猫の勝手でしょ; 31-4-6、土曜

4月6日の土曜日、私はSMDからSZOKに向かっていた。
施設入り口にある桜は、枝先端の葉が目立つようになり、晴れた青空がすっきり見えた。

10時約束の場所、駅南口。ロータリーには、車が溢れ、休日の暖かい日差しをも楽しむ多くの人で混雑していた。

LINEで連絡のあった目印の車はシルバーのプリウス。予想した交差点で左折し停車したのを確認し、飲食可能の場所を即断、開店早々のお店に一番乗りした。

2年前の仕事場があったビル。その1Fでは、いつもガラスのコーヒープレスで淹れた苦めの ホットしか飲んだことが無い。早めのランチセットをオーダーし、打ち合わせも互いによく知るからポンポンとビジネスは終わる。

人には相性といふものがある。
彼SNさんは、不思議と初対面からその人柄、仕事能力に 「程よい距離」で接してきた。

猫は自分の名前をちゃんと聞き分けている-。
こんなタイトルが出ていた;https://www.jiji.com/jc/article?k=2019040600153&g=int&utm_source=top&utm_medium=topics&utm_campaign=edit

論文は上智大の齋藤慈子准教授らの研究チームといふので、原文を探した;
http://www.natureasia.com/en/research/highlight/12912

>>

Animal behaviour: Cats recognize us calling their names

Scientific Reports    April 5, 2019
と、味も素っ気も無いタイトルだが、何故か英国始め反響が拡大しているらしい。

猫は犬と違って、ご主人様にも素っ気無く、気分屋・マイペースが特徴とされる。
早い話、私と共通点が多くて、小学校の頃の飼い猫タロのことを思い出した。

いつ建てたのか誰も知らない古い家屋の天井裏では、毎晩のように同居ニンの運動会があった。主の祖父は猫を飼うことを決めたらしく、どこからか三毛猫をもらってきた。ネズミ年生まれで、猫が大嫌いだった母の代わりに、祖母か私が世話をみることになった。
やがて、その三毛は子どもを数匹産み、雄猫だったタロだけが残された。
就学前の、多分2年ほど、親の都合で兄弟4人の中で私だけが祖父母の所に残された。
近所には同年輩の子が何人かいたけれど、家にはいつもこのタロがいて、私の一番の遊び相手だった。小学校の1,2年は長野市にいて、3年生になる時に桜井の家に戻った。彼は私の声に呼び声に反応したのかノッソリ現われ、またバカ息子かと、いうふうにどこかへ消えた。暫くしてタロが死んだ。台所の土間で苦しむ姿は正視できず、その田舎で犬猫を飼うことは無かった。

上述のペーパーは、飼い猫78匹を対象になされたもので、調査方法はプリミティブだが、多くの共感が得られている。


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