“フェルメール・ブルー”

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フェルメールが愛した青を、“フェルメール・ブルー”というそうだが、フェルメールの死後、相当な借金が残った原因となっているほどとても高価だったようだ。

このブルーの原料は、”ラピスラズリ(lapis lazuli)”という鉱物で、
古代ローマの植物学者プリニウスが「星のきらめく天空の破片」と表現するほどの美しい宝石で、ツタンカーメン王の黄金のマスクの鮮やかなブルー。
現代でも、トルコ石とともに12月の誕生石として使われている。

この鉱物をすりつぶし、溶液で溶かし、植物油脂でといたものが“ウルトラマリンブルー”で、通常の青い絵の具の100倍の値段だったそうだ。

フェルメールは、この高価な“ウルトラマリンブルー”を下地に使うなど隠れたところでも使用しているというから借金が残ったわけだ。

“フェルメールブルー”との因果関係は確認できなかったが、フェルメールが生まれ育ったデルフトは、白地に青模様の陶磁器が有名だ。
この青を“デルフトブルー”という。デルフトでの陶器生産は、16世紀にイタリアから陶器の製法が伝わり、1603年オランダ東インド会社が設立されることにより、中国から磁器が伝わり、独特なデルフト焼きが出来上がった。

フェルメールの活躍と時期を同じにし、“ブルー”へのこだわりが今日でも価値を高めている。しかも、デルフト、フェルメールのブルーへの影響・貢献は
アジアであった。デルフトブルーには、中国の磁器が、また絵柄には日本の伊万里焼が
フェルメールが愛したブルーの原料は、アフガニスタンが産地であり、海を越えてきたブルーだから“ウルトラマリンブルー”といわれた。

大航海時代の先端情報・技術がオランダに集まり、フェルメールは、この基盤の上で、光と構図と絵の具とで写真かとも思うリアリズムで対象を捉え、生き生きした人間を色っぽく描いている。

レンブラント(1606年―1669年)は、フェルメールよりちょっと先輩に当たるが、暗黒に一筋の光を描くことが多く、重く・苦しい呪縛を感じる。

17世紀を代表する画家二人が同時期のオランダで活躍し、経済の成長発展は、その上での文化の大きな花を咲かせるという社会科学的な原則が働いている。

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