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10月, 2017の投稿を表示しています

小雨の中、旧友に別れ;H29年10月28日、土曜日。曇り時々小雨

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昨日ジョギングしたが、靴が古くて20年程前に使っていたのを履いた。直後に軽度違和感あったが、気持ち良く走れ、15分で汗かきシャツ交換。靴を脱いでよく見たら、:じゃジャーン ボケと進行か すると、妹からLINEで“転ぶなよ” 鋭いご指摘、、このところ階段を降りる時、どうしても足元不安、忍び寄る怪談。 無様に転ぶと顔がコロンブス。気をつけよう 朝食後、散歩がてらに外出。6時半頃から小雨の中、A川向こうの友人宅(定年後にパン屋)へ行く。 大学ギター部の1年後輩。互いに下宿先を行き来した。卒業後出身県の英語教師、私もどういうわけか、彼と同じ所へ。 人が良すぎて教頭で退職した彼は、奇しくも息子が同様に引き籠り。久し振りの彼は白髪が増えた。でもMのことは、どうしても口にできなかった。 頂いたパン、帰宅後に紅茶と食べた。 天然酵母を使っているけど、やや硬めでドイツのパンに近い味。しばらく食べてないが砂糖なしの紅茶が一番合う。 Rは土曜日お休みで、私の居場所がなし。9時半過ぎに外出し図書館へ行く。そこで前回読みかけの本を探すが見当たらす、代わりにハードカバー(セミハード?)2冊と文庫本3冊、宮城谷昌光の「太公望」。 >>紀元前11世紀頃、中国で商(殷)王朝は宗教的儀式の生け贄として、また奴隷として平和に暮らしていた周辺諸族を対象として、狩りと称して多くの人の命を奪っていました。ある日、平和に暮らしていた羌(きょう)族の一つは商の王子受(じゅ)の狩りの対象となり、多くの人々が虐殺されてしまいます。その族の族長の子・呂望は一族の者を殷の軍隊に殺され、その戦禍の中を同族の5人の童子を率いて逃走しました。天の声によりこの危機を脱した彼はこの手で商王朝を滅ぼすことを心に強く誓います。  父の遺言は、孤竹という東方の邑に行けというものでした。そこに何があるのか、そこで何をするのかいっさい分かりませんが6人の童子は孤竹を目指します。途中、鬼公(きこう)、土公(どこう)、そして、大仇の受王の叔父にあたる箕子(きし)といった人に出会います。この3人は敵対しながらも会合を持つという大きな人物でした。ついに孤竹へと着きますが、望はその山中にいた仙人のような謎の老人に仕え3年間修行をして剣術と文字を学びます。この時代、剣を使えるのは王者のみであり、宗教的な意味を

玄米と白豆、H29年10月27日;金曜日、晴れ

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早くから目覚める。3時に、賛辞、あるいは惨事? ドケチ、あるいは超合理的とでもいふのか、残っている玄米と豆(大豆は前回済み)今度は白豆。 丸一日ふやけさせておいた豆を朝一度沸騰させ、3ー4時間後の今、味付けをしている。待ち時間に紅茶を淹れて朝焼いた玄米入りのホットケーキを食べた。 間違えて昨日の写真をアップ。 今朝も、公園をジョッギングしてきた。人影なく、トイレの前に自転車あり、中からヘッドライトを点けたサイクリストの挨拶の声。 娘Rと顔を会わせたくないから、早めに快晴の外に出る。行く当ても無くJR線を通過し、K通りに足を運ぶ。息子が昔将棋をしたことのある基盤を右手に見て、急峻な石段を登る。ふとMのことが頭を占拠し、陰鬱な気持ちになってしまう。

久しぶりにお天道様を H29 10 26 木曜日、晴れ

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昨日は終日の雨。空しさというのかする事の無いとはまさしく空虚そのもの。 21時過ぎに布団に入り、3時にはもう目が覚めてしまう。。 けふの予定は、15時まで老研。そこで葉書の宛名印刷。 さて朝飯は昨日昼に炊いた玄米残りを入れるパン作り。 久しぶりに紅茶を淹れてみたが、特湯の香りなし。がっかりしていつものコーヒーにした。 日の出30分前、東の空から贈り物。 お日様の美しさとパワーをありがたく頂く。 F駅に一時間近く早く着く。隣接するビル2階に丁度座る所あり、そこでスケッチ。 夕方、妹JからLINEで増改築の図面送付、A B2案 あり。風呂を大きくするかどうかだが、 私は小さくてもいい、だって風呂はせいぜい20分くらいで、他の時間を広く使ったほうがいいから。 以前のBLGへ ============================ これが最後、さいごうたかもり;H29-8-10  日本は世界一自由、平等な国だと、今もこれからも信じています、  でも、とても不快なことがあり これが最後のblg 理由は前回のblgに

