2月12日、月、振り替え休日、寒波、Pーパンへ再度

月曜の休みは、本当に困る。窮する休日。
さらに図書館も休館とは、9時半過ぎから10時はセノバのオープン時間。5階の窓辺に荷物を置いて、今後の予定を確認。ジパン愚のチケットはあと10回か、月に1-2回のペースでまあなんとかなるだろう。
セノバの5Fにソファーのあるスペースあり、やや薄暗いがまあこれで満足しなければ、、。4階辺りの本屋にも行って文庫本を覗き見する。毎月夥しい新刊書あり、伊藤潤の「大島圭介」
死んでたまるか

「負けてたまるか」大政奉還の江戸城で独り気を吐く男がいた。貪欲な学究精神で、彗星のごとく歩兵奉行に上り詰めた大鳥圭介である。わずか四尺九寸(一四九センチ)の短躯にみなぎる反骨の気概と仏式軍学の圧倒的知識。実戦未経験ながら江戸から五稜郭まで幾度も窮地を切り抜け、土方歳三や榎本武揚にも信頼された指揮官を描く。

 大鳥圭介、メモすべき人物。

「レコンキスタ」
レコンキスタはスペイン語で「再征服」(re=再び、conquista=征服すること)を意味し、ポルトガル語では同綴で「ルコンキシュタ」という。日本語においては意訳で国土回復運動(こくどかいふくうんどう)や、直訳で再征服運動(さいせいふくうんどう)とされることもある。
グラナダ陥落
1492年のグラナダ陥落を描いた油絵。中央の馬に乗った赤い人物がフェルナンド5世。左手に描かれているボアブディル王が下馬の礼を取ろうとするが、それをフェルナンドが制している。

1482年、グラナダで内乱が発生した。これを好機と見て、カスティーリャはグラナダへの侵攻を開始した。1486年までにグラナダの西半分を制圧、1489年までには残りの東半分も制圧した。1490年、カスティーリャはムスリム勢力最後の拠点グラナダを包囲した。グラナダは2年間にわたる攻囲戦を戦い、その間にカスティーリャは軍事拠点としてサンタ・フェを建設した。1492年1月6日、アルハンブラ宮殿が陥落し、ナスル朝は滅亡、レコンキスタはここに終結した。

「セファルディム」 世界の物流を支配


偶然にも、この1492年にはコロンブスがアメリカに到達している。その後援者はイザベル女王であった。  当時スペインを追われたユダヤ教徒の子孫はヘブライ語ではセファルディムと呼ばれる。「スペイン系」という意味である。世界に350万人ほどいると推定されている。セファルディムにスペイン国籍を与える法案は未だに成立していない

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