5月20日、日曜日、ラジオ深夜便、
5月20日、日曜日、ラジオ深夜便、
“美味(おい)しい”仕事人
「和のソースに挑む」
ソースメーカー社長…鳥居大資さん。浜松で祖父の始めた工場を引き継いでいる、三代目。
明治の頃、英国ウースターからのソース、当時は西洋醤油といわれていた。
香りを重視、まず低温で、地元の野菜を入れる作業からスタート。「さしすせそ」で「酢」が大事。
スパイス、香辛料、紅茶のティーバッグのようにしてソースに浸している。これは上品な香りだけを起こしたいから、さらに昆布などの出しを入れている。昆布のグルタミン酸、鰹節のイノシン酸、1足す1が3になる。これは私の代から始めた。そして熟成、寝かせることでいろんな味が馴染んでくる。昔からの工程。
大手メーカーとの比較、メリット、デメリット;
素材の味を邪魔しないというこだわり;この微妙な加減、それが地元だからできる。
略歴;大学在学中は、外交官を目指していた、外務省でアルバイト。カナダに留学、行ける所はどこでも行くというポリシー。日米学生ナントカで米国各地へ、そしてスタンフォードで修士課程。アジアに特化した政治経済に特化した課程を、そして大手商社三菱商事に入所。当時はバブルはじけた頃で不良債権の処理。その後世界的電機メーカー(GE)に移る。当時は独身で常にホテル暮らし。
ここで検索すると;https://style.nikkei.com/article/DGXMZO27195080R20C18A2000000
ラジオを聴きながら、合間に会社名を入れる、、、、
小さなメーカーだから、消費者に対して年に一回だけトライ、素材が変わっているのにソースがかわっていってもいいんじゃないかというテーゼ。新しいものになかなか飛びつかないから、1歩でなく半歩先を見据えた試み。
2007年にスパイス感のないソース、限りなくスパイスを抑えたものを試作。東日本の震災をみて、地元だけで回せるシステム、半径50キロ以内。
浜名湖の牡蠣を使ったソースなど、地元食材そして日本料理、和を重視した味を追及、進化させる。日本料理、食材を生かす、この微妙なバランスを舵とるリーダー。
と、ラジオはあっという間に終わった。
で、私は感じ取ったのは、NHKの取材の方法。それは、卒なく、かつ会社名を伏せるお役所カイシャ故の”縛り”がある。それに対抗するにはやはり民間の見方(aspect)が不足している。
改めて、先ほどのサイトを覗くと、やはり思ったとおりだと見つけたのは、この人物の基本的背景だ、いうならば私の目指してきた考え方向と共通するニオイを本能的に感じたのだろう。、
>>GEでその当時、理想とされていたのはアドレナリンを出しまくり、周囲を鼓舞するようなマッチョなリーダー。たとえるならば、アメリカンフットボール選手のようなイメージです。幹部候補となると、女性もメンタル的にかなりマッチョでした。
遥か昔、早朝15分だけ時間を貰っての会見、凄まじいエネルギーを体感した。
“美味(おい)しい”仕事人
「和のソースに挑む」
ソースメーカー社長…鳥居大資さん。浜松で祖父の始めた工場を引き継いでいる、三代目。
明治の頃、英国ウースターからのソース、当時は西洋醤油といわれていた。
香りを重視、まず低温で、地元の野菜を入れる作業からスタート。「さしすせそ」で「酢」が大事。
スパイス、香辛料、紅茶のティーバッグのようにしてソースに浸している。これは上品な香りだけを起こしたいから、さらに昆布などの出しを入れている。昆布のグルタミン酸、鰹節のイノシン酸、1足す1が3になる。これは私の代から始めた。そして熟成、寝かせることでいろんな味が馴染んでくる。昔からの工程。
大手メーカーとの比較、メリット、デメリット;
素材の味を邪魔しないというこだわり;この微妙な加減、それが地元だからできる。
略歴;大学在学中は、外交官を目指していた、外務省でアルバイト。カナダに留学、行ける所はどこでも行くというポリシー。日米学生ナントカで米国各地へ、そしてスタンフォードで修士課程。アジアに特化した政治経済に特化した課程を、そして大手商社三菱商事に入所。当時はバブルはじけた頃で不良債権の処理。その後世界的電機メーカー(GE)に移る。当時は独身で常にホテル暮らし。