寒さに向けて、H29 10 25 水曜日、雨。

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いつものように4時に目覚める。外は雨。冷気がガラス越しに忍び込んで来る。軽いストレッチをして緑色の日誌ノートを見るが、何が何だか分からない頃の記憶を確認する。朧気な記憶、これはすなわち、記録の大切さを立証することとなる。 ふと思いつき、換気扇の掃除を開始する。ところが、受け皿板を外すレバー2ヶ所が全く動かない。多分4、5年掃除とは無縁 けふは換気扇と格闘。いつ掃除したのか不明だけど、固定レバーが油でガチガチ。洗剤を付けながら時間をかけて、、疲れた。 フィルターはべとべと 夕飯はシチュー。 前回は市販のルーで味が濃かったので、ブルーマニエを作って、満足の出来映え。 以前のBLGへ ============================= H29-8-6;日曜日、 原爆のことについては、別の所に書いたので、http://drkoala.blogspot.jp/2017/08/h29-8-6.htm さらに調べてみた。 それは、8時15分投下まえに空襲警報が解除されていたらしいといふことである。 つまりその結果、外に出た市民がより多く犠牲になったとの主張がある。 邪推すれば故意的に米軍がそうしむけたのだろうか。 前例がある、それは3月10日の東京大工空襲。 日本人が忘れてはならない日なのに、なぜか影が薄い。 http://drkoala.blogspot.jp/2014/01/ 5年前のブログ(運営会社変更でヒドイ目にあって、探すに苦労した) >>63年前の本日9日の夜、米軍B29が発進している。 東京は100回以上も空襲を受け、同年1月27日には有楽町・銀座地区が標的になり、有楽町駅は民間人の死体であふれたという。 吉村昭氏の著書など参考となるものはいくつもある。 3月10日は日露戦争の奉天戦の日であり、陸軍記念日となっていた。日本の戦争継続の気力を削ぐため、あえてこの記念日が選ばれたと言われている。アングロサクソンの戦略は凄まじい。 歴史が教えてくれるのは、冷酷な事実である。 しかもこの作戦の指導者は悪名高いルメイ、天皇陛下が叙勲を拒否しようとした人としても有名、 彼が何をしたのか、白人のみが生きるに値すると考えるなだろうか、非白人たる、東京市民が逃げられないように、予想される避難路へ焼夷弾を落としている。 上記の事実は事実

初めてのジパング、叔父のマンションへH29 10 24 火曜日、曇り

4時起床、昨日書かなかったブログの前半をインプット。昨日のホットケーキで朝食を摂り、空模様を見ながら思案。ジパングを使って上京をと、しかし5時半には間に会わず、 駅のみどりの窓口へ行く。初めて券を買う、往復で2百キロを超えないといけないので東京往復でゲット。2割引きで、5360円なり。うんざりするような3時間と少し、6時27分発、熱海7時42分着乗り換え52分発、東京9時42分着。久々の中央線快速でお茶の水。懐かしさに心が充満され足早に三丁目へと緩やかな坂を上って行く。 叔父のマンションへ初めて行く。予想とは反対側の学校の近く。入り口はセキュリティーなしなのでそのまま4階へ行く。ドア脇の名前を確認し、インタホンのボタンを押すと、中から叔父の声がする。中は、電話で聞いた通りで、テーブル上には書類などが溢れ、物を置くスペースなど無い。叔父はそわそわとお茶を淹れて、ベランダから贈られたといふ葡萄を出してくれたが、古くなって一部白いものが付いている。好意は率直に受けようと、頂きながら話しを始める。 以前のBLG; ======================= H29-8-8;水曜日 もうこれで何度目だろうか、このサイトに入るためのパスワードがどうのこうので、、、、 嫌な世の中になった。 私みたいなヘンな人は、今のところ人畜無害(だと本人は思っている)だが、 中には人様のパスワードを盗んで、悪さをする人もいるかもしれない 管理会社というふものがあり、そこでは、性悪説が主体となるのだろう。 社是として、厳重なる情報管理が至上の命令であるから(くどい?)、何度も何度も確認を強いるのだろうが、一般人にとって、こんなややこしい管理システムはたまったものではない。 なんとか会社はそれなりの立場があるかもしれないが、 かように複数、それ以上のチェックシステムがはたして必要なのだろうか。 私は、、さきほど、このサイトに入るため何回目かのパスワード変更でたどり着いた。 もう疲れ切っており、何かを書こうとする気力など、失せた。 もっと恐ろしいのは、、、、、 先ほど書いた某組織のは、キレイに消されている。   夏の怪談、

