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8月, 2017の投稿を表示しています

H29-8-15; 火曜日、曇り、終戦って?

平成29-8-15 私はアホだから、未だに終戦記念日の意味が分からない。 一般的な解釈は、Wikiをチェックすることなく、その概要はまあ、中学生程度と思っていいだろう。  ハラグロサクソン、あ、間違えた、どうも最近ボケが進んで、どれが本当でどれが偽物かの区別がわからなくなってきた。訂正する(小さな声で)、アングロさくソン 今、黙祷が、終わった。 だが、終わっていない大切な何かがある。 72回目といふが、この72年間、もっと重要なことがうやむやにされている。 さあ、いじわるしている誰かさん 九月6日

H29-8-14; 月曜にも、、、

H29-8-13;月曜日 早起きして、海岸迄徒歩で往復す。モウロウをとっくに過ぎて、なれなれに手の届く年だが、まだワケーもんにゃ負けてたまるか。 前日地図で距離を調べた。2万誤戦分の1で14cm, 単純計算で3.5Km, わたしのがに股、短足で40~45分かかると判明し嘆息。ロスタイムを含めて、往復に2時間とみて、4時出発とした。 と、ここまではいいが、あれ、一時保存の仕方??? 面倒くさくなり、公開ボタン押して後悔、、、 惨事10分前に眼が覚めて、直ぐに身仕度。五分後には外に出た。広い通り沿いの歩道を歩く。信号が赤でも進むが、補導されない。30分ほどで、ようやくわmn

H29-8-13; 日、曇り、無題

H29-8-13; 日、曇り 先日、某サイトでBLGが検閲されていることがわかり、そこはアホらしくなってQUIT. でも、ここがどうかは分からない。 私は、ヘンジンかもしれないが、固有名で人様を批判したことはない。 一般論として、所属している人たちの7から8割以上の”旧態”依然たる考え・方針に、 私はそれはおかしいと意見を述べただけ。 某国なら、止むを得ないだろうが、日本で検閲があるとは、、、、 聞くところによると、放送禁止用語なるものがあるといふ。 詳しくはWikiへ。 Wikiを斜め読みすると、NHKなる組織が「放送可能用語」といふお達しを出した寄席、民放も右倣えらしい。 ただし、それはオヤクショ”が考える”といふ表現であり、果たしてそれが「正しい」かどうか、それこそ誰にも分からない。  そもそも、「正しさ」、あるいは「正義」などといふ言葉はどう解釈すべきだろうか。 私は昨夕、たまたまNHKを見た。 一応きちんと受信料を払っているバカ正直な人間のひとりだから、民放を目の仇にしている訳ではない  正直な話、一部の民放はアホラシクテ見ないが、脚本が優れた民放(見んぽー)も少なくない。その点、NHKさまは某おえらい有名人脚本家らしが、ドラマの設定に無理こじつけもあり、これこそお金の無駄使いだと思ふ。 で、何を言いたいんだろうと、途中で忘れてしまったが、いま思い出す。 昨夕のNHKは日米の戦争、太平洋だろうが大東亜だろうがそんなことはどうでもいい。 問題は事実を{正確」に報道しているかどうかである。 事実とは数字で示すことではない。なぜならば、データはいくらでも解析方法で改竄できるからだ。 最高学府や大企業の研究で、大量のデータをどう処理するかどうできるのか、それが分かれ道となる。当初、米軍の日本軍需施設への爆撃成功率7%と出たが、これは多分正確に「近い」だろう。次の問題はその解釈が高いのか、低いのかで方針が異なる。 米国はシステムががっちりした国だと、私はおもっている。日本との違いは、大統領が絶対的権限を持つといふ点と、日本の天皇制のとくわからない曖昧さ、、これが影響していると考える。 今、米国はあんな人物でも国家として機能できる不思議な国だが、底力はニホンなど到底足

