引越し手続き; H29-9-25, その2

 H29-9-25; 晴れ
10時を過ぎてから、マンション管理人に引越しの日時を伝えるべくメモ書き。
先ず、現在のIGの管理人へメモを手渡す。その後、YTの管理人にもメモを渡したが、戻ると再びIGの管理人から必要書類といって3枚入ったファイルが、メールボックスにあり。

昼飯は、にゅうめん。手短に作って、目下昼休み。

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以前のBLGをコピペ;

H29-7-20; 木曜、晴れ、Y羽田へR同伴
今朝も5時前に起床、下のアホ娘Yが米国に戻るのでその準備。
お花の水を変え終わった頃、5時半か、Yが起きてきて、荷物詰めはじめる。
慌しい朝食、カステラとコーヒーほか、りんご、リンゴ・バナナ程度で、6時45分発のバス停に向かう。重くなったスーツケースを引きずりながら駅方向に向かう。周辺エレベーター位置を素早く指示する娘Rは、しっかり者で頼もしい。10分ほど前には始発バス停に着く。
いつもより早めに電車に乗り、F駅へ向かう。車内からLINEで連絡、取ったばかりの写真をそれぞれ2枚ずつ付けて。これは便利なものだ。
施設Sでは、早めに一回り、危惧していた3Fのばーちゃんは回復し、良かった良かった。
すべきことが山積するも、ふと友人3人へメール連絡した。最初のK君はエラー、仕方が無いのでプリントして、封書で送る。と思ったが、封筒を忘れ、慌てて机の引出し内からひとつ発見、切手を貼る。二番目のM君は神戸に出張中、すぐに返事あり、ありがたいと返信す。
セレモニーに参加していただいた夫々の親戚に礼状を用意しなければならない。ボケ頭を散々捻って計6通、同じ内容のもの、少し変えたものと気を使う。(これでは、ハゲがさらに進行する)
昼前、娘たちは羽田に到着とLINE連絡あり、驚くことに1800円もする、鰻をアホYはオーダーしたとのこと。倹約家のRは、この際だけぐっと我慢し太っ腹のところを見せたらしい。

午後は只管写真のプリント。5-6枚印刷したら、インク切れで交換す。スペアは一昨年の12月のもの。といふことは、およそ2年間ほどご無沙汰していたことになる。つまり、KGBの状態が低空飛行のままだった頃と一致する。各地親戚7軒分を、夫々どの写真がいいかと頭を捻る。昨日L判の用紙を250枚用意したが、机の抽斗を見たら10数枚分残りあり。如何に整理管理能力が欠如しているのか、情けなくなる。その前に礼状を書く。雛形を作っておいて、上下のスペースに宛先、一筆添えられるよう手書き部分を残した。自宅住所は、貼り付けられるようレイアウトを作り印刷しておき、自宅に帰ってから切り分けて封筒裏に貼れるようにした。あっといふ間に15時、F駅から電車でS駅に戻る。
車内で羽田に着いた娘二人とLINEでチャット、Yは若き日のKGBの写真数枚を送ってきて、共に涙、情けない。当時も今も幸せだと、言いきかせながら、、
S駅に着いて帰宅途上、司法書士M氏から電話あり、Yの住所を教えてほしいとのこと。慌てて帰宅後、手書きでファックス連絡す。郵便受けに戸籍謄本着あり、一週間以上かかってようやく送られてきた。先ずコピーして、年金事務所に向かう。外はまだ炎天下、17時には閉まってしまうので、足早に歩くが、こういふ時に限って信号がずっと赤。15分前、ギリギリで受付に立つ。そこで住所氏名、なんとか番号を書かされて、ようやく番号札を貰うが、これで3回目。じっと我慢して、待つこと30分近く。申し込み用紙と格闘する間にも娘からLINE連絡、その都度中断で、効率甚だ悪し。
待ち時間に昨日借りた新書を読む。陸士卒業者の著書。それについては別記すべきだろう。
年金手続きが終わり、またひとつKGBのこの世の証が消えていくようで、空しさが襲ってくる。気晴らしに買い物をと思っていたが、とてもそんな気分ではなく、滅入ったまま帰宅する。
テーブルに関連資材を広げて、親戚7箇所へ礼状と写真を分配する。封書に万年筆で手書きの住所、一筆添えるのは、時間のかかる作業に没頭できることを無意識に選んでいるのだろう。
 投函後、部屋に戻るともう19時半。空腹感は少ないが、夕食を摂らねばない。娘Rはいつ戻るのか連絡なし。侘しい孤食、他人事ではない、これが現実だ。冷蔵庫内の残り物、野菜庫のなんとか菜は一部悪くなっており、味噌汁に数種を入れて、最後に卵を落とす。ご飯を炊くのは簡単だが、お菓子や、カステラ、マフィンなどの残り物で、ちぐはぐなメニューとなった。20時半にようやくRが帰宅、やっと孤独から開放される。
ちぐはぐで、纏まりも教訓も欠如した1日だった。





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