ネズミの火炙り、H29 10 24 火曜日、雲り

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電車内でインプットしたけど? と探すと、「ジパング云々」に書いていた。 今日は(ネズミ)の火炙りチューズデイ(ちゅー学の英語の先生が教えてくれた) でネズミは捕まえた? 当方の夕食は回鍋肉のつもり。豆板醤が見当たらずコチジャンで、キャベツは表面の青いとこまで入れたが、 きゃあー別にした方が良かった。(歯ごたえ硬め)でも薄味でまずまず 以前のBLGへ ============================= H29-8-5; 土曜、うす曇 夕べといふか未明に服用した薬半錠のせいか、4時20分に離床。いつもより20分ほど遅い。 旧宅に着いた頃はもう明るくなってきており、電気点灯不要。ただし、足腰が弱っているから”転倒”しないように配慮。  慣れた手つきでリュックと両手に紙袋の怪しい姿で、来た道を戻る。大丈夫、誰も人のことなど気にしていない、もし見ていたら、またあの人変になったのかしら、、、といわれるだけのこと。 自宅に戻ると、先ず汗の処理、上半身裸になりタオルで体を拭く、ついでにしょぼくなった顔も洗う。ベランダに出て、水遣りも板についてきた。 先日、青梗菜とナントカカーネーションの播種したところを見ると、嬉しいことにカーネーションのほうもうっすら目が出てきた。私みたいな”金ーション”にはぴったりの花だと思ふ。 卵ケースパックに出たのをピンセットを恐る恐る植え替える。以前は沢山あった最小の黒ポット(とでもいふんだろう。ならばと、てきとーな大きさのポット10個ほどに土を入れて下準備、空いているプランターにも同様。 ピンセットで卵ケースの少し伸びたやつをつまみ、ひとつひとつ丁寧に植えていく。こう集中できる時間、それが私には必要。3-4個植えるたびに水を補給し、根元を固める。 何事も根元、土台作りは大切だ。近所でのマンション作りを見てもわかる。くい打ちから始まってコンクリート打ちなど、かなりの時間をかけている。これにはコンクリートが固まるまでの時間も必要だ。 お昼の時間になった。外はまだ暑いし、害食するのも面倒だ。かといって、インスタントラーメン、うどん、ソーメン、スパゲッティは飽きてしまった。ふと冷蔵庫脇を調べると、蕎麦の乾麺あり、これにすんべーと準備を始めた。だがここで、またしても問題発生。私はいい加減だから気にしていないのだが、賞味期限が6年近く