H29-8-8; 晴れ時々曇り、虹を見た

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H29-8-8;火曜日 Beliebve or Not 寝不足が続き、頭がずっとボーっとしている。 昨夜もプチ家出? 夜中2時頃こっそり帰り、5時にやや遅くは起きる。 朝食はコーヒーのフィルターを入れ忘れ、でもかえって美味しい。もともとトルコではこんな風にするらしいから。 午前中はベランダで野菜の苗手入れ。お花がすべて切れてしまい茎も切らずに水だけの交換。 昨日、10歳年上の従兄弟にメールしたが、返事ない、そのことも気が滅入るのだろうか。 昼前、コピー機をあれこれいじくっているうちに、腰痛再発。 午後も同様、娘も部屋閉じこもりあるいはお昼ねか、私は、出歩かないと更に悪化する恐怖あり、リュックを背負って出かけようとして、腕時計の無いのに気づく。突如頭の中が真っ白、数分恒例の室内捜索、、、旧マンションにいってみるも 多分、日曜日に作業着のポケットに入れたままか、 そうならいいんだが。 夕方、虹を見る。それもダブルで、ここ数日習慣となったが、私はベッド上でぼんやりしていた。そこへ娘が外からでかい声をかけた。「急いで、大きな虹が出ている」 東南方向を見るとダブルの色鮮やかな虹だ。直ぐにスマホでもたつきながら4枚撮影、部屋の隅に転がっていたデジカメを3台かき集めて、それぞれ4枚ほど撮影した、 といふことはかなり長い時間消えなかった。 虹に願いを、、とは思いつかなく、途中から涙が出始めた。 ふとタブレットを思い出し、寝室の網戸をずらし、撮影3枚。 非科学的だと人は笑うかもしれない。笑われてもいい。 これは、KGBからのメッセージだと直感した。濃い虹の下の麓 そこでKGBは見つかった。 夕飯を食べながら、TV, 高校野球観戦。どうやら延長戦らしい。 11回表をちらっとみて、もう試合は決まったと確信した。 その根拠は、多少野球を知っている人ならおわかりだろう。 野球監督の采配が98%、残り2%しか神様は決めてくれない。 私は98%の世界に生きてきた。 けれども、残りの2%に、不思議でかつ非科学的だが否定できない 「何か」の存在はあると信じる、 科学は万能で100%全てのことが証明できると  そう主張するお偉いさんはいる。  私は、元来アホだから、ずっと

H29-8ー7: 月曜、曇り、ギョーー怪用語

H29-8ー7: 月曜、曇り このところ、身体だけでなくパソコンまで調子が悪い。 数日前からなのだが、楽○なんとかのBLGが全くアクセスでず、齷齪。 IDがどうのこう、アカウントがどうのこうの、カタカナ用語の氾濫には強い憤りしかない。折角、ノートパッドを4-5年ぶりに買い換えたといふのに、数日前から何度も試みるも、ボケのせいか、一向に解決していない。 日本は、歴史的にみると、どうやら漢字の伝来がスタートのようだ。 それまでは、稗田のアレ アレ?てどういふ字か調べる気力も無い。 ダッセン、本題へ。つまり口述、口伝えだった。 と大昔に学校で習った記憶がある。それにしても、「古事記」の編纂云々とはどういふことなのだろうか。 私は昔からセーカクが悪いので、授業でかくかくと聞いても、何の意味があるのかわからず、爾来歴史や文学が大嫌いになった。 日本語は悪魔の言葉だ、 とはよくいわれる。 私も、かつては毎年のように欧米の会合に柄にも無く出席していた。私は英語が少々、ドイツ語は少し読める程度で、日常会話すら覚束ない。ナントカパーティーで質問されうのは、どうして日本語はひらかな・かたかな。漢字、意味不明の横文字らしきものが渾然として、しかも、同じ発音でもTPOから判断しなけりゃいかんのに、本当に不思議だ。 それに、どうしてカタカナ用語が多いんだろう。これはきっと、日本語がものごとを説明するのに一番適していないからじゃーねーかな? その昔、ウィーンで会った日本語ペラペラのヘンな人からのコメント。 私からすれば、ドイツ語も名詞が男性。女性、中性(オカマ?)で冠詞が違うし、動詞の現在過去、過去ナントカで”ge"を単語のと途中にくっつけたりでわかんねーよ、と反論した記憶がある。 また脱線、本線に戻る。 私の考えは、いわゆるカタカナ用語はギョーカイの人達が持つ「傲慢性」の表れだと思う。 彼らは、こんなこともシラネーのは「時代遅れ」、と面倒くさそうに話してれるかも知れない。   いつか、どこかに書いたシホーショシさんの用語の乱発。それに私はハラが立った。 言葉は、コミュニケーションの大事な手段である。偉い人は”ツール。”と表現するかもしれないが、偏屈な私は使いたくない。 お昼になった、人はランチなんとかといふらしいが、わたしは「乱地帯

