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これでもか これでもか、R元8月25日、日曜

蕗の葉に とんでひっくりカエルかな 一茶 私は今、高速バスでSNJKへ向かっている。0543発の始発、8時半には到着の予定。 昨日15時半に戻ったばかり。ゴミ屋敷から、多分最後となる重い段ボール箱を軽ワゴン後部座席一杯に運び出し、母屋土蔵などに移し変えたばかり。 疲れ果て、シャワーを浴びる気力もないが、遅めの夕飯を手早く作り、心配した妹や姪からのLINEに返信し、ゴロリと横になるや、飲兵衛叔父から電話あり。 チューゴク人みたいに、言いたいことをまくし立てられ、辻褄の合わないことをさりげなく訂正するも、KIC兄のことを心配しているらしいのはわかるが、頓珍漢なことを繰り返して、うっかり訂正すると、うまく誤魔化す。 これは、初期認知症特有のパターン、このまま放置すると、暴言暴行、妄想、徘徊などBPSDが顕著になるだろうから、然るべき対策が必要だ。 昨夜、あの妄想に近い電話の後、OTKのの従兄に連絡し、ケアマナを介する見守り、あるいは然るべき施設へのショートステイが選択肢になるだろう。 昨夜の電話後に、予備 薬を探したが、抑肝散も、デパスも見当たらず、仕方ないのでブロチゾラムのコンマ25をバッグに放り込み、お米を2合研いで22時就寝。 そして0400起床、炊飯、庭のトマト🍅を沢山ぶち込んだスープと卵ご飯。腹が減っては戦はできない。タッパに残りの漬け物混ぜご飯とリンゴ、キウイも放り込み、バスに乗る。 バス車中で、有吉佐和子の昔のベストセラーを読む。これは、先日ゴミ屋敷の夥しい蔵書の中から見つけたもの。「恍惚の人」。

何故なのか?今朝のホードー:R元8月22日;黙祷日

けふは何の日 8月の22日. 木曜日、曇り空、 昨日の盥をひっくり返したような雨に、私は義弟たちと車に乗っていた。 話好きの義弟は、寡黙無口の妹とは正反対で、何故か私と気があふ。 いつもボケーっトしている私を見て、洗濯物ダイジョーブ?と気配りしたが、 私は、土砂降りの中ネグラに戻って気がついた、義弟の懸念はテキチュー! 今朝のコーキョーホーソーは、つぎのように、伝えていた。 昭和20年のこの日、樺太、あるいはサハリン?と?? ボケてきたから覚えてないが、小笠原丸ほかが潜水艦攻撃され云々、、、 問題は、この女性アナウンサーは、「コクセキフメー」と言ったこと。 「コクセキフメー」とは、便利な表現、このソシキの常套用語のようだ。 大体見当つくが、またボケてきたのかと、心配になって念のために調べてみた; 三船殉難ジケン ここにも私の嫌いなWiki にも明確に ボーコク と記されている。 8.15から1週間後のこの日、何故このジケンは起こったのだろうか? ツージョーの思考能力があれば、どこの国かはわかるだろうけど それを、コーキョーさんは堂々とノタマウ。 「コクセキフメー」と。 トシとると、息切れして、シナプス回路の動きもモタモタしてくるので、一休み、 昭和20年といへば、3・10も極悪非道極まりない。 まーあのおフランス系に挿げ替えた米国の事情は多少わかるが、このジケンは次元が異なる。 タナボタで大統領になった、ミズーリ州生まれの高卒元銀行事務員は道路工事など実務に精通していたが、かの国では世界に冠たる国立文書館がある、、 ジケンの悲劇は、樺太からの引き揚げ三船に襲い掛かった。 小笠原丸は、 稚内で約半数が下船後、そこから小樽に向かう途中 とのこと。 しかも、 撃沈後に浮上した潜水艦から無抵抗の人たちに機銃掃射 が、、、、、。 現実は冷酷だ、それ以外に適切な表現はないだろう。 そして「憎悪」といふ低次元感情を利用したのが、日本以外の指導者、(そう信じたい)。 考えてみれば日本にも、そして米国はじめレンゴー国側にも多くの知識人がいたのに、、、 でも歴史は変わらなかった。 知識人とは、何だろうか。 知識なんて、なんの力・パワーも無いのではないか、、、、 時の政策に都合のい

