三蔵法師、西遊記から;R2年2月9日、日曜

R2-2-9,日曜日、晴れ。 SMD, 7時少し前にジョギングに出る。スマホを忘れて取りに戻ったらちょうどお日様の出る時刻、6時56分。田んぼの真ん中で撮影、ここで手を合わせるべきだったのかも、
今、足柄SAで2度目の休憩を終えて、渋谷に向かうバス車中。
 文庫本、「西遊記」今㈤で、再び多心経が登場する。
このお師匠こと、三蔵法師玄奘については、Note demo触れたが
  それは;https://note.com/dadkoala/n/n491a3e185b57
>>あしかけ17年の旅を終え、多くの経典を持ちかえった玄奘は、皇帝の庇護のもと多数の仏典を翻訳しました。
 63才で亡くなられた時、天地は色を変じ、鳥獣は哀しげに鳴いたといい、遺体は77日経っても少しも変わらず、異臭もしなかったということです。
 葬儀には、送る人100余万人、その夜墓前に泊まる人3万余人ともいわれています。

17年といふ年月風雪、想像を絶する苦節に耐え抜いた玄奘は、経文を漢字に翻訳し仏教布教の礎(いしずえ)となった。その中国では、西遊記にもたびたび出てくる道教との対峙?あるいは対立?から、本家中国よりも、海を隔てたわが国で最も栄えたことは歴史の皮肉とでもいふべきなのだろうか。

最も有名な般若心経は、しかしながら、インドに至る前既に玄奘が教えを受けて体得していたことが、西遊記を読むと理解できる。
この270文字があったからこそ、玄奘の偉業は達成され、後世のわたくしどもに多大な影響を及ぼした。 ぐらつきがちな精神界、ともすれば見失ってしまふ方向を支え、心を無にすることで得られる安心を見出す術(すべ)として、後世に伝えるものと確信する。

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