読書再び、H29 10 23 月曜日、晴れ

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娘Rが"みおつく料理帳シリーズ"高田郁の文庫本を何の気なしか、夕食後、ポンと置いた、タイトルは「あきない世傳、金と銀」https://honcierge.jp/articles/shelf_story/866?p=3#section-4358 わたしは高田¨郁¨を「都」だと思って「みやこ」と検索すると、ありがたいことに一発でヒット。元漫画原作者、私より10年若いことを初めて知った。 ネット上では、実に沢山の書評あり、それをコピペしたいのだが、どうもやり方が分からない。試行錯誤して…  物がさっぱり売れない享保期に、摂津の津門村に学者の子として生を受けた幸。父から「商は詐なり」と教えられて育ったはずが、享保の大飢饉や家族との別離を経て、齢九つで大坂天満にある呉服商「五鈴屋」に奉公へ出されることになる。慣れない商家で「一生、鍋の底を磨いて過ご 今日は(ネズミ)の火炙りチューズデイ(ちゅー学の英語の先生が教えてくれた) 当方の夕食は回鍋肉のつもり。豆板醤が見当たらずコチジャンで、キャベツは表面の青いとこまで入れたが、 きゃあー別にした方が良かった。(歯ごたえ硬め)でも薄味でまずまず 書評で、とても素敵な表現があった。それは「心に栄養をくれる」 月曜日、台風一過後の青空。Rに頼まれ市役所へ行く。8時半1少し前、ふと見ると旧庁舎のドームあり、リュックに入れた三脚を取り出し構図を決める。遠くと手元の目を交互に使うので、疲れ易い。デッサン後にさっと色を乗せる 以前のBLG, ============================ H29-8-4; 金曜、糸川博士じゃないよ 午前、午後とまだ暑いせいか、どこにも行けない1日だった。 ふと時計を見るとすでに、零時を過ぎてしまった。 先ほどまでDCのアホ娘YとのLINE交換があり、ようやく一区切りが付きそうだ。 現地時間で10時、自転車漕いで娘Yは大使館受付に着いた。 「あれー、仕事は?」 との問いに、「前日長く働いてある」 つまりボスのOKを貰っているのだろう。送られた写真には日本のテレビが写っていた。 「へー、凄いね」と伝えると、「大使館内でね」 「へー、たいしたもんだ」 つまらん駄洒落に付き合う暇なしの娘R、貰った書類をすぐ、日本宛に郵送しなければならないから。

表と裏、H29 10 22 日曜日、雨

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昨夕は凹んだ。ちょっとした切欠で、フラッシュバック...○○のことを思い出して  辛い記憶が全てを占拠してしまう。 やみくもに、雨の中を歩き回り、肉じゃがを作ってLINEで送ってみた「表」と、それに隠されていた本当の心の底「裏」。 今朝も3時過ぎに目が覚めてしまい、BLG をなぞる。もう40分も経過、外はしとつく雨。 さて気分転換に、ストレッチし朝飯の用意を 5時半に駅へ行く。始発から二番目が出た後で40分近く待って電車に。 非常勤務先で、気が進まないけど○○ハガキの宛名を印刷。 台風接近中、夕飯は手抜きの鍋。白菜を敷き詰め鶏手羽元をサンドイッチ、塩を少々と出汁を加え、充分火が通ったら、もやし焼き豆腐しらたき等ぶち込み、ポン酢を少量垂らし最後にうどん。自画ジーサン ======================== 以前のBLG; H29-8-1;火曜、曇り、苦も離 or 利  こう寝不足が続くと、日常生活に支障が出てくる。 精神的にも肉体的にも、丈夫なだけな取柄だったこの私だが、疲れはピークに達したのだろう、 BLGの文章が進ます、ミスタッチが増えて、その苛つきが悪循環となっている。  ふと、冷蔵庫内の頂き物のお菓子を思い出し、娘とお茶した。先日、私の手紙に直ぐ電話し翌日わざわざ車を2時間ほどかけて駆けつけてくれたO君のお菓子だ。上が粒餡で下が蕨餅の二重構造で、程良い甘さと勿論煎茶。じーんと腹に染み入る美味しさだった。こんな時間を持つなんて、何年ぶりだろうか。娘Rが呟く。 私は、3分の1ほど食べたところで、その構造がわかるようにスマホ撮影をし、O君に送った。  午後の気だるさと、お菓子を食べたあとの、何ともいえない満足感から、仮眠を取った。 15分ほどで目が覚めると、わが家の娘Rが洗っていたレースカーテンは清々しい白さを取り戻し、東風を受けて心地よい涼気のプレゼントだ。  こち吹かば、とは有名な和歌だが、ちょと季節は異なる。  匂い起こせよ、、、、昔の人の優雅な発想に、柄にもなく暫し感銘を受ける。 その時、スマホが鳴った。O君からのLINEには「明日は月○○なんだね、、」とある。 次の文章を読もうとして気が付いた。私がスマホの右ボタンを押し忘れていたのを。 写真と一緒に文章も打ったつもりが、不慣れといふかボケの

