珈琲と故郷:25-6-9.Mon.

 人と会い、話しながら、珈琲と和ツ降る:25-6-7、Sat. : dadkoalaのblog


珈琲で思い出すのが、高校時代の茶店のこと。

山国(と言われているけど、東京は谷やら坂だらけでビックリ)育ちの私、

茶店といえば、「不良の巣窟」といわれていた。

高校生になり、憧れの先輩と茶店(喫茶店のこと)に行ったことを思い出す。

その地域で(多分)唯一の茶店は、川向こうの隣町にあった。高校からチャリを漕いで橋を渡ると、駅までのダラダラ坂中間にお店があった。

テレビも無かったころの娯楽は映画しかなく、w幸いなことに地域では2軒も映画館があった。(少し離れた北側には、ロマンス座と呼ばれた映画館があり、そこの息子はメッチャ球が速い選手がいて、有名プロ野球のコーチの養子になったらしい)

南から流れる有名な川を挟んで手前に演芸館と呼ばれた古びた建物と、少しだけハイカラっぽい隣町には当時としては立派な映画館があった。その映画館から2軒目の角に、○○堂と呼ばれた茶店があった。

入り口のガラス戸を押し開けると、レコードの曲が微かに流れ、窓は分厚いカーテンで閉ざされ、薄暗く異様ともいへる空間だった。いかにも慣れ切った仕草でソファーらしき椅子に腰を下ろす先輩は、ボケーッと突っ立っていた私と同級生を促すように座らせ、程なくして得体の知れない黒っぽい液体が入ったカップが運ばれてきた。促されて、先輩の真似をして口にした異様なものは「珈琲」で、一杯500円もすると聞かされて驚いた。村に一軒だけあったお銭湯で、コーヒー牛乳とは 全く別物であり、味も香りもわからず、先輩の語る話に耳を傾けていた。何を聞いて話したのか、勿論記憶にない。

小学校1年の時、父親の転勤で県庁所在地で2年間生活した。同級生に変な女の子がいて、多分席が隣だったから?、授業参観に来ていたその子の母親に何故か気に入られて、家にお呼ばれした。出されたのは、紅茶だった。角砂糖レモンが添えられていて、その独特な香りに惹かれて幾度か遊びに行った。

楽しかった2年間は過ぎ去り、紅茶もコーヒーもない数年間を過ごし、高校に進学。茶店でも紅茶はあった筈だが、いつも珈琲だけ? 多分、西洋かぶれの先輩が持つパリとかウィーンでの「サロン文化」のド田舎版なのだろうが、今考えると、背伸びしていた青春時代そのものワン・シーンだったのだろう。

珈琲の味や香りなどはどうでもいい、それらしき振る舞いで恰好から「文化人」たらんと幼稚な悪あがきをしていたのかもしれない。

高校時代は英語劇にハマって、受験勉強などそっちのけ。ヒトナミのシアトル・イチローを経て、横浜の某校に辛うじて滑り込む。 暇な時間できたので、必須科目の麻雀も特訓を受けたが、何か物足りない。

 思い出したのは 田舎の茶店で飲んだ珈琲。豆を買って、ネルのドリップやらコーヒーミルをバイトしてゲット、どんな豆、挽きかたなど あれこれ試してみた。その後、カリタ式なるものが世に出て、ずっと手軽になり、、なんか拍子抜けして、、、、

数年前のこと、懐かしの茶店を探したが、傍から見れば徘徊老人との区別はできなかっただろう。 スマホ検索で懐かしの○○堂を辿ると、区画整理された地域の一角に、それらしき建物を発見した。 人影は無く、中に入ると貴重な想い出まで壊されるような気がして、帰途についた。

ふるさとは 遠くにありて思ふもの そして哀しくうたうもの、、、  犀星

爾後、馬齢を重ねて幾星霜、耄碌ジジーとなった。

今朝も、カリタ式でコーヒーを淹れ、ボケ侵攻防止に、多少でも役立つかと期待しつつ、、


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