H29-8-6; 日曜、原爆と気象学

H29-8-6; 日曜、晴れ、原爆と気象学 昭和20年(1945年)、の、8月6日。広島地方は晴れていた。 そして72年後のけふ、運命の8時15分、私は某施設内の廊下をヨタヨタ歩いていた。 早出スタッフと挨拶を交わしながら、ふとテレビ画面を見て気がついた。時計は既に8時16分をさし、介護スタッフも業務再会している。  今朝食事の時、娘Rと広島の原爆のことが話題になっていたのに、散歩で3歩歩くと忘れている。  某施設は冷房が効いていて、いつのも時間8時には着く。部屋で日誌様のパソコンを立ち上げて,1階のトイレに行くが、私は海外旅行中など緊張すると必ず便○、となる。そうか、それで2階詰め所に行くの時間がかかったからだ。これぞまさにウンめー。 1-2分の違いは、大きい。 飛行機は勿論、新幹線だって、JRだって同様。だが、気にすることは無い。 チータこと某有名人の歌がある。景気のようい、元気溢れる歌だから、私は毎朝通勤時にこっそり歌っていた、(大声だとオンチで人様の迷惑になる) 2番のところに >> しあわせの 隣にいても気づかない日もあるんだね     一年365日、一歩違いで逃しても、人生はワンツーパンチ、、、、、 歌っていると、前向きなれ、元気が出る。辛いとき悲しいときに、いつもこの歌を口ずさむ。      話題一転、 娘Rにも言ってないが、このとことろ、ふわふわする浮遊感、眩ウン?(アレー惚けてきて忘れている)、階段を降りるときに足元がおぼつかない、など気になる症状が度々ある。まー回転性ではないから大丈夫だろうと思ふのだが、、  でもうっかり、娘に話すと、何より嫌いなビョーインへ強制送還されてしまう。 あそこの病院なら、美人ぞろいの検査技師さんがブスブス痛い採血をし、「念のために、ちょっと調べtときましょう」、とCTだMRIだとか、一連の検査を強要されるだろう。年に一回の検査でさえ、躊躇するこの私、健診なんて、時間とお金の無駄使いでと思っているから、、、。 再び、広島原爆に戻る、 何故、8月の6日で、その時間、そして何故広島になったのかをいふ疑問がある。; 私の下手な文章よりも、下記を参照にすると早い。  http://www.masaruk.

H29-8-5;晴れ 土曜、動揺同様

H29-8-5;晴れ 土曜、動揺同様 毎日が浮動感で、落ち着かない。 これこそ、ボケの着実な進行かと、必死で不安と戦う。 昨日、といふか本日未明、またDCの娘YからのLINEでドタバタした(先述?)が、さて眠ろうと思ふと不安の波は後から後から押し寄せ、土曜日は郵便局が休みだから、金曜のうちにとLINEを送り返す。かくして、ベッドに横になるのは2時過ぎで、寝付けない。止む無く睡眠剤を服用した。  先述と書いたが、どうやら別のサイトのブログと混同している。 DCの現地時間は13時間さかのぼる、 っちゅうことは今日本時間10時は金曜日の17時か。 私は金曜土曜もない毎日だったので、その土曜日が休日だといふ基本的認識が欠如していた。 某司法書士からのメールは日本時間で3日の木曜、11時頃DCに届いたらしい。 そのときのDCは3日の21時、そのメールを読んでも動けるのは翌日4日の木曜日以降になる。 その大先生からのメールが転送されたので、読んで驚いた。「これこれ手続き後に”郵送”してください。但し、夏休みは8月11日から云々??」  幸い娘Yのボスは察してくれて直ぐに大使館へ直行。自転車通勤なので、猛暑下を急いだに違いない。手続きは受付に始まる。どこもそうだが、受け付けても直ぐに必要な書類を貰えるわけではない。娘はその日は一旦職場に戻り、ロスした分の仕事を自主的にしたといふ。つまり時間外労働。そして現地時間金曜日の10時に大使館で手続きしたといふ。これは日本時間で23時のこと。 私はなれぬ手つきでLINE操作するが、キーボードとはまるで異なるのでナメクジが這うような感覚だ。約1時間後に携帯が鳴る、「手続き終了」と。  館内の写真が添付され、日本の天気予報が写っていた。「へー、凄いね」、「ここは日本大使館だからね」「台風が接近しているよ」 対話がちぐはぐなのは、私が文字変換で梃子摺っていたため。 それから小1時間後にまたLINEあり;「今スキャンしたやつ、メールで送った」 私は、慌ててパソコンを立ち上げて確認、添付ファイルが3つもあり、しかもpdf ,ファイルだ。私同様旧式でガタが来ており時間がやたらかかる、しかも3枚で、、、。 かくして、寝不足は一向に改善されず、天辺ハゲだけ着実に進んでいる。