雨中の散歩、H29 10 21 土曜日

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4時過ぎに起床。蒲団の上でストレッチ後、朝食の下ごしらえし捨てようかと思っていたウォーキングシューズを履き近くの公園で、速足とジョギングを交互に2周し汗ばんだまま帰宅し朝飯を作る。 8時頃から雨。スケッチの用意をして外出するも、、、 夕飯は肉じゃがを作った。しらたきないので蒟蒻を薄切りにして誤魔化す。彩りにおとといのインゲンを追加。右のはぶり大根の皮を糠漬けにしたもの。いずれもバッチシ =============================== 以前のBLG; H29-7-31;月曜、郵便局と部屋掃除 ふと気が付くと、7月もけふが最後。 あまりにも暑いので午前中なにをしたのか失念、すでに認知症か。 といふわけで、午前の分は、別のBLGに記録している。 お昼には定番となった饂飩。娘Rは、食べきれないで残っていた揚げ餅を使うことにした。 見た目は悪いが、意外と美味い。「人は見た目が9割」といふが、外見だけで評価されるなんて恐ろしい時代だ。特に、私みたいなブサイクにはとっては、暗黒時代そのもの。まー餡子食ってるジーさんだけど、、、  娘Rは、通帳が多すぎるので整理すべきと主張し、即行動開始。これはKGBの遺伝子か。ゆうちょの通帳が、何故か息子だけ3通もあるらしい。そこで、郵便局へ行くこととなった。息子のゆうちょから現金を引き出し、それをまた現在使用中の別の本人名義のゆうちょ銀行へ振り込むといふ高等技術だ。  わたしは、ただ付き添っているだけの存在。暑さも加わって腑抜け状態だから、すべて娘Rが取り仕切る。本人不在の場合、委任状なるものが必要で、しかも前の前(20年ほど前)の住所なので、住所変更と、住民票が必要になるらしい。なのに、それが出来るのだから不思議といへば不可思議。娘Rは前日窓口でどうしたらいいのかと相談に行き、予め必要書類を手に入れた。  娘は帰宅後、その通帳をじっと見つめていたら、なんと○○は2年ほど前に旧住所のまましゃーしゃーと一定額を引き出しているではないか。同じ作戦を実行し、それをATMから上記のようにしたといふわけだ。  息子Sは現在北海道にいる。千歳からバスに揺られて3時間以上の辺鄙なところに、かなり前からいる。 千歳近くにはKGBの叔母夫妻が住んでいて、新婚旅行の際にお宅に泊めてもらったことがある。叔母は数年前他界し、妻が葬儀

台風の前に、H29 10 20 金曜日

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前日妹に連絡したように佐久へ行ってきた求。1時半に目が覚め、先ず朝飯の用意。ーホットケーキにココアを混ぜコーヒーとくだもの 途中でガソリンを入れるが、初めてセルフ給油。とにかく4時間と少しで到着。 野辺山の美しい霧のかかった山 8時少し前、妹は10時から葬儀受付を頼まれているとのことで.多忙。朝ごはんを食べながら、増改築の図を描きながら説明してくれた。 銀行口座の開設をする。ところが即日にカード発行がどこでもできないらしい、数行に車を走らせるが同じで、先に母に会い、田舎の古い家に行き荷物を降ろす。結局A病院に近いN銀行に手続きをする。まあ面倒なこと。 あっといふ間に11時を過ぎる。とにかく夕刻のラッシュまでに帰らねばと車を走らせる。何とか16時に到着。 ================================ 以前のBLG; H29-7-29;土曜日、花火の思い出 腰痛が治まらず、陰鬱な土曜日の午後。 娘Rは友人と花火を観に行くよといふ。 私は、○○の残したメモの整理で、気が滅入っていた。椅子に座っていると腰痛は再燃す。 娘は、午前中にお金の振込みが出来ずに、苛立っている。ウン十万とはややでかい。 私は担当者の名刺を探し出し、その携帯にかけてみた。 これこれしかじか、直接払いたいので今日でもいいかと訊ねると、割とあっさり承諾、時刻は17時半とした。 時計を見ると16時少し過ぎ。 立っているほうがまし、リュックを背負って歩いたほうが、気も紛れる。 娘の心配顔を尻目に、お金も持参して、先ず旧住居へ向かう。連日懲りているので、重たいものは禁、リュックのほかは紙袋ひとつだけとした。  約束時刻の5分前に担当者と会い、お金を渡す。内容を互いに確認し、お互いに深く頭を下げて分かれる。 かくして、ずっと覆いかぶさった暗雲が取れ、何となく痛みも和らいだ感じとなる。 17時45分に早めの夕飯。けふは鶏肉とズッキーニの炒め煮。 花火の開始は19時だが、18時から予告ともいふべき音がする。 洗い物もそこそこに、娘は18時20分頃に出て行く。 私は、遥か昔の花火を思い起こす。娘Rがまだお腹にいた頃の隅田川花火。神奈川から出かけて、大勢の人込みの中、「立ち止まらないでください」とおまわりさんの連呼する声が響く橋の上。娘はお腹の中でこのズーンと響く音を聴いてい

