投稿

5月, 2018の投稿を表示しています
5月31日、木曜日、 ID-LINK 申し込みするも?? 外来 3名+ エコー画像取り込み、Pt Txt ファイルもUSBへ Mr. 1Fnoプリンターに接続可

5月30日、水曜、曇り車でHp

5月30日、水曜、曇り車でHp、チャレンジデー 昨夕の手紙に返書、朝の天気予報で自転車を断念。車でHp着いてから封筒書きして、投函。事務プリンターのことで交渉 外来 Am,77歳、振り回される。結局入院。  午後、血尿?だかわけの分からない訴え、これらは事務的に尿検査をすれば答えが出る。 教訓、冷徹に、かつ事務的に突き放すような面もも必要だ。Pt主導では時間がいくら当ても足りない。

5月29日、火曜日、外来、19時医師会館DM

5月29日、火曜日、外来、19時医師会館DM 朝、自転車通勤。 2階に行くと、机においた花と花瓶のプラボトルが消えていて、ちょっと悲しかった。 外来業務は、割と楽に進めて、11時半には、北隣の老健へ行く。まあ、これは気分転換で、お日様の下、庭の草花を愛でつつ散策できるいい。 甥からラインあるも、会合を優先。午後はノンビリ出来る。17時過ぎには自転車で一旦帰るが、途中の図書館で本を3冊借りる。 家の門脇のポストに手紙あり、これが気になっていたのかと、我ながら面目なし。開封一読しすぐに次の行動へ。 庭の野菜と花、苗に水遣りしてから再び自転車で会館へ急ぐ、15分前に出て余裕充分かと思ったが、ギリギリ。中に入って驚いたのは、人が多く、会談まで受付前の人が行列を作っている。 中略、 帰りがけに何処かで見かけた人から声をかけられた、名刺を渡され、翌朝にメールしたが、、、

5月28日、月曜、曇り、外来

4時45分のアラームで起床、昨日までここ数日の疲れで、暫し布団から出られない。外は曇天の空、昨夜のお月さんはどこへ行ったのか。スマホの動き悪く、一旦電源を切り再起動とす。 朝方、しゅんくんからラインあり、今晩食事のお誘いあり。 11時過ぎ、腹ペコで、水羊羹を半分強食べる。 昼休み、コンビニで水道料金支払い。徒歩で散策、帰りは田んぼの畦道を通る。 ライン、昨日の昇一さん宅のことを書く、例の作家はしもた、しもたというから下田とおもっていたら、霜田が正しいみたい。 17時から、ナントカ安全会があるらしい。 あ、もう5月も終わる、「麗しき五月に」 調べてみると  http://tsvocalschool.com/classic/im-wunderschonen/ Im wunderschönen Monat Mai, Als alle Knospen sprangen, Da ist in meinem Herzen Die Liebe aufgegangen. 素晴らしく美しい五月に すべてのつぼみが開いたとき 僕の心の中で 恋の芽が出た      --->  日本語は、なんて味気ないのだろうか wunderschön/素晴らしく美しい Monat/月 Mai/5月 als/~したとき all/すべての Knospe/つぼみ sprangen-springen/跳ぶ・(つぼみが)開く da/そのとき・そこに Herz/心 Liebe/愛 aufgegangen-aufgehen/昇る・芽を出す 2番は覚えていないが; Im wunderschönen Monat Mai, Als alle Vögel sangen, Da hab ich ihr gestanden Mein Sehnen und Verlangen. 素晴らしく美しい五月に すべての鳥が 歌ったとき 僕は彼女に告白した 僕の憧れと想いを

