7月26日(木)、MT夫命日、尿閉タイの人、JNKとST子さんお見舞い

夜間、4回もトイレ、4時起床。弟MT夫4年目の命日、庭の花を採る。
つる草がからみ、夫々取り除くのに手間取り。
6時10分、少し前に納骨堂へ。手前の公民館前に車あり、義妹、甥は既に花を飾り待っていた。
持参した花束新聞紙包みを手渡すと、それを左右に分けてている、持参した黄色の花が入るとバランスいいのだろう。(とインプットしたが、昨日寝転んでスマホ乳入力は??)
それで思い出した、もう一つタブレットの大と小。

木曜のデューティーはすぐ終わる。場所は日替わり、といふかこの日は午前と午後が異なるからややこしい。
10時半、頼まれた炎天下に老健へ。幸い大事なし、一人Ca末期の鎮痛剤云々で説得に。
DM全盲、脳転移、三重四重苦、どの視点から話すのか、それを忘れてはいけない。

少し早目のランチ。昨日から丸い入れ物のご飯。これが食べやすく、洗い易いので重宝。
右向かいのKMTくん(といったら失礼か)オペの話などできて垣根が低くなりつつある。

 タブレットと、レッツノートの無線接続を検査科の人と相談したが、わかったような、わからないような、、、。と、14時半、無愛想な表情で告げられたのは外国の人がどうのこうの、、。尿閉らしい。呆れるほど呑気なものだ、未だにわからないこの環境。形骸化したシステム優先なのだろう、しかも、それについて疑問を持たない、、、。
普通の救急現場では、一分一秒の遅れが命取りになる。ところが、こうした「常識」、いや「フツーの概念」はいずこに?
事務手続きを、ひとつひとつ確実にと、ソ連や旧東欧のお役所そっくりのシステム優先だ。しかも、電カル様様だから、それに入力しないと運行できない。
私は、口頭で初期情報が入ったら、最短路ですべきことを考える。先ず、エコー、そして導尿、話は検査しながらでいいはずだ。、、<中略; これについては、場を改めて、、、>
兎に角、異国の方は、感謝の礼をして部屋を出て行った。気持ちは、言葉云々ではない、自ずと伝わるもの。

あっというまに15時半、妹JNKの仕事が終わる時刻だ。2Fでは編み物の毛糸が切れて、母が手持無沙汰で待っている。せっかちな私は、数回顔を出す。、、、、程なく電話あり、玄関へ行くが、あれ?、すぐに2Fへ行くと、妹とその義母88歳がいた。JNKは、いつも気配りが上手く、持参した冷たい飲むヨーグルトを同室のPtさんへ配る。、、

夕ごはん、配膳時間。程なく、義妹が顔を出すと、入れ替わりに妹組は部屋を出る。そこで、渡り廊下を通って、管理棟2Fの部屋で少し話してから、玄関へ見送る。車は軽みたいだったが。

私は、義妹に声をかけて18時過ぎ、日が陰りだしたころに自転車に乗る。
高校正門前、朝に写真撮影しLINEで同級生に送ったが、その場所で今度は美しい夕日を拝む、そして写真に納める。たくさんの感謝の気持ちを込めて。 




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