またも雨、冬の旅、H29年10月19日 木曜

朝から雨。今電車内で皆がスマホを操作している、異様としか思えない光景。 今朝も4時に目が覚める。軽い屈伸で、朝食準備。ラジオは陶芸家らしき人の話、印象的なのはパッション、物事に集中している、日本語が出てこないが、頭で理解するのではなく、情熱よりも強い言葉、衝動でもない、、、、 喪中葉書を、70枚ほどプリント。 =================== 以前のBLG; H29-7-28; 金曜日、ピエロ 7月に入ってから何回目の金曜日だろうか。人様は花金とかいふらしいが、過去もこれからも無関係の世界。 けふも1日腰痛に悩まされ続ける。  唯一の慰めは、知人身うちからの言葉、LINEのスタンプや写真によるコンタクト。 先ず、女性からの手紙あり。アホかと思うけど、どぎまぎしてこっそりリュックに入れた。同居のむすめには内緒で読む。多分30代後半だと思ふが、母親がうつ云々のくだりが気になった。どう返事を書こうかと思案しつつ、そのまま。  夕飯は、わが家では肉団子にタマネギ、赤ピーマンを加え、酢豚風の味付け。これは出来合いのパック入りスープに野菜を入れただけなのだが、見た目も味もプロに近い味。娘をヨイショしつつ、体重を増やすべく只管食べる。  丁度その頃に田舎の妹JからLINEあり。旦那がどこか釣りに行ったので、義母との夕飯は美味そうないか飯が写っている。そこで返信した。「娘Rの顔は厳(いかめ)し そちらもイカ飯」 ついでにと「蒸し暑い 夕方にこそ オヤジギャグ」と付け加えた。 こうして、無理にはしゃいだフリをすると、反動が怖い。  前後して夕方、神奈川の従兄弟からメールがあった。それに気づいたのは20時頃。何でもLINEに私の名前がどうのこうの、、つまりLINEのことはわからないから訊きにきたのだろう。私は直ぐに返信す、いつ 伝えなければいけないのだと、○○の「出来事」を簡単に触れた。  零時過ぎに、彼から丁重な返事あり、またも眠れない夜になってしまった;

ドーンと夜明け、H29年10月18日、水曜

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久しぶりに画像を入れたけど、うろ覚えで、、、スマホ入力は面倒で時間がかかった、、 本日は、これも久しぶりの晴れ。5時半の空をアップ。英語のドーン、スペルは忘れたけど 午前は針仕事とズボン2本の洗濯。 改めて、パソコンで入力、これは楽だ。 18日は、マンションのクリーニング。業者任せで行く必要なしとのこと。特にすることもなく、朝食後は針仕事やらなにかで10時に部屋を出る。 リュックには昼飯用のパンと、シチュー残りとリンゴほかを入れ、先ず郵便局で未使用葉書を交換するが、窓口の女性の対応悪さに唖然。怒る気にもなれない。ATMでウン万円を出すが、パスワードはOK、伊勢丹へ行き、いつものギャラリー、地下の食料品をざっと見、市役所の市民ギャラリーも収穫なし。徒歩でそのまま青空の公園へ。学童が写生かなかで賑(にぎ)わうなか、ベンチに腰掛け、11時に早めのランチ。ふと見ると同じように食事をする老齢男性あり、共有する寂寥感を振り避けるように帰途へ。そのまま帰るのはと、某ビルの地下で食材を物色、レンズ豆をゲット。 前日煮ておいた大豆をなんとかしたいと、近所のスーパーへ。ところがそこはリサイクルボックスが開けていない、そのためちょっと離れたより大きなスーパーへ向かう。しかし、そこへ行くには忌まわしい山、GSなどがあり、辛い気持ちになるが、振り切るように足早に通る。 スーパーYDは16時頃だが、賑わっている。そこへ、妹Jから電話あり、田舎の増築でどうやら木を一本切らなければとのこと。何となく気が重いけど、次の一歩を踏み出すにはと、決心して承諾。 買い物は、牛蒡、蒟蒻、油揚げ、乾燥ひじき(これらはお豆用)、出汁昆布、餃子の皮、レンコンはちょっと高いので遠慮。これらをリュックに背負い帰宅。早速お料理開始。 牛蒡、人参を小さなの賽の目切りにして、ひじきを水でもどしておく。なべに前日の豆と水を追加し火にかけ、順次投入すると、見た目も味もそれらしくなる。とにかく砂糖が不足で追加する。 ============================ 以前のBLG; H29-7-27; 木曜日、天罰か「魔女の一撃」 本日未明腰痛の再発。数日前から右足つま先微妙な違和感あり、運動障害なし。脊柱管狭窄の恐れあるかもと放置していた。それが、5時少し前、重いゴミ袋を2個出した途端に「蹴ら