5月27日、日曜日、10時からテニス、午後BBQ

5月27日、日曜日、10時からテニス、午後BBQ 未明から、うつらうつらでラジオを聴く。雨の曲、そしてシューベルトの歌曲集「美しき水車小屋の娘 "Die schöne Müllerin" 」から「朝の挨拶;」http://yamamasu.world.coocan.jp/lieder_text_schubert_d795-8.html >> 8. Morgengruß 8. 朝の挨拶 Guten Morgen, schöne Müllerin! おはよう 美しき水車小屋の娘よ Wo steckst du gleich das Köpfchen hin, 顔をすぐ どこに隠してしまうの Als wär dir was geschehen? 何かが起こったかのように Verdrießt dich denn mein Gruß so schwer? 僕の挨拶がそんなにいやなの Verstört dich denn mein Blick so sehr? 僕の視線にそんなにうろたえるの So muß ich wieder gehen. それなら僕はまた行かなくては O laß mich nur von ferne stehn, おお せめて遠くに立って Nach deinem lieben Fenster sehn, 愛する窓辺を見せておくれ Von ferne, ganz von ferne! 遠くから ずっと遠くから Du blondes Köpfchen, komm hervor! ブロンドの頭よ 出ておいで Hervor aus eurem runden Tor, 丸い窓から Ihr blauen Morgensterne! 青い夜明けの明星のごとき 瞳よ Ihr schlummertrunknen Äugelein, まどろみに酔った瞳よ Ihr taubetrübten Blümelein, 朝露にぬれた花よ Was scheuet ihr die Sonne? なぜ陽の光を避けるの Hat es die Nacht so gut gemeint, 夜がそんなに気に入って Daß ihr euch schließt un...

5月25日、金曜日、晴れ、カレー朝食、自転車

イメージ
5月25日、金曜日、晴れ、カレー朝食、自転車 Depressive 脊髄小脳変性症 人間の脳における小脳(青の部分) 分類および外部参照情報 診療科・ 学術分野 神経学 ICD - 10 G 11 ICD - 9-CM 334 DiseasesDB 12339 MeSH D020754 脊髄小脳変性症 (せきずいしょうのうへんせいしょう、英:Spinocerebellar Degeneration (SCD))は、運動失調を主な症状とする 神経疾患 の総称である。 小脳 および 脳幹 から 脊髄 にかけての神経細胞が徐々に破壊、消失していく病気であり、 1976年 10月1日 以降、 特定疾患 に16番目の疾患として認定されている。また、 介護保険 における 特定疾病 でもある。 オリープ橋小脳変性症 (OPCA) 83Y F昨日入院 友人とDCの娘にボヤいたら、娘からサラリーマン川柳 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180521-00000339-oric-ent

5月26日、土曜日、曇りのち晴れ、14時からテニス

5月26日、土曜日、曇りのち晴れ、14時からテニス、市川さんと16時まで 4時起床。燃えるごみ、新聞紙など選り分け束ねてから朝食。

5月23日、水曜日、曇り雨、自転車、手紙返事

5月23日、水曜日、曇り雨、自転車で通勤。途中の水田脇にアザミの花あり、 「あざみの歌」について検索すると;http://www.geocities.jp/marucyann1/azaminoutahiwa.html では、終戦後、東京四谷から母と二人で下諏訪町に移ってきた横井弘(当時18歳)の作詞つまり、信州の歌。昭和25年、伊藤久雄のレコードが大ヒット、>> 華麗でも高貴でもないが、素朴に、ひたむきに咲いているアザミの姿に理想の女性像を重ねてみたのです。別に特定の人物はいませんが、この思いは今もまったく同じです。」71際の時の横井のインタビューである。 https://blog.goo.ne.jp/dance-fuji/e/493549c3925f18316b4803d9f9dfdccc >>                ♪               山には山の 愁いあり               海には海の かなしみや               ましてこころの 花園に               咲きしあざみの 花ならば 「あざみ」の語源は、花が美しいので近寄ると、鋭い棘に驚くところから、 あさむ=驚く あるいは、 欺(あざむ)く  が、「あざみ」になったとか。 ♪♪ 高嶺の百合の  それよりも 秘めたる夢を ひとすじに くれない燃ゆる その姿 あざみに深き わが想い ♪♪♪ いとしき花よ 汝(な)はあざみ こころの花よ 汝(な)はあざみ さだめの径は 果てなくも 香れよせめて わが胸に ☆ 作詞・横井 弘さん  作曲・八洲秀章さん

