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1月, 2019の投稿を表示しています

1月の26日は土曜日;千両と両違い?イーオン2Fにて

1月の26日は土曜日;イーオン2Fにて; 久しぶりにレッツノートをリュックに入れて、ここ2Fの席に座る。 今まで、嵩張るからとタブレットだけだったが、どうも接続や使い勝手が悪い。 こうして、キーボードを叩くのがストレス溜まらず快適だ。 けふは、土曜日、エキサイトブロ愚に24の「万両」を入れた。 -->https://mouroku1949.exblog.jp/ 「万両」、千両などとの区別はいまだわからない。 調べてみると、 >> サクラソウ科・ヤブコウジ属に分類される常緑性の低木です。日本から中国、台湾、朝鮮半島の東アジアに分布しています。 ; https://horti.jp/16570   かように書かれていても、どうもピンとこないので、別のところを見る いくつか比較しtげみると、次のものが一番わかりやすい;https://lowch.com/archives/14172 >>万両とは、 サクラソウ科ヤブコウジ属 に属する常緑性の 木本 植物で、樹高0.5~1mの低木    千両とは、 センリョウ科センリョウ属 に属する常緑性の木本植物で、樹高0.5~0.8mの低木 つまり、樹高だけでなく、種類が違うことがわかる。さらに、 >>万両と千両の「実」の付き方も下記の特徴がある;   万両は、--> 葉の下 に サクランボ 状に 垂れ下がって つき   千両は、 --> 葉の 上 にかたまってつき・・・・ さらに葉の特徴を示すと;   万両は、--> 葉の縁が 波打った 小さめ の 単葉 で 、 互生   千両は、 --> 葉の縁が のこぎり状 になった 大きめ の単葉で、 対生

1月18日、(金)、晴れ、バスで島田へ。

11日、金。晴、バ西向。

As scheduled; 1月17日、木曜日、晴れ

As scheduled; 1月17日、木曜日、晴れ 1月に入ってからのスケジュールは、結局は予想通り。 1月8日の火曜日、これがキーポイント。母の退院と、老人ホームへの移動。 元旦の顔面打撲と、腰痛、ダブル・トリプルのパンチで身体が重いけど、ずっと懸案だった長女への手紙は先日、ようやく投函。 昨日は16日、午前はパジャマのまま外出せず、午後、15時近くにようやく、チャリでNKGMへ。百均で電池とノート、図書館で新たに4冊借りて、郵便局で2.4万、小銭が必要。そして、大昔の母が勤務していた場所のスーパーへ。しかし、中をざっとみて、隣接の百均でやっと耳当てを購入、それを着けて帰途。 JNKよりラインあり、ホームのベッド向き変更と、ようやくか、、。 昨日の、横綱、キセノサト引退。第一、名前が悪すぎるし、親方、医師団は何をしていたのか、この2年間、誰も責任を取らずにズルズルと。この引退も、As scheduled そして、けふ。8時には朝飯済ませて、チャリでの出発用意。それにしても、指先は冷たい、その対策を、、、。 9時半前には、ホームへ。 ベッド位置、テレビ位置向きなど確認し、早めの退出。 明日以降の準備を。 DCの娘より、某リン国の騒動について、・・・。私は、一喝、ゲッペルスの言葉を引用; 「嘘も百回言えば真実になる」と、 それにしても、肝心の米国のトラちゃんは、、、、?