死中に活を: 29年10月17日、火曜日、雨。

死中に活を: 29年10月17日、火曜日、雨。 次回の荷物運びをどうしうようかと思案。というのは、朝、娘のカーディガンを2枚間違えて田舎に置いてきたから、それを取りに行かねばならない、ラインで妹は郵送をと提案するが、一番いいのは、ついでに車で荷物を運んでおくこと。で、20日の支払いを繰り上げて本日ということになった。 ちょうど、風呂の用意をしていた頃、連絡あり下に降りて、現金(27)支払う。 凝り性なのか、このところお料理にはまっている。昼は煮干し出汁でかき揚げうどん。夕飯は、野菜たっぷりのシチュー、そして今は、水で戻した大豆を煮ている。 ただし、半日くらいしか水に浸さなかったので、、、これが一番の問題。 強火で沸騰させてアクをこまめに取るが、これがなかなか厄介。夜中にするので、眠くなるし、火加減も難しい。沸騰させて、レンジ周りが焦げてしまい、その掃除にまた手間取ること、、、 ================= 以前のBLG H29-7-26; 水曜日、久々の雨の恵み 8時半に工事責任者と会う。 7時50分頃に電話あり、岡山の義妹からで、娘Rが出る。どうやら8月の○○日にご夫婦で来ていただけるようだ。娘は長々とお喋りをする、ちょうどKGBそのもの、、、 現金をリュックに入れたのは正解だった。既に日が高くなり汗ばむ気温、私は何となく重い足取りで部屋を出た。15分以上前に着いてしまったので、隣接するホテルロビーでメモのチェクをして、トイレの鏡で一応身だしなみを整える。その時やっと気づく、チョコ詰め合わせの箱を玄関に置きっぱなしだったことを。 慌ててRに電話するが出ない。自宅の起き電話にするも、まだ話しているのか通話中、これを数回繰り返し、ようやく繋がるも、下まで持って来てくれるのもダメ。なんと顔も洗ってないからだといふ。  焦る私は時計を見ると2分前だ、直ぐ防災受付に行くと丁度S氏の出っ張った腹が見えた。すみませんが15分待ってくださいと断って、炎天下を自宅に向けて急ぐ。8階までエレベーターで直行でき、直ぐ菓子入りの紙袋を手に逆戻り、13分ほどだった。2階の元職場に入る。すっかりスケルトン化し、kヘルメットを被った見慣れない作業員3名と、S氏を認めた。暑い中すみませんでしたと、改めて挨拶し、見積もり通りの請求書を受け取り、現金を窓枠の所で渡す。こ