5月22日、火曜日、チャリでHpへ

5月22日、火曜日、チャリでHpへ 急峻な坂道を避けるべく、千曲川の東側にルートを取る。 未明に夢を見る。MSKのおぼろげな姿、19日の土曜日未明の夢にはMSKは見当たらなかったが、今回は彼女の顔が出てきた、どんな表情だったのかと記憶の糸を辿るが、今24日の木曜で、2日も経つともう思い出すのが難しくなっている。でも、MSKの顔が出てきた、それだけで嬉しかった。 ともかく火曜日の出来事を振り返る;火曜日のこの日は紙類をゴミ出しする日で、前日から母屋内から出したのゴミを選り分けて、新聞紙、一般紙、段ボールと3つに分けてそれぞれを紐で縛って置いた。それらは、門扉の内側に山積みされて、5時から準備。キャリーに積み上げて、2回に分けて運んだ。6時頃、2回目をヨタヨタ運んでいると、軽トラックで乗り付ける人あり、私はメガネを外していたので、近づくまで誰か判らなかったが、半纏を羽織ったMSJRさんだった。先日会ったばかりだから、オッと一声かけて目を合わせての挨拶。帰途はひげを剃りながら歩き、カートを置く。自転車を門に移動させて、リュック、お弁当の入ったバッグをハンドルにぶら提げて、いざ出発。 外来は午前数名、午後は98歳男性1名(24日にsubileus?で入院DIV)午前の膿尿OAB 結局S病院(分院?)へ紹介状を書くこととなったが、その書類書きに時k何を要す。もう一人、新患で16歳男子、咽頭痛、病歴わかりにくく、母親から改めて聴取しようやく全体像理解でき、投薬。

5月24日、チャリ、木曜、曇りのち晴れ

5月24日、チャリ、木曜、曇りのち晴れ 入力したはずが?? 本日19時から講演会、今17時少し前、急いでインプット

5月21日、月曜日、瓦直し、畳搬入

5月21日、月曜日、瓦直し、畳搬入 朝、ゴミ出し時、柳沢昇一さんと会話、レタス送られてありがたし。 11時半少し前に、義弟来訪。車納税のコピーを、バイパスのコンビニへ お昼になる、バイパスの道路わきで車から降りて、下SKRから歩く。昔の路、記憶を辿りつつ。 鯛のあら、煮つけを作る。 DCからはロイヤル・ウェディングの写真送付あり

5月17日、木曜、曇り、健診、午後家族会

5月17日、木曜、曇り、健診、午後家族会 車で出勤。6時にシャワーですっきりさせ、昨夜の残飯でおかゆを作り、燃えるごみ二袋を出す。帰りに青い矢車菊を一本手折る。母屋に転がっていた花瓶をHpへ持参。洗面所で水洗いすると中から黒いごみ流出。先日のアルミ缶をやめてこれに入れ替える。写真を撮り、DCほか友人3名に転送す。 健診、まず問診票を2階へ提出、直ぐに検尿コップを渡されるが、その前に聴力検査。 一階まで降りて場所を教えてもらう。その後は胸Xp, ECG. 合間に外来で受診予定のKMTさんの情報収集。近所に住むという人からの話では、先日車を脱輪で壊しているが、その後来ないということは、熱は出ていないのだろう。何故かわからないが、某医(整形?、面識の記憶なし)から私に名指しされたらしい。 もう1人、外来前のDrKBYにPt-OT/KHさんのことを訊いたら、即答で病名などが口から出た。後で紙カルテを出してもらったが、その記憶力には脱帽。電カルは、どこを開いても欲しい情報見当たらず。止む無く紙カルテを取り寄せると、一目瞭然だ。但し、入院の記録はまた別のところのようで、そこまで手が回らない。 10時数分前になった、空腹でふらつく身体を鞭打って2階へ登る。駈血帯を巻かれて、プツンと採血、私は臆病だからシリンジを見ることができない。ようやく食事解禁、そそくさと図書室に飛び込む。持参したピザシートを4つに切り、先ず2枚を焼き、味噌スープを飲みながらあっという間に完食。直後に残りも焼いて食べる。ゆで卵、胡瓜マヨネーズ付き、林檎など食べてようやく落ち着く。 結局、KMTさんは受診せず、11時40分頃からにランチを早めに準備。お昼のTVニュースを見ながらパクつく。改めて、体重計の記録を見ると、53キロしかない。ナントカ年齢は43歳らしいが、その根拠はわからないからちっとも嬉しくない。 家族会総会の連絡では、13時半の少し前に着くようにといわれていたが、雑用が蓄積。 先ず、8時半頃に院長へ、テニスの掲示板のことを質問するがいい返事なし、医事の受付でも要領得ない。そこへ、妹YSKからの電話あり、車の保険証の件。慌てて、車のダッシュボードを開けて書類を出すと、家内名義で3年前に作った証書あり、それをコピーする。なんやかんやで12時20分頃に車に乗る。インターから高速に乗って...

