カーペンターズ再考、最高かも:25-8-18,Mon.


 足元が怪しくなってきた私を心配して、神戸の娘がPodcastを聴くことができるイヤホンみたいなものをプレゼントしてくれた。

 

補聴器みたいなもので両耳にフィットさせるのに多少戸惑うも、音楽だけでなく広い分野の音声情報が入る優れもの。テレビとは異なり、音声情報だから、このブログ書きも同時進行できる。

 以前、ミッフィー型の音楽プレイヤーがあり、これが意外と重宝したけど、転居繰り返して行方不明に、(トホホ、、)。

 いわば、手軽なラジオといった感じで、音楽に飽きたら学術的なる講義(レクチャー)、学術雑誌プレビューまでカバーするから、嬉しくなってしまふ。まさにボケ対策に有効なツール

 懐メロフォークからボーカル、あれこれ聴いてみたが、カーペンターズを思い出してアップした。思い出すのは、遥か昔のYKHM時代、小学生高学年家庭教師のバイトを何故か紹介された。Yukoちゃん小5か6で私立中学受験が目的とのこと。当時流行っていたのがカーペンターズの曲、Yesterday  once more など ガキのくせに口ずさんいた。

 爾来幾星霜、すっかりperfectなるジジーになり果てたものの、イヤホンに流れる歌は、瞬時に週イチ通ってた記憶が蘇る。ちょっとケバかった母親と一癖ありそうだが柔和な父親、もう一人幼い男の子がいたっけ名前はKojiくん。そうだ、父親は工事関連の仕事らしかった。

 CDの無い時代、カセットテープに移行の頃だったが、オープンリールのテープの方が面倒だけれども音感が自然に近いような気がしていた。さて、ボケ対策用のPodcast 経由の音は当然左右の音の深み、音質も自然で心地いい。歌詞の意味なんて昔は上の空で、メロディー主体だったが、語る言葉、すなわち英語の作詞内容がわかるようになったからか、人の声の美しさ諸々の感情を浄化するような底知れない"ability" 。

 耳学問は最高の教師となる。日本語は独特な言語なのだろうが、文書化するにあたり、「適切な言葉」は意外と少ない。漢字は外来語だから、力(ちから)、能力、内なる能力を一言で表すには田舎の言葉「英語」のほうが極めて自然に理解把握できる。英語なら一言、”Got it!" 

脳の老化、すなわちボケの始まりはピンポイントで瞬時に理解できる「英語」のほうかもしれない。カーペンターズの歌声を聴いていると、”Listen" と "hear" の違いもわかるし「音節」としてメロディーの乗りやすいのだろう、これは日本語の歌詞では多分表現できない(と思う)。

故カレンが一番のお気に入りという下記の曲

青春の輝き(I Need To Be In Love)

 では、彼女のアルトが淡々と流れ、特にこのフレーズは以前理解できなかった「何か」が身体に染み込む;

>>The hardest thing I've ever done

  Is keep believing

   There's someone in this crazy world for me
  The way that people come and go
   Through temporary lives
  My chance could come and I might never know

この繊細な感情表現は 日本人には直感で理解できるけど、どこか素朴で

表面的な感のあるアメ人には受容しにくいものがあったのだろう。


時間は不思議な潜在能力がある。

幼き日に、住んでいた街を再訪すると、道路が狭かったと感じたことがある。

こうした感覚は デジタル世界では冷酷に区別化されてしまうだろう。柔軟で、いわゆるグレイゾーンがゆるやかな「古き良き時代」を懐かしむ癒しのようなものだろう。

 

追記;

 言葉は魔法であり、時には武器にもなりうる両刃の剣。 

 個人の感情を直接吐露する直接経路は感嘆語であり、普遍性を求めるなら「適度の言語化」が要求されるだろう。

日本では俳句、短歌、和歌、自由詩、韻を踏んだ伝統的詩歌があり、

日誌、エッセー、小説、論説など無数

落語、漫才、冗句など 百人百様の表現が可能となる。

スピッツの歌を引用;

>>魔法のコトバ

あふれそうな気持ち 無理やりかくして
今日もまた 遠くばっかり見ていた
君と語り合った 下らないアレコレ
抱きしめてどうにか生きてるけど

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