「不確実性の時代」とガクモン;R2-8-3, Mon、SKR, KRN

半世紀ほど前の記憶がある、
全狂闘によるロックアウトで、麻雀か、あるいは倶楽部活動のいずれかと選択を迫られ、
単細胞の私は後者をとった。(これは正確な記述では無い、なぜならば、私の下宿先には代々のジャン牌、それも象牙と竹製!!があったから、推して知るべし)
倶楽部はユニバーシティ故に複数の学部混成であり、、それぞれどんなテキストを使っているのかが自ずとわかっていた。商学部の先輩には駅前の居酒屋によく連行されて、雑学教授を受けていたが、ひとつ印象に残っているのは、数学の本だった。「Linear algebra」、不思議そうに見つめる私に、たった2年上の先輩は、雲を掴むような話しで後は酒を飲まされていたから
わかるわけ無い。

その後、暫くして「不確実性の時代」がベストセラーとなった。
経済学などまるで素人の私でさえ覚えている出来事で、前後する「失われた20年、あるいは30年」と相まって、「経済」の実社会の及ぼす影響は底知れないと再認識した。

複数のサイトから 著者ガルブレイスの考え方について調べてみたが、直ぐわかった。
それは、答えの出るはずの無い「動きの予測」だから、あくまでも1つの仮説、「理論」であり、予想以上の何物でも無いこと。

美の極致といわれる「数学」或いは、幾何学などでも、忘れた頃に『新たな発見』がメディアを騒がせている。過去の常識が次々と否定されてきた、「イガク」においても、とてもガクモンとはいえない議論が繰り返されてきた。
何故なのか、それは、前提とする複数の「固定概念」の間に隙間があるからだろう。超一流の専門家は、頭脳明晰ゆえ”あらゆる”可能性を考慮した上での対策をたてる。いいかげんな私にはできるはずなどない。

しかし、”あらゆる”可能性とは、”全ての可能性”ではない。
”全ての可能性”には、先の原発事故も、つい先日の豪雨災害も含まれる。
卑近な例では、直面しているコロナ禍関連の諸々もあるだろう。

「不確実性の時代」といったタイトルも気にくわない。
「確実な時代」なんて、あるのだろうか、、

矛盾と誤謬に溢れているのが現実の世界。
大多数が善良な人であろうが、 私みたいにヒネクレタ「不良」もいる。

先の見えない時代だからこそ、余計な雑音、学説?などに振り回されたくない。
予測したいなんて、不埒な下心は、"something great" の前では一顧だにされないだろう。


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