5月20日、日曜日、ラジオ深夜便、

5月20日、日曜日、ラジオ深夜便、 “美味(おい)しい”仕事人 「和のソースに挑む」 ソースメーカー社長…鳥居大資さん。浜松で祖父の始めた工場を引き継いでいる、三代目。 明治の頃、英国ウースターからのソース、当時は西洋醤油といわれていた。 香りを重視、まず低温で、地元の野菜を入れる作業からスタート。「さしすせそ」で「酢」が大事。 スパイス、香辛料、紅茶のティーバッグのようにしてソースに浸している。これは上品な香りだけを起こしたいから、さらに昆布などの出しを入れている。昆布のグルタミン酸、鰹節のイノシン酸、1足す1が3になる。これは私の代から始めた。そして熟成、寝かせることでいろんな味が馴染んでくる。昔からの工程。 大手メーカーとの比較、メリット、デメリット; 素材の味を邪魔しないというこだわり;この微妙な加減、それが地元だからできる。 略歴;大学在学中は、外交官を目指していた、外務省でアルバイト。カナダに留学、行ける所はどこでも行くというポリシー。日米学生ナントカで米国各地へ、そしてスタンフォードで修士課程。アジアに特化した政治経済に特化した課程を、そして大手商社 三菱商事 に入所。当時はバブルはじけた頃で不良債権の処理。その後世界的電機メーカー(GE)に移る。当時は独身で常にホテル暮らし。 ここで検索すると; https://style.nikkei.com/article/DGXMZO27195080R20C18A2000000  ラジオを聴きながら、合間に会社名を入れる、、、、 小さなメーカーだから、消費者に対して年に一回だけトライ、素材が変わっているのにソースがかわっていってもいいんじゃないかというテーゼ。新しいものになかなか飛びつかないから、1歩でなく半歩先を見据えた試み。 2007年にスパイス感のないソース、限りなくスパイスを抑えたものを試作 。東日本の震災をみて、地元だけで回せるシステム、半径50キロ以内。 浜名湖の牡蠣を使ったソースなど、地元食材そして日本料理、和を重視した味を追及、進化させる。日本料理、食材を生かす、この微妙なバランスを舵とるリーダー。   と、ラジオはあっという間に終わった。 で、私は感じ取ったのは、NHKの取材の方法。それは、卒なく、かつ会社名を伏せるお役所カイシャ故の”縛り”がある。それに対抗す...

5月19日、土曜、さくら、保険のKTさん、事務長にデータベース

5月19日、土曜、保険のKTさん、事務長にデータベース ラインで連絡しつつ保険のKTさんが来訪。書類の記銘すべき所にそれぞれ名前を記入した。 いかにも事務的な語り口で、常々ちょっと距離を置いてきた事物であるが、会う毎に少しづつ気持ちの変化がでてきた。彼の早口での語り方、「、、、事情は、知ろうとしませんが、、、」 この言葉に、彼なりの気遣いが感じられた、そのせいだろうか。 問題は、印鑑、つまり実印そのものが手元にないこと。それを確認して次回へとなる。 ちょうど、土曜日で事務長と会ったので、今までの入所者のデータベース管理について相談した。 事務室でソフトが走らないと分かると、個人のパソコンで私のUSBメモリーが作動するのも確認、新たなピンク色もメモリースティックを手渡された。 これまで何人分のデータがあるのだろうか、そしてその引き継ぎをどうするのか、、、 幸いまだ、この机上の備え付けデスクトップはまだ動いている。但し、うっかり電源を落とすと、多分もう起動しないだろうが。

5月18日、金曜日、上京、本郷泊

5月18日、金曜日、上京、本郷泊 中込で偶然手にした書、「耳の聞こえない私が講演をする理由」、松橋英司、 >>>耳が全く聞こえず、自分の話す声も聞こえないない著者が、なぜ、歯科技工士の仕事をしながら、大学で教鞭を執り、全国各地、海外にまで赴き、精力的に講演活動を続けているのか。なぜ、そんなことが可能になったのか。その原動力の秘密とは 最も影響を与えた人、それは 高橋佳子、GLAの主催者とのこと、新興宗教だと思うが。 松橋氏の父親、警察幹部で現実しか信じない人を一変させた人物だから、言葉の力、こころの世界のパワーは底知れない力があるのだろう。