雨中佐久へ;29*10*16

このところ、体調良好。前日土曜日、偶然見たTVでスウェーデンの47歳で出産し、下半身不随の夫と双子の子どもと日々多忙で生き生きと暮らす泌尿器科医。チョコレート色の建物を見てすぐカロリンスカと分かった。特に同感したのは、精神的苦痛は肉体的のものよりずっと辛い。 あ、そうだ、日曜日のこと、朝から小雨だか"比較的穏やかな一日。ただひとつ、ピア/搬出、未練がましいと思われてもいい。 そして、16日の月曜日。 2時10分に目が覚めて、段ボール箱を大小8個ほかを小雨の中、入り口脇に置き車を取りに駐車場へ急ぎ3時半頃に出発。雨中、順調に車を進める。途中トイレ休憩2回で、長野県入り。8時前に通勤ラッシュ。ここまでおよそ4時間。 もと小学校跡地に車を止めて、先ず墓参。甥っ子に連絡し、傘をさして家に行くと、ちょうど食事中の母と会う。母は、ほとんど無言でお茶を淹れてくれる。テーブル上の蒸パンをひとつ頂きながら数分話をし、鍵を持った甥は自転車で先回り。私は、車のところまで歩いて、車を土蔵前に移動させる。甥は門を開けてくれ、玄関・ガラス戸も開けてくれて、ダンボール7箱を運び込む。先日置き忘れたカートと、お琴の道具などが入った段ボール箱2個を積みなおし甥に礼をいい、IWMDのHpへ向かう。既に9時半過ぎ。受付で事務長に連絡し、書類をチェック。打ち合わせ確認し、次は銀行の口座開設。これに小一時間もかかる。ようやく車を妹宅へ。待ちかねた妹の義母が顔を出し、またお茶でお喋り。お琴の道具の説明などをして、11時半にそこを出る。帰途、ガソリンスタンドを探し、とりあえず20Lだけ給油。5時間弱で帰宅。 =========================== 以前のBLG; H29-7-25,火曜、涙の数だけ強く、、英語 夜中に夢を見た。昨日は後姿だけだったが、薄黄土色のムームーを着てこちらに微笑みかけた 無言のままずっとみていたが、そのうちに朦朧としてきて携帯の着信らしき音がする。 枕元の携帯を覗くと、娘YよりLINEあり。3時7分、現地は14時ころだろうか。 黄色い花とカード、カードは2枚で夫々の文章を読む。 ボスらしき人とスタッフの寄せ書きに、また涙腺が刺激された。 感動、感謝は言葉にしないと伝わらない、それも、新鮮なうちに、 情報は「生もの」 TOMORROWの歌詞の英

For new life; 29-10-14

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For new life; 29-10-14 (Sat) 昨日、I マンションの残ったものを全て出した。つまり廃棄。長年使ったスライド式の本棚、たった6年しか使わなかった冷蔵庫。これらは、中古販売業者引き取ってくれないとのこと。 一昨日は、机やテーブルを長野の田舎に運んだ。この決定は、その前日、業者との打ち合わせで急遽決まった。天気予報では週末に雨・悪天候あ予想されるためで、時間をつくってもらった。 10月12日、木曜の記録をしておく; 8時から荷物出しで、10時には出発。の筈だったが、テーブルなどの解体などに手間取り、結局11時近くの出発。家具を固定している金具を外す六角レンチが無いというが、お店が開くのは9時か9時半。そこで私が急いでYマンションへ早足で行く。走ろうとするも、息切れで無理。着いて道具箱を探すが見当たらず、ふとテーブルを見ると隅っこにビニール袋に入ったものを発見。サイズがどうのこうのというがまあいいだろうと、I マンションへ引き返す。晴れていて、もう汗だくとなるが、これで家具はバラすことができた。テーブルの天板だけでもずっしりと重く、1人では運搬不可。台車を使ってエレベーターで降ろす。この繰り返し。またベッドも木枠を外し、重いマットレス(これは前日に運搬できるように私が1人で梱包)、椅子6脚。若い人が二人、1人は長髪で野球帽のSKさん、もう1人は既婚者でお子さんがいるというNさん。いずれも朝飯抜きで動いている。 ようやく2トントラックに積み込んで、いざ出発。私と監督のSNさんは別の車で先導。道中、SNさんと話が弾む。腹が減っているので、お昼にどこで食べようかと思案しつつ、つい話に夢中になって通り越し、Uターン。そこで昼飯、12時半。 結局予定が遅れて15時少し前に、私の生家に着く。予め、ラインで甥っ子に連絡し、彼は自転車で鍵を持参。ちょうど同時に到着。先ず、門の木戸を開ける。私が高校卒業後、始めて門を開け閉めすることになった。車は、門をくぐらず、土蔵前の道に2台並んで駐車。古い家は玄関でなく、茶の間のガラス戸を開け放なって、廊下越しに茶の間に荷物を並べる。重さで床が不安だったが、一応大丈夫。運び出しは、30分もかからず終了。遅れた分、早く出ようと車に乗ったとたん、西隣の車が来て、間一髪で車を出す。帰途、ガソリンを給油、 =====