肥満の95%は脳のストレス;31-4-2、火曜

4月の2日、ラジオは甲子園の準決勝でガヤガヤ。
電気紙芝居のような画像はないから、音声だけが耳に入る。
戸外は能登上空に居座った寒気団の影響で、束の間の日差しも、雀の涙程度。

私は、バケツに漬け置きしておいた汚れたガラス瓶を黙々と洗ふ。
理由はともかく、誰かがしなければならぬと、自分に言い聞かせつつ、2-3個ずつ
黙々と複数の洗剤などを使い、文字通りこそげ落とす。

世の中は、不合理不条理で満ち満ちている。
マザーテレサの言葉を捜すと;
>>People are often unreasonable and self-centered.
Forgive them anyway.     http://iyashitour.com/archives/21434
Forgive といふ言葉、これは許す云々と訳されているようだが、どうもピンとこない。

そこで、検索したら;http://yushi39nishino.blog27.fc2.com/blog-entry-26.html

>>私は「許されること」は、自分が「生かされること」とセットの概念だと思うのです。

つまり、不合理であろうが、人様が自己チューであろうが、それはカラスの勝手であり、
問題は自分がどのように対応するのか、といふことになる。

私個人ができることなど、多寡が知れているし、そんなことは業者に任せればいいと
至極reasonable な忠告があるかもしれない。

けれども、悲しいかな、私は生来の頑固で融通も利かない。
誰か他の人がしないのだから、私がするしかないだろうと。
多くの人は、バカにするかもしれないが、でもそれでいいと思っている。

ラジオの実況は、試合の流れ、特に監督の采配、投手の交代時期など多くの要素が絡み合った複合体としての闘いが耳から入ってくる。

高校野球ほど、短時間で諸々の社会流れを教示してくれるものはない、と私は思っている。出来れば、関東あたりの学校を応援しているのだが、今年は、公立校の活躍が目立っている。

いつの間にか、透明なガラス瓶が並ぶ様は、ささやかな達成感みたなものすら覚えてしまうから不思議だ。

先日読んだ本で、「ストレスと肥満」に関する言及があった。
曰く「肥満の95%は脳のストレス」。
ネットなどで情報が溢れ、「ヒマン防止のため、してはならない項目、ベからず集」
こういったものが出回っているとのこと。
人間誰しも、小腹が空いたからとか、ちょっと一息したいとき、何かを口にしたいと思ふだろ。
でも、この「ベからず集」が頭を過(よ)ぎり、溜息をついて諦めるかもしれない。
こうしたプチストレスの蓄積、それをケンキューしてペーパーにするのはかなりしんどいかもしれないが、暇つぶしになるだろうし、どーでもいいRCTSが多すぎる現在、どこかで本腰いれるかもしれない。

ストレスといふ概念も、可視化できる評価法なんてあるわけないから、ややこしくて、これだけでもストレスになってしまふ。
つまり、脳といふ、私みたいなヒネクレモノは、良かれと思ってする規制よりも、よりシンプルなインプットのほうに反応するのだろう、

「逆も真なり」で、拒食、過食もまあ乱暴にいふと、この類(たぐい)なのかもしれない。
少なくとも、脳、視床下部に摂食中枢があるらしいので、これらのネットワークバランス如何が当然影響する。

脳内の神経伝達物質は、まだまだその役割すら把握できないTransmitter がゴロゴロある。
互いに複雑な正負のフィードバックがあるので、この組み合わせだけでも、気が遠くなるような未知の世界だ。

医療とは、歴史的にみても壮大なる錯覚の組み合わせであり
、試行錯誤の末に得られた、経験則の集合体にすぎない。
これを「医ガク」などと、あるいは、ヒポクラテスまで動員させて、概念に基づく倫理云々と、よく理解できない世の中になった。イガクが学問の一分野とするのは、どうも違和感を覚えつつ、、、、。

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