5月10日、木曜日、自転車。見えない壁、、

本日も疲れる外来、 見えない壁、、、 4月からもう1ヶ月経つというのに、、、、、。 とてつもない曖昧模糊とした、訳のわからないものが、、、 無為な午後。。。

5月8日、火曜、小雨、車でCKHpへ

5月8日、火曜、小雨、車でCKHpへ 老健、多発性関節痛、発熱  昼 ウェブカンファ DM 早口でわからない 終日雨、メザシ焼き夕飯

5月7日、月曜、雨、タイヤ交換

5月7日、月曜、雨、タイヤ交換 午前、雨の合間にタイヤ交換。待ち時間で買い物。 午後から本格的な雨。台所奥、車庫奥の鍵を初めて開け、中からバケツなど出す。一升瓶数本も中身を出すのに一苦労。 雨足激しく、雨水を使って瓶やバケツを掃除。4畳間にあった和服掛けの拭き掃除も、これまたやたら手間がかかる。部屋で休もうとするも、採光不十分で母屋の茶の間、廊下に行く。父に贈ったロッキングチェア、そっれと、茶の間に置いてあった、小箪笥を廊下に置き、そこでコーヒーとケーキを食べる。まさに忙中閑。 夕方、小諸のYSKから電話あり、掛け直すと、歓迎会の日程確認、それと、ゴミ出しの日取り確認。車の保険も質問し、旦那の従兄弟に依頼するとのこと、 夜はポテトチジミ、LINEでストレス発散

5月6日、日曜、小淵沢から」中込へ、真実から耳をそむけてはいけない。」

5月6日、日曜日、晴、4時45分のアラーム、そしてもう一回の音、これは無駄だとどこかに書いてあった。昨日の格言、「 真実というのは心が傷つくものだ、 でも、それから耳をそむけてはいけない。 」がまだコピペに残っていた。忘れないようにしたい。 未明、土蔵前の土を耕す夢をみた、家内の顔は出てこないのが淋しい。小学校時代の記憶が彷彿し、劇でナオール博士をやったことなど想いだした。昨夜のラインで苗や鉢の水遣りに言及し、早めに帰らねばと思う。次に乗り換え案内でのプランをメモる; FJD駅0913、SZK0928、0931発、FJ1015着、1020発、KF1320着、1404発、KBZ1443着、1506発、NKG1646着。これで徒歩だと、17時前にはSKRに着いて水遣りギリギリで間に合うか。 朝飯は、三角おにぎり、バナナ一本、ドーナッツ、ミニヨーグルト各1個、味噌汁(アサリだが、シジミと変わらない)、そして、ミニトマト。これを打ちながら食べると、もう6時のニュースが流れる。

5月4日、午後、小海線、軽井沢、新宿から静岡へ

5月4日、晴、午後、小海線、軽井沢、新宿から静岡へ 昨夜捨てたトリの骨は、毎日せっせとポン助が後片付け。でも、昨日の話だと昔床下にいたのは狐だともいう。はてや、ハクビシンかもしないし、畑のジャガイモを食い荒らされたとか、50年程前には聞いたこともなかったことだ。  お日様が庭の西隅から暖めてくれる。青梗菜の苗、やっと大きくなってきたのを、庭の畑に植え付ける。さて、夕べの残りなどで遅めの朝餉。庭に植えたトマトの苗、日当たり悪いので端のを南へ移植し、東の何だかわからんブッシュを刈り込む。東の土蔵側に作った畝はゴロ石だらけ、それを少しずつ選り分けながら、ほうれん草、青梗菜の苗を植える。  昼飯後、さてどうしようかと考える。といふのは、車のタイヤ交換。連休明けまで(つまり、お店はお休みか?)出来ないといふが、積んだタイヤをまた出すのもしんどい。そこで、電車を使うこととした。小海線の時刻表をみると中込1454とある。1時間みておけば徒歩で行ける。14時前にリュックとオレンジの食い物バッグをぶら下げて出発。佐久平手前で、そうだ本郷の叔父宅にご無沙汰しているし、先日その兄が来訪したから、と思いつき、方針転換。通りかかった車掌さんに小諸までとそこから軽井沢までの運賃を追加支払いする。軽井沢でバスに乗る。前から2番目の左側なので、運ちゃんの動作が嫌でも目に入る。カーブ続きの道路、そのハンドル捌きに感心しきり。