学者からの視点;R元8月19日、月曜

私のボケ頭のような鈍よりとした朝、 先ほど雨がぱらぱら降り、そして止んでいる。 8月19日の月曜はお盆開け。 日本は、つくづく平和な国だと思ふ。 今朝のラジオから、意外な内容の報道あり、それは昭和天皇拝謁記。 うーん、これをコーキョーホーソーで流していいのかどうか、ちょっと疑問あるも、 まー出ちゃったから、、、、、。 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190819/k10012040151000.html >> 昭和天皇との対話を記した初代宮内庁長官の「拝謁記」には、当時の吉田茂総理大臣について「吉田ハカンで動く人間ハ六ヶ(むつか)しいね」と述べるなど、昭和天皇から見た歴代総理大臣の人物評、、、、 >> 昭和天皇は自らは事務的な人間であり、同じように事務的な人間と相性がよかったとしたうえで、近衛と東條を比較し、「近衛はよく話すけれどもあてニならず、いつの間ニか抜けていふし、人はいかもの食ひで一寸(ちょっと)変つたやうな人が好きで、之を重く用ふるが、又直(じ)きにその考へも変る。政事家(せいじか)的といふのか知らんが事務的ではない。東條ハ之ニ反して事務的であつたそして相当な点強かつた。、、、、 >> 田島長官が吉田について勘で決めたことを強く押し通す人物だなどと話したのに対し、昭和天皇は「芦田は其点よろしい。理論ぜめで少しぎこちないが行き届く。研究した結果道理でおして、一寸(ちょっと)きつすぎる場合もあるが事態はちやんと研究する。吉田ハカンで動く人間ハ六ヶ(むつか)しいね吉田と芦田との長所が一人だとよい 私は、率直にいって、各人物を冷静に観察していると思った。 これは、動植物学者としてのシビアな観察眼から、当然のこと。 ニンゲンなんて、動植物分類では、単なるヒトであり、この行動は身近で観察すれば瞬時に看破される。 特に吉田茂なる個性強いジンブツ評は、注目に値する。 これぞ、科学者の眼であり、海千山千のセージカとな全く視点が異なる。 ぶれない視点。利点もあるが、勿論それ相応のリスクも伴う。 だからこそ、ニンゲン社会は複雑怪奇だ。

オトナとこどもの違い、R元8月17日

大型台風が通過した朝、爽やかな青空、、と、ここまではいいのだが。 7時半を過ぎると強烈な陽の光が肌にくいこんでくる。 日の出ずる国では、天照大神として神話にも登場するが、 中東アラブなどでは、生きとし生けるもの全ての活動生命維持すら困難になる故、お月様が国旗に描かれるようだ。 かように、その有するエネルギーは諸刃の刃。 プロメテウスがもたらした火そのものも、彼は残酷な神の罰を受けている。 火は、巨大な天変地異により、森林といふ楽園から追放され、二本立ちとなったか弱い猿人のとって武器であり、獲得した獲物の調理、暖房など多様な役割を担うこととなる。 その火は、神から警告として火災焦土といふ天罰がくだされる。 アホな私は、6歳頃に親がマッチで点火するのを見て、恐々擦ってみた。初めてのうちはボッと出る炎が怖くてしかたがなかったが、やがて上手く火が付くと面白くなり、当時土間にあった七輪に紙屑を入れて遊んでいた。 証拠隠滅した筈だったが、ある日母にバレた。 私は、黙秘権を行使するしたが、母は上手(うわて)だった、 ショージキに言いなさい。シヨージキに言ったら打(ぶ)たないから。 今も愚かな私、それを信じてホントーのことを口にしたら、、、 直後に猛烈なビンタが炸裂した。 オトナは決して信じちゃあいけない。 本当のことをいうと、ブン殴られるから、 と捻くれるようになったのは、多分これが原因だろう。

大事なのは経済、そんなこともわからんのか!R元8月16日

.8月16日は、送り火。 今年も、法事したばかりだから、迎え火なし、当然送り火もない。 火を焚かなくても、ご先祖様もK GB GBも、間違いなく家に帰ってくると、そう信じてるから。 上京の車中、LINEニュースを見る。 どうでもいいヘンコウ報道を繰り返コーキョーホーソーで、まともなのは、台風情報だけ。 「大事なのは経済、そんなこともわからんのか」 ひと昔前の政治スローガン?らしいが、米のトラちゃんが吠えている。 現実は、キビシーのだ。 巧言令色、口先だけの輩の多いこと、、 世界のメディアは、挙って不動産王を罵倒したが、傲慢厚顔の某国に、正面から対峙したのは、このレイシストに他ならない。 キタのシドー者とのタフ・ネゴーシエート出来るのも、彼以外にいないだろう。 キタのお方は、ナントカラインと接する憐国、変換ミスではない、 それをいずれは自滅するだろうとシビアな見方をしている。 仁義知信礼の全てを欠落したジンブツをどうあやすのだろうか、 誰だってムシするしかないだろう。 It’s the economy, stupid!

旧友からのご褒美;R元8月3日、土曜日

昨日は、炎天下の湯島、銀座をうろつき、16時前に佐久に戻るが、 いずこも同じ灼熱地獄。 古の三蔵法師、ゴビだか、タクラマカン砂漠を往復したその体力気力には脱帽。 あ、脱帽すると、直射日光で、、、、、、、 今朝は、昨日WADAの叔父宅のゴッタクダンボール5-6個分の仕分け。半分以上は可燃ごみだが、その作業であっというまに汗諾々、唯々諾々。 コーヒーブレイク中にご褒美2つあり ひとつは、マイアミからのメールl、 https://ameblo.jp/dadkoala/entry-12500900047.html さらにビックリ驚きサプライズ。 10時半過ぎ、携帯の電話が鳴る。 見知らぬ番号だ。誰だろうと、出ると女性の声、SRTと名乗る。 エーっと驚く。 あれ先日大学の事務員さんから亡くなったと聞いてので、信じられない。本当だろうか?? だが、その声は20年ほど前と変わらない。 大学の事務員さんの勘違い、昨年亡くなったのはそのご主人。 ご夫婦とは数年来のお付き合いをしていて、HDKの家には幾度も訪れている。 延々と懐かしさで会話が行き交う、、、、、。もう98歳だといふが市内の息子さん近所のマンションで1人暮らしとのこと、再会を期して一旦電話を切る。 神様からの贈り物だ、 さて、これからでも山越えて行こうか、、、、、