ここで検索すると;https://style.nikkei.com/article/DGXMZO27195080R20C18A2000000
ラジオを聴きながら、合間に会社名を入れる、、、、
小さなメーカーだから、消費者に対して年に一回だけトライ、素材が変わっているのにソースがかわっていってもいいんじゃないかというテーゼ。新しいものになかなか飛びつかないから、1歩でなく半歩先を見据えた試み。
2007年にスパイス感のないソース、限りなくスパイスを抑えたものを試作。東日本の震災をみて、地元だけで回せるシステム、半径50キロ以内。
浜名湖の牡蠣を使ったソースなど、地元食材そして日本料理、和を重視した味を追及、進化させる。日本料理、食材を生かす、この微妙なバランスを舵とるリーダー。
と、ラジオはあっという間に終わった。
で、私は感じ取ったのは、NHKの取材の方法。それは、卒なく、かつ会社名を伏せるお役所カイシャ故の”縛り”がある。それに対抗するにはやはり民間の見方(aspect)が不足している。
改めて、先ほどのサイトを覗くと、やはり思ったとおりだと見つけたのは、この人物の基本的背景だ、いうならば私の目指してきた考え方向と共通するニオイを本能的に感じたのだろう。、
>>GEでその当時、理想とされていたのはアドレナリンを出しまくり、周囲を鼓舞するようなマッチョなリーダー。たとえるならば、アメリカンフットボール選手のようなイメージです。幹部候補となると、女性もメンタル的にかなりマッチョでした。
外資系と言っても製造業ですから、商社に比べて割と素朴な人たちの集まりでもありました。たとえば、最初は米コネティカット州にある施設で研修を受けるのですが、週末になると皆で車に乗り、ニューヨークへ遊びに行く。商社の人たちはけっこうおしゃれで、ブランドの服にも興味があるんですけれども、GEの人たちは短パンにTシャツみたいな格好で、全くファッションに関心がない。
ニューヨークのマディソンアベニューに「バーニーズ・ニューヨーク」の店舗があり、僕ら日本人が「あっ、こんなところにバーニーズがある!」と騒いでいたら、一緒にいたアメリカ人の同僚が真顔で「何だ、それは?」と言うわけです。「ええっ、知らないの? 新宿にもあるじゃん」みたいな感じで会話をしていました。
雰囲気としては、かなり「昭和」でしたね。僕がいた環境は特にそう。飲みニケーションが重要で、お酒は必ずしも飲めなくてもいいんですけれど、そういう場でのコミュニケーションがないと、仕事が円滑に進まない感じでした。<<< そしてさらに注目したのは次のフレーズ;
>>>英語には「brown noser」という言葉があり、意味は「ご機嫌取り」です。アメリカにもそういう人たちは少なからずいました。大きな会社ですから、こうすれば次に行けるという、一種の処世術みたいなものはあるんです。そこを越えていかないと自分の成し遂げたいことができないのですから、ある意味、必要悪みたいなものです。僕はそれを否定はしませんけれども、自分自身が徹底してやれるかというと、やれないなと思いました。
出世は人それぞれのスケール感に基づくものだと思っています。そのスケール感にフィットするために必要なプロセスとして処世術がある。「世界のニッケルを俺が動かしてやるんだ」というスケール感もあるでしょうし、「地元浜松に伝わる遠州焼きを残したい」というスケール感もある。それぞれのスケールに合った出世があり、大きいスケールのことをやろうとするには、それなりの処世術が必要だということだろうと思います。 >>>
私の「駆け足的な米加経験」からしても、かの地でリーダーを目指すためには、天文学的な楽天性と体力、知力、単純にいうと行動力とガッツが求められる。それには、鋼以上に強靭な精神力が不可欠だろう。UCSFのエジプト人で、学会の重鎮Chairman Tanagho**、そしてNYのユダヤ人ベルマンを思い出す。彼らに会えたことだけでも私の宝物だと思っているが。
**; ネット検索したら https://urology.ucsf.edu/people/emil-tanagho遥か昔、早朝15分だけ時間を貰っての会見、凄まじいエネルギーを体感した。
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