5月2日、水曜、月命日、自転車、外来

5月2日、水曜、月命日、自転車、外来 アサガオ種蒔き、土蔵前の西は花の間と、南は、鶴嘴で穴を開けて一粒ずつ。水遣り。6時8分に自転車前輪に空気を入れてから出発。納骨堂の前で、線香を捧げ、気を引き締める。花の無いのが心残りだが、その分、庭をお花で一杯にしたい。草木、お花が大好きだった彼女のために、、、、、、。 チャリで50分ばかり、疲れ切って2階にあがると、先客はいつものDrOM。隣室でTVを観ながら朝食の続き。そして、モニターにかじりつく。8時半頃になると、背中の方で様々な声がする、院長と婦長の声、そして、この日は早めにDrKBの声も。振り向くと、もう居ない、、、。 外来は、様々な人が行き交う場所だ。最後の人物は曲者、クワセモノ、要注意人物だ。じっと我慢のスタッフ、偉いの一言に尽きる。息抜きはと、DCからきた動画をスタッフに見せる。狸のその後報告など、バカなことを言っていないとやってられない、もう14時近くになる。 外来途中で、SNくんからLINE電話あり。手短に話して切る。

5月3日、木曜、雨、野菜苗植え付け、甥と飲み会

5月3日、木曜、前日、茶の間北などから袋に入れた燃えるゴミ、古布などを混ぜて詰め、集積所に運ぶ。ちょうど、近所のオバサンと会うが、はて誰だろうか? 予報通り朝から雨だ。アサハラ・ショーコーじゃなくて、朝から小康、合間を見計らって、野菜苗植え付ける。中腰は腰に来るが、日常の所作それぞれに修行といふべき意味があるのかも。青のレインコートを着て、青梗菜の苗を植え付ける。神戸のYSくんがもっそり現れて、立ち話。そうだ、茶の間にあった幼稚園時代の作品をと、彼に見せる。LINEをつなげ、午後に名古屋からNちゃんがくるとの情報あり。ならばと、自転車で町に出かけて、スーパーで買い物。ウィスキーまで購入した。 午後になる。また、庭で石や草取りをする。そこへ、名古屋のNちゃんと、神戸のYSくんが訪れた。コーヒーを淹れて、テーブルに座り雑談。Nちゃん用にと、買ったケーキを出す。 夕方、甥と飲み会。20時にとライン連絡あり。社会人のYSは律儀で礼儀正しい。一方、兄のSNは理屈ばかりで、世間感覚に乏しく。溜息が出る。我こそがセイギと肩を張るけど、まあ内弁慶で、社会の荒波にもまれる必要がある。YSは黙々とビールだけを飲む。持参したロング缶、彼1人で殆ど呑んでしまった、ワインとウィスキーの出番なし。姉のNちゃんも話題に出る。フムフム、男だけのたわいもない雑談、得る情報は貴重だ。 酒の席には、しかしながら、政治宗教は相応しくない。蕩々と自己意見を述べる兄と、聞き流す弟、対照的だ。あっという間に2時間経過、22時近くになると、準備していたゴミ袋にテキパキと片付けて去っていく。若者から元気といふか英気を貰う。(英気が鋭気?かと別のPadで調べたら、英気をを養うで、、。)

