、北海道滞在最後の日となった。
私は、KGBの写真をリュックに入れ、一度だけ、URKWで出して息子とコーヒーを飲んだ。

爽やかな冷気が道南の空に満ちて、旅行中の常である私の交感神経過活動、これを抑えるかのようなそんな思い出を作ってくれた。

その時わからなかったけれども、KGBは、その写真があっても無くても、いつも私たちの傍にいる、そんな思いが今、金曜日の午前3時に確信となりつつある。

幸福とは何だろうか。幸福て、それは何だろう、、、、

私は、天邪鬼だから、この言葉を逆から読んで見た;
「うろだんな はれそ てつくふうこ」

「迂路旦那 晴れ粗 徹苦風虚」
日本語(大和言葉)と漢字のハイブリッドは、少なくとも近隣諸国にはない
大きな、大きなアドバーン提示だろう。

思い出しても、私はドジばかりを繰り返して、「迂路」そしてウロ
Urologyにも出会った。
KGBにも、ある意味では不思議な運命の糸(意図)で繋がっていた、、、、、。
URFNの8階の渡り廊下にて、私がかけた一声
何を言ったのか思い出せないけど、、、、、、、、、

そして、今。
風となり、どこまでも高く青い空のもとに私はいる
「虚」というよりは「子」、そうか
昨夜のTVの影響で、室町以前の頃は「子」とはそのファミリーのchild
だからどちらかというと、男子の意味が強かったのだろう。

訂正する;
迂路旦那 晴(れ)粗 徹苦風虚」   * 「粗末」harsh ではない、素朴かつ"simple"


無数の幸福論がある、

学生時代に読んだアランの本、小学校だろうか「幸福の王子」
「チルチルとミチルの青い鳥」など、一般的、かつ古典的文章jが海馬から引き起こされる。

私は、シャツとパンツ姿でホテルベッド脇の椅子に腰掛けて、持参した中古の、レッツノート、キーボードを叩く。
聞こえるのは、冷蔵庫のモーター音、とこの操作音だけ。
世の中は、無駄な騒音に満ち、そして無駄な情報に、愚かなる頭脳は混乱する。

ボケかけた頭は、シナプス回路を数多連結する操作で、リフレッシュできるだろう。
いや、出来るとconvinced. 曖昧さは否定する、確信がほしい。

メーテルリンク、
念のためWiki をこっそり覗くと;
>> 1890年発表の童話劇、テーマは「死と生命の意味

Moment Mori

スペルは迂路覚え。

Simple is the Best.

私の解釈は「生命も死も、すべて身近にある」

したがって、過去の人とは、いつでもどこでも、コンビニ感覚で対話可能だ。

KGBはいつも私にも、息子にも、SZOKのRMにも、米国のYKRにも
常に傍らにいる。

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