兎にも角にも;1/13, 日曜日、晴れ、交流センター、コンサート

兎にも角にも;1/13,  日曜日、晴れ、交流センター、コンサート 前日の12日は土曜日、曇り空で時々日差しあり。8時頃まで布団内。体重計や、郵貯のカード、ほかノートや接続jコードなど、どこを探しても見当たらず。 11時頃に、こころに着く。出発は10時半の少し前、九十九折の坂道はきつくて徒歩、ゆっくりと、ゆっくりと。母は、デーサービスの脇ベッドで休んでいる、冴えない表情。私も疲れきって、部屋で持参のポットからお湯、紅茶で一休み後に、母を迎えに。車椅子、スタッフはゾンザイで、ちょっと腹が立つけど、じっと我慢。通路にも、傍若無人の見舞い客、これを迂回するように進ませて、部屋に着く。すると、尿意トイレとのこと、ともかく逆戻り。なだめすかして廊下のトイレに。そこでなんとか便座に座らせる。立つのがやっとで、日々脚力は確実に低下する。これはならじと、心を鬼にして、立たせて座らせ、頃合を見て、トイレに入る。 車椅子は無理だと判断し、無理やり立たせて、自室まで伝い歩き。 なんとか、部屋にたどり着く。男性スタッフがセンサーどうの0こうの、入ってきて、紙おむつのことを聞く、返事は後回し、義妹にその旨ライン連絡。 本日、13日は10時前に小屋を出る。昨夜と朝食後に夫々入浴、身体を温める。今朝の暖房は、エアコン使わず、石油ストーブ、薬缶でお湯を3回沸かし、コーヒーも淹れた。 ふと思い立ち、妹が勤務する施設、および日赤病院に行く。帰途、道を逆走、かなり進んでUターン。駅前の施設、お花屋さんを探すも??? <中略>ここは、イーオン2Fの席、騒々しい周囲。米国マイアミからメールあり、中断して返事。

過ぎたるはナオ及ばざるがゴトシ;1月10日、木曜日

入所3日目 1・10、木曜日 挨拶の漢字、再度確認、手紙書き始めるも、、、 7時少し前に起床、アラーム不明、といふことは、明け方は熟睡といふことか 13時過ぎ、浅科のWifiが使える施設へ、徒歩で10分。 久しぶりに昔のレッツノートを使う。 Wifi 接続するも、Yahoo へのアクセスでトラブル。 昔のアドレス、アンダーバーの付いた使いにくいアドレスを入れないと何故か動かない、 パスワード、そしてパスワードがどうのこうの イライラする。セキュリティー重視はわかるが、、、、。 過ぎたるは猶 なお 及ばざるが如 ごと し 〔 論語   先進 〕 物事 の 程度 を超えた ゆきすぎ は不 足し ていることと同じように よくない ことである。 Weblio より

20年以上前から続く負の記憶から学ぶこと;1月5日(土)

普段の行いが悪いので、といふかこれがいいと思い込みが支配するのだろうか、 気がついたら、新年早々ブザマナ寝正月となった。 旧年の10月頃から、おおまかなプランを建てていた。 過去の反省から、己の仕事より、これまで支えてくれた家族をより重視すべくと、 95歳になんなんとする老母の安寧を、最優先にしたいと考え粛々と準備を進めた。 私は現在の介護制度全体について、前々から疑問を持っている。 何故かといふと、複雑すぎて(超官僚主義的背景)私みたいなアホのは理解不能なシステムだといふことがひとつ。 そして、最大の被害者が、介護を受ける主体(私の母)であるといふ事実である。 病院も薬も大嫌いな母は、少なくとも50年以上は通院は勿論、健診も受けていない。 5歳年上の父が18年前に他界したが、考えてみれば、その前後に何かしら問題があったのだろうか。 過去を振り返るのは、あまり好きではないが、この際は仕方がない。 20年前に遡ることとする。 当時の我が家、家内と子ども3人は「試練」の時だった。 突然の長男発病で、家内はパニック。私も家内も必死で、病院探しをした。 つまり、当時も今も、専門医ほどアテにならないことが、分かりかけていたときだと記憶している。 田舎に同居していた弟夫婦から、父が喜寿だとか、傘寿だとか電話連絡を受けたが、とても動ける状態でなく、遠く離れた医療施設へ通う事となった。 親としては、当然のことながら、我が子のために心身砕く思いで動き、気がついたら、父は入院後程なく亡くなった。弟も体調を崩して4年前に他界し、その葬儀の席で、私までが体調を崩し、家内の大きな負担となった・・・・・・・・。 幾度も、「試練」は訪れたが、不思議と思いがけない人が助けてくれ、こうしてこのアホがまだキーボードを叩いている。つまり、見えないところに、神様はいるのかなと思っている。 二度も三度も地獄の底を味わったから、残された肉親への思いは特に強くなる。 先日、あるカレンダーを見て救われる思いがした。 そこには こう書いてあった 苦しかったことや悲しかったことを忘れようなんて思うな しっかりと胸に秘めて生きる力にかえていくのだ