H29-8-4; 禁酔う

H29-8-4; 金曜、晴れ、禁酔う けふも4時にモソモソ起き出して、リュックを背負い旧マンションに向かう。まだ薄暗いなか、幹線道路沿いを急ぐ。この時間、道路工事の場所が毎日変化しているのがわかる。 物事はすべて変化していく、ずっと変わらないものがあるのだろうか。 私が、なぜ毎日通うのは、変わって欲しくない何かを求めているのだろう。○○と一緒に過ごした日の思い出、それを探し求めているかもしれない。埃がうっすら付いた写真メモ帳、手紙やはがき、衣類など、、、、 リュックに入るものはやや重いものとし、両手の紙袋には軽くてかさばるもの、いくらボケてても、少しずつコツがわかってきた。  お日様が顔を出すと、道路工事の人たちも姿を消す。私は、無様な格好でその道路を横切って帰る。 部屋に戻ると、ベランダで植木類の手入れ、もう、ジジーのパターンが定着しつつある。 夕方、冷蔵庫の奥から、娘Yが昨年暮れに買ってそのままになっていたビールを取り出す。 自宅でビールなんて、何年ぶりだろうか。賞味期限切れのビールだったが、いつもなら絶対飲まないといっていた娘Rもコップを冷凍庫に入れて準備をする。  ノンアルコール、ノンカロリーの類(たぐい)は、不味いだろうとの先入観を打ち消し、ほのかに甘い後味が残るものだった。すきっ腹に飲んだせいか、でもノンアルコールなのに、少し酔った気分になれた。

H29-8-3;木曜、It's all up to you

H29-8-3;木曜、 It's all up to you 昨日から行方不明の帽子を求めて、 高速(拘束)バス売り場に来た。 しかしそこではない、一体どこに行ってしまったのだろか。物忘れボーシを考えた。 チーズはどこへ消えた?  昔のベストセラーがある。惚けてきた私は、こっそりネットで検索すると、 >> チーズは、ただの食べ物ではなく、人生において私たちが追い求めるもののシンボルである。 とある。 最近、整理をしていたら本棚の隅で埃をかぶっていたが、それからどうなったのだろうか。 ドライな娘R は既に処分してしまったかもしれない。  気になるメモがある。どこかで書いたかもしれないが、 「さがし物とかけて、大切なもの ととく  その心は 必要なとき見当たらない。   (それでも求めると 何が大切か分からずじまい)」 今迷路に迷い込んだ私にも、何がなんだか分からないまま、求め続けてる 物忘れは、毎度のこと。特に眼鏡はジョーシュー犯で、娘からは冷たい視線。 でも忘れることは、いいこともあるし、 惚け・認知症は天からの贈り物かもしれない。 忘れたくても、忘れられない、人生は矛盾の連続でもあり、残酷と思ふか、謳歌すべきものと思ふか どこかで声がする   ”It's all up to you”