5月1日、火曜日、”それどころではない”状態

5月1日、火曜日、超多忙 いつものように、日常業務が始まると思っていたが、8時半頃に一変。昨夕に急変したらしいとの情報が不調じゃない婦長さん(最近では師長さん)から背中越しに言われた。 理由は不明だが、突如の仰ー無(ぎょーむ)命令。大昔の耳学問でしか知らない脳梗塞のフレッシュケース。基本情報だけをチェックすると、90歳超、心不全、腎機能低下とDMのトリプルプラスの高リスク。予備情報は電算から拾い集めるしかないが、そんな暇などない。 なまじ免許を持った悲しい性(さが)。ステートをひっ掴んで、3階病室に行く。3階は、そういえば、初めての場所。NSで部屋を訊いて、駆けつけると、個室に経鼻酸素で過呼吸の肥満女性が喘いでいる。体温38℃、意識レベルは、記録通りの10-20,つまり、呼名で眼を開けるが、すぐに傾眠、上肢は不随かわからない動き、幸いモニタアーでのバイタルはほぼ安定。SPO2,酸素飽和度は90前後でフラフラ。1.5リットル、2か3に上げようとしたら、もっそり近づいた担当Nrs曰く、”でもずっとこんなレベルでしたよ。”と素っ気ない。苦痛のPtは発語出来ずに、もがいている、一方の私も、何から手を付けていいのかと、躊躇いがちになる。私もPtも双方、”それどころではない”状態。でも、平静さを装って、肺、心音を聴き、CT,採血の指示確認をしつつ、ファーラー位の高さを調整させる。足はパンパンの浮腫。留置カテからは尿は出ているらしい。何が幸いするかわからないが、こういう時(しか)ブサイクな顔は役立つ。繋いである点滴にラシックスを追加。出血か梗塞かで方針が異なる。しかし、慣れきった看護サイドは驚くほど急がない。胸とお腹のXp指示落ちに気付くが、また棄てーションで慣れない画面展開をと思うとゾーッとするが、やるしかない。点滴なんて、どうやって入力するのか判らないので、受付のクラークに訊いて、それでもわからないので誰かに任せる。発熱で左肺に嫌な音がしたから抗生剤を、同僚に聞いてから追加指示。 時間はあっという間に20分ほど経過し、外来が9時から始まるので、気もそぞろ。兎に角、所見と指示内容だけを入力して、外来へ辿り着く。二人ぐらい診てから、どうなったかと画面を変えてみると、まだ検査に行ってない。心配性の私は、また3階に行くと、まだ部屋にいるではないか、、、。ようやく10時近くにな...

5月5日、土曜、晴。真実というのは心が傷つくものだ、SKRで缶詰

5月5日、土曜、晴。SKRで缶詰、けふの言葉” 真実というのは心が傷つくものだ ” 5時01の始発でFED駅に着く。何故かように寒いのか、首を竦めつつタクシー乗り場に行くが、南も北も某ハントー状態??。(怪説;必要なときに動けるモノ皆無) まー、素人の戸乱麩さん、お手並み拝見。 で、南北を数回行き来してたら、偶然女性ドライバーの車発見して乗り込む。人の性格は、車を運転させると、すぐワカル。この運ちゃん(運女史?)の気質は、昔の私みたいなせっかち。これじゃあ周りの人も疲れるかも、と余計なことを考えてたら、寝不足でついウトウト。首がガクンとして目が覚めて、到着。「人」と「到」で倒れる、、、、。足取り重く、2階の部屋に入る。もう6時、耄碌ジーは、ようやく腹ぺこに気付いて、ストックのカップヌードルを取り出して、湧かした湯で一息入れる。血糖値がやや回復した頃に、モソモソと徘徊して、ソファーで一寝入り。1時間半後に目が覚めると、この文を打てるレベルに辿り着く。 途中、先週に開きっ放しの某サイト(ベッキーその後、、)からBLGのなんとかレディーに興味を示し、再診記事を読む。昔の記憶が蘇り、コメントをとクリックするも、何故かブロック?理由は、ログイン云々らしい。>>http://hassuru-blog.jugem.jp/?eid=339#comments 仕方ないからと、面倒な手続きで滅入るアドレスを入れるが、肝心のブラウザが耄碌していて受け付けてくれないらしい。アハーっと溜息をつき、いくつかBLGサイトを乱立した昔日の想いに浸る。  月日の経過は残酷で、IDとかPW(パスワード、最近ではパワハラとか変な日本語が流行っているらしい)、それらがうろ覚えで複数のBLGサイトへアクセス不可となって久しい。  サーフィンしていて、GP川島永嗣選手のBLGから引用; >>フランスでもヴァイッドは厳しい監督で有名だ。 クレイジーだと言っても誰も驚かないだろう。 でも、彼自身の選手時代にも自分自身にも厳しかったこともとても有名だ。 だからいつだってヴァイッドの要求は僕にも厳しかった。 褒められたことは一度もない。代表も外された。 お前は代表に呼ばれる立ち場にないとも言われた。 でも、キャリアの中で、成長するきっかけをくれたのは、 いつだっ...

4月30日、月曜、お寺、ゆうちょ送金、

9時お寺。 カインズ、有賀家来訪。