H29-8-2;水曜、曇り、風強し嬉しいことも大切に

H29-8-2;水 曜、曇り、風強いし、嬉しいことも大切に 朝からいつにも増して奇妙な1日だった。郵便受けの番号失念、帽子と名刺? 1、早朝ふと思い立ち、上京すべきバスの便を調べるも、サイトのパスワードがどうのこうので予約断念。こんな面倒なシステム、セキュリティーがどうのこうの、、、、認識誤認も甚だしい。 ようやくバスのチケットを取るも、肝心の相手からノー。兄は、何でもけふは病院通いで1日仕事。 結局そのまま気まずい帰宅となる。  どうにかならないものだろうか、年とれば誰でも、複数の病気を抱える。 ヨーツーはどこどこ、お腹はどこどこ、頭、眼、耳、喉、夫々全部異なる科にいくといふ。 昨日、切れるロージンたら私がゲキドしたのは、この点である。 2、私は、生を受けてうん十年、通院したのは歯医者さんくらいで、入院手術ゼロ。 悪いところといへば、性格だろう、それしかない。医者と病院が大嫌いのは母親ゆずり。 だから私は○○に、なったヘンジン。 まーそれは昔のこと。過去はいくら逆立ちしても、変えられるものではない。 3、ボケできたので、箇条書きにしている。1、の続きであるが、7時半にボーゼンとした私は、いつに増して苛苛感が募ってきた。ドーキョニンになった娘は堪ったものではないから、ルッせーとボヤク。かくして些細なことで娘と口論となるのは、自然の成り行きだろう。悪いのは、このうす汚くなりつつあるこの私なのだから。  かくして別々行動となった私は単独で東南に徒歩で向かう。車は一台しかないし、第一、このところ運転もしていない。運転するのも怖くなっている自分が情けない。 4、何の目的もなく、飛び出した私、たまにゃー図書館でも行ってキョーヨーでも遅ればせながらとつけようと、蟹股で歩きつつ思案していた。 わたしはキョーヨーされることが大嫌い。つまり変人で天邪鬼。 ふとお花屋さんの前で足が止まる。おずおずと店員さんに言った。バラの花を一本だけいいですか。こんな不細工なオトコとのアンバランスに、流石相手はプロ。少しもおくびに出さず。紙に包んでくれた。私は、隣接する小山に登って、元気だった頃の○○のことを思い出した。 一ヶ月に来た場所がわからず、躊躇したが、そこにバラを置いた。辺りは急な階段が続き、少し降りると、遠くの景色が見渡せる。 しばらくして、汗だくのま

H29-8-1;火曜, 専門罵家

H29-8-1;火曜、専門罵家 慢性的な睡眠不足が続く。昨夕の北海道からの電話で、新婚旅行の時にお世話になったことを思い出して、なかなか寝付けなかった。 そして、またも4時に離床。甚平姿のまま散歩にでかける。 一時間ほどで戻るが新聞はまだ来ていない。乱雑な私の机が眼に入る。まるで私の心そのものだ。人様にとってはどうでもいい資料かもしれないが、私にはどうしても捨てられないものが、それが多すぎるのだろう。 昨日のニュースで、なんとか学園問題で有名な夫妻が逮捕された。大阪地検特捜部がようやく動いた。日本の検察官は優秀なのに、何故こんなに時間がかかったのだろうか、ボンクラ頭の私にはわからない。 わからないことが、この世には多すぎる。同じ法曹界でも、ほかの人たちは全く正反対で奇妙な判断をするのだろうか。わたしは、もうモーロクしてきているが、眼に余る活動が後者に眼立つ。 法は何のためにあるのだろうか。 その答えに影響する遠因が、法律専門家が多すぎるといふことだろう。 専門家ほど恐ろしいものはない。人様は専門家を尊敬の眼差しでみるようだが、天邪鬼の私には理解できない。 専門家は何故怖いのか、それは皆様各々が固有のテリトリーを持ち、その線引き頑としているからだ。要するに、専門外のことは、どこそこへどうぞで、盥回しは日常的なこととなる。 私のようなアホでも、大学を卒業できた。この事実は、日本が寛容だといふことを示しているが、私の尊敬する師はこう諭した。  「専門バカには決してなるな。本だけではなく回りから学ぶこと」 私は多少は努力もあったが、諸先輩や同胞、家族などの支えがあって、一応専門家のハシクレだった。多くは順調に行くも、専門外といって人様に迷惑をかけたことも少なくない。今、そのことを時々思い出すこともあるが、この暑さとモーロクで、、、、